題名:Clinton-part4

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日付:1998/12/15

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1998/11/5

1998/12/15

1998/12/20

1999/1/22

1999/2/4

1999/2/16

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1998/11/5

さて米国の中間選挙の結果がほとんどでそろったようだ。民主党は下院で議席をふやし、親愛なるClintonは弾劾を免れる模様だ。

この件に関しては、一貫して米国民は「もういいんじゃない」という反応を示してきた。それとは裏腹にマスコミと共和党は一貫して追及の姿勢を見せてきた。そして今回共和党は中間選挙をClintonの信任選挙とまでして、攻撃を行ったが結果はご覧の通りだ。

この両者がなぜ国民世論の声から遊離して走っていくのか。これは実に興味深いことかもしれない。共和党の方は、彼らの(これは共和党に限った話ではないが)Imaginationの限界を示しているのかも知れない。米国の選挙における非難、中傷合戦は今に始まったことではない。それに対して国民が本当のところどう思っているかはよくわからない。しかし長年そうした「政争」を繰り広げてきた米国の政治家は、「相手の非難=選挙の勝利」と思考が固定化してしまっているのかもしれない。

マスコミについては正直よくわからない。あるいは単に彼らの間の競争意識だけが理由かも知れない。彼らは「ネタをよそより早く報道する。そのためにはそのネタの信頼性や、社会的な道議は2の次、3の次」という簡単な原理で動いているように思える。となれば国民が一応世論調査で「へきえきしている」と言ったとしてもなんのそのだ。国民はへきえきしながらチャンネルを合わせるかも知れない。そういう考えが頭から去らない限り彼らはどこまでも走り続ける。

こうした類の「自分が相手にすべきものの考えから遊離した突っ走り」は別に政治家やマスコミの特産物というわけではない。世の中にこうした類の話はいくらでもある。というかそうでない例を探す方が難しいかも知れない。

 

視点を国内に移そう。親愛なる防衛庁の調達実施本部が逮捕者続出で揺れている。これも大変興味深い話だ。実際調達実施本部というのは実に浮き世離れした組織ではあった。仕事でお相手をしているときにはその存在意義について大変悩んだものである。製品の仕様は各自衛隊の幕僚の方達と何度も交渉を重ねたり、試験をしたりして決定する。しかし何故か物を納める話が具体化してくると、調達実施本部の方に全く同じ説明を1からやり直さなくてはならない。いろいろと本能の赴くままに発せられる質問にも「それはあちらと話がついてます」などとは口がさけても言えない。

しかしながら、こうした考え方などは、論理的にどうかは知らないが、商売の上ではなんの意味ももたない。あの業界では今回NECの幹部が逮捕された原因となったような行為こそが「上手な商売のやり方」だったのだ。調達実施本部が何をしようが、何を言おうがそれに迎合することこそが「正義」だったのである。

私が働いていた会社はそれがNECほど上手ではなかった。そのためにくやしい思いをしたことも何度かある。しかしそのおかげで誰も逮捕されていないとも言える。これも業界の中のルールが、現実世界の法律から遊離してしまっていった例と言えるだろうか。

銀行の一連の不祥事でも共通していたことだが、この件に関して各新聞のコラムは結構おもしろい。「組織に生きる者として、理解できる面もあることはある」といった、おそらくはコラムの執筆者にも共通する「組織のルールと社会のルールの乖離」に関する悩みを吐露したものが結構あるからだ。しかしこうした疑問に、その組織で上に上がっていく人間の投げかける言葉は決まっている。日本には大変良い言葉があるのだ。

馬鹿になれ

というのがそれである。この言葉を理解するのに大分考えたが、どうやら「上司が決めた範囲を一歩も出ず、上司の考え方を代弁し、上司の決めた仕事を疑問を持たずに脇目もふらずやり抜く」態度のことのようである。私から見ると、これは私にはできない「利口な行き方」のような気もする。まあしかし言葉の定義なんてのは人によって実にさまざまだからなにをかいわんや、というところだ。しかし「馬鹿」という言葉の語源をたどれば、この用法は実に的を得たものと言わざるを得ない。

私が知る限りこの言葉は以下のエピソードから来ている。史記の中の秦始皇本紀からの引用だ。

「趙高は、かねてから反乱を起こそうと思っていたが、群臣がおのれの意にしたがわないのではないかと心配して、まず試してみようと思い、鹿を二世に献じて、

「これは馬です」

と言った。二世は笑っていった。

「丞相は誤っているではないか。鹿を馬だといったりして」

そして左右のものに問うた。左右の者は、あるいは沈黙したままであり、あるいは馬だと言って趙高に阿る者もあり、あるいは鹿だという者もあった。趙高は鹿だといったものを、ひそかに刑法にあてはめて処罰した。」

上司に阿り、現実をねじまげ、鹿を馬だ、と断言できる人間こそが「馬鹿」なのである。なるほど確かに「馬鹿になれ」という言葉が会社で横行するわけだ。

 

この言葉が文字通り実践されると会社が上の言ったことに何の疑問も抱かなくなるまことに強力な人間がたくさんできてしまうことになる。上に指示をしてくれる人がいる間はまことに結構なことだ。しかしそのうち、馬鹿が人の上、あるいは社のトップにたってしまうときがくる。そうなったら他の馬鹿達へ誰が指示をだせるのだろう?社長まで馬鹿になってしまうではないか。しかしこの言葉を吐く人は、こうした事態を気にしないほどにこの言葉を実践しているようだ。

 

1998/12/15

さて少し前にモニカ・ルインスキー嬢の肉声が初めて公開されたり、していて「そろそろ集結するのかな」と思われていた親愛なるClintonのスキャンダルであるが、なおも弾劾手続きはちゃくちゃくと進行しているようだ。

12/12付けの朝日新聞によれば、下院司法委員会での弾劾決議の可決が確実視されているという。しかしこの可決はNIXONの時のような重みはあるまい。あのときは司法委員会の可決だけでNIXONは辞職を決意した。このままでは下院、上院での可決が確実だったからだ。しかし今回は逆に上院での可決は(これからClintonが信じられないようなへまをやらない限り)まずあり得ない。

さてCNNを覗いてみると、めでたく下院司法委員会で可決されたようだ。これで下院での決議にまわされることになる。評決直前にClintonはまた"I'm sorry"と言ったようだが、この男の釈明の言葉もいささか聞き飽きた、というところか。誰もこの男が正直だなんて(いまでは妻と娘さえも)思っていない。

さてこれも数週間前の新聞によれば、Clintonの一人娘、チェルシーちゃんがボーイフレンドと分かれたとか。その記事を信じれば、Clintonが自分が嘘をついたと認めたために、精神的な支えをボーイフレンドに求めて、その重荷に耐えられなかったとかなんとか。最初にとりあえずあの嘘つき親父の言うことを信じている、というのも不思議なものだが。親父が大統領になってしまうと、男とわかれるだなんだまで全世界に報道されてしまうのは、スケベで有能な親父を持ってしまった宿命というやつか。

彼女は私もいたStanfordに通っている。9月にFootballを見ていたとき、ふと「チェルシーちゃんもFootballの試合を見に来たりするのだろうか」と思った。何でも聞くところではSPが4人も常時護衛しているそうである。まあ女性のSPもいるだろうから、4-6時中張り付いていても不思議はないわけだ。今から思えばあの山のような学生の中にチェルシーとSPもTシャツ姿でわめいていたのだろうか。

一方日本では広末なにがしとかいう女が早稲田に合格したとかで、妙な話題になっている。天下の早稲田もイロモノで売るような時代になったか。こんなイロモノ商売を続けていえば、短期的に馬鹿な受験生を集めることはできても、中期的に見れば凋落傾向に拍車をかけるばかりなのに。おぼれる早稲田は芸能人をつかむ、と言ったところか。どうせイロモノでうるのなら、せめてClintonの娘でも受け入れれば良いのに。

政治とは関係ない話題を二つ。淀川という映画解説者が亡くなった。つい最近まで元気に仕事をしていたが。黒沢という監督も少し前に死んだが、最近映画の話を聞かなくなっていたので、特に感慨はない。私のような直接の知り合いでないものにとっては死んだも同然だったから。しかし淀川の死は少し悲しかった。彼の解説は結構好きだったから。ひどい映画解説者というのはたくさんいるが(私が知っている限りで一番ひどかったのは愛川欣也?である)聞く価値のある解説というのはそうたくさんあるものではない。人が産まれ死んでいくのはこの世の定めではあるのだが。

最近朝は会社の近くの中華料理屋で納豆定食を食べる。その間、TVがずっと写っている。この前韓国からの映像で、寺の後継者問題を巡っての坊主同士の大乱闘をやっていた。私はおもわず腹を抱えて笑いそうになった。何が宗教家だ。何が御仏の道だ。Hotな韓国の人だからその乱闘のすさまじさも桁外れだ。消火器を持ち出すわ、バリケードを作るわで、とても我々の及ぶところではない。

最近ある掲示板で坊主が「仏教は哲学の深さが他と全然違うから、余裕です。宗教戦争はありません」などと書いていたが、あの坊主頭の連中の群はなんなのだろう?おそらくその掲示板出没坊主に言わせれば「彼らは仏教徒ではありません」とでも答えるのだろうか。それとも「仏教徒同士の争いは宗教戦争ではありません」とでも言うのだろうか?

 

1998/12/20

さてCNNはここ数日とても忙しい。まず下院で4件の弾劾追訴のうち、2件が可決された。これで結果がどうあれClintonは歴史に名を残す大統領になったことになる。なんといっても本当に弾劾手続きにはいった大統領は二人目なのだ。

そしてその下院での議決の機先を制するように、またもやイラクに向けて攻撃がなされた。この前のミサイル発射もそうだが、あまりにタイミングがよすぎる。国連の協議もなにも無視してミサイルをぶっ放したわけだ。Operation Desert Stormの前のとても慎重な外交姿勢に比べると、最近は大統領の意のままにどの国にでもミサイルを発射できるように思える。

Operation Desert FOXと名付けられた作戦は確かにいくつかの軍事施設、指揮統制網を破壊した。しかし直接何が達成されたわけでもない。イラクの態度に変化が現れたわけでもない。この攻撃の目的はどこにあったのだ?親愛なる小渕君はまっさきに攻撃を支持した。こちらのやることがわけが解らないのはいつものことだから、特に考察するまでもない。

さて弾劾追訴を協議している下院のディベートを見ていると、結構笑える物がある。議員さん達はあらゆる演技や、プレゼンのテクニックを駆使して大熱弁だが、議場では誰がちゃんと聞いているのだろう?という感じだ。全体が写った画像ではなんだかみんなだらだらとしていて、おまけに議場は結構空席が多い。ディベートという言葉は日本で妙に過大評価されている嫌いがある。しかしこの連中の熱弁を見ていると、結局議事堂での論議などはつけたしで、多数決の結果は議場の外での根回しとか、交渉で決まるところは日本とあまり変わらないのかもしれない。

CNNでLiveで攻撃の様子を見た。AAA(対空火器)は文字通り嵐か雨のように打ち上げられる。しかし相手は低速の航空機ではなく、精密な誘導兵器を遠距離か発射できる高速の航空機や低空を飛翔する小型の巡航ミサイルだ。効果はほとんどなかろう。実際犠牲は事故によるものだけだったようだ。防空壕からでてくるバグダット市民の表情を見ていると、すっかり慣れてしまった感じもある。「空襲だぞー」といわれれば、布団をかかえて防空壕にもぐる。「終わったぞー」と言われれば「やれやれ」という感じででてくる。父に言わせると絨毯爆撃ではとてもこんな風にはいかなかったそうだ。第2次大戦の時の爆撃というのは、今の基準を当てはめれば市民の無差別な虐殺以外の何物でもない。しかし南京大虐殺を声高に叫ぶ人は多くても、あまりそういうことを言う人は多くないようだ。戦争で重要なのは、戦争が終わった後の情報操作ではないかと思うこともある。戦争は数年だが、そこで生じた(それが正当なものかどうかは別として)評判というのは数十年数百年を生きるのだ。

一点あまり関係ない事を書いておく。下院の司法委員会でもそうだが、「反対」はNoだが「賛成」はアイと言う。この「アイ」ってのはなんなのだろうか。NIXONの時のビデオをみていても不思議に思ったものだが、今回の映像でもやはり「アイ」だ。

さて今後の展開を予想すると、まず間違いなく辞職、あるいは弾劾解雇はないだろう。ここまではある程度予想された展開でもある。少なくとも共和党の議席数を考えればこうなってもおかしくなかったのである。同じ論法で行けば上院で2/3の「アイ」がでることはあり得ない。しかしそれはあくまでも「彼が馬鹿な事をしでかさない限り」という条件付きである。あと数ヶ月、結果はどちらにでるだろうか。

 

1999/1/22

中東では米英軍とイラクが小競り合いをしている。この前のあの嵐のような一過性の攻撃はなんだったのだろう。あれから何が変わった訳でも何がなされたわけでもない。イラクの人達が「我々は勝った」と言っているのはあながち的外れではないかもしれない。

さて一方米国内に目を移してみれば、弾劾裁判はのんびりと進行中だ。陪審員は乗員の100名の議員さんらしい。彼らもたまにはJury Dutyをやってみるとそのつらさがわかるというものだ。どうせ最後に否決されることが確実な動議なのだから、さっさと終わらせて他のもっともまともな仕事をやりたい、、などと言っていては議員になれないのだろうと思う。一方今年のState of unionで彼が何を言うかは少し楽しみではある。去年は一言も触れずにあのいやらしい笑顔を振りまいたが、今年はさすがにそうはいくまい。「これは不当な捜査であり、私は神と家族に既に許しを請うている。仕事に戻らなくてはいけない」くらい(またもや)言うのではないか。

と思って待ちかまえていたが、例によって例のごとく弾劾裁判には一言もふれなかったようだ。また例のごとくいやらしい笑顔を振りまきながら高慢な演説をしたのだろう。今年は去年のように失業中ではないので、リアルタイムで観られないのが残念だ。朝日新聞を信頼すればさすがに今年は共和党議員が立ち上がって拍手をする場面は少なかったらしい。

弾劾裁判でも、Defense側の弁論が始まっているようである。またもや朝日新聞を信頼すれば(勤め人の身では、CNNを丹念に読む時間がないのは悲しいことだ)論旨は「弾劾は米国民に危険をあたえる場合のみに適用可能だ」ということらしい。つまり彼らもさすがに大統領が偽証をした、という罪までは否定できないのだろう。大統領は重大な役職だから、偽証ぐらいは大目に観よう、という論理を裁判の場でふりまわしているのだろうか。もっとも法律論的にそれは憲法にそったものだとされているのだろうが。

さて他の事に視点を移してみよう。NBAのマイケルジョーダンが引退した。あの神業の様なプレーをもう観ることはできないか。しかしそれをリアルタイムでみることができたのはとても幸せだった気がする。こうはいっても彼のプレーをそれがTVであってさえも見たことのない人には伝わらないかも知れない。こうたとえてみよう。

もしマイケルジョーダンが米国の大統領だったら、彼は弾劾されたか?

NO.なぜなら、彼は仮に全米中のマスコミがスキャンダルをねらって、鵜の目鷹の目でしっぽをねらっていても、ガードを楽々とくぐりぬけルインスキーとHできただろうから。

これは誇張ではない。残り時間は10秒。点差は一点差。タイムアウトから戻ってきて誰がボールをとって、何をするかは、その会場にいる誰も、そのTVを観ている誰もが知っている。その状態で彼はボールを受け取り本当にシュートを決める男だったのだ。最後のプレーオフの第5戦(?)では風邪を引いてよれよれになりながらもものすごい得点をあげた。奇行で知られるDennis Rodmanは「彼は、人間ではない。スパーマンとかそういう類のやつだ」と言っていたがそれはプレーを見た人であれば誇張には聞こえないだろう。何事にも終わりがある。そして始まりがある。ちなみに彼のが産まれた日は私の産まれた日のおよそ3週間前である。

話を国内にうつそう。阪神大震災から17日で4年だそうである。あの日私は早起きしてタイマー録画していたNFLのプレーオフを観ていた。"Yes!”とか言ったときに「ぐらぐら」と来た。「おお、ゆれとるわいい」などと思ってそのまま会社に行ったら怖ろしいことになっていた。帰りの車の中で義援金を呼びかけるラジオの放送に聞き入っていた。

考えてみればこのときから私はまともに働いていない。窓際をやってみたり、ゴミ捨てをしてみたり、米国に幽閉されてみたり、失業してみたり、今は靴磨きをして給料をもらっている。そうか。もう4年も働いていないのか。これを5年にのばすわけにはいかない。

 

1999/2/4

さて親愛なるClintonの弾劾裁判はのんびりと進行中だ。来週中には結審するらしいが。早めに裁判を切り上げよう、という動議は反対多数で否決された。ここらへんのかけひきは最近こまめにニュースをおいかけていないのでさっぱりわからない。

2.26事件の裁判である被告は「こんな結論の決まっている裁判なぞ、早くやめにしてください」と叫んだとか。この弾劾裁判だって結論は決まっているのだから、早くやめにすればいいと思うのだが、米国でも議員の先生方(多分米語にはこの表現はないだろうが)にとってはそうもいかないのだろう。結論は決まっていてもその間の過程にこそ彼らにとっての意味があるのだろうか。相変わらず大統領に対する国民の支持は高い。彼らの個人的なモラルと、仕事の手腕(これも考えようによっては借金踏み倒して経済を持たせているだけ、という見方もあるが)を分離して考える姿勢は実に徹底している。日本ではとてもこうはいくまい。今回の様なスキャンダルが「米国の雑誌でとりあげられれば」首相は間違いなく辞任だろう。不思議なことだが日本には物事の判断を米国の雑誌にゆだねる人がたくさんいるようだ。

さて国内に目を移そう。clintonとは何の関係もない話題だが、ジャイアント馬場が死去した。最初スポーツ紙の一面にのっているから冗談かと思ったが、インターネットをあさってみたらやはり本当だった。享年61歳。彼は少し前まで現役だった。還暦をすぎて現役でできるスポーツというのはゲートボールを除いて他に例があるだろうか?

私は高校生のころ、プロレスを真面目にみていた。弟と今から見れば無意味な「あれは八百長だ」の「あれは本気だ」のどなりあいをしたこともある。しかしそれから二人とも大人になった。私と弟が同じ時期米国にいたとき、彼はケーブルで米国のプロレスを見るのが好きだった。米国のプロレスはイロモノ一本で実にばかばかしくてすばらしい。おまけに彼らにはTVの前で相手を雄弁にののしる、という才能まで要求される。聞くところによると、来日したときあの「TVの前でのののしり」をやらせてくれ、と律儀にも言ったレスラーもいたとか。

私と弟のお気に入りは「日本人」と名乗っているアジア系二人のタッグだった。彼らはTVに向かって言う「俺達はまじめに働いているんだ!」「Sony,トヨタ、本田!」「お前らフォードのポンコツだ!」私は腹を抱えて死ぬほどわらったものである。やはりプロレスはこうでなくてはいけない。どうも日本人は(私も含めて)「余裕をもってばかばかしさを楽しむ」という態度に欠けるようだ。

馬場が還暦まで現役でいられた、ということはプロレスが「いたわりと思いやり」のショーであることを雄弁に示している。それでいいではないか。お年寄りはいたわりましょう、と誰もが言っている。相手がへろへろのけりを出してきても、それにぶつかって倒れることで回りが丸く収まるのならば派手にひっくりかえろうではないか。

さてこの馬場氏であるが、彼が話しているのを聞いているのは結構楽しかった。解説になると彼は実に冷静に的確な意見を述べていたし、NHKか何かの番組で自分の人生について語っていた番組は言っている内容はクラシックだったかもしれないが、とても好感がもてた。あの話が聞けないかと思うとちょっと寂しい気がする。しかし死んでしまったものはなんともならない。こう書いている自分のほうだってどれだけ持つかは神のみぞ知るところだ。

 

1999/2/16

さてようやく弾劾裁判は結審した。結局非難決議だのなんだのは全部流れ、裁判の中断決議も流れ、弾劾決議自体も否決された。2/3の賛成どころか過半数の賛成も得られなかった。

彼が法を犯したことだけは間違いない。彼を支持する米国民もそのことに関しては反対はできまい。大統領以外の米国民が偽証の罪を犯せば、間違いなく有罪だ。しかし国民は彼を支持し続けた。この米国民の「バランス感覚」というのは彼らの訴訟好きを考えたとき一種驚くべき事だ。何度か繰り返したことばだが、要するに彼らは自分のふところ具合がよくなるか、悪くなるかで法律をふりまわしたり、ひっこめたりしているとしか思えない。これはこれでわかりやすい論理ではあるが。

これで親愛なるClintonは米国史上二人目の「弾劾裁判」を受けた大統領として、そしてその内容の下劣さにおいて、そして米国民に対して行った「きっぱりとした拒絶の演説」とともに大うそつきの人間として歴史に残ることになる。そしてそれを支持し続けた米国民、それを無視してひたすら弾劾に突き進んだ共和党と、印象に残る事はいろいろあった。私としてはできる限り長生きしてこの事件の評価が変化するのか、あるいはこのまま忘却の彼方に消えていくのか見てみたい気がする。

さて本来このClintonはこの大統領の事件に対する感想を書いたものだった。弾劾裁判は結審したから、また新たな疑惑でも浮上しない限りこの文章のOriginalの目的はおしまいになったことになる。しかしちょっと社会に関係あることをこのClintonに書き、PrivateなことをMaking of my homepageに書くというのは、結構調子がいいことが解った。だからきっとこの文章は更新され続けるだろう。もっとも最近は自分の生活の改善の方が社会のことよりも重大で緊急な問題になりつつあるのだが。

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注釈

馬鹿になれ:(トピック一覧)英語で"Be Stupid!"とでも言うのだろうか?本文に戻る

 

史記:(参考文献一覧)もっとも私に「馬鹿になれ」と言った人がここまで考えていたとはとても思えないが。本文に戻る

 

9月にFootballを見ていた:このときの様子は「夏の終わり」を参照のこと。本文に戻る

 

戦争は数年だが、そこで生じた(それが正当なものかどうかは別として)評判というのは数十年数百年を生きる:(トピック一覧)中国での日本人による中国人の虐殺、中国人による日本人の虐殺、中国人による中国人の虐殺などを見ていると、つくづくこのことを感じる。本文に戻る