無意識の聞き方
2019-10-29 07:18
「我思う。ゆえに我あり」というのは確かにそうかもしれないけど、「我」が結構あてにならない、というのも事実だ。人間は無意識というか意識しない、つまり「我」以外のところで判断を行っている。問題はこの「無意識」というのは働いていながら、何も語ってくれないところにある。理屈で「これはこうだから、正しい選択だ」と考えていても、体がよれよれになることはよくある。なぜか
この生き方を実行する過程で発見したのは、頭脳は大して役には立たないということでした。本当にすべきことか、しなくてもいいことかは、身体が決めてくれます。どうしてその決断をしたのか、それが今後の人生にどうつながっていくのかを頭で考えるのは、身体が決めた後です。
引用元:人生の目的は見つけるものじゃない。いま、やるべきことにベストを尽くすだけ──ティール組織 著者の天職との出会い方 | サイボウズ式
ここで「身体が決めてくれます」といっているところが無意識なのだと思う。そして厄介なことだが、意識が勘違いしている無意識の声もある。
身体は決めてくれるが、「意識」が間違った判断をしている場合は言葉を発することなくただ「体の不調」という形でしか発言してくれない。年取ると体がよれよれしているから、それが老衰によるものなのか間違った意識なのかもよくわからない。
余裕がなくなっているから、無意識発の不調がよくわかる、ということなのか。そうということにしておこう。