題名:Making of my homepage

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日付:1999/1/1

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1999/4/1

「4月になれば彼女は」という名前の歌があったような気がする。しかし実はあまり4月という言葉の響きは好きではない。3月は変化をぼんやりした期待と不安とともに思っている月だが、4月にはその変化に直面しなくてはならない。

3月の半ばから気温は急激に上がったり下がったりした。しかしその気温も4月になれば少しは落ち着く。灰色の風景の中に桜がさきはじめるときは、きれいだと思うが、そのうち何かがいびつなことに気がつく。灰色のバックにピンクだけが存在している。

それから一月すると新緑の季節になりとてもきれいになる。私が一番好きな風景だが、桜の下を歩くのは私には鬼門である。私は毛虫が何より嫌いなのだ。そして私の行動に制約を加えるのに十分なくらい、世の中には桜の木が存在しているのである。

先日ホームページの容量を見て愕然とした。Niftyが当初ホームページのサービスを始めたとき、容量は5MBだった。それから10MBになったが、今大坪家の書庫の総容量は約4.4MBだ。なんと最初のリミットに近づいている。内容のほとんどがテキストであることを考えればこれは異常な量だ。われながらよくもまあこんなにたくさん書き散らしたものだと感心してしまった。(父親の文の量も相当なものだが)

心身症の方も一進一退を繰り返している。一時はだいぶ回復したと思えたのだが。。

こういうときにまたもや「奇跡のダイエット食品」のメールをもらった。彼らと彼女たちの健闘を期待したいところだ。このメールをもらってもどっと落ち込まないあたり、多少心身症は回復したのかもしれない。

さてこうしたメールは最初の数文字を読んだだけで内容がわかってしまう。同じあやしげなマルチまがいの勧誘であれば、もうちょっと斬新なパターンの文句を期待したいところだ。以下に私が以前書いた(もちろん冗談で)「変人同盟」という架空のマルチの勧誘文句を引用する。あるNiftyの会議室で「ここには変人同盟があります」と書いたら「マルチまがいと宗教はお断りです」と書いてきた人が居た。なるほど、ではいっちょ書いてみるか、と思って書いたのが以下の文章である。

(引用ここから)

実際色々ありますよね。環境保護に名前を借りたやつとか、沖縄支援の奴とか。

こんなのはいかがでしょう。

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題名:信じられないチャンスです!

信じられないようなチャンスです!もうばかばかしくて普通の仕事なんかやっていられません!自分の好きなだけ働いて社会福祉に役立つ!おまけに高収入が得られる!こんなすばらしい仕事があったでしょうか!

世の中には「変人」と他人から呼ばれる人がいます。彼らは表向きは他人のそういう評価をきにしないふりしながら、実は内心深く気にしているのです。

あなたの友達にもそう人はいませんか?きっといるでしょう!そういうあなたに画期的な社会貢献+ビジネスのチャンスが訪れたのです!

まずあなたの名前を「変人同盟」に登録して下さい!そして変人同盟に少額の必要経費を振り込んでください!変人同盟はボランティアベースで運営されていますが、あなたの善意がその活動を支えるのです!そしてあなたのお友達の「変人」さんをできるだけ多く変人同盟に勧誘してください!

変人さんは、内心孤独感にさいなまれているのです!そして彼らは変人同盟に所属することで、きっと心のやすらぎを得ることができるのです!これからは物質ではなく、心の時代です!

この簡単な社会福祉活動をするだけで、まずあなたは精神的に大きな満足感を得ることができます!変人とよばれどこか自信のなかったあなたの友達が今や胸をはって歩いているのをみましょう!あなたは彼らにとてもいいことをしたのです!

そして変人同盟からはあなたが紹介してくれた見返りに謝礼金をさしあげます!これはあなたが社会に貢献したことに対する正当な報酬なのです!だからあなたがたくさんの変人を勧誘すればするほど、またその変人がたくさんの変人を勧誘すればするほど、報酬はドンドン増えます!

そして1月後にはあなたは自分の預金口座が信じられないほどの高額になっているのを発見するでしょう!あなたはあなたの友達の変人さん達の人生を明るくしたのみならず、あなた自身の人生も大きくかえたのです!

------ってな感じですがいかがでしょう?

仕事でノイローゼ気味の変人が考えることですから本気にしないでね。こういう怪しい勧誘の文章ってやっぱり”!”をやたら連発するのが基本ですねえ。

(引用ここまで)

かのようにいいかげんに書こうと思えば簡単だ。そろそろ斬新なパターンも期待したいものだが。

 さて最近毎日の通勤電車の中で狂ったように書いてはいる。その割には更新が遅いな、と思う人はまずいないと思うが、それにはちゃんと訳がある。このままではおそらく永遠に日の目を見ないかもしれない長編を二つばかり書いているのと、「何故英語をしゃべらざるをえなくなったか」の執筆にはまりこんでいるからだ。「何故英語を。。」はStanfordに記述が及んだところで各内容が膨大になりなかなか進まなくなった。このぶんではいつ現在に追いつくのか見当もつかない。しかしまあこれは趣味でやっていることだからのんびりとやっていくか。

 

1999/5/1

疲れてはいるが、ようやく連休にはいった。そして片方は片づいた。あとはもっと肝心な半分だが。

この季節は私の毛虫に関する過度の恐怖感をのぞけば一番好きな季節だ。新しい緑がとてもきれいだ。新しい緑を見ていると大学の時を思い出す。学部の3年生と4年生の時にこの緑をみながら学内をふらふらしていてとても幸せだった。

4月の半ばから今までアクセス解析をしていたGigaHitが不調になり、結局4月のアクセス解析はほとんどできなかった。いままで何度も動かなくなったが、無料だ、ということでなんとか我慢していたが私にとってアクセス解析ができない、ということは実にいやなことだということに気がついた。インターネットをあさってみて月500円でアクセス解析をしてくれるところをみつけたのでそこに乗り換えることにした。今度は少額であるが一応金を払うのだから、システムがダウンすれば心おきなく文句が言えるわけだ。

疲労とストレスがたまってキーボードが進まない。VIaVoiceでは快調に書ける(というかしゃべることができる)のだが、口述した文章は最終的にはかなり手をいれなければ人にお見せできるようなものではないから、キーボードに向かう気力がなければホームページの更新はとだえる。最近は電車の中での執筆もできなくなった。それどころか本を読むことすらできない。

それでもアクセス数は順調に増加している。4月25日に表紙のカウンターの値は2000を超えた。12月に1000を越えてからおよそ5ヶ月。ありがたいことだ。

先日名古屋空港でおきた中華航空の事故から5年というニュースをやっていた。あの日のことはよく覚えている。当時からわたしは早寝早起き、早出勤、早退勤だった。夕方の明かりが少しのこる空の下、車にのって名古屋空港のわきを走っていた。するといきなり路地という路地から人間があふれてきた。老若男女の人々それに自転車の洪水である。西の空を見ると煙があがっている。わたしは最初「火事というものはかくもおおくのやじうまをひきつけるものか」と感心していた。そのうち事態はそれほど簡単でないことに気がついた。車の流れがぴたっととまりかけていたのである。わたしは脇道に入ってなんとか寮にたどりついた。

ちょっとパン屋でおかしでも買って、と思って店の中にあるTVを見てみればなんと飛行機事故である。聞くところによれば寮でもはげしい音が聞こえたのとのこと。そのころあたりは救急車と消防車のサイレンの嵐だった。TVにはすでに燃え尽きてしまった残骸が写っていたが。

ちなみにわたしがつとめていた会社の工場はあの飛行場に隣接していた。工場には消防車が備えられている。隣接しているから渋滞も関係ない。一番早くかけつけられるのはこの消防車だ。さっそく空港からの出動要請が飛んだ。それなのに工場の警務係りは「人手がたりないから」と丁重にお断りをしたそうである。わたしはお役所そのものの頭3文字がN○○の企業群に比べれば最初に努めていた会社を大変愛してはいるが、このエピソードを思い返すとき未だに「ああ。あまりにもお役所的な」というため息が漏れるのを止めることができない。

 

あれから5年しかたっていないのか、と思ったりする。あのときはわたしが一番その力を振り絞って働いていたときだった。連日の休日出勤もなんの苦にもならなかった。今は何も仕事をせず、午後6時に退社していてもストレスで半死半生の状態である。あとはこうしたことだけが続くのだろうか。

 

1999/6/1

早いのか遅いのか知らないが日にちが過ぎていく。春から夏と呼ばれる季節になっているのだろう。この季節は夕方が好きだ。枕草子では夏は夜だったかな。

ホームページのアクセス解析だが、あれこれ考えて再度変更した。今度のところは月1200円+消費税だが、結果をメールで送ってくれるので、大変解析がらくになった。これまでは一生懸命サービスを提供している会社のホームページにアクセスしてデータをとっていたものだが。

今度は黙ってメールを送受信すればデータが届くし、そのメールを自動的に解析し、データを集計するプログラムも作って、快適そのものである。こうした自分以外には役に立たないプログラムをちょこちょこ作るのはまあ日曜大工のようなものか。自分が使うだけだからしょっちゅうふっとぶプログラムでもまあ気にはならない。

さて、先日Yahoo Japanに登録申請をした。これで3度目くらいである。今まで申請したときにも、確かにYahooの担当者らしきアクセスがあったのは確認しているのだが、結果は却下である。今度はちょっと趣向を変えて「大坪家の書庫」全体だけではなく、「暗号について」という文章も単独で登録申請してみた。

それから何日たったことだろう。アクセス解析を見ていて「暗号について」が異常にアクセスされていることに気がついた。もしやと思ってYahooで検索してみれば、確かに登録されている。ほとんどの人は最初のページだけ見て帰っているが、その威力には驚くばかりである。こんなマイナーな部門に登録された文章なのに(私の基準で言えば)すごい数のアクセスがある。最近は特にYahooへの登録は難しいという噂があるが、これだけ効果があれば、それにもめげずがんばって登録を申請する人間が山のようにいることだろう。

さてすっかりご機嫌になった私である。5月22日の土曜日、無意味に休日出勤させられたのをこれ幸いと、あれやこれやの文章をばら売りで登録申請しまくった。柳の下にドジョウが何匹いるかしらないが、別に全部却下されても金を損するわけでもない。気楽なものだ。

もう一つ最近愛するPB2400のありあまるCPUパワー(私は大したことはやっていないから)を使ってSETI(Search of Extraterrestrial Intelligence (地球外文明探査) )の解析に参加することにした。http://setiathome.ssl.berkeley.edu/からクライアントソフトを持ってきて、くばられたデータをひたすら解析する。多少私の部屋の気温があがるのと引き替えに少しは世のため人のために役に立つことができるわけだ。世界中で何万人がこの計算に参加していることだろう。ちりもつもれば山となる。この方法はインターネットコミュニティの中ではどうかしらないが、私には結構斬新に見える。特に発狂から身を防ぐために意図的に大脳の活動レベルを低下させている身からするとなおさらだ。

心身症は一進一退の状態のようだ。時々電車の中で本を読むことができるようになった。しかしコンピューターを使うことは思いも寄らない。そして休日には目を開いたままクッションの上に横たわる以外できることはない。体はひどく重い。これが体調が低下しているせいなのか、あるいは逆に自分がそれに気がつくことができるくらい回復したせいなのかはわからない。

さてこれから数ヶ月。私はとても自分の時間の使い方について慎重に考えることになるだろう。もうこうしたことはしばらくないはずである。しかしそれにはまず動きがとれるようにならなくては。

 

1999/7/1

とりあえず私の職場は隣のビルに移ることになった。私は○○重工の社員としては驚異的にあちこちふらふらする人間であった。そのころ何を考えていたかは「私のMacintosh」と「何故英語をしゃべらざるを得なくなったか」に書いてある。思えばほぼ10年近い年月がたってはいるのだが。同じように今の私が何を考えているかはあと数ヶ月のうちに明らかになるだろう。

「暗号について」の大ヒットに気をよくして他の作品もYahooに登録を申請したが、見事に全部却下をくらった。まあ柳の下にドジョウがたくさんいれば、ことわざをつくることもなかったか。それにしてもYahooの威力はすさまじい。それにともなって他の作品のヒット数も増えているのがありがたいことではあるが。最近何度かホームページの感想を聞くことがあった。率にすればそう高くはないが、それでも私の駄文をちゃんと読んでくれる人がいるのはとてもありがたいことだ。

「暗号について」のヒット数の傾向を見ていて何よりもありがたいと思うのは、最初のページにたどり着いた人の約半数が後のページも読んでくれていることだ。アクセスしてくるドメインは会社と学校が圧倒的に多い。たまには親愛なる日本政府のgovドメインからのアクセスもある。書き散らかした駄文も世の中のお役に少しはたっているのだろうか。となればあの文章はここ9ヶ月の私の生活の中で最大のヒットだったかもしれない。

いやそうではない。ここ数ヶ月あまりに気がついたことではあるが、誠に幸運なことに私は今度の職場でも一緒に働く人たちに恵まれることになったのだ。これは全く自分の努力の成果でも工夫の結果でもない。運によるものだ。みんなからいろんなことを教えてもらった。人にはそれぞれ個性があり、やり方は違うがそれでもほとんどの場合頭を下げて感謝したくなることが何度も会った。ほんの短い間ではあったが有意義な時間がすごせたことに感謝せねばなるまい。

相手が自分を扱うようにこちらも相手を扱う、とは時々私が口にするセリフである。そして「何ものにもましてわたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。だから、他の人々もそうあって当然と思っている。」とはユリウス・カエサルの言葉だ。N○○は私をどのように扱ってくれたのだろう。

最近文章の更新がとどこおっている。原因はあるプログラムの開発にはまっているからだ。何を作っているかは近日中にJava Diaryの一章として公開の予定。(いつのことやら)

 

1999/7/16

7月も半ばをすぎた。最近一日一日を有意義に使いたいと妙に考える。どうしてだろう。そういう風に考えるばかりで結局何もしていないのだが。

ここ2週間ばかりほとんどの時間をつぎ込んでいたSETI@Supportと名付けたプログラムを公開した。まずHPにのせていおいたら、参照数は一週間でおよそ3だった。次にSETI@Homeのメーリングリストに投稿した。それから数日は、おもしろいアクセス傾向が見られた。普通は「暗号について」が必ずヒット数のトップなのだが、しばらくの間だけは「SETI@Support」がヒット数のトップだったのだ。

Java Applicationという特殊な形態だから、ダウンロードはしても誰もつかわないかもしれない。それでもこれは私が世間様に向かって公開した最初のプログラム、ということになる。「こんなゴミを配るんじゃない」と怒られるのではないかと、びくびくものではあったのだが、今のところ罵倒のメールとかは受け取っていない。

先々週の金曜日は元いた職場の仲間と飲み会であった。月島というところにいって、もんじゃ焼きとお好み焼きを食べながらビールをがんがん飲んだ。私は飲む量がその時の機嫌に極めて依存する人だ。「がんがん飲んだ」ということはその日は大変ご機嫌だったのだ。そして12時をすぎても私の目はちゃんと開いていた。これは私にとって希有のできごとだ。

思えば東京エリアに来てから、こちらで楽しく飲んだのはこれが初めてだった気がする。人の出会いというものは面白い物だ。こうした馬鹿騒ぎの楽しい時間というのは滅多にすごせるものではない。

皮肉な事にこうした時間が貴重であることに気がつくのは、「楽しくない時間」をたくさんすごすことを余儀なくされるからに他ならない。ビールをコップ2杯飲んだだけで悪酔いするような宴会に出席しなければならないのはおそらく日本の社会人であれば常というものだろう。こればかりは働いたことのある人にしかわからないかもしれない。(中略)

この話はこれくらいにしよう。N○○の文化に思いを巡らせることにもう大して意味はない。そこから新しい発見はないのだ。新しい発見の話をしよう。この前の宴会が縁で、新しいホームページに巡り会うことができた。平たく言えばある人による日記のページである。ホームページが一般になりはじめたころ「日記をHPに載せる人が多くて、結構それなりに人気を取っている」という話を聞いたことがあった。最近はあまりそういうことは聞かないが、それでも日記のHPにときどきでくわすことがある。しかしながら大抵は3行以上読むことができない。日記というのはその人の考え方、物の見方がもろにでるものであり、母や姉に「おまえは気むずかしい」と常日頃言われている五郎ちゃんとしては、なかなか読み続けることはできない。

ところが不思議なことに先日出会ったその日記のページはついつい全部読んでしまうのである。それからそのHPは私の朝の巡回路に加わることになった。何がどうと言うわけではないが、ついついそのページを読みたくなる。

 

今年の夏はひどく蒸し暑さがこたえる。本格的な夏を前にして不眠に陥りかかっている。年をとると気温の変化に弱くなるのだろうか。

 

1999/8/1

子供の頃、夏休みはとても楽しみだった。しかし根が心配性の私は7月であるうちの10日が終わってしまうと「ああ。もうだいぶすぎてしまった」と思った物だが。

社会人になるとそうしたことには無頓着になる。しかし日がだんだん短くなってきているのはわかる。(こんなことに気がつくのは私が毎日定時退社しているからだが)昔は日照時間が短くなると鬱になったものだが、年を取るとともにそうした感性は消えてなくなってしまった。

7月の終わりに腰痛で2日半寝込んだ。2mも離れていないトイレにいくのが冷や汗を流しはいずりながらの難行苦行となってしまった。この日の経験、そして考えたことはとても興味ぶかかったからそのうち文章にしてみようかとも思う。

今回の腰痛の原因はわからない。そして治りはいつもよりも長くかかった。こうしたことがいつか治らなくなってしまうのかもしれない。それが何年後か知る由もないが。

今の部署にきてから再び通勤電車のなかでコンピューターが使えるようになった。しかし心して置かなくてはならないことは、「水がきゅうりにつかるより、きゅうりが水に浸かる方が早い」おいうことである。何を言っているかわからない?そのうちどっかにかくでしょ。

私が生まれて初めて不特定多数の人にリリースしたSETI@Supportへのアクセスは、爆発的ではなく、しかしとぎれなく続いている。こうした自分が作ったプログラムが色々な人に使われている、というのはちょっと不思議な感覚だ。できの悪い息子を世に送り出す両親の気持ちというのはこういうものだろうか。それがほめられればとてもうれしい反面、「せめて人様の迷惑になることはしないでおくれ」と願う気持ちもある。

ある人が自分のホームページに「SETI@Homenの解析状況」ということで、私のプログラムを使って撮った画像を載せていた。それまで「SETI@Supportのページがアクセスされているということは、きっと他の人も使って居るんだろう」と概念的にはわかっていたことだが、こうして人様のホームページ上で自分が作ったプログラムの画面を見ると、「ああ。本当に使って居るんだ」とうれしいやら恥ずかしいやらちょっと不思議やら複雑な心境である。

7月の28日に表紙のカウンタが3000を越えた。いつも読んでくださるみなさま。そして何かの間違いでここに迷い込んでくれたみなさま。どうもありがとうございます。

 

1999/9/1

8月はあっというまに終わった。いつのころからか夏ばて、という高級なものをするようになった気がする。涼しくなれば体調も戻るのだろうか。

日は短くなり、太陽は傾いている。なのに思ったほど涼しくはならない。一つだけいいニュースは米国のCollege Footballのシーズンが始まったことだ。これから週末は一喜一憂になるか。。なってほしいものだ。下手をすれば無反応になりかねない。

 

1999/9/14

最近はSETI@Supportの制作及びデバッグに結構な時間をさいている気がする。最初何度かYahooに登録を申請したのだが、いつものとおり却下に終わった。

このプログラムはすべて英語で表示をしている。なんとか他の国の人にもつかってもらいたいと思って、英文の説明ページを作り、米国Yahooに登録を申請したら一発でOKだった。(英文はひどいものだったが)それからは実にいろいろな国からアクセスがあり、SETI@Supportのヒット数ははねあがった。それまで毎月トップだった「暗号について」とせる勢いである。

時々面白いメールが届く。いきなり「SETI@homeのサイトに接続できない。どうしたらいいんだ?」というメールを2通もらった。一通はアメリカのどこかに住む60すぎのおじさんからだ。プログラムの名前をSETI@Supportとしているところから、SETI@homeのサポートデスクと考えているのだろうか?

かと思うと「ファイルが壊れてるよ」と一行+壊れている様子だけを送ってくる人もいる。また或男はいきなり「おたくのページにリンクしたよ、こっちもリンクしてね」とすごい長文のメールを送ってきた。何故リンクしてほしいかがくどくどと書いてある。米国からのメールは確かに日本語を書く人からくるよりもバラエティに富んでいる気がする。

さて「暗号について」だが最近2通ばかり「よくわかりました」というメールをもらった。書いた本人が今ひとつ理解していないことなのだが、それでも少しは世の中のお役にたてたかとうれしくなる。リンク元を見ると、時々このページだけを参考としてリンクしてくれている人もいるようだ、ありがたやありがたや。こうなると書きかけで放ってある「ネットワークについて」もなんとかまとめたい衝動に駆られる。

そんなある日、日本のYahooから登録の連絡が届いた。以前「暗号について」が登録されたときは何の連絡もなかったが。これでまたヒット数は増加するだろうか。それとともにプレッシャも増している。世の中で使っていただくことを考えれば、バグはできるだけつぶしておきたい。なのにJavaで書いているから、機種が違っても動作はするのだが、その動きは微妙にずれている。「Micro$oftの○○」とかのろいの言葉をはきながらデバッグと機能強化にいそしむ毎日だが。

ある週末の朝、目覚めてからだが動かないのに気がついた。ずいぶん夏の疲れがたまっているようだ。何もしていないのに何故これほど体が重いのか。

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注釈

何ものにもましてわたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。だから、他の人々もそうあって当然と思っている:(トピック一覧)私がカエサルの言葉など引用するときのネタ本はすべて(参考文献)である。本文に戻る 

 

私は飲む量がその時の機嫌に極めて依存する:(トピック一覧)不思議なことだがこれは事実だ。本文に戻る