題名:長い友達(中編)

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日付:1998/1/12


1994年9月25日の日記にはこういう文字が並んでいる

「床屋もいきました。最近ひどくなっている抜け毛もまだはげしいです。これではげるのかな。まあ自業自得というやつですね。しょうがない。最近人の頭のはげぐあいばかりがきになる。」

最初にそのことに気がついたのがいつかはわからない。なんとなく1994年の夏であったことを覚えているだけである。なんとなく抜け毛が多いのではないか?という強迫観念に私はとらわれだしていた。それが事実かどうかはわからない。しかしいったんそのことに気がつくと間違いなくそれは強迫観念になるのである。なんとなく自分の席のまわりだけ抜け毛が多く落ちているような気がする。歩いていてもふと自分の髪が抜けて顔にかかるのが気になる。

気になり出すとますます髪の毛にさわることになる。そしてさわればそれだけ髪の毛がたくさん抜けることになる。そしてその結果また。。。という具合である。

それが高じたのが前述の日記の文章なのだろう。

 

そうやってもんもんとしていたある日、ヤングジャンプに載っていたアデランスだかアートネーチャーがスポンサーの漫画を見つけた。抜け毛が気になりだした主人公がヘアチェック(だかそれにたぐいするもの)に行くという設定である。

「かわいい女性の相談員」にチェックをしてもらった主人公は、とりあえず毎日洗髪した方が髪にいいこと、血行をよくすることが重要であること、などのアドバイスを受けて帰っていく。そして最後には「急げ。抜け毛は加速するぞ」という読んでいる人を不安に陥れる文句を投げかける。

それからとりあえず私は洗髪を毎日する事にした。しかしながら(当然かもしれないが)抜け毛が減ったような気がしない。

そうした具体的な対策(これが具体的と言えるかどうかわからないが)とともに、私ははかない心理的な安らぎを求めることになった。

まずしきりと他人の髪の毛を気にするようになった。その結果40すぎて髪の毛がふさふさしている人はあまり多くない、という事実に気がつかされることになった。しかしお仲間が多いといって自分の髪の毛が増えるわけでもない。

次には、一般に言われている「白髪になる人ははげない」とか「髪の毛が硬い人ははげない」という伝説が正しいことか、と考え始めた。

これは一つには私の髪質が堅い方であり(または、「過去には堅い方であった」)かつ白髪が同年代の男性の中ではきわめて多い方であることに起因する。もし「伝説は正しい」ということが立証されれば、私は自分の毛髪が減少することにあまり深刻に悩まなくてもすむかもしれないじゃないか。

 

まず「髪の毛が硬い人ははげない」という伝説の方から検証してみよう。この場合個人的にできることは、せいぜい自分が会った人の中でその仮説が正しいか、反証となるような人がいないか、ともんもんと考えることぐらいだ。

さてそうやって世の中を見回してみると、結構堅い髪質であって、かつ髪の毛が薄くなってきている人がいるのに気がつくのである。正確に数を数えたわけではないのだが、「少数の例外をのぞいてこの仮説は正しい」と結論づけるにはかなりの無理を感じるほどの「例外」を発見することになった。

また「髪質が堅い」という事実も時を経るにつれてかなりあやしくなってきた。少なくとも以前よりは髪質が柔らかくなってきたし、、、今度は「自分の髪質は以前よりも柔らかくなってきているのではないか」という強迫観念にもとりつかれることとなった。仮に抜け毛がおさまっていたとしても、頻繁に自分の髪にさわって、それが「堅いか、やわらかいか」ということを確認せねば気が済まなくなる。

気になり出すとますます髪の毛にさわることになる。そしてさわればそれだけ(以下同文)という具合である。

というわけでもう一つの伝説「白髪の人ははげない」にすがろうとするわけである。

そうやってみてみると結構若くても白髪がある人というのは多い、という事実に気がつく。いろんな人を見ていると、たまには私とそっくりの頭の人をみかけることがある。同じような髪の硬さ(別にさわってみたわけではないが)ほとんどそっくりの白髪の生え方。そしてその人の髪が薄くなっているのを発見するとまた私はどっと落ち込むのである。

いろいろ観察した範囲では「白髪ははげない」というのはおおよそ次のような場合に正しいようである。本来だったら髪の毛が弱って抜け落ちるような場合でも、強靱な髪の毛の人は抜け落ちない。そのかわりに白髪になる。どうもそんな感じである。従って「強靱な髪の毛、先にありき」であり、「白髪=強靱な髪の毛」というわけではなさそうだ

 

確かに自分の観察を放棄して伝説に従った方が私の精神状態の安定を考えればいいのかもしれない。しかし「実事求是(事実に基づいて真理を求める)」を信条としている私としてはそうするわけにもいかない。

 

さて。。。というわけで私は自分がどうするかいろいろと考えることになった。

 

幸か不幸か私も自然の摂理から逃れることはできないようだ。すなわち年をとればはげるのである。ここでもまた「危機のように見えるかもしれないが、実は幻想の終わりにすぎない」という言葉を当てはめることができるようだ。髪の毛の減少が急に始まったわけではない。自分は禿には縁がない、という幻想が終わっただけだ。

 

また私はある言葉を思い出した。「何かを失うための最良の方法はそれをはなすまいともがくことだ」というものである。この言葉はこのSituationにおいて様々に解釈することができる。たとえば無意味に自分の髪の毛をいじくりまわしたところで、たぶん抜け毛を促進するだけでものの役には立たない、ことをあらわしているようにも解釈できるだろう。

しかしながらもしそれが何らかの医学的処置によってくい止めることのできることであるならば、座して死を待つのは懸命とは言えない。悟りを得るのはばたばたともがいてからでも遅くはないだろう。

そう思って世の中の雑誌をみてみると、脱毛に関して「救いの手」(あるいは「商売の手」)をさしのべている団体、企業は世の中に数知れずあることがわかる。なかでも最大手は(おそらくみなさまご承知の通り)○デランスと○ートネーチャーだ。そして彼らは(おそらく競うようにして)従来のカツラ一辺倒から「育毛、ヘアケア」の方に注力しはじめていた。

いつか私がみた漫画もその広告の一環だったわけだ。しかもそれは無料だという。There is no free lunch という言葉がある。世の中に無料で奉仕活動を行う会社があるわけがない。無料といえばそれは強烈に売り込みを意味する。しかしこの際なんでもやってみよう、という気になっていた。別にかみつかれるわけでもなし。「世の中にはちょっとやってみてもあまり害にならなくて、かつやってみなければわからないことがけっこうある」とうのが私の信条だが、たぶんこれはその「けっこうある」うちの一つだろう。

手順は簡単だ。とりあえずそこらへんの雑誌についている○デランスのはがきにすらすらと書いて投函した。

さてそれから数日たって電話があった。曰く「今ちょうど無料ヘア診断があいているのでどうですか?」というやつだ。

日程をセットしてその日は寝た。さてなにがでてくるかみてみようじゃないか。

 

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注釈

日記(トピック一覧:あまり知られていないし、話すと「えーっつ!」と驚かれる事実であるが、私は大学に入って以来ほとんど毎日(ほとんどというのは結構抜けている日々があるから)日記をつけている。私は非常に生活面がだらしないので、そういう几帳面なことをするとほかの人には意外に思えるようだ。会社にはいってからの日記はコンピュータ内に記録してあり、人にみられる心配もない。

日記といえば「うる星やつら」(参考文献一覧)のなかの一場面を思い出す。主人公であるところの諸星あたるが日記をつけていると聞いたとき、彼のライバルは笑い転げる「あのアホが日記を。。。」という感じである。私が日記をつけていると言ったときの周りの反応も似たようなものである。それに対し諸星あたるは「日記は一人でよみふけるもんじゃ」と言ってひたすら日記に読みふける。これまた私が日記を読みふけるときの姿にそっくりである。戻る

 

他人の髪の毛を気にする:話はちょっとそれるが、似たようなエピソードを一つ。夏目漱石は顔にあばたがあった。そして彼は内心それに対してコンプレックスをもっていた。彼がロンドンにすんでいたころ、英国人にもあばたがあるか、あるとすればどれくらいの割合か、などとひそかに観察していた、ということである。こうした「コンプレックスの補償作用」についてはきっとどこかでいろいろな研究がなされているに違いない。誰か知っていたら教えてください。戻る

 

白髪が同年代の男性の中ではきわめて多い方である:自分が前から鏡で見たところでは見づらい場所に密集して生えているので本人は気がつかないがたまに他人が「ぎょえっつ」ということがある。少し古い新幹線の洗面台には3枚の鏡がくみ合わさっていて、ふつうの鏡ではみにくい場所が見えるようになっている。その鏡の前にたつと、ときどき自分でも「ぎょえっ」と思うことがある。戻る

 

白髪=強靱な髪の毛」というわけではない:今Yahoo-Japanで検索したら「育毛」というキーワードだけで168件のヒットがあった。私にはどのサイトが正直でどのサイトがいいかげんか見分ける力はないので特定のサイトを推奨することはしないが、ぱらぱらとそれらのサイトをみてみると、ここで行った考察はそう間違ってもいないようである。戻る

 

実事求是:(トピック一覧へ)カールマルクスの言葉の中国語版。毛沢東の好きだった言葉戻る

 

危機のように見えるかもしれないが、実は幻想の終わりにすぎない:ワインバーグ著、「コンサルタントの秘密にでてくる」言葉。(トピック一覧へ戻る

 

何かを失うための最良の方法はそれをはなすまいともがくことだ:ワインバーグ著、「コンサルタントの秘密」(参考文献一覧へ)にでてくるホローマーの法則「何のことだ?」という方は是非前掲の書を読んでみてください。本文中での引用は、この法則の本来の意味を考えるとあまり適切でないことをお断りしておく。

本来この法則は人が関与したシステムの中で用いるべき言葉であり、私はこの言葉がかなりの確率で真実を言い当てていると思っている。戻る

 

There is no free lunch:(トピック一覧へ)日本語で言えば「ただほど高い物はない」だろうか。。(違っていたらごめんなさい)

ラスベガスあたりには昔は"Free Pizza!"と呼び込みをやっているカジノがあったらしいが。。当然のことながら賭のあたり率は悪く、でてくるのは冷えた小さいピザだったそうである。 本文に戻る