題名:Clinton-part20

五郎の入り口に戻る

日付:2002/6/29

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2002/12/29-Dr. StrangeLove

北朝鮮が拉致を認めた時私はこう書いた

「彼らが「実は核兵器を持ってるんですよ」などと言おう物ならたちまちのうちに米国の爆撃機とミサイルが空を覆うであろう」

彼らは本当にそう言った。(正確には「核開発を認めた」だが)そして私の予想は外れ米国はまだ武力行使には至っていない。米国がこの事実をつかんでから公表するまでには10日程度あったと聞く。その間米国政府内部でどのような議論がなされたかは私の知るところではない。結果出された方針は交渉を通じて核開発を断念させるというもの。だがあの国相手の「交渉」がどのような意味を持ちうるのかは再びはなはだ怪しく成ってきている。しかし米国はともかく日本にできるのは「各国と緊密に連携しつつねばり強く交渉する」ことしかない。他に選択肢を持たないのだ。

それ以来、あの独裁者に支配された国が持っているかもしれない核兵器について考えるたび私は暗澹たる気持ちになる。私のそうした気持ちに拍車をかけるようにあの国は各施設の封印、監視カメラを取り外し核燃料を運び込み。私にはこの先どのようなシナリオが待っているのか予想がつかない。「拉致事件」は過去に発生した問題であり、核開発問題はこれからどう悪化するかわからない問題。拉致事件の被害者は数十人、核開発問題については、それが帰結しうる可能性を考えるのも恐ろしいほどだ。原子炉が稼働を始めれば何が起こるのだろう?

しかしどうも私のような意見はこの国では少数派らしい。

北朝鮮について関心を持っていること(複数回答)を聞いたところ、「日本人拉致問題」が83.4%でトップ。次いで、「不審船問題」59.5%、「核開発問題」49.2%、「ミサイル問題」43.7%、「食糧支援」37.6%−などの順となった。

02/12/21 時事通信

核開発問題は日本人拉致と不審船の下である。しかしそれに対して何もできないのなら、拉致されて帰国した人達の映像を見て気を紛らわすしかできることはないのかもしれない。

北朝鮮がこのような無謀な行動にでている一つの原因は米国がイラクとの戦争に備えているからだろう。国連の査察やら報告書の提出はなされているがおそらく誰もがそれがどちらに発展するかなど本気で気にかけてはいない。

9.11の直後、テロとの戦いは何年も続き、米国のFull Resourceを活用することになると米国政府関係者が言ったことが思い出される。どこかの新聞で読んだ「テロとの戦いに際しては新しい安全保障の枠組みを示す必要がある」という言葉も思い出される。日本人が大好きな「話し合いによって解決」というのが働くのは相手に聞く耳があっての話だ。内政不干渉も美しい言葉だが、聞く耳を持たない相手がその言葉の影に隠れて何ができるかは明白になりつつある。

国内の政治に目を向けよう。田中だ、辻本だ、大橋だ、鈴木だという名前とともに一時のワイドショー政治が消え去ったのは有り難いことだ。ようやく本当の問題に目が向くようになってきた。今提示されている問題と解決策について私は語るだけの知識も考えもないからここで何かを書くことはしない。しかし最近気になりだしているのが、日本のメディアがニュースを伝える時につける「憶測の文」である。

いや、これには私は知らないだけでちゃんとした名前があるのかもしれない。記事の最後につく「○○は必至の情勢だ」とか「厳しい局面が続きそうだ」とか「大きな課題をかかえることになった」いう類の文である。

まず第一にこれは「事実の伝達」ではなく、報道機関の意見、憶測である。真実の伝達を何よりの使命とするのであれば、最後にこのような文を付け加えるべきではない。(意見が言いたければ社説に書けばよい)第二にこの「憶測」があまりにも不正確で感情的だということだ(2002/9/21に書いたように)さらにこれは私の「憶測」だが報道機関がその誤報や報道姿勢によって批判を受けるときには

「意図が誤解されたのではないか」

という国会議員もびっくりの紋切り型のコメントをそのまま掲載し、こうした「憶測の文」をつけないようにも見受けられる。

いや、こうしたことは私が知らなかっただけなのかもしれないが、気になり出すと実に鬱陶しい。黙って事実を伝えろ。いや、そうネガティブにとらえてはいけない。

「そうか。彼らは読者・視聴者の感情をこう操作すれば売れると思っているのだな」

という読み方もできる。いや、これがポジティブな態度とは思わないけど。


2002/9/21-最低なのは

北朝鮮に小泉首相が行くと聞いたときには正直驚いた。今頃何をしに行くのか。何の成果が期待できるというのか、あの絶対に自分の否を認めない国から。

その会談で、北朝鮮が明確に拉致を認め謝罪した、と聞いたときはもっと驚いた。冷静に日本の感情という観点をはずして考えれば、この拉致問題というのが北朝鮮にとって一番切っても痛くないカードだということが分かる。例えば彼らが「実は核兵器を持ってるんですよ」などと言おう物ならたちまちのうちに米国の爆撃機とミサイルが空を覆うであろう。

しかし仮にもこれまで拉致という事件の存在すら認めていなかった国が認め、しかもそれについて謝罪したのである。これはいかなることか。しかしそれよりももっと私を驚かせたのは日本のマスメディアの扱いであった。

首相は断罪せず宣言署名、国民の不信感高まる(www.yahoo.co.jpより読売新聞の記事を引用)

(前略)

こうした首相の発言については「はじめに国交正常化交渉再開ありきだったのではないか」(自民党筋)との批判も出始めている。家族を支援する超党派の拉致議連(会長・石破茂自民党衆院議員)は、拉致を「国家テロ」と断罪し、北朝鮮への経済制裁を求める緊急声明を発表した。
(中略)
 拉致被害者の家族からは補償の要求も出ている。その1人は「小泉さんは(安否確認を求めた11人中)6人の死亡を聞いて、なぜいったん帰って国民の声を聞いてから交渉再開のサインをしなかったのか不思議だ」と不満をぶつけた。

(中略)

 国民世論の支持なしに、多額の経済支援などを伴う北朝鮮との国交正常化がうまくいくことはあり得ず、小泉政権は大きな課題を背負うこととなった。(読売新聞 9月18日3時13分更新]

見出しをみれば「国民の不信高まる」という文字に「をを」と思う。しかしこの記事の中で引用されいてる「国民」というのは「拉致被害者の家族」「自民党筋」「拉致議連」(私は他の「国民」の声をはずして引用したわけではない)彼らも確かに国民なのだが、これをもって「国民の声」と言えるのだろうか。

それからもマスメディアのヒステリックな非難報道は続いた。では他にどういう選択肢があったのか、という問いには一言も答えず、ただ8名死亡と、拉致被害者遺族の声だけを「国民の声」として報道し続ける。それは確かに痛ましい事だが、それを叫び続けてどうしろというのか。交渉を通じ生存者を早く帰国させ、再発防止をはかるほうが重要ではないのか。工作船、覚醒剤密輸など現に行われている犯罪行為を停止させることのほうが重要ではないのか。彼らの行動を見ていると、日露戦争の講和にあたった小村を迎えたときのメディアの姿勢をなんとなく想像したくもなる。

いや、こうした理を唱えても意味はあるまい。おそらく彼らはそう「報道」することが自分たちの利益にかなう、と判断を下したのだろう。冷静な判断よりも感情の赴くままに叫び続けたほうが「売れる」と考えたのだ。また彼らのこうした態度のヒントになる記事を見つけることもできた。親愛なる朝日新聞である。

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安否情報、誤報相次ぐ 拉致家族、期待そして落胆(www.asahi.comより引用)

(前略)

在京各紙の夕刊は「不明3人帰国で調整」(東京新聞)、「有本さんら帰国の情報」(読売新聞)などと報じた。

(中略)

読売新聞東京本社広報部は「見通しに関する情報を情報として伝えた。発表は異なったものになったが、必要があればその経緯も含めて紙面で報道していく」としている。


拉致被害者の家族の悲しみをより深くしたのは北朝鮮だけではなく、日本の無責任なメディアもだ。しかし北朝鮮は少なくとも自らの否を認め謝罪したのだが。

さて、それと前後して世界を揺るがせたのはイラクの査察無条件受け入れのニュースだった。後数週間で武力行使に米国が踏み切ろうとしていた矢先、鼻っつらをけっとばしたのである。米英は懐疑的であり、実際それは正しいのかもしれない。しかし各国の足並みを乱したことは確かであり、こういったしたたかな外交駆け引きはやはり馬鹿正直で幼稚な日本のなし得る所ではないなあと思う。

去年の9月11日の事件が示したことはいくつもあるが、そのうちの一つに「テロリストが大量殺傷兵器を手にしたら、ためらうことなくそれを人口密集地で使用するだろう」というものがある。かといってあらゆる行動が許容されるわけではもちろんない。ある本の表現を借りれば、この世の中はデリケートなフィクションで成り立っていると思うのだが、それを維持するためにたとえ形式的であっても「大義名分」は必要なのではないか。イラクのこの突然の発表はそれを奪ったのだ。

さて、9月11日にはいろいろな特番が放映された。日本のTV局がやったことは

「肝心な場面を、TV番組表で予告した番組では放映せず、次の番組で放送する」

という視聴率のためなら何でもやります、といったことだと聞く。私はハナから日本のTVなど観る気は無かった。NHKの衛星放送でABCの番組を見る。ただ映像が流れる。何も語らなくてもそこに写っている人たちの気持ちは伝わってくるような。犠牲者の名前が読み上げられる。読み上げにヒラリー・クリントンがでてきてもアナウンスは何も入らない。それより、犠牲者のプロフィール。肉親のコメントが虚飾をつけずに語られる。

といきなり、日本語の声がする。NHKが余分な音声をかぶせているのだ。なぜここで喋る。黙って映像が語る物に思いを巡らせることができないのか。米国の視聴者には語らずとも通じるが日本の視聴者向けには必要な解説を付け加えるのなら分かる。しかし与太話をつけくわえてどうしようというのか。

数日後小泉首相の北朝鮮訪問に関する世論調査の結果が発表された。(9/20読売新聞から引用)

今回の首脳会談については、全体的に「評価する」という人が「大いに」「多少は」の合計で81%に上り、「評価しない」14%(「あまり」「全く」の合計)を大きく上回った。これは、首相として初めて北朝鮮を訪問し、正常化交渉の再開で合意したことに対する評価とみられる。
(中略)
 10月中に国交正常化交渉を再開することについても、「賛成」(51%)が「反対」(27%)の倍近かった。
(中略)
小泉内閣の支持率は64・3%だった。調査の手法が異なるため単純に比較できないが、8月面接調査(8月24、25日実施)の45・7%に比べ18・6ポイント上昇している。

ここ数日の新聞を見ていれば「国民の声」がこのようであるとはとても思えなかったが。


2002/6/29-責任と余裕

中国遼寧省瀋陽市の日本総領事館に北朝鮮からの亡命者が駆け込んだが、中国側の警察官が領事館の敷地にまで踏み込み彼らを拿捕した。このニュースを最初に聞いた時正直言って頭に血が上った。これは無茶苦茶だ。

しかしそれから次々と明らかになる情報はなんとも気が滅入るものだった。例によって中国は絶対に謝らない。それは予想していたが日本の役人達の行動は予想以上だった。私は元お役所の子会社で働いたことがあるが、彼らのメンタリティというのは概略以下のようなものである。

「世の中で一番大事なものは自分のケツの穴」

誰が貴様のケツの穴など気にかけるか、などということは関係ない。とにかく彼らにとっては自分のケツの穴を守ることだけが人生の目的なのである。自分が所属している組織、国、ましてや部下などはその前にあっては無視してもよい存在だ。今回の事件を観ていると外務省職員達の意識もそれに近い物ではなかろうと思う。阿南という中国大使は

「自分が責任をとるから侵入者は追い返せ」

と言ったそうだが、責任をとるとはどういうことか。貴様が腹を切ったからといって何が変わるというのだ。おっと腹を切ったのは親父のほうだったか。「責任をとる」という言葉はなんだかかっこよく響くが世の中にはとれる責任とそうでないものがあると思う。野党の言いぐさではないが、なんでもかんでも

「罷免、辞任」

ばかりしていても何も事態は改善されない。何かがおこったら腹を切るより、何かが起こらないことに責任を持ってほしいと思うのだが。

しかしながらこの外務省の行動は親愛なるマスメディアに多大の貢献をしたのだと思う。愛してやまない中国を非難する記事を書かなければならなかったところに絶好のネタを提供したのだ。かくして見出しには日本の外務省を非難する言葉だけがならぶことになる。

そんなこんなで日本が振り上げたこぶしのやり場に困った頃、ワールドカップが開催され皆がそんなことは忘れてしまった。

共催となった隣の国の様子はなかなか興味深い。彼らが嫌ってやまない米国との試合、ゴール直後に選手達は奇妙な事をやった。その時の事を朝鮮日報(http://japanese.chosun.com/)から引用すれば

「(米国の)アリーナ監督は試合終了後「韓国選手たちが何をしたのかわからない」と述べたが、安貞桓のゴールパフォーマンスを理解できない韓国の観衆はいなかった。安貞桓はインタビューで「今年の冬季五輪で韓国は金メダルを奪われた。当時の悔しさを晴らす意味で、試合前に選手同士でゴールパフォーマンスにはスケートをやろうと約束していた」と明らかにした。」

しかるにその「非難の対象」である米国での報じ方は、と同じ時間にCNN.COMのスポーツ欄-Sports Illustratedを見る。トップにきているのはNot So Blue JaysということでMLBの記事。右上にはTop SpotとしてNHL(アイスホッケー)のStanley Cup Finalの記事があり、その下にようやく

"South Korea earns draw with U.S. 1-1"

という項目がでてくる。クリックしてでてくる長い記事の中ほどすぎまで行ってようやくこのmovementsについて書かれたパラグラフが見つかる。つまり非難の対象たる国はそんなことを全く気にもかけていないのだが、そんなことに関わらず韓国のメディア、選手達は満足げだ。さて、面白いのはそのネタにされた一件で金メダルを得た男のコメントである。(CNN.Co.JPより)

「 安貞桓選手のアクションを、ほかの韓国選手も後ろに列を作って真似たが、11日付の米紙シアトル・タイムズによると、当のオーノ選手はこれを見て「フォームがなっていない」と一言。

オーノ選手は「自分の決定ではないのにいつまでも恨み続けられているとは嘆かわしい」と語りながらも、「(スケートは)もっと腰を落として、肩を水平に保つようにしないと」などと話して、フォームの悪さを指摘。さらに今回の韓国選手の「表現」で、スケート競技に興味を持つ人が増えてくれればと“大人”の対応を見せている。」

隣に人がいれば何かと軋轢が起こるのがこの世の常だが、この態度は見習いたいものである。余裕を持って眺めれば、スペイン戦勝利後の以下のような韓国メディアの姿勢も別の見方ができるのかもしれない。

「4強の快挙は、総体的な“コリアパワー”として燃え上がっている。国際政治、経済、文化を包括する“コリアブランド”価値の引き上げとして花咲くはずだ。」(朝鮮日報6/22より)

さて、我が国のメディアはといえばおおむね「素人、幼稚、内輪受け」の基本に則って報道をしているが、それに加えて今回彼らは露骨な情報操作を行っているように思える。すなわち「韓日共催のワールドカップ万歳」という既定路線に併せて全てを作為的に報道しているように思えるのだ。他人に規制されるのは大反対だが自分たちが自身の利益のために情報を操作するのはあたりまえ、というメンタリティは今に始まったことではない。

たとえばこれが10年前のワールドカップだったら彼らの思惑は成功したことだろう。そして今日においてでもTVで報道されることをそのまま事実として受け止める人は少なくないのかもしれない。しかし今や彼らは情報を独占することはできなくなっているのだ。私のような怠け者でも他国のメディアがどのように報じているかを彼ら自身の言葉で知ることができる。また実際に現地で見聞きした人の情報を手に入れることもできる。今回のイベントを通じ人々がどのように感じているかも、作為的なTVのインタビューを通してではなく直接知ることができるのだ。

この変化に彼らが気がつく時がくるのか、そうでないのかは定かではない。


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注釈