日付:2001/3/3
焼肉ファイト彼は数羽の水鳥が浮かぶ川面をじっと見つめている。その水鳥たちに向かって川岸に立っている女性が石を投る。彼は思う。注意してみようか。それとも少なくとも眉ぐらいは顰むべきだろうか。そんなことを考えながら彼はただ川面を見つめる。何の罪があるのか知れない魚に石を投げる歌があるなら水鳥に石を投げてもいいではないか。
視線をその女性のほうに移す。彼女の髪は実につややかだ。その輝きにしばらく注視した後、少し視野を広げれば彼女はなかなかの美人であることに気がつく。しかし石を投げ続けるその姿がどことなくおぞましい雰囲気をただよわせているのはなぜだろう。どこか狂気を感じるのはなぜだろう。しかしそれが彼女から発散されているのか、あるいは彼の中にあるものが彼女に投影されているだけなのか考えはじめるとわからなくなってくる。
そんな時間をしばらくすごしたあと彼はその場を離れる。不承不承とだ。行くしかない。あまりにも馬鹿げてる。もっと別な方法があるはずじゃないかと思い、いったんはさぼることに決めたのだが、足はここで止まったままだ。別の方法?それが思いつけば、誰もこんな事をしようとはしない。こうして一人宙ぶらりんの時間をすごすよりは、それと直面する方がましかもしれない。
一歩一歩歩を進める。近づくにつれて周囲の空気が硬くなってくるようだ。もちろんそれが錯覚にすぎない、と知っているのに実際身が縮むような気がするのはなぜだろう。頭の中で何かががらがらと音を立てて崩れていく、と考えようとする。しかし浮かぶのは文字だけ。
つまるところただ彼は歩道をあるいているだけなのだ。固くなる空気も崩壊する音も前に待ちかまえているものから目を逸らそうとする試みにすぎない。そうした自分の考えをさもしいものだ、ときめつける。しかしこれも何の役にも立たない。彼は知っているのだ。自己卑下、崩壊の妄想、これらは彼が許容できる安全でぬるい逃げ道でしかないことを。そしてそんなものは何の役に立たないということを。
扉の前でしばらく立ちすくむ。かかえた鞄の中には超合金の何かが入っている。超合金。それは鉛だ。超誕生日、それは今日だ。超ベリバ。それは俺だ。超ねるじぇら、それは何だ。
彼は意を決して扉を開ける。中には男の姿が。そしてその前には焼き肉が音をたててやけている。その上にはほとんど原型をとどめぬチョコレートが
私には君が何をしてきたわかる。まあすわりなさい。そのプレゼントはありがたくうけとっておくよ。さあ。肉に火が通ったようだ。チョコレートの甘い香りが食欲をそそるだろう。どんどんやりなさい。狭い部屋の中その男は彼に向かって話しかける。鏡に映った自分の像に。
これが「彼にとって実行できる最大限の狂気」だった。何一つ不自由ない生活を送っていた彼がその感情に気がついたのはいつだったか。それは「何も不安がないことへの不安」であった。おそらく一定量の不安は彼の生涯に必要不可欠なものだったのだろう。受験、就職、結婚などその不安が形となって見えている間はよかった。しかしそれらが過去のこととなり、おとぎ話であれば「いつまでも幸せに暮らしました」と言われる生活を手に入れた今、彼の不安は出口を求めてうずいていたのだ。
次第に何でもないことが気にさわり出す。何故前に座っている男のシャツは汚れているのか。何故隣の犬は吠えないのか。そうした他人にとってみればなんでもない不安は増殖する一方であり、彼はそれとつきあうのにほとほと疲れていた。他人に相談することもできはしない。そんなことをすれば頭がおかしいと思われるだけ。疲れ切った頭で思いついたのがこの方法だった。不安を、それを生み出す狂気を一カ所に集めるのだ。自分がなしうるもっともおかしな事を実行するのだ。かといって殺人だの爆破だのは彼の道徳と言う名の神経が許さない。それにそれはあまりにもありふれている。そんなことが狂気である物か。
左手に超合金の何かをもち、右手でチョコレート味の焼き肉と格闘しながら彼は奇妙な満足感を感じている。おれは何を馬鹿な事をやってるんだ。いい年をしてこんなきちがいじみた事をしていていいのか。物心ついてからずっとつきあってきた不安、狂気と彼は今いっしょにいる。そしてここにいる限り彼はそれと平和のうちにすごすことができる。
最後の肉を食べ終わる。どうやら至福の時間も終わりに近づいたようだ。もうお開きだ。ではまた来年の誕生日に。
本作品は「赤ずきんちゃんオーバードライブ」の10000ヒット記念に開催された「ここだけ雑文祭」参加作品である。そのユニークなサイトのキャラクターを反映してか、多数かつ多岐に渡る縛りが設定されていた。タイトル・・・焼肉ファイト
書き出し・・・彼は数羽の水鳥が浮かぶ川面をじっと見つめている。
名詞・・・ねるじぇら、チョコレート、超合金
形容詞・・・さもしい、おぞましい
形容動詞・・・つややか
副詞・・・からがら、不承不承
動詞・・・顰む、さぼる
何故この縛りでこんな文章を書いてしまうのか自分でもよくわからない。あまりの出来の悪さにお蔵入りにしようかとも思ったが、「恥をさらすのも勉強のうち」と思い、公開することにした。
ところで「ねるじぇら」って何ですか。
注釈