題名:失敗の本質の一部

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日付:2004/9/12


その中でできること

幸福幻想主義が支配する世界に巻き込まれてしまった場合、できることはあるのか

結論から言えばできることは極めて限定される。考え得る選択肢については後で列挙するつもりだが、その前に幸福幻想主義の支配する世界の強固さについて考えてみたい。

幸福幻想主義がもたらす問題を「失敗」が明かになった段階で指摘することは簡単だ。しかし現実にこうした文化を有する組織に相対した場合、彼らの問題点を指摘することはそれほど容易ではないし、相手を納得させることはまず不可能に近い。相手の思考が幻想に固定されていることも確かにその理由になる。しかし現実にはそれほど「頭の固い人」ばかりが存在しているわけではないのが厄介なところだ。

仮にリスクに目を向けるように声をあげれば彼らは

「いや、現実に起こりうる危険については十分注意を払い、それに対する対策もしている」

と答え、山ほど「想定されるリスクおよび対策」を項目としてあげてくるだろう。その膨大なリストと検討に費やされた時間を聞かされているうち、指摘する声もしりつぼみになってしまう。

しかしその中には一番根元的かつ決定的な要素が抜けているのが普通である。逆に言えばそうした組織は「対応が簡単にできるリスク」だけを挙げて対処し、自らを正当化するのだ。

リスクを無視するような無茶をやるときは、選択的にやる。よくあるパターンは、小さなリスク(管理行動によって阻止できる望みのあるリスク)は注意深く洗い出し、分析を監視を行って、どうにもならないリスクだけを無視するというものだ。(熊とワルツを 第一部P13)

「この病気の症状は単純だ。みんな線路の枕木を踏まないよう最新の注意を払っているが、誰にも近づいてくる電車が見えない。リスクが特定され、リスク・リストが発行され、進捗報告書でリスクが報告され、軽減戦略が承認される。リスクの監視と追跡もしている。リスクのリストと記録を見ただけではリスクの小さいプロジェクトだと思える。挙げられているリスクは、不便だとかうるさいとかいったレベルのものである。リスクを追跡しても特に変化の兆しはないが、ある日突然プロジェクトが中止され、場合によっては法廷で激しい論争が展開される。( 熊とワルツを 第6章P49)

ノモンハンにおける日本軍についてみてみよう。ソ連の総攻撃について第六軍は「予期された場所で予期された通りに始まった」と言った。後でならなんとでも言える。実際に総攻撃の予兆に関する情報を得た日本軍はどう反応していたか。

「ソ連軍が両翼で前進しつつあるのは、十九日には日本軍の第一線のさまざまなレベルで確認された。フイ高地の将兵と偵察機のパイロットが目撃したことは、ソ連軍自慢の秘密保持の措置が大攻勢前夜にすでに危うくなっていたことを示していた。しかしながらこの最後の瞬間になっての確度の高い情報が日本軍の警戒・即応体制に影響を及ぼしたという証拠はない。」(ノモンハン2巻 P380)

要するに彼らは現実に存在しているリスクを無視したのだ。逆に彼らは彼らは自ら想定したリスクに対応していた。

「第六軍司令部にいた関東軍の情報将校は、ソ連軍が次にどのような手を打つか思いを巡らしていた。航空機と燃えやすい走行車両があまりぱっとしなかったので、今度は毒ガスを使用するのではないだろうか。この将校は八月十九日昼ごろ、第六軍に対して毒ガス戦に対応できるかどうか尋ねたのを記憶している。もし答えが否ならば、専門家と装備を早急に手配しなければならなかった。」(ノモンハン2巻P380)

しかしこの「リスク対処」には次のような評価がなされている。

「もちろん起こりうべき緊急事態に注意深く備えたことは賞賛すべきだが、この場合そうした自ら生み出した予測が、間近に迫っている危機の統計上示された、重要かつきわめて事実に即した指標を日本軍上級司令部が無視したことの主要な原因にならなかったかどうか、検討の余地はありそうだ。」(ノモンハン2巻P381)

ここではきわめて婉曲な表現によって記述されていることは、前述した「小さなリスクに専心することにより本質的なリスクを無視する」事に他ならない。

そうこうしているうちに問題が表面化する。幻想と現実のギャップが広がりすぎたのだ。組織にとって表沙汰になる問題というのは常に好ましくない物だが、問題を正そうという立場からすれば好機と観ることができるかもしれない。

問題の原因を調査し、再発防止対策が検討されるというアナウンスが流れる。仮にそこで意気込んで問題点を指摘したとしよう。そうした場合に待ち受けているのは良くて無反応、悪くて指摘した個人に降りかかる厄災である。「私が言った通りだったでしょう」などと言えば間違いなく後者になる。これは別に今日だからとかリスクがどうのこうのとは関係ない人間社会につきものの事実である。

非武装のままの預言者は、みな滅びる。(マキアヴェッリ語録 君主編74)

ノモンハン事件終結後に日本軍が何をしたかを観てみよう。第一次世界大戦で本格的な戦闘を体験しなかった日本軍にとって、この戦いは初めて経験する近代戦だった。そしてその結果が敗北に終わった-係争地域から駆逐された-原因を明らかにすることで多くの教訓を得ることができるはずだった。

「事件における戦闘を分析しようとする誠実な努力が、いくつかのレベルでなされたのはまぎれもない事実であった。」(ノモンハン 4巻P232)

しかしてその結果はどうだったか。典型的と思われるものを以下に示す。

「輜重兵中隊長であった野村典夫大尉は一九四一年に「新規な方法を追求するのではなく、「作戦要務令」によって訓練の強化を図らなくてはならない」と書いている。野村に言わせると、ノモンハンにおけるみずからの体験から、いろいろな教訓を学んだと思ったのは間違いで、そうしたことは「作戦要務令」にいとも明瞭に示されてあって、我ながら研究不十分であることを恥じたのであった」と述べている。

日本の将校団の大多数を代表する野村のような考え方の底流にあったのは、敵を軽視することと、自軍への信頼感を高揚するという二つの基本的な要求であった。」(ノモンハン四巻P278)

つまり日本軍は本質的な問題点-幻想にしがみつき現実に対応できなかった事実-からは目をそらし、強固な幻想と矛盾しない結論-今までと同じ方向で更に努力を重ねること-にしがみついてしまった。こうした態度から生まれたのは前に観たとおり同じ失敗の繰り返しだが、以下の「法則」はこうした状況を簡潔に言い表している。

まちがった管理の第一法則

うまくいかないことがあったらもっとやれ


「「こういう才能のない管理者は、管理の公式や「原則」に頼ろうとする。「いまやろうしていることはうまくいくはずだ。うまくいっていないのは、一生懸命やっていないせいだろう」と考える。そこで、いままでやってきたことをさらにやる。」(ゆとりの法則p91)

この言葉はノモンハン後の帝国陸軍の態度-特に先に引用した野村大尉のの「作戦要務令をもっと学ぶこと」-にぴったりあてはまる。とはいっても全ての関係者がそのように幻想にしがみついたわけではない。何人かの将校は本質的な問題を声高に主張した。

「表向き、第一委員会はノモンハン事件から戦訓を得るということであったが、須見と同じく三嶋も、この委員会が実は「査問委員会」であることに気づいていた。最愛の連隊の、あまりにも多くの将兵を不必要に死なせてしまったことに良心の呵責にかられ、みずからの思いをぶちまけたい一心で、三嶋は第六軍参謀長藤本少将が主宰する長時間にわたる討議で、異常なほど率直な陳述を行った。ノモンハン事件は単なる独立した挿話ではなく、失敗した作戦であり、なぜ下級指揮官に責めを負わせようとするのか、と三嶋は問いただした。」(ノモンハン4巻P240)

その結果この将校には何がおこったか。

「三嶋は、第一委員会の思考方式に影響を与えたとは思っていなかった。たとえば、歩兵の「金ぴか」高級将校はくどくどと大和魂のことばかり言い続けており、彼らからは、三嶋は明らかに「変わり者」と見なされていた。ハイラルで証言したあとまもなく、三嶋は内地の野砲兵学校に追いやられてしまった。」(ノモンハン4巻P243)

この将校の例は、強固な幻想が支配する世界において現実に立脚した意見を言うことがいかに危険かつ無意味かを示す例となっていると思う。

さて、ここで最初の問いに戻る。ではこうした状況においてできることはなんなのか?私が考える選択肢を以下に示す。

・心の底から周りの環境に同化し、幻想を共有する。

・外部の力にたよる。内部告発

・その集団を去る。

・表面上同化し、内面で正気を保ち続ける。

できることなら最初の選択肢が一番「楽」かもしれない。しかしできなければどうすればよかろう。


「世の中すべてが濁っていて、わたしだけが清んでいる。衆人がみな酔っていて、わたしだけが醒めている。だから放逐されたのだ」
「そもそも、聖人は、物事にこだわらず、世の中とともに推移するのです。世の中すべてが濁っているとのでしたら、どうして、その濁流に身をまかせて、濁った波をあげないのですか。衆人がみな酔っているのでしたら、どうして、そのその糟を食べ、そのうわずみをすすって、ともに酔わないのですか。なに故に、たまともまごうすぐれた才能をいだきながら、自分から放逐されるようなことをなさるのですか。」
「(中略)それよりも揚子江の流れに身を投げて、魚の腹中に葬られた方がましだ。皓々と潔白な身に、世俗のどす黒い塵埃など蒙ることができようか。」と言い屈原は、「懐沙の賦」を作った。(中略)かくて石を懐に入れて、ついに汨羅に身を投げて死んだ。(史記 中 P335-337)

それができなければ組織が崩壊するのを覚悟で外部の力に頼るか、あるいは屈原のように身を投げるかその組織を去る。しかしダメージは大きい。

最後の選択肢が最も難しい。しかこの方法を選び、かつ成功した人のおかげで幻想にとりつかれた組織が崩壊以外の結末を迎えることができているのではなかろうか。

あるいは小学校で使われている道徳の教科書には「下からの組織風土の改善」という選択肢が書かれているのかもしれない。具体的に上げることはできないがそうした「実例」も世の中に存在しているのだろう。しかし私の考えではそれは奇跡に近い事柄である。確かに奇跡というのはたまに起こる物だ。ヒトラーが数多い暗殺の企てを全て逃れたように。しかし現実世界で奇跡に頼るのが懸命な判断かどうかには議論の余地があると思う。ここまで読んでいてくれる人がいたとしても「それはおまえの物の見方が間違っている」という叫びで頭の中が充満しているかもしれない。そうした言葉に答えるため私は再び「システム開発」に関する本から引用する。

「病んだ政治(再び)

・病んだ政治を下から治療することはできない。むだな努力で時間を浪費したり、自分の立場を危険にさらす必要はない。

・問題が自然に解決するか、行動するチャンスが来るのを待つしかない場合もある。

・奇跡が起こることもある(だが、あてにしてはいけない。)」

(デッドライン P287)

次の章では「なぜ幻想幸福主義がこれほど強固か」について考える。

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注釈