題名:Java Diary-74章

五郎の 入り口に戻る

日付:2006/6/2

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Goromi-TV Part9 & Gards part4

10月3日会社に行く。すっかりシュレジンガーの猫状態になった私は、去年の経験から

「メーラーの題名一覧を見て、” WISSプログラム案”があれば採択、そうでなければ没なのだ」

と勝手に自分に言い聞かせていた。(去年は採択通知とともにプログラム案が送付されてきたのだ)

というわけでどきどきしながらPCの電源を入れる。メーラーは自動的に立ち上がる。題名一覧を見る。「WISS 論文査読結果のお知らせ( 論文番号 2 )」という文字は見えるが「WISSプログラム案」という文字は見えない。がびーん。落ちたか。

あーあ、と落ちた状態に収束した私は「査読結果のお知らせ」メールを開ける。するとこんな文字が並んでいる。

この結果,大坪五郎様から投稿いただいた論文:
「Gards-変化し続ける興味に対応する情報推薦 」は,
採録となりました.おめでとうございます.

なお,論文の発表時間はデモ/質疑応答含めて20分の予定です.

はが?通ったのか?しかしそのそっけない表現が気になる。これは何かの間違いではなかろうか。よし、プログラム案 が送付されてきて、それに自分の名前が載っているとわかるまでは信用しないぞ。

などと考えているくらいだから、査読結果を読むことなどもちろんしない。そうだそうだ信用しないぞ、と自分に言い聞かせているうちに多少落ち着いてきた。 ひょっとすると通ったかな。しかしど う にも怪しい。というわけでしばらくそのメールは見なかったことにする。翌日には

「WISS2005予稿集用原稿&公 開用原稿 提出のお願い(論文版)」

というメールが届く。となるとやっぱり通ったのだろうか。いやいや。プログラムの中に名前を見つけるまで信用しないぞと堅く心に誓う。誓うのはいいのだ が、原 稿の提出期限が10月21日と設定されている。最終原稿には査読結果のコメントに対応した修正を加えねばならぬ。というわけで訳の分からないことを言って いる場合ではない。査読結果を読まねばならんの だ。

というわけで意を決してまず点数だけ見てみる。採択通知のメールに4件の査読コメントが並んでいる。一番上の点数が2点だということは知っていた。目の焦 点をぼやかした状態で下までスクロールし、一番下のコメントの点数を見てみる。するとこれも2点だ。

ちょっとまて。これは5点満点ではないか。半分のReviewerが2点をつけていて何故通る。やはりこれは間違いだったのか、とあわてて残りの点数を見 る。するともう一人は2.5点、最後の一人が5点をつけていることがわかる。その日私はこう書いた

「ようやく査読結果を1/3くらい読む。点数2と5. こうでなくては」

何故こうでなくては、と考えていたか。要するに今回の論文は賛否両論あるだろうと思ったからだ。受ける人には受ける。受けない人には全く受けない、と。

というわけで点数はわかったのだが、コメントの内容はわからないままである。これではいかんともしがたい。というわけで意を決して内容を読んでみる。その 日私はこう書いた。

「ようやく査読結果を全部読んだ。何がよくて何が悪い のかよくわからない。正確に言うと「評価が足りない」ってのはその通りだが、某氏なんか評価無しでインタラクションに通してたぞ。ランダム推薦と比較なん かして意味あるのか。」

2点台をもらったコメントのうち一つは「私が決めた枠にはまっていない物はだめ」というよくありがちなもので「こういう人ってい ますね」以外 に学ぶところはなかった。後の二人は問題設定に意義は認めながらも、もう少ししっかりと評価をするべきである、という内容。確かにそれはその通り。

しかし理解ができないのは、このワークショップに出される論文の全てが多数の被験者に対して評価がなされたものばかりではないとい う事実だ。上 記の文中で挙げている「某氏の論文」は、「嗜好学習して情報推薦」の内容なのだが評価は一切なしだった。去年私が提出したGoromiも評価は自分でやっ た一例だ け。それで文句もいわれなかったのだが。

そこからぼんやりと考え出した。分野によって評価に関する考え方が異なるのではなかろうか。つまり「情報推薦」とか言った途端に 「これこれそれ の評価が有るべきでそれがないと駄目」という物差しで測られ、「わらわら提示」という何だかわからない分野の論文だと「面白いからいいんじゃない」となる とかなんとか。そういえば特許を書くときも一般的な情報処理として出願する場合と車に積む情報機器、として出願する場合では審査官も違えば厳しさも違うと か聞いたことがあるなあ。

5点を付けた人は「新規性も有効性も有ります」と書き、2点を付けた人は「新規性無し。有効性評価不十分」との評価。ここまで評価 が割れるとな んとしたものやら、という気分にもなる。これは「新しいインタラクションの試み」と観るか「学習型情報推薦システム」とみるかの違いなんだろうなあ。しか しグデグデ言っている場合ではない。意味のある指摘には真摯に対応しよう。元の論文は4名を対象に試験を行っていたのだが、急遽2名追加する。そしてその 結果を見ているうち二つ面白いことに気 が付いた。(この内容については後述する)なるほど、査読のコメントに素直に耳を傾けるのはやっぱり大事だ。これで落ちていれば「はい、また来年」という ところだったが、発表の機会が与えられているのだからコメントを反映して少しでも良い物にしたい。

というわけで論文を修正するとえいや、っと再提出してしまう。去年は一度か二度「書式にそっていないので修正の上再提出」という連 絡があったが、今年は一度だけだった。LaTexの神様に感謝である。

やれ、提出も終わった、と思ったところで10月の20日、私は大阪で行われた某カンファレンスに出席していた。そこでWISSのプ ログラム委員をしている知り合いに会う。大坪さん WISS出されてましたよね。ええ、どうも通ったようなのですが、本当に私発表していいのでしょうか。いやーいろんな事言う人がいましてね、、ここで誰か が話しに割ってはいり会話はおしまいとなってしまった。未だ本当に通ったかどうか確信の持てない私としては「いろいろな意見」がどの ように出たのか、本当に通ったのかしりたかったがしつこく聞くのも変な話だ。というわけで「どうも本当に通ったらしい」と自分に言い聞かせる。

というわけでプレゼンテーションの構想を組み立て始める。ええっとあの話を入れてこの話を入れて。などと考えているうち

「発表が終わった途端猛烈 な批判的コメントを投げつけられる恐怖」

に襲われる。なんといっても査読した人の75%が2点を付けた論文なのだ。おまけに「学習型情報推薦システム」ははやりの分野であ る。それに喧嘩をふっかけるような内容を発表するとは自分はなんと愚かだったのだろう、などといざ発表するとなるとびびりまくりで ある。最後に

"発表の機会を与えて頂きありがとうございます。OK. Feel free to kill me."

とでも言ってみようかしらん。などともんもんとしているうち著名なデザイナーが書いた「プレゼンテーションの極意」という本が有る ことを知る。 さっそく(会社の金で)購入して読んでみる。そこに書いてあることは面白かったと文章の論理がふらふらしているように思える場所もあるのだ が、少なくとも書いた人間のパッションというか思いは伝わってくる。読んでいるうちにどこが影響したのか覚えていないが言い訳がましいことは一切 言わないようにしようと決める。とにかく皆の前で話す時間を貰えたのだから、余計な事は言わずに内容を喋ろう。それで文句を言われたら超音速で

「すいません。むしゃくしゃしてやったんです。今は適当に 反省しています」

と言うことにしよう。

などと頭の中で考えてばかりいてもしかたがないので、KeyNoteであれこれ作り始める。去年はKeynote ProというサイトのOMというテーマを使った。それはどちらかと言えば白と明るい色を基調としたものだった。今年は反対方向でいこう、とテーマをあれこ れ観る。この一年の間にいくつか新しいテーマが追加されている。その中からSonomaというのを選ぶ。このテーマはサイト上ではとても格好良く見える が、実際にダウンロードしてみると愕然とする。写真をうまく配置しないと格好良くないのだ、というのも去年一度やったから驚かないぞ。

 というわけでまずは問題設定から。私今渋谷駅から徒 歩7分 の場所で働いておりまして、飲食店が有りすぎてお昼食べる場所選ぶのに困っちゃうんです(本当は極めてわずかな回数以外コンビニおにぎりしか食べないのだが)と書いたところで渋谷駅の 裏から私の会社 までの間に昼食を食べられる場所って、、何軒あるんだろう、と実際に数えてみる。最初はそれに合わせて

「ちなみにサラ金は○件あります」(本当にたくさんあるのだ。駅近くのいくつかのビルにはサラ金が群生している)

と言おうかとサラ金の店舗数まで勘定したが脱線しすぎだと思い削ることにした。ってな感じでごりごり、と作ってい く内、ある問題につきあたった。

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注釈