大きくなったら何になりたい?

2019-09-06 07:05

まだ息子が小さかった頃

「お父さんは何になりたいの?」

と無邪気に聞かれた。これはいつも厳しい言葉だ。お父さんは何になりたいんだろうね。多分それはいくつもあるのだが、その一つはこれではなかろうか。

まともな学者の「エクセレンス志向」のようなものが「ダメな意見の蔓延」と共犯関係にある、と強めにゆうてしまってもいいのかもしれない。浅羽通明はかつて「臨床思想士」というコンセプトを掲げたが、それに近い(エクセレンスを目的としない)知識人像が必要なのではないかという気もする
増田聡
@smasuda
·
9月4日
辻田さんのいう「ファクトを踏まえつつ物語を作る」という処方箋ともそれは通底する。「真理の追及」ではなく「有効な物語」を作る専門家がいても良い(というか「作家」がそうなんだけど)

引用元:(1) 増田聡さんはTwitterを使っています

疑似科学の分野ではよく言われていることだが、まともな科学者は疑似科学を相手にしない。疑似科学がなぜ間違っているか、科学に興味がない人に説くのは誰がするのか?

疑似科学とかそれに近いものが蔓延するのは、それが人にわかりやすいものであり、何か心に訴えるものがあるからだと思う。最終的に人がどういう結論に落ち着くかは別として、それとは違う「わかりやすい物語」があってもいいと思うのだ。

なぜそんなことを書いているかというと、今「”人工知能って怖い!”から始める人工知能概論」という本を書いているからだ。世の中に人工知能概論の本は数多くあるが、いくつか肝心な内容が抜けている。だから素朴な疑問-いつか人工知能が人間を支配するんじゃ、というファンタジー-に対する回答になっていない。そして概論を書こうと思えば、それらの技術について随分調べなければならないことを痛感しているからなのだが。

それを考えると

新井夫は、日本を代表する数学基礎論の数学者。
新井妻は、松坂和夫と竹内外史の弟子。

新井妻「私のゲーデルの不完全定理の説明がダメだって、みんなに言われてるらしいんだよね・・・」
新井夫「どれどれ?あ、これ、僕同じ説明昔したことある」
というわけで、新井家といたしましては、本件に関して「不完全性定理をわかってない!」とおっしゃるのであれば、「そうですか」と申し上げる以外にない、という公式見解とさせていただきます。以上です。

引用元:不完全性定理に関する新井家公式見解を巡って踊る人々 (3ページ目) - Togetter

忙しい専門家としては、こういうしかないと思うのだが、これ惜しいと思うのだよね。ちなみにこの「新井妻」の説明というのは

いつまでも平行線のまま、
わかりあえない可能性がある、っていうのが、
「ゲーデルの不完全性定理」です。
「人は言葉だけでは絶対にリアリティを共有できない」。
そういう定理なんですよ。

引用元:「ヘンタイよいこ」新井紀子は明日への希望を忘れない。 - ほぼ日刊イトイ新聞

この言葉に噛み付いているその道に詳しい(と思しき)人たちがたくさんいる。その議論はとても私に理解できるものではないが、この言葉が何を意味するか。背景にはどんな理論があるのか、とかうまく解説すれば見事な物語になると思うのだが。