「お詫び」の安全性
2019-11-26 07:36
米国で自動車事故を起こした場合、絶対にI'm sorryといってはいけないと言われた。それは危険だからだ。
逆に人間は「お詫びしても自分に危害はないよね」とわかっているときは簡単にお詫びをする。
東大の特任准教授が、まあありとあらゆる馬鹿な発言をしている。それに対するある人のお詫びがこれ。
東京大学大学院情報学環に所属する特定短時間勤務・有期雇用教職員が、SNSなどによって特定個人、あるいは特定の国やその国籍をもつ人々に対して、極めて不適切な書き込みを行った事実が判明しました。
本部局の設立から一貫して関わってきた一教員として、まずは心からお詫び申し上げます。引用元:東大発「ヘイト書き込み」への心からのお詫び 教養の欠如、人材育成の偏りへの大反省(1/8) | JBpress(Japan Business Press)
もう一つはこれ。
当該青年は私たちの部局で、特任人事によって採用したもので、今年の4月に着任しています。その人事教授会に出席した一人として、あまりのことに言葉もありません。
一大学教員として、率直にお詫び申し上げます。引用元:東大発「ヘイト書き込み」への心からのお詫び 教養の欠如、人材育成の偏りへの大反省(1/8) | JBpress(Japan Business Press)
愛知トリエンナーレの炎上もそうだが、私の考えでは一番罪深いのは「問題人物と知りながら登用した人間」である。愛知県の場合は大村知事。そしてこの教授は自分がその首謀者でないことを知っている。ただ教授会にでていただけだといっている。
私が知りたいのは誰がこの「特任准教授」をその地位に推したのか、ということ。とはいえこれは村社会の大学からは絶対にでてこない情報だろう。多分教授の間ではいろいろな囁き声が聞こえるだろうが。
大学に多額の寄付をさせられ、こんなのを担当教官としてアサインされた企業には同情のほかない。広報上の大損害だが、東大の教授会は前述の教授のように知らぬ存ぜぬの遺憾の意を表するだけだろう。「遺憾」には主語がない。誰が悪いともなんとも言っていない。
つまるところは、下手に東大に寄付講座なんか作るとろくなことにならない、という教訓が得られた、ということか。