日付:2002/2/4
嘘をつかなくてはならなくなった。しかしいざ正面切って「嘘をつけ」と言われると悩んでしまう。そもそも嘘とは何か。嘘というからには本当があるはずだ。では私が書いていることは本当なのか。そう断言できるのか。こんなことを考え出すと某雑文の一節が頭に浮かぶ。「そもそもたとえ本当のことであっても、それを文章という形で定着させた時点ですでに虚構となっているはずで、だから、いやいやいや、止そう。こういった話はどうも青臭くなってしまうので恥ずかしいし、面倒臭い。」そう。確かに面倒だ。普段ならこうした論議は避けて通るところだが今回はそうはいかない。とにかく嘘とは何だ。事実でなければ、虚構であれば嘘か。じゃあ小説はみんな嘘か。フィクションとは嘘のことなのか。どうにも違う気がするが、では何が違うのだ。
などと煮詰まった時には定義に立ち返ろう。手元の辞書をひもといてみる。
うそ 【嘘】(1)相手をだますために言う、事実ではないこと。「—をつく」「-と坊主の頭はいったことがない」「-八百」 [類]偽り・空言・ほら ←→まこと・本当
(2)正しくないこと。「-字を書く」[類]間違い
(3)適切ではないこと。あってはんらないこと。「ここでがんばらなくては-だ」
角川必携国語辞典より
一読してふむ、と思う。今回の縛りは「嘘をつく」」だから、(1)の意味になる。この定義によれば嘘とは事実でないだけでは十分ではないらしい。相手をだますことが必要なのだ。となるとこんなのはだめらしい。
「私の足の指の爪はとても美しい」これはたぶん事実とは異なるのだが、そんなこと誰が気にすると言うのだ。ただ黙って立ち去られるだけ。だますことすら思いも寄らない。それどころか書いた自分ですらあほらしくなってくる。
では、とあれこれ考えるのだがどうもよいものが思いつかない。
「実は僕は大金持ちです」「女の子にモテモテで、バレンタインデーには山のようなチョコが。それを食べて太ってしまうのが悩みです」
書いていて目に涙がたまってくる。いっそ死んだ方がいいような気もしてくる。だめだだめだ。これらは「嘘」というより「妄想」の類だ。
等と考えてくるとどうにも難しい。私にとって嘘をつくのはとても無理なことのように思えてくる。いや、そんなことはない。私はいつも嘘をついているではないか。すいません。あの仕事を今日までにやると言ったのは嘘でした。すいません。すぐやります。これもやっぱり嘘ですけど。ほら大丈夫。私にもちゃんと嘘が。
と自信を取り戻したところで話を戻そう。思うに自分の頭の中だけで考えているからいけないのではなかろうか。「だます」ということは相手あっての話。相手が興味を持ち思わず引き込まれたところでぱっと足を払う。柔道の心得だ。では人が興味を持つものとはなにか、と考えているうちにいいものを思いついた。
人は何かに興味を持ちインターネット上で調べようと思う時検索エンジンにキーワードを打ち込む。その結果当サイトのページにヒットすることもあるのだが、私はそうしたキーワードをしょこしょこ記録している。そこから話を始めればきっと人の興味を引くに違いない。
「独身男性+もてない」うるさい。ほおっておいてくれ。「私の愛+++レポート作成」書けば
「もてる女になりたい」性別を越えた共通の何かを感じるのです。
「ひねくれ者 改善」実体験から言うとまず無理なのですが。
などとつらつらと見ているとどうにも気が滅入ってくる。そのうち
「重巡洋艦&タンパク質」などというつっこみどころ満載のキーワードも見つかる。帝国海軍重巡洋艦「蛋白」。出航してから3日で傷みだします。冷暗所に保管しておいてね。艦長。まぐろの大群に遭遇。艦底がもちません。あっそーれ。つんつん。などと馬鹿な会話を想像している暇があれば先にすすまねば。締め切りは近づいているのだ。他には、、と見続けると
「おやじ 合コン」うるさい。文句があるか。「定食うそつきや」をを。これは。
看板を見て少し不安を覚えるが、どうやらこの街にはあまり定食屋はないらしい。他にめぼしいところもないし、お腹も減った。この際店の名前などどうでもよい。ええい、と思いはいることにする。
中に入るとなんということない定食屋である。トンカツ定食。肉野菜炒め等々普通のメニューがならんでいる。注文を取りに来たのでからあげ定食を頼んだ。相手は簡単に言葉を返す。そっけないわけではなく、愛想がありすぎるわけではなく。やれ、これで今日も晩飯にありつけた。
一息つき、暇になったので店の中をもう一度見回す。「うそつきや」変わった名前と思うが、、何か変わった点があるのだろうか。いやあるはずだ。でなければ「うそつきや」などと名乗るはずがない。そう考えると何もかもが疑わしいようであり、何もかもが普通なようでもある。だいたい「普通の定食屋」ってなんだ。ガラスのケースに入った人形が飾られている。定食屋に人形。それがどうした。前にも見たことがあるではないか。いや、、どうなのだろう。
机に視線を戻す。先ほどおかれたコップ。この中身は本当に水なのだろうか。無色透明で無臭。しかし角砂糖を入れても溶けないなどということはあるまいな。口を付け顔をしかめた瞬間、どこからともなくほくそえむ声が聞こえる。そんなことはないのだろうか。
落ち着かない気分になっていると「お待たせいたしました」という言葉とともにからあげ定食が運ばれてくる。ちょっと衣が厚すぎる気がする。いつもなら軽いため息をつくところだが...ちょっと考えた後思い切って聞いてみる。
「あの、この”うそつきや”って。。」
相手は黙って歩き去る。声が小さかったか。考えてみれば今日は朝から一言も口をきいていない。一人旅だとよくあることなのだが声がかすれていたか。店の中はまた私一人になる。前にはからあげ定食が。ええい、もう注文してしまったものだ。仮にこれが全部小麦粉できていたとしてもとにかく何か食べなくては。しょうゆをかけ思い切って一個かじる。
普通の唐揚げだ。考えてみれば唐揚げ、というだけで中身が鶏である、というのは無言のうちに仮定されていることだなあ。言葉だけ見れば中が岩塩であっても文句は言えないのだが。
少し安心してぱくぱく食べる。そのうちのどが乾く。コップを見る。中に透明な液体が満たされたコップだ。さっきの角砂糖の妄想のおかげでどうにも甘い気がしてくる。落とし穴はここに掘ってあるのかもしれない。口をつけ吹き出した瞬間。店の奥から
「ふふふふふ」
という声が。いや、これも私の妄想だ。しかしそう言い切るにはあの看板が気になる。ええい、こういう時に私の長所、何も考えずに行動、というのを生かすべきだ。
ごくりと一口飲む。一瞬顔をしかめた後しばし考える。これは普通の味なのだろうか。甘いということはない。辛いわけでも酸っぱいわけでもない。しかし普通の水ってどんな味だったっけ。考え出すと妙に頼りない。しかし吹き出すほどの味でないことも確か。またからあげをつつき出す。
ほどなく食事は終わる。ここまでなにもおかしいところはない。ということはここから外にでるまでの間に何か嘘があるのか。もう一度店の中を見回してみる。人形がいつの間にかアフロヘアになっているなんてこともない。では何が待っているというのだ。お願いだ。どうかわかりやすく無害な嘘であってくれ。そうつぶやきながら一生懸命見回すがやはり何もない。しょうがない。さっさとお金を払ってでよう。
「640円です」と言われ、差し出した千円札のつりを受け取る。その硬貨をぶつけ、音を確認したい衝動にかられる。まさかこれが木の葉などということは、、落ち着け。あれは童話の中の話だ。ありがとうございましたー。またお越しくださーいと言われる。またおこしたって、おれは旅行者だからまたくることなんてないんだよ、と思い顔を上げると相手は笑顔だ。笑顔。その表情が妙に気になる。商売スマイルとも、あるいは「勝利のほほえみ」ともとれるその笑顔が。勝利とはなんだ。この店は何に勝ったというんだ。
おもわず店主に近寄り「なんだ、この”うそつきや”というのは。何が嘘なんだ」と問いつめたい衝動に駆られる。しかし私はその時その時を無難に過ごすことだけを願って生きている小心者。そんな大胆な行動がとれるわけもない。黙って店の戸をくぐる。
道にでて振り返り、もう一度看板を見る。実は「定食うまつきや」の見間違いでしたーなどという落ちはないか。「うまつき」とは何だ、とは疑問に思うところだが今の私にとってそんなのは些細なこと。とにかく「うそつき」という文字さえその言葉さえ消えてくれればいいのだ。しかし看板はどう見ても
「定食うそつきや」
ため息をつく。今頃店の中では
「あんなにわかりやすい嘘なのに、、気がつかないなんて」
とでも話しているのか。あるいは
「あんなんじゃねえ。。嘘つくほどのこともないか。。」
とでも言っているのか。ええい、私はそんなに、そんなに、とその時いきなり店の扉が開き
「そうだよ。うそなんだよ。全部うそなんだよ」
と店の人が叫び出す。そんなことがあれば私はどんなに救われたことだろう。
視線を道に落とすと一人道を歩きだす。もう遅い。だけど又電車に乗り今夜はもう少し先の街で泊まることにしよう。
などと書いているといつのまにかため息をつきたくなってくる。ということは少なくとも自分はだませたということか。
注釈赤ずきんちゃん☆ブレイクダウン10000ヒット記念、ウソツキ雑文企画参加作品である。
・キーワード縛りは飽きました
・書き出し、結びの縛りも飽きました
・過去に一度やった縛りはなし
というサイトの主人の意向に従い、この雑文企画の縛りはただ一つ
・嘘をつく
これだけである。ああ、なんと挑戦的な。なんと難しい。縛りの言葉を12いれてもらえたほうがはるかに楽だ。これを書いているのは作品がしあがる前なのだが、正直まとまった文章がかけるかどうか未だに不安なのだ。
とかなんとかいいつつとにかく書いてみた。一つ気がついたことがある。私が虚構の文章を書くとその主人公はいつも憂鬱になる。憂鬱は実生活だけで十分なのに。あるいは私はぶつぶつ言うことを好む人間なのかもしれない。
さて、「無事」文章を書き上げ参加も果たした私は別の考えにとりつかれだした。それが何かは以下次号