日付:2001/1/15
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2001/1/16-インパクのインパクト親愛なる日本政府がインターネット上の博覧会、略称インパクなる催しをやっている。TVのCMではこれまた親愛なる森君が「ほお」等と言っている。あれほど支持率の低い首相を起用するというのは、いわば「悪印象No1」のタレントをCMに起用するようなものだ。かといって他に選択肢がないのだからいたしかたないのだろう。どうせなら扇の要もだせばいいのに。
さて、そこまで宣伝されれば「どんなものか」と見てみようと思う。今まで数度訪問した。そして何が行われているのか見ようとしたのだが今のところの印象は
「政府のお墨付きリンク集」
である。リンク先には政府がリンクするのにふさわしい企業であるとか地方自治体の「毒にも薬にもならない」内容が並んでいる。たとえば日本経済新聞のサイトは「簡単に経済が理解できる」というからやってみようと思えば、わけのわからないクイズがならんでいた。このクイズに100も答えたからといって経済が理解できるようになるのだろうか。かわいいキャラクターを動かせば内容が自動的に親しみやすくなるのだろうか。
もっとも企業ばかりではない。「あなたも参加できます」と書いてはあるのだが、さてどんなものが参加可能となるのであろうか。今ひとつわからないし、「申し込みが多数に上がりましたので一時的に参加の申し込み受付を中止しています」だそうである。
私の見方が悪いのだろうか?しかしより多くの人にインターネットにふれてもらいたいというのが趣旨なのだから、見方が解らないのではその段階でアウトである。この企画には二桁の億に達する予算がつぎ込まれているはずなのだが、一体それは何に使われているのだろう。
かくのとおり、「期待に背かない」できに仕上がっているインパクだがそれはいくつかの想像をかき立てる。たとえばこうだ。同じ内容が実体のある博覧会として展示されていたとしよう。するとたとえば私などはぶつぶつ言いながらも回ってみて一日くらいは結構幸せのうちにすごすのではないだろうか。たとえば夏に中部電力がやっている「電気の科学館」というところに甥と姪と一緒に行った。彼らのつきあいといえばそうなのだが、私自身結構面白かった。内容だけを取ってみればインパクとあまり変わらない。しかし何故私はインパクを見ても楽しくならないのか。
いつも思うのだが、画面上のVirtualの体験とRealな体験との間は深くて長い溝がある。私は滅多に買い物などに興味をいだかない人間だが、それでも晴れた気温の快適な日にデパートの並ぶ通りなどぶらぶらすればそこそこご機嫌である。しかし同じ商品の写真がならんだサイトなどみても何も幸せにはならない。こうした違いにはきっとあれやこれやの意見やら主張やら研究があるだろうが私は知らない。唯言えることは、インターネットのサイトで人を楽しませようと思えば、それはRealの展示とは全く違う事が必要だということだ。
さて、その違いとはなんだろう。いくつかあるのだろうが、個人の趣味の違いが大きくでる、というのは確かではなかろうか。観る方の許容範囲が狭くなり、「わがまま」に好みを主張するようになるのではなかろうか。
たとえば政府とまでいかなくても、雑誌とかが「ホームページグランプリ」というものを主催することがある。自分が応募しても箸にも棒にもかからないから悔し紛れにかくのではないが、その「グランプリ受賞サイト」などを見ても何が面白いのかさっぱりわからない。これは別にグランプリ審査委員の趣味を非難しているわけではない。審査員と私の趣味や視点が違う、ということなのだ。これに対し、たとえばガイドブックに載っている名所旧跡などいけば大抵の場合ご機嫌になる。Realなものであれば皆がいいと思う物は素直にいいと思うのに。
個人が造っているサイトの多くには「リンク集」なるものがある。特定の話題や情報に関するもの以外で、その人が「面白いと思うサイト」の傾向の違いというのは驚くほどだ。ごくまれには大統一理論の高みにまで達するサイトがあり、多数のリンクが張られる。しかしその他の「面白い」というのは実に見事にちらばっている。
思うにインターネットのサイトというのは個人が自由に造る物であるからその個人の興味であるとか趣味であるとかが非常に強く出てくる。それだけに内容や傾向も実に多岐に渡っており、探すのには大変苦労するがそこから自分の趣味にあったサイトを見つけられれば「面白い」ということになるわけだ。たとえば私が「面白い」と思うサイトは「徘徊する個人のサイトs」に載っているようなもの。しかしあれらのサイトがたとえば「文学館」としてインパクに載せられることはまず絶対にあり得ないことのように思える。
このように考えてくるとにインパクとは、
「政府が(それが誰かはとりあえず問わないとして)面白いと思ったサイトのリンク集」
ではなく
「政府が問題がないと思うサイトのリンク集」
ではなかろうか。日の丸リンクに少しでも問題になる可能性のある主張やら意見やらデータが載るわけはない。特に地方公共団体とか企業が造る物であればとにかく安全第一。であればそんなものが面白いものになるわけがない。最初から面白いものを集めよう、あるいは造ろうとは思っていないのだから。
あるいはインパクのつまらなさは多くの企業が発行している「社内報」のつまらなさに通じるものがあるのかもしれない。両方とも「親しみを持ってもらい、興味を持ってもらう」という共通の大義名分があるのだが、明文化されていないより大きな条件として「問題がないこと」というのがある。かくして両方ともどれだけ宣伝しようが費用をつぎ込もうが「つまらない」ものとなってしまう。
しかしながらだ。また別の見方をすることもできる。私は自分でこうしてサイトなど造っている人間だが、こうした人間は全人口の何割かということは常に考えておかねればならない。私が見てどう思おうと
「なんだかインパクというのをやっているらしい。何の関係があるのかよくわからないが沖縄で花火をあげたり踊ったりしている。インターネットという物を少しさわってみるか」
と思う人はいるのかもしれない。聞けば全国各地を回って、インパクにさわってもらえるような催しをやるとかやらないとか。これまでさわる気は無かったけどそういう人たちに腰を上げさせるという点では、そうした
「Realの全国行脚」
はいいものだと思う。もっともそれが投入した費用に見合うかは別の問題だ。それに私の周りをみれば、「インパクという言葉を聞いて腰を上げた人」はいないのである。家で唯一メールを使えない母は、最近少しだけ心が動いているようであるが、それは孫達がメールを打ったり、あるいは私や父の書いた文章への反応を聞いてのことであり、親愛なる森君とは何の関係もないのだが。
さて、東を見よう。インパクでアニメの森君が
「18世紀の産業革命と肩を並べる」
と言っているIT革命によって圧倒的な競争力を得たはずの彼の国の景気は見事に減速した。私が以前つきあっていた米国ベンチャー企業の株価は最高値の1/25、公開直後の1/5になってしまった。このような株価変動に伴いシリコンバレーで起こっているバブルの形成と崩壊は私が知っているところでは次のようなものである。
ベンチャー企業に勤め自社株を保有する。安い給料も長時間労働もなんのその。株式公開とともにその値段が数倍に高騰すれば一気に億万長者だ。気分だけは。株券というのは売り払わない限り実際の資産にはならないし、従業員の株売却には多くの制限がつけられている。しかしとりあえず彼らは金持ち気分に浸り、借金をして現金をつくり、BMWを買う。大丈夫。だってこんなに株をもってるんだもん。好景気の到来だ。
その間に株価は崩壊し、彼らは現実に目覚め自分が持っている現金にふさわしい車-中古のカローラに乗り換えることになる。そしてようやく株を売却可能な時期になって手にするのはほんのわずかの金だ。もっともそれができれば良い方でその前に会社がつぶれてしまえば株券は唯の紙切れと化す。
かくのごとく経過を経て米国IT企業の強さ(とよばれるもの)の象徴であった".com"という名前は今や「不良企業」のシンボルとなり、ストックオプションなどは悪い冗談と化した。こうした状態を目の当たりにしながらIT革命という実体のない言葉に対する日本政府の見当はずれの取り組みがいつまで続くのかというのはこれまた興味深い問題でもある。
もっと現実的な変化に目を向けよう。インパクは1年続くそうだが、その前に森君が首になれば、あのアニメは差し替えられるのだろうな。何十何億の予算を使ってアニメ一つも差し替えなかったら。。。いややるかもしれん。
さて、だいぶ日がたってしまったが、Bush君はめでたく大統領に就任した。小雨がぱらついていたせいだけではなく、とても寒そうだ。考えてみればこの時期のWashington D.C.だからなあ。
リンドン・ジョンソンの様なことをやらない限り、彼は4年後の再選目指してスタートになるわけだ。選挙のごたごたはともかく、ITバブルの崩壊、それに景気の停滞が就任前から起こってくれたのは彼にとっては天佑とも言うべきできごとだっただろう。仮にバブル崩壊が一年遅れて彼の就任後になったとしよう。大統領が何をしても、そんなに早く経済に影響がでるわけがないから、Bushの責任ではないのだが、おそらく人々は「Bushが不況を招いた」と思うに違いない。だいたいにおいて人の記憶とはそんなものだ。多国籍軍を形成し、イラクと対決することに多大の努力を払い、成功したBush(父)は不況の為再選をはたせなかった。自らの意のままに相手をテロ支援国家扱いし、ミサイルをぶっ放したClintonはITバブルのおかげで8年大統領として立つ続けた。最優先課題は国内の景気だ。それがグリーンスパンの役目なのか、ブッシュの役目なのかは今ひとつはっきりしないが。
さて、4年後Bushの相手は誰だろう。ゴアだろうか。それともヒラリーだろうか。私としてはもうちょっとましな奴が出てきてくれることを祈るしかないのだが、まあそれは4年後のお楽しみ。
さて、日本では親愛なる高級官僚が(いつものことだが)あれこれやってくれる。金の横領、使い込みはまあどこでも起こることだが、それが発覚し逮捕されたことで心中喝采を叫んでいる人は結構多いのではないか。一旦日の丸の後ろ盾が無くなったら誰も同情なんかしないよ。心底では大抵の人は役人が嫌いなんだから。
私がこんな事が書けるのは今この時点では仕事の上で高級官僚とつきあいがないからだ。霞ヶ関の住人とのつきあいは(幸いなことに)限られた物だが、その限られたコンタクトから察するに彼らの「自分が世間からどう見られているか」に関する無神経さというのは特筆すべきもがある。そりゃそうだ。私だって仕事でつきあうときだったら、「いや、いつもご迷惑ばかりおかけして。いや喜んでやらせていただきます」で押し通すに決まっている。日の丸親方と喧嘩しても勝てないもんね。泣くこと地頭はなだめるしかない。聞くところによれば、留学生の妻の集まりなどで「外務官僚」の奥様の中にはそうした旦那の認識を共有した言動をされるかたもいらっしゃるとか。まあ旦那が使い込みをして、それが発覚でもしない限りその認識で一生押し通せるのだろうけど。一旦幻想の中での幸せに出会えば、あとはそれが一生醒めないことを祈るしかない。
さて、隣の国では去年の後半冷え切った和解ムードはまた妙な盛り上がりを見せているらしいが、どうにも外から見ているとそうした動きは解りづらい。真実がいつどのような形で明らかになるのか私にはわからないが、まさか金正日の虫の居所だけで決まっているなんてことはないのだろうな。親愛なる金正日が中国を非公式訪問し、中国での経済開発状況を視察しNECの工場など見学したとのこと。同じ事を考えても、情報の流れを閉ざしたままでは不可能なのだが彼はそこをどうやってさばこうとしているのか。かの離散家族の面会で北朝鮮から韓国にきたのはひとしきり泣いた後、金日成と金正日の略歴と功績を蕩々と述べる人達ばかりだったのこと。そうした人を大量に生産する方法でも発明せねばならんのだが。すなわち他の国との格差、現実の姿を目の当たりにしてなおかつ「金正日万歳」と叫べる人間でなければ合弁工場で働かせるわけにはいかないのだが。
ここのところ毎日昼頃に「ヒツウチ」の着信履歴が残っている。もし知り合いであれば平日の昼間に書けてくるわけがない。用があったとしてもこれだけ留守が続けば
「一人暮らしの勤め人」
と想像がつきそうなものだ。おそらくは機械的にかけている売り込みの類だろう、と思っていたのだが先日ようやく正体が判明した。NTT東日本発
「インターネットの利用について調査させてください」
という名のISDNの売り込みだった。彼が言うには
「今はアナログでご利用ですか。料金、速度のご不満はございませんか。ISDNのご利用はいかがですか」
長年ISDNに膨大な投資をし、その回収にやっきになっていたNTTは、他のADSL業者の参入を妨害したとして公正取引委員会から警告を受けている。そうした中親方NTTもさすがにADSLに路線を切り替えようとしていることが報道されている矢先、そうした電話をかけて来るとはさすがだ。私はNTTのメンタリティを知っている。自分さえよければ他人はどうでもいい。高貴な存在である自分のケツを守るためであれば何をしても許される、というやつだ。そうやってISDNを売りつけておき、数ヶ月後に
「インターネット利用に際して料金、速度のご不満はございませんか。ADSLに切り替えていただきますとそれらの。。」
と平気な顔をしてまた電話をかけてくるのだろう。
声から察するに「会社の方針に忠実にやっているだけです」の若手社員のようだ。君は仕事熱心。上司は投資の回収を考えるとともに技術の進歩にも敏感だ。どこにも悪い個人はいない。私は「マイライン」の施行を心待ちにしているのだよ。NTTに一円も払わずに暮らせる日が来ることを。
おそらくNTTと商売でつきあったことがない人には彼らの浮世離れした物の考え方は想像がつかないと思う。たとえばこうだ。競合他社が同じ製品(米国製のソフトだが)の日本での販売価格を発表した後で、その価格は「全く」考慮せず、悪名高い「コスト積み上げ方式による価格設定」が堂々と(一点の恥じるところなく)主張される。これを目撃したときには、笑いをこらえるのに苦労した。営利企業から見れば気が狂っているとしか思えないそうしたロジックがまかり通るのもすべては独占企業の特徴。昔はそうやってNTT様が算出した値段に誰も異を唱えられなかったのだろう。しかし今日、自由競争市場において、頭3文字NTTの企業がDocomoという例外を除いてぱっとした業績を上げられないことにもちゃんと理由はあるのだ。こういう事例を聞けばすべからく
「自由化による競争原理の導入を」
と叫ぶことにも一部の理はある。
しかしながらこの「自由化」という「錦の御旗」もそう無制限に振り回していいものではない。米国カリフォルニア州では深刻な電力危機が起こり、停電が何度か発生している。その原因についてはあれこれ取りざたされているが、「過度の自由化」が一つの理由であることは間違いなかろう。効率の悪いお役所企業と、利益追求の為であれば停電も辞さない私企業のトレードオフというのは、或意味究極の選択かもしれない。
こう考えると、お役人の逃げ口上とされている
「諸般の情勢を観察しつつ、慎重に導入の検討を進める」
という言葉にもそれなりにちゃんとした意味があるように見えるから不思議だ。ただこの「諸般の情勢を観察しつつ」というところがなかなかの問題で、報道機関は錦の御旗にそう「諸般の情勢」は喜んで報道するが、それに反するもの報道にはとんと熱心でなくなるような気がするのは私の気のせいだろうか。そしていつの日は日本で停電が発生するときが来ても親愛なる報道機関が責任をとってくれる訳ではない。
いずれにしても「世界的な流れ」だの「昨今の情勢」だの「時代の要請」だの情緒的な言葉に判断の基準を置くのは愚かなことだ。蒼天航路の孔明の言葉を借りれば
「立証不能なそんな気分だけの言葉を口にするから反対論者を喝破できないのです」
ということになるのだが。
さて、フィリピンではそうした「気分だけの言葉」で大統領がクビになってしまった。この件については、細かく情報をフォローしていなかったのだが、どうにも不可解なところが残る。cnn.co.jpで読んだTIMEの記事には同意せざるを得ない。すなわち少なくとも大統領の弾劾手続きは法にのっとって進んでいたのではなかろうか。それを「民衆の総意」というあやふやなもの(それが総意であるかすら実は怪しいものなのだが)でひっくり返してしまっていいのか、ということである。立法府もしくは行政機構自体が完全に自己保全だけに走った時には、そうした非常手段も止む終えまい。(今回の件がそれに値するのかどうかはきわめて不確かだが)しかしそれを行う人間はたぶんヒトラーの断により処刑されたナチス突撃隊長のレームの言葉を思い出すべきだ。
「すべての革命は我が子をむさぼり食うものなのだ」
どんなに大義名分を振りかざそうと、それは暴力であり、不法行為なのだ。毛沢東は少なくともそれを知っていたように思える。
大統一理論の高み:何を言っているのかは「大統一理論について」を参照のこと。本文に戻る
ISDNのご利用はいかがですか:ちなみに私の答えは「スピードは問題ありません。料金は安いほうがいいに決まってます。ISDNを入れるくらいだったら、ケーブルTVにします」だったが。本文に戻る