日付:1998/10/31
「黒鍵白鍵」という久々の合コンシリーズの長編をようやくまとめることができた。なんだか竜頭蛇尾のような話しになってしまったが、実際の合コンシリーズがそういう結果に終わったからまあしょうがないか。最近アクセス数の向上を狙い、あちこちの検索エンジンとかアクセス数ランキングに登録している。当サイトを訪問してくれる人の「リンク元」を見てみると、確かに若干の効果はあるようだ。ReadMe japanという「読み物主体のサイトランキング」に登録した。まあ1500登録があるとすればいつも1200位あたりをうろちょろしている。このランキングの「新着サイト」をリストして、批評をつけてくれた人がいる。そこを読んでみるとこの大坪家の書庫は「更新状況その他から定期的にチェックする必要なし」という評がつき、5段階評価で下から2番目の2点だった。最初はちょっとがっかりしたが、考えてみれば誰かに評をつけてもらうだけでもありがたいことだ。
そのうち暇だったらデータを取ってみようと思うのだが、相変わらずヒット数が多いのは合コンシリーズのドキュメンタリーである。多くの人はNiftyserveの「ジャンル別検索」で「結婚・恋愛」というところを見る。すると60くらい登録されているページのうち、私のページが結構ある。そこでとりあえずアクセスしてみる。大半の人はここで帰ってしまう。他の人は別の合コンシリーズを読んでみる。ほとんどの人はここでおしまい。しかし中にはあちこちをずいぶん丁寧に読んでくれる人もいる。ありがたやありがたや。重遠の部も合わせて読んでくれた人の感想に「同じ様な人が違う時代に産まれたような感じ」というのがあった。確かに自分で読んでみても何故教わったわけでもないのにこんなに文体がにているのだろう、と思う。
自分の文章を読み返していて思ったことだが、第3者に楽しく読んでもらおうと思ったら自分が実生活で言い返せなかった事を文章にぶつけたり、かっこつけたり、言い訳をしたりしてはいけない。客観的に読むと全くそういうところはおもしろくない。自分を笑い飛ばせるくらいの余裕が必要である、と妙な悟りを得ることになった。思うにこれは他人と会話をしているときにも当てはまる話ではなかろうか。
さてこのホームページを作り始めてからというもの、私はボウフラのような生活を送っていたがとうとうまっとうな生活を送る時がやってきた。今のまま何もなければ10月1日から働くことになる。
あちこちの面接で「退職してから何をしていたんですか」と聞かれ、「いやー、真面目に就職活動をしていたんですけどねー」と答えてはいたものの、実はひたすらこのホームページに堆積している駄文を書いていたような気がする。(夏の間は部屋にこもる熱気とひたすら戦っていた気もするが)
今回思いもよらずボウフラ生活を送って、この生活が実に私の性に合っていることを発見した。世の中には仕事中毒とかいう人がいて、仕事を止めた途端に体の調子まで悪くなるらしいが、私の体調はこの10ヶ月あまり実に快調だった。別に何をするわけではないのだが、本を読み散らし、駄文を書き散らし、大変楽しかった。そしてホームページを丹念に読んでくれる人がいるのが何よりも嬉しかった。
このおかげで「さっさと小金をためて、隠居する」計画にますます意欲を燃やすことになった。60過ぎまでなんとか金と健康をためておきたいものである。
さてこの後米国に旅行に行き(次の更新はおそらく25日頃になる)、数日後には働き始める。文章の作成ペースはがたっと落ちるだろうが(あるいはストレスから逆に上がるかも知れない)てれてれと書き続けていきたい。長く続けられる事というのはそうたくさん見つける必要はないのである。
しかし、、、肝心の会社から内定通知が来ない。もう「お願いします」と言ってからかれこれ一月以上になるのに。。。こんな様子で本当に10月から働けるのだろうか。。
米国に行ってまず去年逃げ出してきたデトロイトに行った。銀行口座を閉じて、そして昔の仕事仲間とご飯をたべた。
それからラスベガスに飛んで、、ネバダ州の中をひたすら走っている。ネバダには本当に都市が少ない。Las VegasとReno以外には小さい都市さえ多くはない。ガソリンスタンドを見つけたらもれなく給油をしないと行き倒れになる可能性がある。冗談ではなく立ち往生したらいったい発見してもらえるまで何時間かかるか見当も付かない。
かの有名なエリア51が近くあるハイウェイはExtra Terrestorial Highwayなる名前がついている。ここは信じられないほど車が少ない。エリア51に一番近い町には一応名前がついているが人口は98人だ。そこから車で数十分どちらの方向に走っても砂漠と牛の他には何もない。
その人口98人の町にエリア51の研究センターと称するあやしげなトレーラーハウスとレストランがある。ここらへんでUFOがよく目撃されるそうだが、もともとこんな砂漠のど真ん中にすんでいる人間-彼ら以外にはこんなところで空を見上げる分けがないような気がする-というのはちょっと変わり者かも知れない。
空軍の仕事と言いながら、こんな町よりももっと砂漠の真ん中にある基地に閉じこめられて働いている人達は全くご苦労様だ。こういった秘密基地が作れるのも、国内で核実験ができる米国ならだが。
仮にエリア51に宇宙人が飼われているとすれば、確かにあまりの暇さに、近くにいる人間以外の唯一の動物(数は人間より多いと思う)-牛にいたずらしてみようという気にもなるかも知れない。それが見つかればキャトルミューティレーションとなるわけだが、もっと合理的な説明は「こんなところで牛が死んだところで、人がみつけるまでには時間がかかる。だから柔らかいところがカラスに食われて、穴が空く。そして人が見つけて喜ぶ」という奴なのだろう。実際カラスはたくさんいる。カラスだの鳥だのHighWayの上で遊んでいて、車が行くと泡食って道をあける。牛はしばらくこっちを見た後におもむろに動き出す。蛇まで寝ていて一匹ふんずけたような気がする。
今日泊まっているのはEurekaという町だ。元は銀が掘り出された町で最盛期には10000人ばかり人がいたらしいが、今は800人だ。Eureka郷土歴史館みたいなところのおばさんに「この町の産業は?」と聞いたらなんだかんだ言ってよくわからなかった。Nevadには350もGohst Townがあるとのこと。実際小さく古い町は人がいてもゴーストタウンとなりかかっている。店は古く、いるのは老人と子供ばかりだ。
そんな町にもChineseレストランがある。可愛い女の子がウェイトレスをしていた。あまり可愛いので顔をじろじろと見ていたら、「中国人?」と聞かれた。日本人だと、というと「あらそうなの。なんだか感じが中国人みたいだから」と言われた。そういえばうちの母も昔留学時代に米国に来て、帰った後に「五郎はプーっと太って、髪の毛をちょんちょこりんに切って中国人みたいだった」と感想を述べていたそうだ。考えてみれば日曜日は香港人と元台湾人の結婚式に出席だから、中国ティストはちょうどいいかもしれない。
さて今日は18日。The lonliest highway in U.S.という異名をとるHighWay50を東から西まで走った。正直言ってこの歌い文句は誇張だと思う。結構車がいたし、前の車にいらつくこともあった。昨日のExtraterrestrial HighwayのほうがよっぽどLonlyだった。
ただし途中に何もないことは確かにその通りだ。昨日泊まった町の「郷土歴史館」にあった地図に寄ればNevadaにゴーストタウンは350もあるのだそうだ。この道沿いにも町がたくさんあったようだが、みんな無くなってしまった。金がでた、銀がでた。町ができた。金がでなくなった。銀がでなくなった。みんないなくなった。
途中に二つ町があった。何故つぶれなかったか分からないような小さな町である。両方とも建物はきれいではない。しかし別に治安が悪いわけではない。今まで米国で汚い町は治安が悪いと考えていたけど、そうもいかないようだ。何事も知れば知るほど一般化は難しくなる。
Virginia Cityという本来ゴーストタウンだが、観光地として生まれ変わった町にも行った。ここで何が印象深かったと言って
1)西部劇にでてくるような木を敷き詰めた店の外の廊下(よくカウボーイが殴り合いやって、誰かが叩き出されるような場所である)がある。
2)アジア人に一人も会わなかった。
3)バイカー(バイクにのった人々)がうじゃうじゃいた。連中は日本のバイク乗りと異なりどこか独自のグループを形成している。みんな中年以上で、男性の場合は毛髪はオプションだが、髭は必要不可欠。とにかく皮系統の黒い物を着て、後ろには女性を乗せる必要がある。女性はスレンダーだと良いが、年は不問。乗るバイクは全てハーレー。
今まで「ゴキブリと日本人の女の子は世界中どこに行っても、いつ行っても必ずいる」という信条を持っていたが、考えてみれば寒いところにはゴキブリはいないし、今日行ったVirginia Cityには日本人の女の子はいなかった。かくの通り普遍性のある法則をうち立てるのは難しい。
そこから、すばらしい藍色のLake Tahoを走り抜けて、カリフォルニア州に入った。疲れたので山の中のモーテルにとまることにした。ホテルの受付は韓国人だし、夜に食べにいった中華料理屋のウェイトレスは香港人だ。やっぱりアジアに帰ってくるととても気が楽だ。
さて今日は19日。昨日泊まった山の中からひたすら走って、なつかしのStanfordに戻ってきた。去年も来たのだが、今日こうやってストレスが無い身になってこの風景を見てみると、こんなに美しい場所だったかと思う。空は抜けるように青く、学校はとてもきれいだ。ここに2年もすんでいたのにこの美しさに全く気が付かなかった。もっとも会社をやめてボウフラになって初めて気が付いた事というのはこれだけではないが。
とは言ってもこれは今日の私が「観光客」であるから言えるせりふだ。ここにすんでいるとなれば話は全然違う。「そこを観光で訪れるのとそこに住むのでは全然話が違う」というのは前から私の信条だったし今でもそうだ。
Stanfordの隣に小さなモーテルがある。小さいがとても高い。いままで何度か泊まろうとしたがいつも満員だった。今日こそはと思って行ってみたら部屋はあったがなんと一泊$140である。まあこんな贅沢はそうないだろうと思って気にせずとまった。昨日までいたネバダでは、周りはカウボーイのなれの果てみたいな連中ばかりで、シャツにチノパンの私の格好は浮いていた。今日は逆の意味で浮いている。泊まっているのは刑事コロンボやBeverly Hills 90210(ビバリーヒルズ青春白書)を地でいくような連中ばかりだ。とはいっても基本的に隣に何がいようと気にならないのがアメリカのいいところだ。
さてホテルに荷物を置くとさっそくStanford Stadiumにいって今日のフットボールのチケットを買った。それから学内でしばらくぶらぶらする。来週から新学期が始まるらしく結構両親の姿も多い。Book StoreではAppleのiMacを大量に積み上げて売っていた。説明員が頭をボンダイブルー(iMacの色である)に染めているのが笑えた。
さて試合開始より早くStadiumに向かう。学生席はClass of 2002と書いたTシャツを着た連中でいっぱいだ。彼らは新入生だろうか。体にSTANFORDという文字を書いた連中がうじゃうじゃいる。中には女の子のグループもいる。女性の場合はお腹にしか書けないけど。白人女性は外観だけからするとハイティーンが花ではないかと思って見ていた。もっともこの花はとても早く散ってしまうのだが。
さて試合だが、これ以上はできないと言うくらい劇的な勝利を収めた。私はとても幸せになった。今日買った席は学生席ととなりあっていたので、大騒ぎをしてもそう周りの顰蹙を買わないのがうれしいところだ。わめいたり、踊ったりやりたい放題である。基本的に私は日本風の「笛や太鼓に合わせて唱和する」応援が大嫌いなので、Stanfordのてんでんばらばらの応援風景は大変性にあっている。周りでも踊っているやつあり、静かに見ている連中有りでそれぞれが好きな方法で試合を楽しんでいる。
試合が終わってから昔よく行った韓国料理屋にいってたらふく食べ、ますます幸せな気分になった。さて明日は結婚式だ。
20日は例によって例のごとくいい天気だ。(基本的にここらへん、この季節はいつも晴れである)-と書こうとしたが、この日は、そしてこの日に続く次の日は私にとってあまりに印象深いものだったので、別途文章としてまとめることとした。多分「夏の終わり」の一部にするつもりである。
さて引っ越しの準備が進み、部屋の中には何もなくなっていく。いつも引っ越しの前というのはこうだが。そういえば私が大学の卒業式に出席する当日の朝の写真が残っている。私はネクタイなど締めてポーズをとったり馬鹿な格好をしたりまあいい気なもんだが、バックにあるのは大量の段ボール箱だ。あのときも今と同じようにしょこしょこ荷造りなどしていたのだろうか。
アメリカ旅行は大変楽しかった。しかし帰ってきて気が付いたことだが、大分疲れたようだ。ここ数日時間があるのだが、このページを書く気がしない。もうすぐ会社も始まるのでこのページの更新はとてもゆっくりとしたものになるだろう。あるいは逆にストレスからたくさん書くようになるかもしれない。しかしその場合多分あまり面白くない文章が並ぶことになると思う。
会社に入るときに書いた日記には「あと30年は休みなし」という文字がある。当時は本当にそう思っていた。ところが2年留学で仕事をしなかったわ。それどころか会社まで辞めてしまった。今までのところ「これからの人生について」たてた予想は全て外れている。しかし「予想外」の今回の10ヶ月の夏休みは本当に楽しかった。生涯賃金はおそらく1年分減り、結婚ものびてこの思いも寄らない夏休みの収支決算が最終的にどうでるのか私には分からない。しかしそんなに無駄なものではない、どころか結構有意義だった気がする。
いずれにせよ過去に何があろうともう変えることはできない。変えられる可能性があるとすれば未来だけだ。というわけでこの10ヶ月は「大変有意義だった」と定義してしまって、明るく楽しく新生活に臨むことにしよう。
先日初めてSite Browserを使ってくれた人からお褒めの言葉をメールでいただいた。おかげで大変ごきげんな五郎ちゃんです。
さて会社に勤め初めてからだいたい一週間が過ぎた。以前○○重工内で配置転換があったときには一週間後には発狂しかかっていたから、今だ発狂していないところを見れば、今回のほうがよかったということだろうか。
そうはいっても問題がないわけではない。入社前に人事の人に「技術の方も残業はだいたい月に23時間です」と聞いていたが、それは大嘘だった。おまけにここは実は人材派遣業の会社だったのだ。やはり入社前にはもっと批判的な目で会社を選ぶべきだった。
会社によってはわざわざ「ここは大坪さんにとっていいところではないかもしれませんよ」と言ってくれるところがある。えん曲な拒絶のこともあるが、そうでなく、心から言ってくれたこともある。少なくともこの会社で面接した相手にはそういう人はいなかったようだ。
そうはいってもこの不況下に経験のない人間をやとってもらえたのだから、文句を言っている暇はない。しばらくは給料分の仕事ができるように精進する毎日だ。文句を言うのは給料分働けるようになってからにしよう。
さて今のところ結構早く帰っているので(一日本を読んでいるだけだから当然だ)このホームページを書く時間もある。しかしこの会社は私のライフスタイルに反して、極端な夜型のようだ。私は以前朝の6時半から働いたこともある超朝型である。まあ仕事に支障がないかぎりこの生活パターンを帰る気もしないのだが。
長編の「夏の終わり」はのろのろと進んでいる。しかしこの3週間余りの生活はとても印象深いものだったので、なんとかまとめる気でいる。父の方も結構快調だ。ここ一月3つも新作をリリースして、今はメキシコに行っている。きっと帰ってくれば、新作がでることだろう。
さて今日は体育の日。確かこの日は東京オリンピックかなにかの開会式の日ではなかっただろうか。
今日は朝から一日買い物やらなにやらしていた。実は先週愛機PowerBook2400のCPUをアップグレードした。新しいCPUはG3@240MHzである。ベンチマークをとってみると確かにCPU性能は2倍以上に上がっているのだが、あまりありがたみを感じない。
何故だろう?コンピュータの使いごこちというのはいくつかの要素に左右される。CPUも大きいが、ディスクのスピードの影響も大きい。今日秋葉原まで遠路はるばるでかけて、ハードディスクを1GBのものから4GBのものに交換した。効果満点である。ディスクの性能は2倍くらいに向上し、大変快適に全てが動くようになった。これでこの機械の寿命は大分延びたことになるのだろう。実際アップルは愚かにも互換機路線を放棄したから、こういう小型のノートブックが発売される可能性は少なくともここ数年はなくなってしまった。
こういう話は本来「私のMacintosh」に書くべきことだろうが、「私のMacintosh」はここんところ執筆が停滞しているからしょうがない。
久々に東京の町(とはいっても秋葉原だから大分かたよっている気がするが)を歩いてみて、やはり名古屋にくらべてきれいな人が多いような気がした。昔会社に勤めるために名古屋に戻ったときは「これは名古屋と東京では人種が違うのではなかろうか」と真剣に考えた物だが。しかし東京だって結局日本全国から来た人がすんでいるわけだから。。。お互いの切磋琢磨の結果というヤツだろうか。
会社で何をしているわけではないのに、非常に疲れる。いつもは早起きの五郎ちゃんは休日でも一度5時頃に目が覚める。しかしその後寝ると、今度は昼まで目が覚めない。やはり疲れがたまっているようだ。
さてハードディスクを交換しに行った店で、みんなから「この液晶は暗いですねー」と言われた。今まで何の疑問もなく使ってきたが、ここまでみんなに言われると本当に問題があるのかもしれない。保証期間の残っている間に交換しよう、と思い翌日さっそく修理屋に行った。
最初は「いやー、これは問題ないですよ」と言われるのではないかと大変おびえていたが、ここでも「確かに暗いですね」といわれた。あざやかな手つきであっと言う間に交換してくれた結果をみれば「なんと、この機械はこういう色だったのですね」と驚くような変貌ぶりだ。
店の人に「よく一年我慢しましたね」といわれたが、最初から暗ければ「なるほどPB2400というのはこういうものか」と思いこんでおしまいだ。これを1年不自由に暮らして損をしたと思うか、あるいはまあ世の中には「こういうもんだ」と思えば無視できる問題もある、ととらえるかは人それぞれだと思う。
さてこのページで、たびたび名前だけでてくる「夏の終わり」であるが、なんやかんやと言って毎日書いてはいるのである。しかし執筆量が膨大でいつ終わるのか見当も付かない。まあなんとか今年中にはリリースしたいのだが。こうなるといつでもどこでもパワーブックを持ち歩いて書いてみようかという誘惑に駆られることもある。
この数日コンピュータ屋をずいぶん回った。DOS/Vの世界を見ると、顎が外れるような薄いコンピュータが花盛りだ。特にソニーからでたデジカメがついたやつなんか、いいかな、と思って使ってみたのだがその遅さに驚いた。ここ数年Quadra700に換えてから漢字変換でストレスを感じたことはないが、とても私のタイプスピードについてこられないほど漢字変換が遅い。これでは22万円出すわけにはいかない。重い、あるいは故障の危険とPB2400を持ち歩くことのメリットを秤に掛けて悩む日々が続きそうだ。
さてなんだかんだと10月も後半になりつつある。いつのまにか先だ先だと思っていたMac os8.5の発売日となった。元気な人は台風を押して夜中にカウントダウンなどして購入するらしいが、私は普通に買った。あまり期待しないでインストールしたが、まあ順調に動いている。最初もとあったシステムに上書きしたらありとあらゆるエラーを起こしてほとんど起動不能になった。泡くって新しくシステムを作り直し、ありとあらゆるファイルを様子をみながら移していき、、、なんとか動いている気がする。ときどきまだ愉快な事をやってくれるが。しかしMacintoshでこうなのだから、某社の宣伝を鵜呑みにしてWindows95を98にアップグレードした人達の困難たるやいかほどのものであろうか。
さて私のMacintoshが動き出すとともに天気も晴れたが、今朝はすごかった。台風は明後日の方向を走っていったはずなのだが、これが台風でなくてなんなのだろうというくらいすごい風が吹いた。何が驚いたといって、この新しい大坪家は風が吹くと揺れることだ。底面はすごく細長い長方形で、おまけに一階当たりの高さが異常に高いから確かに風には弱そうだが。まあ仮にもアパートだからひっくりかえることはあるまい。
仕事も「本来の」場所である品川に移って始まっている。勤務地横浜ということで採用しておいて、2週間もしないうちに品川に派遣するなんてのは。。。。まあ今は給料分の働きができるように勉強するしかないのだが。
週末に横浜の町をうろちょろしている。大学時代2年間横浜市民だったのだが、ここに何があるのか何もしらなかった。歩いてみるととてもいろいろなものがありびっくりした。学生の時は一体何をして暮らしていたのだろうか。
さてなんやかんやと言っても、とりあえず働き初めてから一月である。この間とりあえず大きな事故もなくめでたしめでたしということだろうか。
プータロー生活から働く生活に戻ったので、人よりずいぶん短くしか働いていないのにとても疲れる。週末に体が重いこと信じられないくらいだ。それでも風邪をひいたりはしていないから特に問題はないのだが。
通勤も最初はラッシュに驚いたが、異常に早くでることでなんとかかわしている。使っているのは普通電車だ。会社まで一時間15分電車にのっていることになるがこれだと一時間近く座っていることができる。その間にPowerbookなど広げてこうして文章を書いているわけだ。この前電車のなかでも誰かが話していたが一日に通勤時間が往復2時間とすると、人生のなかで通勤時間がしめる割合というのは結構ばかにならない。混んだ電車でゆられていれば、それこそ体力と忍耐力の増進の他には役に立たない。少し早起きが必要でもこうしていれば少しは何かした、という気分になれるものだ。少なくともこのホームページの更新には役立っている気がする。
体重は基本的に好ましい方向に推移している。面白いことに去年の同じ時期の体重とほとんど同じくらいだ。一年の間にふとったりやせたりしたがとりあえず原点復帰ということか。しかしまだまだ先は長いのだが。今回発見した「体重を減らす」ことによる実質的な利点が一つある。それは着ることのできる服が増える、ということである。一度着られなくなった服がまた着られるのは精神的にうれしいだけでなく実質的にも大変ありがたいことだ。私は冬のスーツを1着しかもっていないがあと5kgやせればもう一着増えるかも知れない。少なくとも6年前は立派に着用できた服だ。家計のためにも体重減少に精進したいところである。
注釈
ゴキブリと日本人の女の子は世界中どこに行っても、いつ行っても必ずいる:(トピック一覧)文句のある人は私までメールでもくださいな。本文に戻る
日本風の「笛や太鼓に合わせて唱和する」応援が大嫌い:(トピック一覧)私はこの日本の応援風景は盆踊り等にルーツをもつ日本古来の伝統芸能の変形版だと思う。時代がかわり、身を取り巻く製品が変わろうとも民族の根にしみついた伝統というのはそう簡単に変わる物ではない。本文に戻る
そこを観光で訪れるのとそこに住むのでは全然話が違う:(トピック一覧)逆に「何故観光でうけた印象を、住む場合にもあてはめようとするのか」とかいろいろ面白い疑問がこの信条に関して産まれるかも知れない。本文に戻る
今までのところ「これからの人生について」たてた予想は全て外れている:(トピック一覧)今までのところは「予想外のことがおこって退屈しない」と余裕をかましていられるような幸運に恵まれているが。本文に戻る
過去に何があろうともう変えることはできない。変えられる可能性があるとすれば未来だけだ:(トピック一覧)過去に起こったことからは(多くの場合)目をそらすべきではないし、そこから得られる教訓は得なくてはならない。しかし過去について悔やんだとしても何も変えられない以上、健康に悪いだけである。本文に戻る