題名:2002年のゴールデンウィーク-壱岐・対馬

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日付:2002/6/1

往路 | 二日目 | 対馬


往路

2002年のゴールデンウィーク、4月の29日から5月の3日くらいまでが暇である事が判明した。もちろん寝て過ごすという選択肢もあるのだが、連続した休みなどそうあるものではないから、どこかに行きたい。さて、どこに行った物やら。

ゴールデンウィークだし、下手なところに行くと人だけをたくさん見て帰ってくることになろうし、元々私はあまりそうしたところには行かない。ではどうする。そのときふと父が撮影した壱岐、対馬のビデオのことを思い出した。そのビデオをにはあれこれ興味深い光景が映し出されていたのである。これはいいかもしれない。

というわけでなんとなく行き先は決まったのだが、今回はいつにもまして何も準備をしなかった。27日実家に帰ったとき父に「壱岐、対馬にはどうやったら行けるのか」と聞くと博多からどこやらに行って船に乗ると言う。博多までなら新幹線で一本。母は

「”のぞみ”だと”ひかり”よりうんと速いから”のぞみ”にしなさい」

と力説している。なるほど。では名古屋駅からのぞみにのって博多に行こう。でもって船にのればなんとかなるのだ。

これは別に省略して書いているわけではない。本当にこれだけしか考えていなかったのだ。29日の朝母が「あんた何時に出るの」と訪ねる。何の考えもなく「9時頃かなあ」と答える。博多まで行くのぞみは9時34分に出発するので、9時に出たのでは間に合うかどうかわからない。もし間に合わなければ次の列車の時間まで(2時間近くはあったはずだ)どこか旅行代理店に入りあれこれ手配すればよかろう、などと考える。実家の朝食をたらふく食べるとのんびり家を出る。他にふたりいるからアイちゃんもおいてけぼりにされる心配もなく、私がいなくなろうとしているのにどっかで寝ころんでいる。

さて、名古屋駅に着いてみると、博多行きのぞみの出発7分前である。泡食って切符を買うとどたばたと乗り込む。席につき一息ついて。さて、パソコンでなにやらしてやろうかと思うがどうも気力がわかない。どうもとても疲れていたようだ。そのままくてっと眠りにつく。

目が覚めると列車は広島あたりを走っている。目は開いたが頭は動こうとしない。であるからしてただ外をぼんやりと眺め続ける。そのうちまた寝る。また起きる。小倉をすぎれば次は博多。頭をふると荷物を持って列車を降りる。

さて、ここから47,48というバスに15分乗れば博多埠頭に行けることだけはしらべていた。でもって乗り換えの時間は1時間くらいあるはずだから残り45分ある。その間にあれこれ手配できるだろうか。そう思って歩き出すがまずそのバス乗り場がどこかわからない。バスセンターというところに行くと、47,48は別の場所から出発する、という看板が掛かっている。博多の駅前には地下街があるのだが私が方向音痴のせいか、あるいは地下街と地上の作りが微妙にずれているせいかどうにも目的とするところにたどり着けない。あがったり降りたりすること3度ほど。ようやくバス停に着いた。

バスに揺られることしばらく、埠頭につくと最近おなじみとなった乗船名簿を書く。待合室にはいって、はたと考える。そもそも壱岐、対馬には何があるのだ。いままで待合室に観光案内の看板が掛かっていても

「こんなもの誰が見るのか」

と思っていたが私は今それを必死になって眺めている。壱岐はそもそもどうやって回ったらいいのか。定期観光バスがでているようだが、私が使うであろう午前の便というやつは、うに工場となんとか工場とかを回ると書いてあるからおみやげツアー便ではないか。うには好きだがおみやげに買おうとまでは思わない。となるとどうすればよかろう。

いや、それよりも先に問題になるのは宿だ。船は4時過ぎに港に着く。とにかく泊まる場所を確保しておかなければ。壱岐、対馬の宿一覧のような看板があるから、そこをぐっとにんらんで「ここっ」と適当に決めた宿の電話番号をPDAに打ち込む。公衆電話のところに走っていってボタンをぴぽぴぽ押す。もう向こうの方では乗船の列ができている。急がなくては。

相手がでて、やれありがたやと思ったらいきなり電話が切れた。もう一度かけなおすと話が通じどうやら今夜の宿はなんとかなりそうである。しかしあとから考えたのだが、値段がいくらとも食事をどうするとも何も聞かずに「ではよろしく」と言ったのである。そこらへんはどうなっているのだろうか、と疑心暗鬼にとらわれるが、とにかく乗ってしまう。

2等船室は例によって雑魚寝である。すいているから好き勝手な場所で寝ればよい。最初はうろうろしていたがそのうちくてっと寝てしまった。目が覚めてしばらくたつと壱岐に入港である。なんとぐーぐー寝ている間にここまで来てしまったではないか。

とにかく荷物を抱えて船から下りる。さて、どこで待っていてくれるのだろうか。タクシー乗り場とおぼしき場所でぼんやりと立っている。考えてみれば「船がつくころ迎えに行きます」としか相手は言わなかったなあ。まあ問題があればまた電話すれば良かろう、等と考えているうちに「大坪さんですか?」と言われた。予約した宿-ペンション倭寇の人が迎えに来てくれたようだ。

そこからかなりの間車に乗った。後で地図を見てみたらほぼ島を横断したことになる。ペンションのおじさんは運転しながらあれこれ説明をしてくれる。このとき初めてこの島が長崎県にあることを知った。地理的に見れば佐賀県か福岡県なのだが、なにやら過去の経緯でそうなっているとのこと。詳細な理由は忘れてしまった。そのうち広々とした平野に出た。なんでも「長崎県」第2位の広さの平野なのだそうな。そのうち郷ノ浦という場所に出る。ここでも大型小売店舗の進出により昔ながらの商店街が衰退しているとのこと。この島の一人あたりの車所有数は日本一とのこと。従って大きな駐車場あるところに買い物客が流れてしまうそう。ちなみに酒を飲む量も日本一なのだそうだがそれがなぜだか、何の影響があるのかわからない。

そのうち町を通り過ぎ、海水浴場があるエリアにはいってきた。ペンションはまだか、、と思っていると遠くにしゃれた建物が見えてきた。どうやらあれらしい。

中に入ってみるとしゃれたつくりで、確かにその昔会社の友達と一緒にテニスなどしに来た「ペンション」という感じの作りだ。なんでも、倭寇という名前を登録した後に「若い人に来てもらうためにはペンションじゃなきゃ」ということで計画を変更した物だから名前と作りがちぐはぐになっているのだそうな。部屋に荷物をおくと目の前に小さな湾に降りてみる。

こうして海辺を歩くのは久しぶりである。蟹がいて、つかまえて食べるとうまいと言われたが、食べられるような立派なものどころか小さな蟹もいない。でも水辺をぱちゃぱちゃ歩くのは結構楽しい。遠くで子供の声がする他はとても静かである。

部屋に戻ってぼーっとする。そろそろお腹が減ってきた。となると私の心の中に一つの疑念がわき起こってくる。果たして今日晩飯を食べることができるのだろうか。なんとはなしに泊まってみたものの2食付きとは一度も言われていないのである。

「あんなに遅く連絡してくるから、準備なんか間に合いませんよ」

と言われたらどうしよう。外に食べに行くとかいったところで、どうみてもここから数km以内にご飯を食べさせてくれるところがあるとは思えない。となると空きっ腹を抱えたまま明日の朝まで我慢せねばならんのだろうか。そう考えると妙にお腹が減ってくる。

ええい、妙な事を考えていてもしょうがない。時間になったので食堂に降りていく。こちら側に二人分、あちら側に一人分の用意がされている。そこにぽてっと座るが

「あら、なんですか?」(非難の口調で)

と言われることもない。よかった。どうやら食べてもよさそうだ。

そう思って食卓に出ているものを見れば、これは絢爛豪華な海の幸である。なにせ語彙が貧困だし、今まで食べたこともないものもあるから、「刺身があった」くらいしか言えないのだが、なんだかご機嫌になってくる。世間では

「ビールを飲む間はご飯を食べない」

という不文律があるそうなのだが、私は刺身を食べるときにご飯がないと大変気持ちが悪い。おひつを持ってきてもらうとばくばく食べる。

とはいっても私も年なのだ。欲望の赴くままに食べたりすると後で偉い目にあう、と頭の一部が警報を発している。しかしこのご機嫌な食事を目の前にしてご飯を控えることなどができようか、いやできまい。というわけでわらわらと食べまくる。

お腹がいっぱいになると部屋に戻る。もう外は暗くなっている。きれいな星空でも見えるかと思って外に出たが、曇っているらしく星は一つも見えない。しかし蛙がケロケロ鳴いているのが聞こえる。ケロケロというのはあまりに貧困な表現かもしれない。とにかくいろいろな声が聞こえる。私にはそれが蛙の声か虫の声かもわからないがとにかくにぎやかだ。

部屋に戻ると眠くなった。考えてみれば今日一日寝てばかりいたのだが、まだ眠い。このペンションはなかなか素敵なのだが、普通のTVを見るのにも、冷暖房をかけるのにも100円が必要である。見たくもないTVなど見て100円を献上することもあるまい。とっとと寝ることにした。

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注釈