日付:2003/8/31
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最初に読んだのはおそらく小学校のころではなかったか。家にあった「世界少年少女文学なんちゃら」でたまたま見つけ、夢中になって読んだ覚えがある。密室から犯人が消える。廊下で犯人が消える。そして最後に開かされる意外な犯人像。
それから月日は流れ幾星霜。そういえばこんな本もあったなあと検索してみれば「黄色い部屋の謎」という題名らしい。前に読んだ時は「黄色い部屋」だった気がするが、、などと思いながら古本屋で探して読んでみる。そうだよ、この図には見覚えがある。そうそう、などと読み進めるがそのうち集中力が切れた。解説から引用する。
「すでに百年近くも昔の作品であり、新聞小説として書かれたという事情もあって、確かに大仰な表現や不自然な設定、冗漫な展開がみられないわけでもない」
思えばかの少年少女なんちゃらは、そこらへんのところをうまく編集していたわけだ。不思議なことにそうした「大仰な表現」は著者も自覚していた節がある。はじめのほうでこんな記述がでてくる。
「私がグランディエ城の陰気な有様をいささかくどくどと描写したのは、これから読者の目の前にくりひろげられる悲劇の風に気づくりのためではない。私はむしろ、できるだけ簡潔に話を進めるよう心がけるつもりだ。私は作家を気取るつもりはない。」
言い訳するくらいなら最初からかかなければ良いのに。こんなこと書くからますますテンポが悪くなる、などと思いながらぽんぽんととばしながら結末だけを読む。なるほど、そういう話であったかね。などという読み方ではやはり昔のように面白く感じることは無理なようだ。解説野中に引用されている
「今日では誰もが「知って」いる探偵小説の古典の内に位置を占めてはいるが、誰も読まない作品となっている」
と言われるのももっともかなあ、と思う。100年前に書かれたというのはいいわけにはならない。それより20年余り古い「ボートの3人男」は今読んでも十分に面白いのだから。
などとあまり感激しなかった本ではあるが、一つだけ気に入った下りがあったので引用しておく
-ごく簡単な問題でも遠くから眺めるだけで、けっして<これはこうだ>とか<こうでない>とはっきり言おうとしない連中-つまり、この私のことだ-の慎重さにはまったく感心させられる。
こういう人は実に多い。そしてそれが正しい態度とされる場所も実に多い。