日付:1998/8/1
その最初の電話がいつかかってきたのか、正確な記録が残っていない。おそらく1998年2月7日の土曜日だと思う。
当時の私が何をしていたか。まずその2日前には鎌倉に行って某社の面接を受けていた。ここは私が元々働いていた部署に大変仕事の内容が近い場所である。確かに会社は従姉妹のような関係のところだが、全く雰囲気が似ているのに驚いた。そこに面接してもらった話をすると家族は大変ご機嫌なようであったが、私が理由もわからずその会社で働くことにためらいを感じていた。自分のためらいが何なのかわからないまま、2日後には「是非来てください」という電話があった。私は大変困った状況に陥った。
また当時は「暇つぶし」と称して、Javaでこの文字だらけのサイトをなんとかまともに読めるようにするためのプログラムを作っていた時でもあった。時は一年で一番寒い時期でもあり、私はほとんど外にも出ず、部屋でコンピュータに向かってキーボードばかりたたいていたのである。
さてそんな事をして机に向かっていれば電話が鳴った。私の部屋の電話は滅多になることがない。誰だろう?また例の会社かな?私はその日が土曜日であることを完全に忘れていた。失業者にとってみれば毎日が日曜日だ。
「もしもし」とでてみればbunである。「おお。青年久しぶりだな」と挨拶をした。彼は私が2年ほど前に働いていた職場の友達なのである。私が去年の12月5日によれよれになりながら米国幽閉から脱走してきて、彼らと一緒に飲む機会があったがそれ以来に彼の声を聞いたわけである。
「実はですね。。」という前置きの後に彼は話し始めたのはこんな話である。bunの友達であり、私も何度か合コンでご一緒したことのあるMTIは意外なことだがピアノを習っている。そのピアノ教室で飲み会がある。ついては外部からも男性を何名か招待したい。といったことでbunにお呼びがかかったらしい。ついでに何人かさそっていいよ、と言われたbunは私に電話をしてくれたというわけである。
私はおそらく学生の時から「女性がいる飲み会-合コン」と言われるとほとんど後先考えずに「はい」と手を挙げてしまう人である。最近これは条件反射に近いのではないかと思い始めた。すなわち耳から大脳の「行くべきか、行かざるべきか」と判断する部分をバイパスして、手に信号が行くのではないかと疑っているのである。そしてこのときも私は彼に「行きます行きます」と返事をした。
宴会が行われるのは翌週の2月10日の火曜日である。彼らが働いている会社はメーカーであるから大抵の場合飛び石の連休は出勤日にして他の休みにくっつけてしまう。11日は建国記念の日であり、女性方はきっと翌日休みで心おきなく騒げる日なのだろうが彼らはそうではない。若干同情したがまあ合コン(というかとにかく女性と飲む機会)は私にとっても、あるいは男女比率が30:1を超えている職場で働いている彼らにとっても貴重なものである。あまり贅沢は言っていられない。
その日は待ち合わせ場所と時間を聞いて電話を切った。さてどんなのが出てくるか、楽しみと言えば楽しみ。不安と言えば不安といった感情を久しぶりに思い出すことになった。考えて見えれば合コンというのはここしばらくご無沙汰だったのだ。
私は大学時代から合コンという物に対して強迫観念を抱いている。学生のころは10回行ったと思うがそれはほとんど4年生の時に集中していた。「そんなことをやっていたらおまえ絶対大学院に落ちるぞ」と言ってくれた友人がいたが、彼の言葉は正しかった。私は自分が勝手にたてた予定よりも2年早く会社というものにはいることになったのである。
会社にはいってもしばらくはあまり合コンというのもはなかった。やたらとやりだしたのはおそらく入社2-3年目くらいからではなかろうか。最初は呼ばれて参加することが多かったのだがそのうち自分でも主催をするようになってきた。2年の留学から帰ってきた後はそれこそ数限りなくやり、、、結果としてしばらく「合コン恐怖症」になってしまったのである。3歩歩けば全てを忘れる鶏並の知能の持ち主でも体力の限界まで合コンに参加し、そんな体調ででるもんだから大抵楽しくない、ということが数回続けばさすがに懲りるようになる。周りから「誰かいい人でもできたんじゃないの」といわれのない事をいわれながら私はしばらくの休止期間に入った。
こうやって休止をしていれば少しは減るだろう、、、と思って確かに回数は減ったのだが何故かまだぼちぼちある。しかしさすがに最近機会がまばらになってきた。周りの友達がだいたい所帯持ちになってしまったからである。人によって所帯持ちになっても合コンに参加したい、という奴はいるのだが、まあそんなやつはまれだし、実際実行する段になると奥様の顔を思い出してキャンセルするようである。だから最近は年下の友達達から誘われることでもなければ合コンの機会はない。以前私は目の前の女の子が「あまり男性と知り合う機会ってないし」と言うと、反射的に「では合コンをやりましょう」と叫ぶ癖があって何度もへそをかむような思いをしたものだが、最近はさすがに直ってきた。近くにいる若い物をさして「彼とお友達になれば、前途有望な好青年が山のようにでてきますぜ」というようになったのである。
さてその久しぶりの合コンの当日。待ち合わせ場所は某JR駅の改札の近くである。いつものことながら小心者の私は異常に早く待ち合わせ場所についた。まだ待ち合わせ時間までは30分以上もある。外でたって本を読んでいるのがいつもの時間のつぶし方であるが、2月の10日の寒い時期にそうした方法はあまり魅力的ではない。私は駅の小さな珈琲屋に入ることにした。
中に入れば勤め帰り(あるいはつとめの最中で一息いれているか、サボっている人達もいただろう)のサラリーマンで結構な繁盛である。私も今は無職の身であるが、つい2ヶ月ほど前までは彼らと同じ身分であった。彼らはどことなく沈んだ表情で下を向いてコーヒーを飲んでいる。ふとあの会社に勤めることになればまたこういう生活に戻るのだな、と考えた。私も会社で働いている時は、下をむいてため息ばかりついている。職場の友達は「ため息をつくと幸せが逃げますよ」と言ってくれるから「いや。これは深呼吸なんだ」と言っては見るが、それで事態が改善されるわけでもない。最近はため息を付くこともずいぶん減った。そして今また彼らの姿-少し前までの自分の姿-を見てみると、またあの生活に戻ることに多少ためらいを感じてしまう。しかしこうした毎日が日曜日の生活をいつまでも続けているわけにもいかないのだ。
さて私が妙な考えにふけっていようがいまいが待ち合わせの時間はやがて訪れ、私はbunとMTIに会うことになった。彼らと仕事の話などしながら我々は本来の待ち合わせ場所であるところのMTIが通っているピアノ教室に向かうことになった。
寒い風の吹く中を30男が3人ふらふらと歩いていく。目的とするビルの前についたがMTIがいつも使っている入り口が閉まっているという。それから数分の間「このビルは全て鍵が閉まってしまっているのではないか」という恐怖感にとらわれて、ルの周りをさまようことになった。
ようやく入り口を見つけてエレベータで上にあがった。ビル全体は暗くなっているがピアノ教室はちゃんとあかりもついて人もいる。MTIがそこにいた人に「かれかれこれこれ」と説明したが、目当てとする彼が習っている先生はどこにいるかわからないらしい。その日どこに行くかは全てピアノの先生が手配してくれたらしくその先生がいないことには我々は全く動きがとれないような状況である。
しょうがないから廊下に座って先生が出現するのを待つことになった。ピアノ教室なぞにくるのはおそらく数十年ぶりではないか。小学校の低学年のあたりまでピアノを「習わされた」のであるが、いつも家に来てもらっていたのである。どこかにかよって鍵盤楽器を習ったのはおそらく幼稚園の頃にまでさかのぼるのではないかだろうか?bunと仕事の話をしてみたり、壁に掛かっているスケジュール表をみたりしながら時間をつぶした。廊下に数人生徒さんらしき人がいるので、MTIに「聞いてみたら?」というのだが、彼は全くその生徒さん達と面識がないらしい。この後も何度か出た話題であるが、ピアノ教室の生徒さん達というのは、仮に同じ先生についていたとしても全くお互いに面識がないらしい。考えてみれば団体でレッスンをするわけでもない。個人レッスンをうけるわけだから、せいぜい同じ先生についている他の人に会うのはレッスンの最初と最後にちょっと時間が重なった場合だけだ。
ふーん。っつーことは今日はMTIも知らない相手ばかりなわけね。。と考えながらひたすら待つ。正直言って「これは何か間違いが起こったのではないか」と心配になるくらいここに座っているのであるが、我々がそんな事を口に出したところで何も状況が改善されるわけではない。幹事であるところのMTIに何か恨みでもあるのでなければ「ちっとも気にしてないんだよー。ところでbunちゃん、最近仕事の調子はどう?」とでも話しているしかないのだ。
さてそのうち私たちの祈りが通じたのか、あるいは単に来るべき時間が来たのか知らないが、MTIがある方向を向いて歩き出した。なおもしばらく「おっつ?来たのかな?ところでbunちゃん今の話だけど」などと間を取った後に今日の宴会の相手がいる方向にてけてけと歩いていった。間をとったのはあまりがっついていると見られたくないという見栄と、心の準備のためである。合コンで初めて待ち合わせ場所で相手と合う瞬間というのは楽しみでもあり、不安もあり。心の余裕を持って行かないとその瞬間に後ろにひっくり返ってしまうことにもなる。
さてそこに立っていたのはピアノの先生2人及び生徒さん数名である(別に驚くことじゃない)先生はともかくとして生徒さん達が若いのに私は多少驚いていた。今日はこのときまでどういった相手が来るか?ということに関しての情報は全くなかったのである。もっともそんな情報があったところで何がどうなるわけではないのだが、心の準備くらいはできるかもしれない。私は当時後一月チョットで35になる身の上だった。四捨五入すれば40になるのだ。過去の合コンで相手との年齢差に畏怖を覚えたことは一度ではない。しかしここまでくれば相手が若かろうがなんだろうがにっこり笑って挨拶する以外手はないのである。
そこから先生が予約をしてくれた店に向かってしゅくしゅくと歩き出した。例によって例のごとくこうした時間というのはお互い見知らぬ同士であるからなんとなく雰囲気が固い。しかしこれまた例によって例のごとく私はこういう固い雰囲気というのは嫌いだ。というわけで先生の一人-後にMちゃんとよばれるようになる-に話しかけた。「MTIがお世話になっている先生ですか?」とかなんとかそんな感じであっただろう。それに対して結構話は道中弾んだのでまず私は安心をした。他の生徒さん達はわからないが、先生は結構ノリがいいのである。こうであれば今日の宴会が陰気なものになることはあるまい。
さてそれから居酒屋について宴会となった。私はほとんどの時間先生二人-MちゃんとRちゃん-としゃべっていたような気がする。そしてこの日は私は結構ご機嫌であった。
私は飲む量がその時の機嫌に極めて依存する人間である。この日の会話の詳細は覚えていないが、自分がべろんべろんによっぱらったことだけは確かに覚えている。ということは私は極めてご機嫌であったわけだ。
二人の先生はとてもフレンドリーに話してくれた。これに調子にのった私はほとんど敬語を使わずにしゃべっていた。「だめだよ。Rちゃん。そんなことしちゃー」という感じである。彼女たちは彼女たちの子供の話を聞いたところから推定すると、10代で結婚したので無いか切り私より年上だっただろう。従って社会の慣習に従えば私は彼女たちに対して敬語で、少なくとも「ですます体」で話すべきだったのかもしれない。
さて、美しい日本文化の粋というべき「敬語」は嫌いではないが、人と人との距離を縮めるのを妨げる働きをしているのも確かだと思う。人の世の中においてある程度意味のない距離と序列をもうけるのはそんなにわるいことではない。しかし時にはそれを無視したほうが、お互いフランクにはなせる場合もあると私は思っている。そしておそらくこの宴会ではそのポリシーがうまく働いた例なのだろう。
その他の生徒さん達とも結構話はスムーズに進んだ。話してみれば彼女たちは確かに若いのだが、年が10以上離れたおじさんともちゃんとコミュニケーションを取ってくれるような人達だったのである。ある女性とは「年下の生意気な彼氏とどのようにつきあうべきか」という話を議論したし、唯一男性の生徒は営業職だけあって実にスムーズに会話をしてくれた。別に営業職を前面に押し出しているわけではないのだが、さりげなく名刺を渡すあたりがさすがプロフェッショナルというところか。
楽しい時間はあっと言う間に過ぎ、お帰りの時刻となった。私は「はっつはっつはー。私の電話番号はこれこれですよーん」とかなんとか言ってわめいていたところは覚えている。
帰りの電車でMTIといっしょになった。
私はこのときを利用して、彼に今晩抱いていた疑問をぶつけてみた。bunが時々「MTIさんはもうすぐ○○ですからね。(○○の部分は不鮮明で聞き取れない)」というセリフを吐いていたのである。私はてっきり彼がもうすぐ結婚するのではないかと思った。
そう彼に言うと「何のことです?」と言った。「へっ?」と言って「いや、かくかくしかじかだから近く何かあるのかと思って」と聞くと「いや。私会社辞めて英国に留学するんですよ」と来た。
なんでも彼の「留学」というのは語学留学だそうである。時々会社をいきなり辞めて留学に行く人はいるが、大抵の場合普通の大学への留学だ。たまに女性で語学留学もいるが、男性で語学留学に行く人は初めて見た。まあしかし男女同権の世の中なので、別に男性が語学留学に行くからと言って何も驚く理由はないのである。
私はお節介と知りながら、彼に私が留学に行く前に知っておきたかった事を2点話した。
一つは「アジア人と仲良くしなさいね。白人とはちょっと距離があるから」というやつだった。それに対して彼は「えっつ?そうなんですか?」ととても意外そうな顔をした。
二つ目は「英語学校の後に大学に行くのならば、なるべくいいところに行きなさいね。あっちはすごい学歴社会だから」というやつだった。彼はさらに「えっつ?本当?」と言ってさらに意外そうな顔をした。
疑問顔の彼に「そうだよ」と答えると、彼は「それはいつ頃の話ですか」と答えた。考えてみれば私は数年前に米国に行ったことがあるだけだ。「現在」の英国がどういう風になっているかなんて知らないじゃないか。二つ目の点にはホーキングについての本に「ホーキングが学生だったころに事情は大分かわった」と書いてあったような気もする。ってことは今はそうではないという可能性にかけてもいいわけだ。
ただ彼がなんとなく私たちが欧米に対して持っている漠然としたあこがれのイメージしか持っていないのではないか、というところが少し気になった。「学歴偏重でなく、人種間の壁もない実力社会。何故かみんなディベートが得意。」というやつである。「まあ行けばわかるよ」というせりふとともに会話をうち切った私は、それ以上何も言えなかった。所詮彼が聞こうと思わなければ言っても空気の無意味な振動に終わるだけだし、私にできることは地球の裏側を見て(ということは地面の方向を見ると言うことだが)彼のために祈りをささげることくらいだ。
こうしてその日は安らかな眠りについた。その日の日記には「上機嫌で帰ってきた」と書いてある。
翌日ちょっとぼけっとしながら前夜の事を考えた。昨日は確かに楽しかった。そしてあの先生方のご機嫌の様子からしておそらくこの宴会はシリーズ化するのではないか。
などという脳天気な考えとは裏腹に、私は例の会社に対して返事をしなければならない立場にあった。実家に帰って話をすれば、母親なぞは私がもうそこに就職するかのような口振りである。私は見合いをしたことはないが、本人が「どうしようかなー」と思っているうちにこうしてまわりから状態が固められてしまうことは結構あるのではないか。
などと妙な方向に考えはそれながらも、日々は過ぎていった。そうしたある日bunからメールがきた。
用件は2点である。
1)MTI経由先日の先生方から生もの(多分チョコレート)が届いた。どうやって渡しましょうか
2)リターンマッチが計画されている。3/22でいかが?
このメールに対して私はこう答えた。
1)生ものだとすると早く受け取る必要があるね。会社の帰りにでも受け取れるなら、そこまで行くよ。
2)リターンマッチは歓迎だが、3/22だと場合によってはいない可能性もある。
このうち1)の方の話は簡単にまとまった。数日後に彼らと一緒に夕食を食べて先生からのプレゼント-チョコレート-を受け取ったのである。これは平成10年のバレンタインデーにもらった唯一のチョコとなった。
2)の方はこの時点ではまだなんとも答えようがなかった事項である。例の「周りは気に入っているがなんともためらってしまう」会社からは、「早ければ3/16から働いてください」と要望されていたからである。もし私がこの会社で働くことにすれば3/22には既に関東地方に行っているはずなのだ。
この判断は困難を極めた。自分がためらっている理由が分からなかったからだ。物事すべからずトレードオフで決まるというのが私の信条だ。プラスの要素は簡単に数え上げられる。なんといっても相手はとても大きな企業であり、仕事の内容は結構興味がある(少なくとも10年前であれば)内容だ。おまけに従姉妹というべき会社だから会社の雰囲気にとけ込むのも結構楽だろう。(おそらく同じ程度に変人と思われるだろうが)
問題はマイナス要素だ。一つには私が住んでいる場所を動きたくなかったことがあげられる。また仕事の内容は入社当時だったら気にっいっただろう内容だが、それから10年たち大分興味の方向も変わった。。今となっては入社してから数年のイヤな思い出がよみがえってくる。また会社の雰囲気が似ているのはなじみやすい、という点から見ればいいのだが、それこそ前の会社に感じたのと同じ問題をかかえることになるかもしれない。
あれこれ考えた私はまだ探すことにした。地元で興味深い仕事の求人を出している企業があって、そこに応募はしていたのである。まだ返事はもらっていないが、そちらの全く保証も何もない可能性にかける、という馬鹿な賭にでることにしたのである。
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