題名:Making of my homepage

五郎の入り口に戻る

日付:1999/1/1

Part3へ

1998/11/8

1998/11/22

1998/12/1

1999/1/1

1999/1/15

1999/2/1

1999/3/1

1999/3/8

Part5へ


1998/11/8

さてだんだんと日は過ぎていく。生活のパターンも少し見えてきた。もっともまだ仕事が本格的に始まっていないので、まだまだだが。

働き始めてからホームページの更新は緩やかになったわけではない。しかし傾向はかわってしまった。特に最近書物を読めないことは著しい。少ない脳細胞でもちゃんと動いていないと本は読めないということを今更のように実感した。仕事が終わって帰る電車の中で読めるのは週刊モーニングがいいところだ。おまけに最大の感心事は今日の仕事のことであるから、米国の大統領の命運等を気に懸けている余裕はない。

最初は電車にのって周りの人間を観察して喜んでいたものだが、最近ではそんなこともしなくなった。よれよれして立っているのがやっとである。私は体力の余裕が少ない人なので、働き始めると必ずこうなる。ボウフラ生活に入った時、心の余裕と共に周りを見回し、自分はこんなにもいろいろな事を見過ごしていたのか、と驚いたものだ。今は逆にたくさんのことを見過ごして金を稼ぐ生活に入っている。どうも私にはボウフラ生活の方が性にあっているようだ。

意に反して人材派遣会社に就職してしまったがために、今の私のストレスは変なところから生じている。私がはたらいている会社、仕事、環境はとても気に入っている。もっとも2年たつと飽きそうな気がするが。従って一生懸命はたらいている時は幸せだ。

しかし私が所属している会社は全く○○○○。そしてそのことに思い当たるとき、いろいろな事を考えずにはいられない。考えてみれば前の会社で、派遣会社から来ている人達で同じ事を言っている人がいたっけ。何事もその立場になってみなければ、本当にその人の言っていることは分からない。

先日久しぶりに、リンク依頼のメールをもらった。私が書き始めながら途中で放り出している(一応執筆途中ということにしているが)「私のMacintosh」についてだ。その方のホームページを読んで、いろいろな形でMacintoshを愛して使っている人が多いのに気が付いた。今後Apple社がどうなるかわからないが、どうなろうともいろいろな形でMacintoshは生き残っていくに違いない。こうしたページからリンクしてもらえるというのはまことに嬉しく、かつどことなく誇らしいことだ。

 

1998/11/22

さて早いもので、去年StanfordでTHE BIG GAMEをみてから一年が経とうとしている。この一年は長かったような、短かったような、、、少なくとも11月はあっというまに過ぎていくような気がする。

以前と全くかわった立場で仕事をしていて、身の置き所というものをつくづくかんがえていた。自分ができたと思っていたことのどこまでが立場によるもので、どこまでがそうでないか、あまり今まで考えていたこととずれはないのだが、それでも実際に体験してみると違った重みがある。

さて以前東京を去るときに書いた文章(「ぴあ」という情報誌にのったやつだ)が自分で気に入っていたので、このたびホームページに載せることとした。映画とか、コンサートとかが多数引用されているので、映画評の項目が突然増えた。増えたのは古い映画だが、1800円とか1080円のカテゴリーにはいるものばかりだ。考えてみれば10年以上前に観て、なお覚えている映画、というのは私にとって印象深い物に決まっている。よくよく思い返すと当時も500円のカテゴリーにはいるような映画も結構観たと思うのだが、そういうのは忘れてしまった。思い入れが深い映画になると感想を書くのも大変だ。思いが強すぎてなかなか言葉が浮かんでこない。

最近TVを観る時間が極端に減ってきている。平日はほとんど観ないくらいだ。それにまして減っているのが本を読む時間である。せいぜい通勤の時間くらいだ。アパートに帰るとTVを観る気も本を読む気もしない。ただ文章を書く時間は逆に増えている気がする。行きの電車のなかでひたすらキーをたたいているからだ。退屈な通勤時間がおかげで楽しい物になった。これはとてもいいことだが、本を読む気力くらいはなんとか持っておきたい物だが。

 

1998/12/1

12月である。去年はこの時期一日、一時間がすぎるのをじっと耐えて待っていた。それほどデトロイト幽閉生活の最後はストレスがたまるものだったのだ。

今年はどことなく変わった立場にいる。はたらいているのはよその会社であり、派遣の身はなんと言おうと本質的には気楽なものだ。これは全く私の性には合わない。しかしなんと言おうと今は耐えるしかない。もし生活に何か不満があるのであれば、その原因そして責任は全て私にある。

先日アクセスカウンターが1000を超えた。これで晴れて4桁にのったわけだ。うれしいことだが、最近はアクセスカウンターが回ることよりも(それは所詮入り口のページが何度参照されたか、を示しているに過ぎない)アクセス解析から把握できる、ヒット数の方に興味がある。

把握できる範囲ではいろいろな人が居ることがわかる。検索エンジンから飛んでくるキーワードも「パンスト」あり、「合コン」あり映画の題名有り、漫画家の名前有り、「Clintonの偽証疑惑」あり、バラエティに富んでいる。(私としては「パンスト」で検索にあたることはどことなく不本意ではあるが)

そうしてこのサイトを訪れて、表紙だけ見て帰る人。表紙からいくつか飛んでみて帰る人。あるいはずいぶん丁寧にあちこちの文章を読んでくれる人。いろいろな人が居る。中にはまだ「題名一覧」に載せていない作品にアクセスする人もいる。

「知り合いには公開禁止」などとたわけた事を言いながら、たくさん読んでもらえればそれはとてもうれしいことだ。自分が書いた長い文章を丹念に追ってくれている人が居ることを知る時(この頻度はとても少ないが)私はとても幸せになる。時々メールをいただいたり、リンクしていただけることがある。その人達の言葉を聞くことは私にとって一番楽しいこと(複数形)のうちの一つになっている。

それがカウンターの数字増加に結びつこうが結びつくまいがどうでもいいことだ。私は「大坪家の書庫」を訪れてくれた人全てに対して感謝の気持ちを捧げたい。おそらく父も同じ気持ちだと思う。インターネットというものが普及しなければおそらく親戚一同か、友達の範囲でしか読まれることがなかった文章が、こうして多くの人の目に触れ、そして言葉が聞けるのはとてもExcitingなことだ。人の世の中は楽しいことばかりではないが、時々「捨てたもんじゃない」という気分になることもできる。

 

1999/1/1

年があけてしまった。1998年の抱負は1)職を探す 2)嫁を捜す 3)子供を作る、だったが抱負の常としてどれ一つとしてまともに達成することができなかった。

ここ数ヶ月にわたって書き続けてきた「夏の終わり」をようやくリリースすることができた。本編のリリースに先立ってリリースした「番外編:名古屋遠征」は関係者のアクセスで一躍ベストセラーとなった。読んだ人に感想を聞いてみるとその多種多様さに驚く。男性の感想は概して「面白かった」である。女性の感想はそれほどストレートではないようだ。ある人は「こんなに冷静に観察していたのというのは、大坪は楽しんでいなかったのではないか」という感想を述べたし、別のある人は「もっと人間を好きになろうよ」というメッセージを送ってきた。(私は基本的に人間は好きだと思っているのだが)私にとってみれば楽しい合コンであったから細部まで覚えているのだが、普通は楽しいと記憶が希薄になるものなのだろうか。

表紙のアクセスカウンターが1000を超えたのは一月少し前だ。今のカウンターは1223,この一月ちょっとの間に200以上もカウンターが上がったことになる。最初の頃と明らかにホームページの訪れ方が変わってきた。最初はNiftyの検索ページからの訪問者がほとんどだったのだが、最近は全文検索型の検索エンジンから飛んでくる人がほとんどだ。ここ数週間私が書きっぱなしで放り出してある「マキアヴェッリと私」の訪問者が増えている。反省してちょっと書き出そうかと思う。しかしそう思うと放り出してある作品の多さに驚く。

行きの電車の中で書いているのはいつものことだが、最近ちょっと手首が痛くなってきた。Just SystemからVoice ATOKが発表され、結構使える、という評判を取っている。最近真剣にその導入を検討している。しかし仮に導入すると私がろくにアップデートをしない原因が、頭の動きの鈍さにあるのか、タイピングの遅さにあるのかが明白になってしまうわけだ。

細かいことですが、表紙の背景をちょっと変えました。Windowsで見ると、文字が読みにくい場合があることがわかったので。あと気分もちょっと変えたくなったから。

さて今年もがんばろう。まだまだ先は長い。長くなくても関門は多い。

 

1999/1/15

久しぶりに風邪で熱をだして会社を休んでしまった。年がら年中鼻水をたらしたりしているが、休んだのは何年ぶりだろう。

年末からというもの私の体調は低下の一途をたどっている。原因ははっきりしている。入社2年目のこの時期もこんな調子だった。原因が分かれば対処をするだけだ。そろそろ対処を始めようか。

風邪を引くとあたりまえだが何もできない。痛む体と悪寒と戦いながら布団の中で丸くなっているだけだ。まあしかし物が食べられなかったおかげで体重が一気に減ったのだけは良いニュースか。

時々視野が狭いのはとても幸せなことだと思うことがある。今から思えば大学の時の空手部(体育会ではなかったが)にきていたコーチにとっても、あの部と言うのは彼のたこつぼだったのかもしれない。今から思えば会社の愚痴としか聞こえない「指導」の言葉をよく吐いていた。彼はコーチから引退する前にそのことに気が付いたのだろうか。気が付かない方が彼にとって幸せだったことは言うまでもないが。

小さなたこつぼに閉じこもっている人。自分の願望が現実として見えてしまう人はとても幸せそうだ。心を落ち着けて目を耳を外に向ければ世の中は荘子に書いてある通りに思える。頭が広がっていけば、井戸の大きさと大海の大きさの間に何の差違もなくなるかもしれない。私はその心境に至ることができるだろうか。

 

1999/2/1

これで信じられないことだが4ヶ月もこの会社で働いている。先日会社で実施された、性格診断+筆記による健康診断の結果が帰ってきた。

今までこういう診断の類は何度か受けたことがある。その結果というのは大体「標準」であった。宇宙飛行士の選抜の後に受けた試験などは、模範的な「普通の人間像」を示していたが。

さて今回帰ってきた結果は今までに見たことがないようなものだった。情緒不安定。抑鬱症。消極的。なのに短気かというとそうではなく、苦労性かというとそうでもない。生活はまあ規則正しいが、身体のストレス傾向(心身症)は86%。精神のストレス状況(神経症傾向)も同じく86%。診断には身体的、精神的なストレスがやや多いようです。いろいろな身体上の不調の原因となっている可能性があります、ということだった。

なるほど。こういう試験をあなどってはいけない。風邪の原因は私が考えた通りだったわけだ。派遣社員として働いている以上、本来の私から考えれば消極的で、抑鬱症になるのは避けられない。協力会社の社員は、客先のやり方に頭を垂れて粛々と従うだけだ。その結果としてストレスも増大する。なんとか対策がとれるまで心身のバランスを保ちたい物だが。

不思議なことだがホームページのヒット数は増加傾向にある。しかしこの生活が続けばそのうちホームページの更新すらできなくなるかもしれない。このMaking of my homepageがだんだん短くなっていることに気が付いただろうか?

 

1999/3/1

2月は終わり、私はまだここにいる。日の出は早く、日の入りはおそくなってきた。以前は家をでるときは真っ暗だったが、最近は明るい。

3月は結構好きな月だ(大抵の月が好きだという気もするが)私の誕生日が来て年をとるのはまあしょうがないことであるが。最近は一月前くらいから年を一つカウントアップしているので、誕生日はあまり気にならない。3月というだけでなんだか暖かくなる気がする。現実はそう甘くないのだが、それでも高校野球が始まる頃になればいつしか表を歩くのがそう苦ではなくなる。2月だってそんなに嫌いな月ではない。そういえば2月14日という日が意味をもたなくなってから何年になるだろうか。

ここしばらく書きかけでほおっておいた「私のMacintosh」を狂ったように書きまくって、ようやく1984年から今年まで細い道がつながることになった。途中で仕事の話が大分まじってみたり、かと思うと仕事の話が全くでなくなったり、読み返してみればそれにはそれなりの理由があるような気がする。

心身症はひどくなっているのか、快方に向かっているのかはわからない。最近写真をとることが何度かあるのだが、自分の顔をみるのがつくづくいやになった。問題は顔の作りではない。顔の作りは基本的に親からもらったもので、変えようもないし(人によっては整形という手はあるだろうが)文句を言う筋合いのものでもない。自慢する気もないがいつも親にはありがたいと感謝している。だいいちこの顔には36年近くつきあってきてるし、これからも何年かしらないが仲良くしてきたいものだ。

問題なのはその顔の上にうかぶ表情の方である。最近の写真に写った私の顔はろくなものではない。こんな顔をして世間を歩いているのか。。そんなことを考えると更に顔は悪くなる。物理的にではなく、背筋がまがったような、どこか情けない疲れた目つきをしている。

そんなある日珍しく「五郎の部の感想」というメールをもらった。最初やけに長文なので「ああ。また"私はこの奇跡のダイエット食品で6kg減量に成功しました”というマルチの勧誘であろうか」と思っていた。少なくともそう思いこむことは、そのメールを読んだときの失望を少なくする(内容がどんなものであれ)効果があるはずだ。今の私にとっては石に躓くような事でもやけにこたえる。

さてそう思ってメールを読んでみて、ひさびさに幸せというか、頭が心が広がっていくような、解放されたような気分になった。今の私は結構抑圧された環境の中にいる。「90%の場合、相手はあなたの話を聞いていない」というのは私の信条だが、今の環境もその経験則から逃れられてはいないようだ。おまけにこの業界の人には話す内容に一定の法則があることがわかった。今から思えば「府中へ」に書いたように、宇宙飛行士の募集に職場から5人も応募するような場所で働いていたことは私にとってとても幸せだったのだ。

そのメールは私の文章を丹念に読んでくれた人からのもので、そのメールの中の「「変」なものを愛する人も多数存在します」という言葉は-人によっては当たり前というかもしれないが-今の私には特にうれしかった。そしてそういう事を書いてくれる人が私が様々な事について書き散らした駄文を読んで丁寧に感想を送ってくれる、ということは何よりもありがたいことなのだ。

そのメールを何度も読み返した私は久しぶりにちょっとご機嫌な気分ですごした。そう思えば最近「ああ。こんなに早く日が昇るようになってしまった。なのに何も状態は変わらない」と動きの鈍い私をせきたてるように思えた朝日も少し余裕を持って「春が近い」と見られるようになる。別に朝日がかわったわけではない。私の心持ちが少し変わっただけだ。浮いたり沈んだり、ちょっとしたことで気持ちが動くのも人の世の理というものだろう。それが人の世というもならばそのままに歩いてみようか。

 

1999/3/8

さて心身症のおかげで泣いていたのもなんのその。ここ一週間の気温の上昇にともなって私は妙な事を思いついた。

きっかけは某雑誌の「ホームページ改造講座」のようなコーナーだ。今まで「ホームページの外見にはこだわらない。重くなるから画像は一切使わない」という妙な信条を持っていた私はだいたいこういうページはあっさりと読み飛ばしていた。

ある日あまりに暇だった私はそうしたページをぺらぺらと見ていた。すると結構coolな表紙の絵がのっているではないか。外見にこだわらない、などと言っている私でも「おお.これは」と思うような表紙だ。

それよりもびっくりしたのがその「改造前」の表紙が私が作った「大坪家の書庫」の入り口そっくりだったことだ。「改造前」と「改造後」を比べてみるとその差は歴然である。うーむ。いくらその道のプロの仕事とは言え、ここまで差が出るものか。

そう思い出してからの私の行動はちょっと何にとりつかれたようなものだった。自分の部屋の本棚をデジカメでとり、いままで使ったこともなかったようなグラフィック用ツール(シェアウェア)をいきなりインストールしていろいろな効果を試し、、作っては自分のセンスのなさに涙を流し、寝ては考え起きては考え。そうしてできあがったのが今回の表紙である。

さてセンスがないから何度も作り直してこれくらい、というのはまあしょうがない。私は昔から図画工作の類は大好きだが成績は必ず下の方だったのだ。何に苦労したといって、私が使っているPB2400と会社にあるWindowsマシンでは見え方が-とくに淡い色が-全く違うことだ。PB2400でかっこよく見えても、会社で確認してみると画像と背景の差がはっきり見えてしまってとても使えたもんじゃない。ひどいのになるとPB2400ではピンク色に見える背景が実は黄色だった(少なくともWindowsではそう見える)なんてのまで経験した。

従って私が何よりも愛している睡眠時間をけずってまで画像をつくったところで、翌朝会社からアクセスしてみるまではちゃんとできているかどうかわからないのである。そういう意味で言えば今アップしたものも最終確認はまだだ。まあこれで金をもらっているわけではないから、誰も石をなげたりはしまい。

今回画像をいれようとあれこれいじりまわしていて、「ああ。画像とはこれほど手間のかかるものか」ということを痛感した。私の父は弟のセールストークにのって買ったデジカメを使って「ぱしゃっと撮っただけで、こんなに大きなファイルができるのが気に入らない。おれが何週間もかけて書いた文章よりもファイルサイズがでかいじゃないか」という感想を述べていた。私はその感想を聞いて「なんのことやら」と思っていたが、今回自分でも画像をいじってみて父の言葉が的を得ていたことを痛感した。あなたは多分表紙をみて「なんだこれは」と思う。しかしそれは私にとって実に多大の時間を費やした結果でもあるのだ。

さて気温もあがって、そろそろ冬眠していた蛙も表にでてくるだろう。動きがでる季節だ。それがどんな意味をもつものであれ。

Part5


注釈

視野が狭いのはとても幸せなことだトピック一覧):これは皮肉な意味で言っているのではない。実際そうとしか思えない。本文に戻る

 

願望が現実として見えてしまう人:(トピック一覧本文に戻る

 

荘子:(参考文献一覧)今回妙な事を書いているのは熱のせいと思ってください。本文に戻る

 

2月14日:(トピック一覧)トピック一覧経由リンク先を見てもらうと、若かりし頃の私にとってこの日がどういう意味を持っていたか解ってもらえると思う。本文に戻る

 

マルチの勧誘:Making of my homepageの1998/7/17の項参照のこと。本文に戻る

 

読んだときの失望を少なくする:これは私が愛する米国のTV場組Cheers(参考文献一覧)で精神科医のFraiserが妻が浮気している、という告白を聞く前に使ったテクニックである。本文に戻る

 

90%の場合、相手はあなたの話を聞いていない:(トピック一覧)この数字が低すぎる、という論議はあると思う。ただしちゃんと話を聞いてくれる10%の人がいることを忘れてはいけない。本文に戻る