題名:胃カメラの歌

五郎の 入り口に戻る

日付:2006/8/13


告知編

2006年の7月30日。私は家で子守をしていた。近所にあるプレールームと呼ばれる公共施設に子供をつれていきしばし遊ばせる。 子供ができ ると税金のありがたみがわかる。こんな施設がタダで使えるとは、、税金って素敵だなあ。というか払った税金を少しでも取り返そうと思えば、子供がいたほう がい いようなきがする。

などと感慨にふけることしばらく。子供の気がすんだところで家に帰る。布団の上でおすもうをとったりあれこれしているうちにいやな ことに気が付く。下腹部が痛いのだ。

ここ数ヶ月、突発的に発生する腹痛に悩まされていた。下痢だとかガスがたまるだとかなら話はわかるのだが、そうでもなさそうだ。た だ 痛い。それが数時間続く。またあの腹痛か。しょうがないなあ、と思いながら子供達にご飯を食べさせ、自分でもご飯を食べる。そのうちだんだん腹痛がひどく なってきた。立つのもつらいのでソファに横たわる。

とにかく腹が痛い。これはいかなることか。ああ、早く奥様が戻らないかと一日千秋の思いで帰りを待ちわびる。しかしアインシュタイ ンが 喝破した通り、こういう時には時計の針が進まない。ああ、まだ2時。絶望的な気分にひたりながらうんうんうなる。そのうち待ちに待った声がした。かくかく しかじか。私は腹が痛いので寝ます。ではよろしく、と言い放ち自分の部屋で眠りこける。

どうも下腹部が痛んでいるようだ。子供の頃心臓は左、盲腸は右と習った。その知識が正しければこれは盲腸ではないだろう。だって左 がいたいのだから。体の 左を下にして眠ると楽なようだなあ、などと考えながらとにかく痛い。困ったときには正露丸と思うのだが、あいにく正露丸はきれている。家の薬箱を 漁ってみるが腸の痛みに効きそうなものはなにもない。鎮痛剤があるのだが、これは対症療法の最たるものだから最後の手段にとっておこう。

間もなく晩ご飯ができたと呼ばれるが、観ても全く食欲が湧かない。その日はお茶だけ飲んで寝ることにする。12時頃一旦目が覚める と腹痛はほぼ治まっている。やれやれ、これで明日は大丈夫だろう。

というわけで翌朝目覚める。腹痛は、、収まっているな。よしよし、と立ち上がる。冷蔵庫の中にはあれこれ入っているが思ったほど食 欲がなくヨーグルトを一個 食べる。なんだか調子がよくない。少し早めに家を出る(後から考えればこれは正解だった)いつもの通勤路を歩き出すのだが、なんだか様子が違う。意図して だかそうでないか定かではないが、とにかく抜き足差し足忍び足、でしか歩けない。こんな調子で間に合うだろうか、と思っていたら私がバス亭につくのと バスが到着するのが同時だった。いつもなら数分は余裕があるのに。

電車に乗っている間も無念無想である。というか文字を読む気もしないし音楽を聴く気もしない。会社の近くのコンビニで朝ご飯と昼ご 飯を購入する。棚に並ん でいる物をみても食欲が出てこない。それどころか一旦消えたはずの腹痛がまた復活している気配だ。しかし何が食べないと仕事はできない、と菓子パンを二つ 買 う。私は大の甘党だし、これならはいるだろう。あとは流動食ということでゼリー状の飲み物というか食べ物を買う。いつもこの種の食品を選ぶときは

「最低でもローカロリー。多くはノーカロリー」

を選ぶのだが、今日に限ってはカロリーが詰まっているほうがこのましい。

会社につくとメールとかあれこれさばきながらパンとゼリーを食べる。飲み物も買ってきたのだが、どうにも飲む気が しない。一気に食べ終え ると何か胃のあたりが痛い。普通机に向かって仕事をするときは前屈みになるがどうしてもその姿勢がとれない。ふんぞりかえっていないとうめき声が出るほど 痛い。しょうがないからふんぞり返ってみるが、この体勢だとPCが使えない。しょうがないからため込んでおいた本を読んでみる。しかし基本的に胃が痛いの で文字もあまり頭にはいってこない。

そんなことをしながらこの腹痛の原因について思いを巡らす。そのうちあることに思い当たった。これは内臓の不調ではなく、腹筋の肉 離れかなにかではない か、という仮説だ。何故そんなことを考えたが今となってはわからないが、とにかくその仮定にしがみつく。そういえば昨日子供を持ち上げたあたりから腹 が痛くなった。ということはきっとあのとき腹筋を傷めたのだ。その痛みが広がりこの状態に至ったと。冷静に考えれば今痛いのは胃であって、昨日痛かった下 腹部から痛点が移動しているのだが、痛みにあえぐ私の頭にそんな考えは浮かばない。となれば昔腰痛になった時劇的な効果をもたらした湿布の類を腹 にはれば状況は改善されるのではなかろうか。

実は会社のすぐ前に薬局がある。あそこに行きあれこれ買い込めばいいかもしれん。しかし今となってはあそこまで歩いていけるかどう かも怪しい状況だ。しょ うがない。誰かに買ってきてもらうか。そんなことを考えながら薬局が開店するのを、誰かがくるのをひたすら待つ。あまり生産的とは言えない時間の使い方だ がいたしかたない。

そのうちなんとなーくトイレに行った方が良いような気がしてきた。トイレに駆け込むと、げろげろ吐く。朝食べたクリームパンが全部 無駄になってしまった。その事自体は悲 しむべきことだが、良い面もある。少し気分がよくなったのだ。相変わらずそっくりかえった姿勢で本を読んでいるだけなのだが、これなら薬局に買い物にいけ るかもしれない。

しばらくすると薬局が開店した。やれうれしや、というこで買いに行く。湿布と正露丸(これも切れていたのだ)を買う人間というのは 珍しいかもしれないが、 この際効く可能性があるものはなんでも買わなくてはならない。こういう時に限って私の前に大量に買い込むお姉さんがいたりするのだが、彼女には彼女に事情 があるのだろう。ただ無念無想の姿勢で乗 り切 らなくてはならない。

会社に戻るとトイレに駆け込む。買ったばかりの湿布薬を腹にはる。考えてみたら腹というのは一番脂肪が厚い場所だから、効くのだろ うか。まあいいや。

というわけで席に戻る。どうもこの調子では今日は仕事にならない。同じグループの人間が来たら、明日私が出社できない場合にあれこ れして欲しいことだけ告 げて帰ってしまおう。今の会社は裁量労働制でコアタイムというものがないフレックスだからこういう事ができる。もちろん仕事は遅れるが今は胃痛のほうが深 刻な問題である。

何度目か分からないがトイレに行く。扉を閉めるが、ズボンは下ろさない。服を着たまま便器に座る。こうするとなんだか突発的に 吐きたくなっても大丈夫という安心感がある、というか気分転換になる。しばらくして部屋に帰ると同じグループの人間がいる。まってましたとばかり

「私が明日来なかったら、これとこれをよろしく」

と伝え

「あとはよろしく」

と呪いの言葉を投げつけると会社を後にする。湿布が効いたのかもどしたのがよかったのかあるいは単に時間の経過が救ってくれたかよ ろよろではあるがなんとか歩いて帰ることができそうである。

幸いにして電車は空いている(こんな時間に帰る人間はいないからあたりまえだ)どのような座り方をすれば一番楽であろうかなどと考 えているうちに寝てし まった。眠れるくらいだから結構楽なのでは、というとそうではないからややこしい。ただやたら眠いのも確かである。何度目かに目が覚めたとき降りるべき 駅に停車していることを知り、あわくって駆け下りる。

バスでも幸いに座ることができた。いつも年輩の人が前に立つと「はたして譲るべきだろうか。あるいは逆に相手の不興を買わないだろ うか」と迷うのだが、今 日ばかりは迷いようがない。誰が私の前に立とうと立ち上がることなどできそうにない。最寄りのバス停で降りると近くのドラッグストアに駆け込み、ゼリー状 の食べ物 を買い込む。今自信をもって栄養を摂取できるのはこれだけだ。

家に帰ると誰もない。布団にごろっと転がる。そのうち家族が帰ってきた。かくかくしかじかと話すと病院に行け、と言われる。家に 帰ってから調子にのって麦 茶を飲んだり、ゼリーを飲んだりしたのだが、それが胃に応えているようだ。また姿勢が前屈みになっている。いけるかどうかわからないなあ、と答える。最寄 りの内科のサイトを調べ れば午前の部の診療が終わったところで午後は3時からとか。それまで寝ていればあるいは歩けるまで回復するかも知れない。子供が

「お薬飲んだほうがいいかもしれないよ」

と執拗に正露丸を飲むことを勧める。医者に行くことを決意した今となっては勝手に薬など飲まないほうがいいかもしれない、と思い 「お医者さんにいくからね」と言うがなかなか聞いてくれない。正露丸の瓶をもってきてこれを飲めという。

しばらくして子供が来なくなったな、と思いふと気が付けば「3時だけど病院に行く?」と起こされる。どうやら寝ていたようだ。そろ そろと立ち上がって着替えたり、財布を持ったりいろいろする。子供に見つかる前に家をでた。幸いにして外はあまり暑くない。よたよたと歩き続ける。予想と し ては

「胃腸風邪ですね」

と言われ薬をもらって帰る、といったところか。それでも

「あの時医者に診せていれば。よよよよ」

と後でなるよりましである。受付に着くと「初診です」といって保険証を出す。看護師さんは

「診察券は?ああ、初診でしたね」

とい う。ここは大丈夫かと少し不安になる。

それから3枚くらいあれこれ記入する。最近は個人情報保護に関する同意書のようなものまでサインする必要があるらしい。それ自体は なんともないことだが、よれよれしている身には何度も自分の名前を書くのがつらくなってくる。

待つことしばらく。呼ばれた部屋に行くと看護師さんがいる。症状をあれこれ述べ立てる。熱をはかり血圧をはかる。この血圧測定とい うのは私にとって鬼門なのだが、この日も

「自分がミイラになった妄想」

でもって切り抜けた。寝起きということもあっただろうが、最高血圧は100だった。これならばいかなる基準においても高血圧と言わ れることはあるまい。

いったん待合室に戻ると、今度は先生に呼ばれる。あれこれ話すと、先生がその場で患者にも見えるようにセットされたPCのディスプ レイに向かいあれこれ書き込んで行く。昨日は下 腹部がいたかったんですけど、今日は胃がひっくりかえりそうです、と訴える。口をあけて中を覗き、聴診器で心音を取る。ベッドの上に寝かされ下腹部の左 右、及び胃の辺りを押さえられる。胃の辺りだけが少し痛い。しかしながら明確な診断がついたようにも思えない。

途中で「採血して調べましょう」と言われる。採血というと針がでてくるわけだな。一瞬我慢すればいいけど、楽しい経験ではない。は あ、とか言っているうち

「今は胃が痛いわけですか。。ではまず超音波で検査し、そ のあと胃カメラで検査しましょう。それだけやれば異常がないかはっきりするでしょう」

といわれる。胃カメラ?

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注釈