題名:留学気づき事項

五郎の入り口に戻る

日付:1998/5/8

         

前書き

1章

2章

3章

4章

5章

6章

7章

最後に

後書き


最後に

 とかなんとか言ってるうちにもう私はあと1週間の命となった。

今回の留学が吉と出るか凶と出るかはひとえに天命にかかっている。帰国後にできるかぎりの努力をする。天命がこちらにつくかつかないか。

それこそ出たとこ勝負であるが、きっと私には分が悪いだろう。今回留学が決まった経緯からして、私は一生分の幸運を使い果たしてしまったような気がする。

 まあ人生最後の華と思えば良かろう。

 

後書き

以上が私が1990年の6月に書いたことである。当時私は自分では極めて落ち込んだ状態にあると思っていた。そして課の仕事が私を落ち込ませている原因だと思っていた。逆に言えば課さえかわれれば状況は改善すると思い込んでいたのである。

それから3年。私は基本的にそのあいだの2年間。オフィスで起こったことを振り返り、外から会社をながめる機会を得た。おそらくこれは会社にとって、そして平和にくらせたであろう私にとっておそらくは致命的な間違いであった。

私はこの産業おそらくは会社そのものが原因であると思っている。そしておそらく会社からみれ私は何をやらせても不満ばかり述べて、自分が仕事ができない責任を他に転嫁していると取るだろう。

そしてこの2年間での日本の状況の変化は私からかなりの選択オプションを奪うことになった。従って

 


(これ以降は1998年5月7日に追記)

以前書いた後書きは「従って」で終わっている。

当時米国から帰ってきた私は、予想通りの仕事にはつかなかった。しかし個人的に不満であったことは以前以上だった。

会社に不満を言うと「どこでも同じだよ」とたいていの人が言う。実際に他の会社で働いた経験がある人が言えば、ある程度の説得力を持つであろうこの言葉は、大抵の場合一社でしか働いたことのない人から発せられる。しかし彼らは何故か自信まんまんだ。そしてその方が人生楽しく暮らせるのだろう。

会社を離れて元いた会社を見てみると、とても「どこでも同じだ」とは思えないことに気がついた。そこで人材バンクに電話をして転職先を探していたのだが、当時はバブル崩壊後の一番状況が悪いときであった。

それからも私の職探しは延々と続くことになる。最終的に会社を辞めたのは1997年の終わりであった。

会社を辞める前に私は一度社内で全く違う部署に変わっている。そして自分の経験から自信を持って言えることであるが

「どこでも同じではない」

 

この文章はかなり古い事情を示している。不思議なことだが、未だに私が留学に行ったときにいた部署の地下で流通しているようだ。今から留学しようとする人の直接的な助けになるとは思えないが、「こういう事情で留学する人もいる」とでも見てもらえばよかろう。

 

「大学選定」についていくつか追記をしておく。

この文章に書いたように、最後までまよったのはStanfordにいくかJohns Hopkinsにいくかであった。これは米国に渡った後まで結構私をなやませた問題であったが、今から考えるとStanfordにして正解だったと思う(もっともJohns Hopkinsに行った場合、何が起こったかは私の想像の範囲を超えているが)

理由はいくつかある。

たとえばStanfordにはDivision I-Aのフットボールのチームがあり、Johns Hopkinsにはないことがあげられる。Footballはアメリカの文化においてかなり大きな地位を占めている。彼らと共通の話題を持つことができたのは大きな収穫であった。

しかしそんなことを考えなくてもFootball観戦が楽しかった。中でも不倶戴天の敵とも言えるU.C.berkeley(通称C○L)とのシーズン最後のThe Big GAMEは信じられないようなExcitingな経験だった。自分が何かの間違いでBerkeleyに行かなくて良かった、と本気で思った物だ。

またStanfordのほうが(おそらく)International Studentの数が多く、いろいろなBackgroundを持った人達に会うことができた、というのも理由に挙げられるであろう。これは米国内の他の大学で学部生活を送った人間が言った感想である。世界的に有名な大学には世界からおもしろい人間が集まってくる。私が出会えたのはそのほんの一部分にすぎないが、それでもその経験は興味深いものであった。

しかし一番大きな理由は、、、米国が日本と同等がそれ以上の学歴社会であることに起因する。ごく限られた分野の人達(Defense Science, or Medical)をのぞいて、StanfordのほうがJohns Hopkinsよりも遙かに有名で、受けがよいからだ。

1997年に米国で働いていたとき、米国人の秘書の女の子が自分の彼氏に私を紹介するとき「GoroはStanford出なのよ」と紹介していた事を覚えている。ここでJohns Hopkinsでは彼女はきっとこうは紹介しなかっただろう。そしてその後に彼が私を見る目も、たぶんStanfordとJohns hopkinsでは同じではなかっただろう。

人の価値は所詮中身にあり、タイトルでも学歴にあるのでもない。これはどこでも不変の原則だと思っている。しかしながら、まずとっかかりを作らなければ中身を知ってもらうまでたどり着くことができない。

アジア人である私にはそれはいつも容易であるとは限らない。

だからもし何かの間違いで、本当に留学を考えている人がこの文章をみたとすれば、私はこう言いたい。

「条件が許す範囲で、妥協をせずにできる限り有名な大学に行きなさい」

これは私が留学する前に聞きたかった言葉でもある。

 


注釈

米国が日本と同等がそれ以上の学歴社会である:トピック一覧)このことは「米国は実力社会である」と思っていた過去の私には驚きであったが、、、私が経験した範囲ではこれは正しい。「信じられない」という人には、"Silence of the Lambs"(参考文献一覧)からの次の一節を引用しよう。

「アメリカでは何よりも学校が物をいい、スターリングはその事に気づいた。スターリングのおじの一人などは短大卒であることを墓石に彫らせている。」

留学に行く前にこの本を読んでも、たぶんこの一節は見逃していただろう。しかし今ならばその意図するところがよくわかる。

ある経験から言うと、日本で「東大卒です」と言ったときよりも米国で「Stanfordでマスターをとりました」と言ったときの方が、遙かに相手の反応は大きい。 本文に戻る