題名:Polypus&JMS Live1999/12/19

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日付:1999/12/21

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準備

次の練習は12月の5日である。その二日前の金曜日、私はひょんなことからYDと会っていた。しかも場所は渋谷でだ。

前回の練習の後、あれこれのやりとりが主催者とYD、そして私たちの間で行われた。まず主催者から開催要領が届いた。そして情報があれこれ明らかになるにつれ、またもや我々は頭を悩ませることになったのである。

まず今回のイベントというのはいくつかのバンドが参加するものであるが、最後に4曲、課題曲を決め、各バンドから混成で人を集めてセッションをやる。これは当日一回だけのリハーサルで行われるものであり、YDの弁によれば「これがまた楽しい」のだそうだ。バンドのメンバーに「参加希望は?」とつのったところ、何も考えていない私と、Stone、それにMNさんが手を挙げた。他はみな慎重だから「いきなり本番はつらい」というもっともな理由をもって辞退である。

さて、それを主催者に告げたところ、バンド編成の都合上、なんとかベースマンとキーボードプレーヤーに参加をお願いできないか、と言ってきた。「こうお願いがきただよ」と言ったら「ほならやりましょか」と言ってくれた。これでこちらのほうは落ち着いたか、と思ったが問題は私自身に降りかかってきた。

私がセッションでやる曲はPretty Womanに決まった。この曲と同じ名前をもった映画は私が愛しているJulia Roberts の一つの代表作でもあるのだが、全く好きではない。しかしながらこの音楽は好きだ。題名だけ聞いて「なるほど。あれね」と思っていた私は、実際にCDを聞いてみてたまげた。最後のところが結構ややこしくなっているのである。それまでタカをくくってのんびりしていた私はそれからCDを何度か聞いて頭を抱えることになる。それでなくてもちゃんと歌おう思えば歌詞を覚える必要があるのだ。

さて、そうしたどたばたを何かのついでにYDにメールで送ると「それほど深刻に考えなくても大丈夫です。過去にもカンニングペーパーを観て歌っていた人もいますから」という返事だ。私はこれを聞いて一気にガードを下げた。なーんだ。カンニングペーパーみていいならだいたい覚えておけば大丈夫じゃない。ところが歌詞は仮にカンニングペーパーを観ればいいとしても、曲の構成(つまりどこでどうはいるかだが)はちゃんと頭に入れておくべきであったのだ。このことについては後述する。

話を戻そう。私は12月3日の金曜日、飲み会に出席していた。それが引けてからYDに電話をした。その前日に私は彼に「9時半頃には電話をする」と言っていたのに実際にかけた時間は11時を回っていた。宴会が盛り上がりすぎて文字通り時間を忘れたからである。私としては申し訳ない気持ちが先にたつところだが、YDはちゃんと渋谷のハチ公前にきてくれた。そこで彼からあれこれの物をうけとった。まずはドラマーが参加するセッションバンドのテープ(これは彼が高校の時から聞いているものだそうだが)それに当日のチラシというかポスター。これはWordで作ってあり、大変こったものだ。私はここでようやく当日どのようなバンドが参加するかということを知った。出演順序はうちのバンドが一番である。理由は簡単。「出演時間に希望はありますか?」という主催者の問いに対して、メンバーの意見を集約し「なるべく早く」と私が頼んだからだ。これにはいくつか理由がある。

第一にうちのバンドが演奏をするときは、たいていのばあい、StoneとベースマンSawの子供が見に来る。彼らの事を思えば早い時間がのぞましい。この前にやったときなど会場の後ろ1/4は保育園と化していた。第2に今回のライブでは1バンドあたりセッティングも含めて35分であるが、最初にやれば、すくなくともセットするのはのんびり出来る。そして3番目が一番重要な理由であるが、我々は自分達の腕前に自信がなかったのである。仮に自分達の前に

「あごがはずれるようなすばらしい演奏」

ばかり聞かされたとしたら、果たして我々は快適に演奏できるであろうか?いやそうはならない。「ああ。とんでもないところに出演してしまったあ」という後悔の念とともに大変萎縮した演奏を行ってしまうことであろうし、お客さんも(いればの話だが)昔の運動会で皆から数十秒遅れてゴールする人間に向けるような拍手を送ってくれることであろう。ところが最初にやってしまえば、そんなことは気にする必要はない。仮に他のバンドのレベルを知っている人がいれば「なんやこれは」と思うであろうが、少なくとも我々は「まあそんなに自慢できたものではないが、悪くもないぜ」くらいの気持ちで演奏できるというものだ。その後に顔が青ざめたとしてもそれは演奏の後なのである。

さて、そうして他のバンドをずずっと眺めてみる。我々の次には「かぷりこ」なるバンド名が記載されており、そこのキャッチフレーズは「嗚呼。懐かしの名曲の数々。あまりの懐かしさに涙が」である。これをみた瞬間、「ひょっとしたらこことぶつかるかもしれん」と思った。私たちがやろうとしている曲も、結構古かったりもする。(ちなみにうちのバンドのキャッチフレーズは「節操なしのジャンルが悩みの種。。。」である。私が適当に考えた物だが、メンバーから特に反対意見もでなかったので、このまま通ってしまった)

さて、次に彼はチケットを渡してくれて「あのチケットのシステムわかりましたか?」と言った。私は「正直言ってよくわからん」と言った。ノルマがどうの、キャッシュバックがどうのと書いてあったが、何のことやらさっぱりわからなかったのである。YDが言うには「とにかく一人5000円。でもって事前に渡した3枚以外のチケットを買って入ってくる人がいれば、その半額は取り分になりますよ」ということらしい。私も3枚チケットをもらったが正直いって誰に渡したものやら想像もつかない。

彼とはその場で立ち話をして別れた。翌日いつものパターンで朝一番の新幹線で名古屋に帰ると翌日は練習と友達の結婚式2次会のダブルヘッダーである。

 

さて、練習場所であるSoyBeansに行ってみると、今回はちゃんとドラマーであるMNさんが来ていた。私としては一安心である。一人二役はいやではないどころか、それはそれで結構楽しいのだが、なんといっても腕の未熟さは隠せないし、それで人前にでるなんてことは考えるのもいやだ。皆がそろったところでさっそく私はチケットやらポスターやらをくばり、これまでに得た情報を皆に告げ始めた。

さて、それから2時間は熱のこもった練習である。今までやや散漫にやってきた練習だがさすがに人前でやる、という目標があると熱がはいる。曲を順番に練習していく。ここで先日「補欠」にあがりながら、皆の意見でもって落ちた曲があった。Every Litle Thingの「愛の形」ことShape of Loveである。うちのバンドに紅一点となるハナちゃんがきてから、というもの、女性ボーカルの曲も我々のレパートリーに加わった。そしてこのEvery Little Thing`というのは「最近の日本のポップス」に目覚めたキーボードプレーヤーことTKさんのお気に入りの曲なのである。

実はこの曲に関しては私は全く何もしない。もし人前でやることになればバックで踊っているか、あるいは観客席にいきなりもどって休憩しようかと考えていた。さて久々に練習をやってみると一応ちゃんと終わりまで行く。実はこの曲をEvery Little Thing (私はこの名前が個人を指すのかあるいは団体を指すのかすら知らないのだが)の演奏で聞いたことがないのだが、なかなか明るくてかわいい曲なので好きである。しかしながら演奏が終わった瞬間、キーボードプレーヤーとボーカルを除く全員から「これはやめよう」と意見がでた。私は良かったと思うのだが、彼らにしてみるとどうも難しく、人前でやる自信がないらしい。全く何も関与しない私としては「はあ。左様でございますか」しか言うことはないが、キーボードプレヤーは不満顔である。しかし彼とてこれだけ多数に反対されては自我を押し通すとなどできない。

さて、練習は終わり、皆で歩いているときに「まだ時間があまりすぎる。もう一曲必要だ」という事になった。時間をはかりながら全曲演奏してみてもまだ20分にしかならないのである。確かに時間は長いより短いほうがいいだろうが、それでもこれはちょっとあまりすぎだ。練習の帰り道、自動販売機の前であれこれ話した。TKさんは「ELT」と言ったが、これはあ却下された。そうした間に私が内心怖れていた曲が候補にあがってしまった。エアロスミスのArmageddonの曲、ことI dont't wanna miss a thingである。何故これを私がおそれていたかというと、ボーカルが全面にでるスローな曲で、しかもその歌が難しいからである。逆に何故皆がこれに賛意を示したかと言えば、スローでしかも比較的演奏しやすいからに他ならない。他の曲はみなとても体力を消耗するようなものばかりだ。間にこうした曲でも挾まないと続かない、といったことらしい。

私は一瞬しかめっつらをしたが、こうなれば私が「歌が難しい」などと言える状況ではない。おまけにこの曲をもともとやろう、と言ったのは私なのだ。「ではそうしましょう」と言った。これで私はまた一つ頭痛を抱え込むことになった。

 

さて帰りの車であるが、私とボーカルのハナちゃんはTKさんの車に便乗して名古屋駅に向かう。その中では、TKさんが次の課題曲としてもってきたモーニング娘の「ラブマシーン」が鳴り響く。この曲は私も確かに名曲だと思っている。しかし問題はボーカルの構成にある。うちのバンドのボーカルは平均年齢は35を超えているし、男性2名、女性一名の構成だ。私はモーニング娘がいかなる集団かおぼろげに知っているだけなのだが、若い娘が集まった集団であること位は知っている。彼女たちの曲を我々が歌うことが果たして適当であろうか?しかしこの理屈は「いや、この曲は良いよ」というTKさんの言葉の前にもろくもくずれるのである。

モーニング娘が一通り終わると、「カラオケで歌うことと、バンドで歌うこと」の差異があれこれ語られた。きっかえはハナちゃんの「カラオケだったら100人の前でも歌えるけど、バンドだと緊張する」という発言からだ。うまくは言えないがこの二つは明らかに違うのだと思う。カラオケというのは基本的には歌っている本人自身がHappyであることが唯一最大の目的である。しかしバンドというのは、(本来であれば)歌うことのない観客を前に歌うのであるから、アマチュアであっても観客に何らかの形で楽しんでもらわなくてはならない。であれば、仮に歌に自信がないのであれば、舞台の上で転んででも笑いをとるべきだ。

さて、そうこう言っている間に、今度のステージで着る衣装の話などに話題が移っていく。私は実はこの時点まで心に決めていたステージ衣装があった。会社で人と会うときには着る一着しかないよれよれしたスーツである。何故か?Rocksという漫画でビジネススーツを着て腹がでたバーコードおやじがかっこよくベースを弾くのに感動したからである。Rockが心の叫びであるならばさえないスーツを着ていても気持ちは届くに違いない。

しかしキーボードプレーヤーは別の意見を持っている。彼の説によれば、ボーカルはバンドの顔であるからして目立つ格好をするべきだというのである。彼は以前私に向かって「今度人前で演奏するときは髪を緑と赤にそめろ」と言った。何故赤と緑なんだ?と聞いたら「単に俺が好きだからだ」と言った。

そんな話をしているとハナちゃんが「黒髪を持っている日本人が髪を染めることの無意味さ」について力説しだした。そんなこんなの話題の間に私は「もっと派手な格好をすべきだ」とハナちゃんに向かって力説しだした。何でも彼女は、ナイキの帽子をかぶって、トレーナーを着て歌うというのである。それではとても笑いはとれない。キーボードプレーヤが

「ではボーカルはそろってバニーガールの格好をするのではどうだ」

といった。私は

「股間が心配な事を除けば、私としては異存はないが、たぶん他の二人はいやがるよ」

と言った。ハナちゃんはもちろん反対である。しかしそう話している間に私は自分の考えが動いているのに気がついていた。ほんの少しではあるが、私は自分の言葉に耳を傾けることもあるのだ。ハナちゃんのトレーナーがだめだというのであれば、私のよれっとしたスーツも同罪だ。というわけで、忘年会だかクリスマスには恒例のカンフー着を着ることにしたのである。

 

一旦名古屋駅で帰りの新幹線の指定券をとって友達の2次会の会場にとって返した。この2次会はとても楽しいものだった。私は彼が新入社員とのとき、その上ででかい面をしていた。その彼が今日結婚した。こえがうれしい日でなくてなんであろう。たくさんの友達と和やかにお話をして楽しい時間をすごした。ごきげんで新幹線にのると長い長い家路についたのである。しかしこういう幸せな日-この数はあまり多くないのだが-にはそうした道のりさえも全く苦にならないから不思議だ。

 

さて、翌週は本番前の最後になるはずの練習である。私はほれほれとスタジオに向かった。さーて今日も一発歌ってみるか、、と思ったら誰も来ない。何故だろう。。と思っているとなんと部屋を間違えていたことが判明した。いつもかなり広い部屋を使っているが、今日はさらに広い部屋だったのだ。おまけに正しい部屋に行ってみれば「今日はドラマーが業務で休み」とういことである。私は「うげげげ」と思いながらまたもやマイクをドラムにセッティングである。

なんでも聞けば日曜日だというのに、ドラマーは東京に行っているとのこと。私も何度か担当業務が火を噴いたことがあったが、日曜日に東京出張というのは例がない。私は彼の心情を思った。もともとタフな男ではあるが、体調を崩していないだろうか。来週はなんとか30分だけでも本番にさいてもらえないだろうかと。

さて、そんなこんなもそこそこに練習である。さすがに来週が本番と思うと練習は真剣そのもの。曲の合間合間にしゃべるのは私の役目だから、ちょっとその練習もしてみる。Eric ClaptonのChange the worldという曲を紹介するときに

「最近うちのギタリストはますますClaptonに似てきたと一部で評判でありますが。。」

とやったら、

「恥ずかしいから余計な事を言うな」

とクレームが付いた。実はこの事実はバンドの誰もが認めていることなので、事実を尊重する私としてはいささか「発言の自由」を旗印に争ってみようかとも思ったが、まあここは素直に引き下がることにした。

練習時間は2時間だから、全体を通して4回ほどやればだいたいTime upとなる。最後の一回りをやろう、という時間になって、誰かが入ってきた。ドラマーかな?と思って入り口を観ればなんとYDである。彼は「どうぞそのままお続けください」といって入り口でたっている。彼らのバンドはこの1時間後に練習をするようだ。私は自分がドラマー兼Voをやっているところなど人にはあまり観られたくないのだが、いかしかたない。どんてけどんてけと数曲やった。YDは曲が終わるごとに律儀に拍手をしてくれた。

練習が終わるとYDがきて「ドラマーさんは仕事が非常に悲惨と聞きましたが、大丈夫でしょうかね」と言った。彼らのバンドのギタリストことSG−2はドラマーと同じプロジェクトに従事しているのだ。私は「大丈夫であることを祈るしかないねえ」と言った。

 

さて、当初の予定であれば、次は本番当日、となるはずであったが、なんといってもドラマーと合わせる機会が少なかったのが気になる。18日の土曜日も練習をすることにした。ドラマーにその旨告げてみると「今朝になって、コピーしていた課題曲の間違いに気づいた」という言葉とともに参加の返答があった。

その次の週、私はひたすら風邪の恐怖と戦っていた。いつも人前でやる間際になると感じることだが、風邪であるとか他の疾病を当日にわずらってしまうというのは大変大変おそろしいことである。声がでなくなれば万事はアウトだ。そしてちょうどこの時期世間は一気に寒くなり、そして私は「自分が風邪を引くかもしれない」ときに感じる予兆に悩んでいた。つまりここで少しでも気を緩めると「ぱたっ」といってしまいそうないやな予感である。

しかしこの場合そんなことが許されないのは当然のことである。私は風邪を避けるためにあらゆる方策をとることにした。以前ある人から「風邪にはイ○ジンといううがい薬が効きます」と聞いたのを思い出し、さっそくその薬を買い込んだ。さて、うがいだ、と思ってみれば、私のアパートにはコップなる物が一つも存在しないことに気がつく。しょうがない。コップもかわなくちゃ。

さっそく指示された量を口にふくんでごろごろやってみる。考えてみればちゃんと薬など使ってうがいをしたのは小学生の時以来かもしれない。正確に言えば記憶はぼんやりとしかないのだがこれが人生始めてのうがいでもないようだ。しかし前にいつやったかは思い出せない。

さて、その週なんどか「これはいってしまったか」と思ったことがあったがなんとか体調は維持できたようだ。土曜日は直前の練習である。午後7時からだが、行ってみるとひさびさのMNさんの勇姿を拝むことができ、頼もしい限りだ。演奏を初めてみると「ああ。ドラマーが違うとかくも演奏は変わる物か」というくらいの変わり様である。かくして快調に練習は進んでいくが、ハナちゃんののどの調子が少し悪いようだ。しかし彼女は厚くあれこれ着込んでかつマスクまでしているからこれ以上できることは何もない。あとは彼女にとりついているとこの風邪の神様に祈りをささげることくらいしかできない。

通しでやってみる。時間はどう考えても25分もかかっていない。となればキーボードプレーヤーは一言言わずにいられない。「もう一曲できる。ELTやろう」と。しかし私はこういうしかない「私はあなたの意見について或程度同意を覚える立場にあるが、他の人間がこぞって反対している以上その要望は聞き入れがたい」と。

9時に練習は終わり、散会となった。皆で「では明日はがんばりましょう」といいつつ三々五々家路についた。

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注釈

Rocks:(参考文献一覧)Rockを描いた漫画で私が一番心をゆさぶられたもの。本文に戻る