2002年カレーの旅
-国立へ

日付:2002/7/1

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国立カレー

前回までのあらすじ

札幌にはスープカレーがある、と男は知るがさすがに札幌は遠すぎると考える。しかし愛読している「赤ずきんちゃんブレイクダウン」のオフ会が開催されると聞くと仕事も同期会もそこそこに札幌に向かう。そこで食べたスープカレーはおいしく、宴は楽しい。しかしその中にあって

「このカレーと離れねばならぬOG氏、そしてこのおいしさを知ってしまった私はこの後いかなる心持ちになるのだろう」

と考えたりするのだった。

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OG氏は札幌を離れ神奈川に来る前サイトにこう書いていた

「もう札幌にいる間はカレーしか食べない。」

それからしばらく氏のサイトは更新が止まる。社会人になって環境の変化に対応するのは大変であろう、何かと忙しいのであろうか、と考えるうちに更新は再開され、ある日概略以下のような文章が掲載された。

「関東で2軒だけみつけたスープカレーの店に行ったが閉まっていた。近くにあるカレーミュージアムに行ったが”こんなところに求めるものはない。”と思い、別の店で五目焼きそばを食べた」

その文章を読んだ私は掲示板にこう書いた

「カレーの道は試練の道。札幌でごいっしょさせていただいたあのスープカレーを思い出すたび、OGさんの苦難がしのばれるのです。
カレーミュージアムにはけったいな格好をしたメイドさんとかいるのですが、やはりカレーの本道からは外れているかもしれません。」

それから何日ほどたってからであろうか。かのサイトの掲示板で再びカレーが話題となり、そしてそれは

「東京で札幌スープカレーを食べましょうオフ」

に発展した。出席者は私、OG氏、SY氏、SJ氏、それにKY氏である。私は参加表明として、以下のように書いた。

「6/1 大坪でございます。カレーカレー。
写真を見るとあの札幌スープカレーそっくりですけど、味はどうかな。。期待と不安がいりまじる今日この頃ですが是非参加させていただきたく。
カレーカレー」

6/9の日曜日。私は10時前に家を出る。これからはるばる国立というところまで行くのだ。同じ関東エリアなのに実家に帰るのと同じくらい時間がかかる。ええい、少なくとも札幌より近いではないか。そしてそこにはカレーが待っているのだ。あのスープカレーが。

滅多に使うことのない南武線という電車に乗る。しばらくして車内の雰囲気が少し変わっていることに気がつく。やたらと競馬だから競輪だかの新聞を広げている人が多いのだ。私の前には結構Cuteな若い女性が立っているのだが、彼女もそうした新聞を広げている。思うにこの沿線に競馬か競輪場があるのだろうか。そう思ったらある駅で新聞を持った人たちは一斉に降りる。やれ、すいて良かったと思ったのもつかの間。私は「乗り過ごしてしまったのではないか」という強迫観念にとらわれ始めた。ずいぶんと長いこと乗っているのである。なんとなくこの路線の終点まで行くのだから止まったところで降りればいいや、と思っていたがこれが

「中央線直通」

とかだったらどうしよう。気がつかぬうちに私は中央線をはるか名古屋の方に向かって疾走してしまっているのではなかろうか。その妄想が限度を超えかけたところで目的地に着いた。中央線の立川という駅である。

ここから国立までは一駅。3分でつくだろう。待ち合わせは12時だから5分前にはつくな。よしよし、などと考え私は電車に乗る。ぼんやり外を眺めているうち次の駅に着くがアナウンスは

「日野」

とか言っている。ちょっとまて、立川の隣が国立ではないのか。あわてて路線図を観ると私は列車を飛び降りる。中央線は中央線でも私は反対方向の電車に乗ってしまったのだ。

結局待ち合わせ場所国立駅南口についたのは12時ちょうどだった。観ると予告通り「上から下まで黒づくめ」のOG氏が立っている。私は「OGさん」と声をかける。

どうですか、会社は。暑さがつらいですか。いやあ、私が新入社員だったときも北海道出身者は死んでましたからねえ。などと話しているが誰も現れない。なんでもSY氏は前日いきなり肩の調子がおかしくなり欠席とのこと。SJ氏は去年の夏に会ったときものんびり来ましたからこちらものんびり待ちましょうなどと言っている間にSJ氏が現れた。彼とOG氏は0.5mほど離れてお互い顔を見合わせ、お互い「あの」と話すきっかけを待っている。これは双方に面識のある私が紹介などすべきであろうか、と思った瞬間二人は挨拶を始めた。

それから少したってKY氏が登場。今日のメンバーがそろったことになる。さて出発、ということなのだが、道が今ひとつわからないらしい。あーだこーだと歩いているうちに「薬膳カレー」とかいう看板が見えてきた。

ちょっとまて、薬膳カレーって何だ。スープカレーとどこが違うのだなどと考えるまもなく皆で階段をあがる。いかにも「印度」という雰囲気のあるビーズが垂れ下がった入り口をくぐり抜けると中にはいくつかのグループが来ているようだ。

席に着いてさて何を注文しよう。壁にはメニューがいくつかならんでいるが一番安い物でも1200円くらい。一番高いのは1800円を超える。隣ではOG氏が

「札幌の2倍だ」

とつぶやく。結局我々が注文したのはチキンとナスのカレー、チキンカレー、ラムカレー、ラムと野菜のカレーである。カレーがくるまであれやこれやの話が語られる。大坪さんたしか鹿児島までカレー食べにいったんですよね。そうです。私はカレーがあると聞けばどこにでもいくのです。などと書いていて

「日本国内を移動しているだけなのに何を偉そうな。それを言うなら印度へいかんかい」

と自分でつっこみを入れたくなるが気にしないことにする。SJ氏が

「昔学校でカレーにソースをかける派としょうゆをかける派の間で不毛な論議をやった」

と語る。私は驚愕する。カレーとはカレーとして食べるのが正しい姿ではないのか。その神聖犯さざるべきカレーにソースをかける、というおそれを知らぬ行為をする人間がいることは知っていたがしょうゆとは。SJ氏加えて曰く、いやあ、いろいろな人がいましたよ、塩かけるひととかね。その話に関連してかどうだったか忘れたがOG氏は

「学生食堂のカレーはカレーではない」

と言い切った。彼にとってカレーとはスープカレーなのだ。

そのうちカレーが運ばれてくる。机の上に4っつきれいに並んだところで私はやおらデジカメを取り出す。参加者の間から失笑が漏れる。私は自分に言い聞かせる。カレーの道は試練の道。何があろうとひるんではいられない。私は写真を撮らなければならぬのだ。

記念撮影が終わるとさていただきます。しばらく皆無言でカレーを食べる。一口すすってちょっと辛さがたりないかな、と思いなにやら赤い粉を入れる。しかしこれは非常に愚かな行為だった。

しばらくたってSJ氏が言う。

「この辛さはボディブローのように効いてきますね」

私は顔もあげずにスープをすすっていたが心の中では激しく同意していた。その徐々に効いてくるボディーブローに辛い粉までプラスしてしまったのだ。結構辛い。でもおいしい。スープの中に野菜がごろごろ浮いているのは札幌で食べたカレーそのままである。

そのうち鼻水がたれてきた。刺激物をしこたまた食べたせいであろうか。ごそごそやっているとさすがにOG氏は察しがいい。

「ティッシュ有りますよ」

と渡してくれる。なおもぼりぼり食べる。私の好みからするとちょっとご飯が少ないようだ。後でSJ氏に

「大坪さん。後でスープが余っていましたね」

と指摘を受けたがまさにその通り。しかしスープもおいしいからいいのである。

鼻をかんだりスープをすすったりしながら幸せな時間が過ぎる。いろいろな事を話す。今日初対面のKY氏はこの後仕事があるからお昼だけで失礼するとのこと。そこから氏の仕事の話がしばらく語られる。氏が開発した

「鞭パンダ」

というキャラクターの謂われを教わる。なんでも会社でインターネットサーファインをして遊んでいる奴らをしばきたおす、という役柄らしいのだがそんなのがいたら私は毎日瀕死の状態になることであろう。

食べ終わるとラッシーとかいうヨーグルトのような物をみんなで飲む。ハーブが入っているのでは無いかと、誰かが言うが私にはわからない。カレーの薬効だかなんだかわかんないが頭がぼんやりし、かつ幸せな気分である。この店には

「一週間に一度はカレーを食べましょう」

とかなんとか書いてあるのだが確かにたまにこうした幸せな気分になるのはいいことやもしれん。しかし私たちはぼーっとしている場合ではないのである。この後何をしましょうか。

OG氏が「学生ののりだとボーリングですね」という。ボーリング。ああ懐かしい響き。私が最後にあの巨大な玉を持ったのは何年前であったことか。それとともに数々の忌まわしい思い出がよみがえる。平たく言えば私はボーリングがとても下手なのである。ブービー賞というのが、最下位ではなく、最後から2番目の人に与えられる物だということを知ったのもボーリングのおかげである。ううむ、またあの苦難を忍ばねばならぬのか、と思っているうちに、東京都庁に上って万歳三唱をしようではないか、ということになる。(「万歳三唱」と言ったのは私だけなのだがそうした細かいところは気にしない)中央線に乗り込み途中でKY氏と別れる。

それからの私たちはゆるゆると時間をすごした。都庁というのは何度かTV等で観たことはあるがあんなに大きな物だとは知らなかった。そこに登り(万歳はしなかったが)東京を見回す。OG氏が

「真剣に風景を眺めすぎた」

と言ったので少し休憩した。そこから東京ガスの展示館に行く。お年寄りの体験をするためのシニア・シミュレーター「うらしま太郎」は予約が必要とのことで試してみることができなかった。同じビルでやっていた「1965年の中国」写真展には、おそらく写真を撮ってきたとおぼしき

「自分が知っている事を話したくてたまらない。一言質問すれば3時間ばかりつかまること必定」

という雰囲気のおじさんたちがいるがもちろん話しかけたりしない。そこを出るとSJ氏の案内で日本酒のおいしい飲み屋に行く。

はいったのが6時前で出たのが10時だから4時間以上そこにいたことになる。会話は止まることなく、沸騰することなく落ち着いて進む。言葉がとぎれてもなんとなくそのままで居られるのはカレーの薬効であろうか。そんな中私はふと考える。SJ氏のサイト、OG氏のサイトはネット上にあまた存在している個人サイトの中でもそれぞれ異彩を放つ存在だ(と私は思っている)その二つのサイトの作者がこうやって顔をつきあわせて話している、というのはなんだか面白い、と。

ふと気がつくと近くのテーブルに女王様然とした女性ひとりに男性数名、というグループがおり「サイト」とか「オフ会」とか「閉鎖」とかいう言葉が漏れ聞こえてくる。思うに彼らと彼女もなんらかのオフ会だったのではなかろうか。もしそうだとすれば彼らはどんなサイトを持っているのだろうか。ひょっとしたら我々が知っているサイトだったりするのだろうか。インターネット上での距離、現実世界での距離。

そんなことを考えているうちお開きとなった。青い服を着た人たちがやらたと目に付き、遠くからはなにやら歓声が聞こえてくるがが私はただ

「もう遅いのです。早く帰って休みたいのです。どうか私の家路をじゃましないでください。」

とだけ祈りながらそばをすり抜ける。楽しい休日は終わり明日は仕事だ。

と、ここで話は終わりにならない。首尾良くスープカレーを食べた私だが、まだ頭の中にひっかかるものがある事に気づく。OG氏が最初に行こうとして「閉まっていた」スープカレーの店。よくよく考えてみればそこは私の通勤路上にあるではないか。

ああ、もしかしたら会社帰りにあのカレーを食べることができるやもしれぬ。このことを知りながら行かないなどというのはもはや犯罪と言ってもいいのではないだろうか。進むのだ。そこにカレーが有る限り。

6月14日の金曜日私は会社を早くでて帰路に就く。いつもは降りない駅で降りるとTVの前にできている人だかりを横目に進む。手に持った地図を観ながらつぶやく。カレーの店はどこか。カレーはどこか。

最初に目に入ったのは「準備中」という札だった。見上げてみればまさにそこは目的地。Webの情報では11:00 〜 23:30(月〜日、祝日) ということなのに。OG氏も同じような目にあったのであろう。店の奥を覗いてみるが、まったく人の気配がない。しばらくぶらついた後に再び店の前に行ってみるが状況は待ったく変わらない。遠くからはTVの前にへばりついた人たちの歓声が聞こえてくるが今の私にはその音は何の意味も持たない。

カレーの旅はまだまだ続く。

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注釈