日付:1999/3/13
Father's Macintosh Part2-iMac1999年3月13日私は秋葉原をぶらぶらしていた。そしてMacintoshを扱っているという看板がでてくる店にはすべて顔をつっこんでいろいろみていた。これには理由がある。
私の実家には父が文章を書くのに使っているPeroforma6210がある。私がDuo280cを使っていたときは「603@75Mhzも結構速いじゃないか」と思ったものだが、今G3@240MHzを使っている私からすると亀のようにゆっくり動くように思える。それでも父は満足して使っていたのである。
そこに一つの変化が生じた。今年の正月、帰省した弟はデジカメなるものを初めて手にしていた。そしてその効能を父に吹きまくったのである。そして弟は買いたいものがあると一直線に買ってしまう男である。彼のご推奨に従って我が家に「デジカメ導入旋風」が巻き起こった。その余波をくって私がStanfordにいたころから使っていたDeskwriterはとうとうその役目を終えてEPSONのTP-100というカラープリンターに置き換わった。そして今まで父が作り出すTextファイル(本当はClaris Worksの文書書類だが)とOutlook Expressだけを相手にしていればよかったPerformaは大量の画像ファイルを相手にすることになったのである。
最初父はあまりデジカメに乗り気でないように見えた。だからちょっと私は安心していたのだ。実際performaのHDは残りが大変心細くなってきたいたのである。文章だけ作っているのだったらたぶんあと10年くらいは持っただろうが、デジカメのファイルをごそごそ放り込まれてはそう長くはもたないかもしれない。しかしあのやる気のなさではたぶんそうたくさん写真をとったりしないだろう。さてその後父はインドに旅行に行っていた。そして「無事に帰りました」というメールがきた後しばらくメールがこなくなった。忙しいのかな、と思っていた。
半月以上たった3月5日に「トラブル」という題名のメールをもらって私は何かよからぬことが起こっている事に気がついた。中を読んでみると「ディスクがいっぱいです、というメッセージがでて、メールの受信、印刷、バックアップなにもできなくなった」ということである。
げげげげ。やはりディスクがパンクしたか。。。ゴミ箱の中には妙な名前のファイルがいっぱい入っており、父にはゴミ箱をからにしていいかどうか判断が付かないようだった。何かよからぬことが起こっているに違いない。
その次の週末、私は帰省した。みてみると予想したとおりディスクの残りは4kbになっている。これでは何もできまい。私はゴミ箱の中の妙なファイル(バックアップがうまく働かずに妙なことになっていたようだが)を捨てた。これで一息ついたがまだHDの残り容量はとても心細いくらい少ない。このPerformaにはメモリが16MBしかない。昔ではこれは十分な容量だったのだが、今ではたとえば私のPB2400はSystem8.5.1で31MBのメモリを使用している。PeroformaのOSは7.5だが、それでも16MBでは一つアプリケーションを立ち上げるのがやっとだ。これまではHDの空きがたくさんあったから仮想メモリを使ってなんとかごまかしていた。しかしこの状態では60MBもHDを仮想メモリに使うわけにはいかない。仮想メモリをオフにするとなんとか父のインド旅行の写真も展開できる状態になった。その写真をみながらいろいろ教えてもらうのは楽しかったが、同時に私の心に「実家のMacintosh買い換え計画」が再燃してきた。
もともと正月にデジカメが導入されたときからいずれperforma6210では非力になる、という気はしていたのである。何度か父に買い換えを進言したがなんといっても父は昭和一桁生まれの人間だ。平成2年に買った初代のDeskWriterを今まで丁寧に使っていた人である。6210の地位は安泰であった。
しかしこれだけデジカメを活用するようになると話はちょっと違ってくる。父はインドで100枚くらいの写真をとってきた。このペースでハードディスクがなくなっていえば、いずれにせよ6210は長く持たない。再度私は父に買い換えを進言した。買い換えの対象は決まっていた。iMacというコンピューターは世間でとてももてはやされていたし、ちょっとみたところなかなかAttractiveな性能を持っているようだ。値段も安いし、あれに乗り換えたところで誰も父に向かって「贅沢は敵だ!」と叫んだりしないよ、というところだ。そのときは父はまだどちらとも決断がつかないようだった。
さてそれからしばらくして。よれよれと帰宅した私は郵便受けに封筒がはいっているのを見つけた。実はこの時期私にとって封筒というのは、何か悪い知らせを意味するものだったのである。ありゃりゃ、、と思ってふと裏をみれば父の名前だ。何だこれは?と思ってあけてみれば、コンピューターを買い換えようと思う、という手紙である。文面を読むとどうやら父を決心させたものは、「やたらとメモリがたりませんといって怒られる」ことだったようだ。確かに16MBのメモリで二つ以上のアプリケーションを開くのは至難の業だ。
手紙を読みながら私はふと考えた。この知らせが手紙でくること自体、何かよからぬことが(再び)6210に起こっている証拠である。これだけのことであれば父は本来メールで知らせてくるはずなのだ。メールの受信はできる、と書いてあったが、それも結構あやしいものかもしれない。私は次の週末に帰省してコンピュータ変更計画を実施することに決めた。
さてそのメールには「できればディスプレはそのままかわいがってやりたい」と書いてあった。さすがは戦前生まれである。しかしその文面をみた私はちょっと悩み始めた。
それまで何も考えずに次の機械はiMacにしよう、と決めていたのである。父が使う用途だったら必要十分だし、なんといっても場所もとらない。しかしiMacでは今使っているディスプレイを使い回すことはできないのである。それをやろうと思ったら(可能かどうかは今ひとつ確信がもてなかったが)G3を買う必要がある。
iMacにはもう一つ問題があった。iMacの発表当初から気がついていたことだったが、今6210に入っているデータを移動させる手段がないのである。SCSIなし、Localtalkなし。フロッピで移動させる手もあるが(外付けのフロッピを買うという前提で)文章だけならいざしらず、デジカメの山のようなデータを移動させるなんてのは考えただけで憂鬱だ。USB-SCSI変換の製品がいくつかアナウンスされていたが、不思議なことに日本ではまだ売っていない。
実はiMacが発売された当初に「あまりにインタフェースを削りすぎではないか」という心配になって、Niftyserveの某会議室で今書いたようなことを質問してみたのである。それに返ってきた答え、というのが傑作で、
「PerformaにEhternetcardをいれればいいでしょう」(最初に私が提起した質問のなかに”データ移行のためだけにEthernetカードを買うのは不経済だからやりたくない”と書いてはおいたのだが)
「(iMacではバックアップもとれない、という指摘に対して)iMacはインターネット時代のコンピュータだからいいんです」(インターネット上で数百メガのバックアップをとれというのだろうか?)
「(プリントアウトができない、という指摘に対して)Performaを常に電源だけいれておいて、Ethernetでつなげばいいでしょう」(時々行うプリントアウトのためだけにPerformaを電源いれてつないでおけだって?)
実際問題iMac発表当初にはプリントアウトができる見込みすらたっていなかったのである。私は自分の疑問は正当なものだと思っていたが返ってきた答えはこのようだ。私にはこの答えはいかにも相手の事を考えない、自分の知識だけを振り回したコンピュータオタク的なな回答に見えるが、世の中こういうわけのわからない回答を真に受けて、振り回されて悩んでいる人は私が思うより多かろう。
さて、こうした問題もG3であればSCSIカードを放り込めばすむ話だ。多少余分な出費はでるが、まあたいしたことはない。おまけに値段をあれこれ計算してみるとiMacとG3の一番安い機種で8万円くらいしか違わないようである。さてどうしたものだろうか。
こういう時は実物を見て考えよう、とばかりに秋葉原であれこれみてみた。あわよくばUSB-SCSI変換ケーブルを輸入しているところがないか、と思ったがさすがにそれはないようだ。今までG3は「変な形のコンピュータ」くらいにしか思っていなかったが、いざ購入を念頭においてみてみると、ずいぶん巨大だ。はたしてこの巨大な筐体があの狭い場所に収まるだろうか。。iMacはどこでもすごい人気で、「次回入荷は3月末」とか「次回入荷は未定。予約はとれません」とか書いてある。私としては一度帰省して購入からセットアップまですませたいのだが、iMacを対象とするとそうはいかないかもしれない。G3のほうも売れてはいるようだが、iMacほど品薄ではあるまい。
まあ必要な情報はだいたい入手できた。あとは父と相談だ。私は日曜日の晩に父にメールを打った。
「さて新しい機種だけど、ちょっとご相談。
候補は2種類あります。
(1)名前:iMac
特徴:モニタと本体一体型。5色色がある。
値段:たぶん一式全部で20万くらい。
いいところ:あまり場所をとらない。
わるいところ:今のモニタは使えない。
ビデオを直接つなぐ、ような技は使えない。
すごい人気なので、品切れかもしれない。
(2)名前:G3
特徴:モニタと別おき型。ちょっと大きい。
値段:一式で28万円くらい
いいところ:今のモニタを使えるかもしれない。(ちょっとふたしか)
ビデオを直接つなぐような技も使える。
(かといって使いこなすのは大変だけど。あまり実際の役にはたたないかもしれない)
こちらのほうが在庫がある可能性は高い。
わるいところ:おうちの机の上には乗らない。横に置くしかないけど、場所がとれるかな。。
ちょっと高い。」
あまり36歳の男が父に向かって書くような文体ではないような気もするが、そこはそれ。
月曜日の晩に父に電話をした(父からはなぜかメールが発信できないようであるし)「メール読んだ?」と聞いたら、「うん。設置する場所がないから小さいのでいいよ」といった。これで今度大坪家に設置されるMacintoshはiMacと決まった。父は何度も「おまえも忙しいだろうから、ついででいいよ。急がないよ」と言ってくれた。しかしたぶん父は理解していないことだが、私のようなオタクくずれにとっては新しい機械を買ってセットアップする、というのは結構楽しいことなのである。
さてそうときまればいろいろと買いたいものがでてくる。特に外付けHDをSCSI接続できない、と決まったからにはなんとかUSB経由で接続することを考えなくてはならない。
正月のMacWorld EXPO at San Fransiscoからというもの、USB製品は結構発売されていた。iMacの普及に感謝感謝である。さてUSB-SCSI変換アダプタも何種類かアナウンスされたもののいつまでたっても日本で発売される気配がない。MacWorold EXPO at Tokyoでもブースをいろいろ回ってみたのだが、最後まで動いている製品にはお目にかかれなかった。某社のブースにあったのはプラスティックで作られた模型だったが。
さて、米国で手に入らないかと思って通販のサイトをみてみると2種類ほどでているようだ。そのうち一種類はEXPOで模型を飾っていた会社のものだが、リストにはのっているもののまだ発売はされていないようである。しょうがないからもう一社の製品を注文した。こちらは4日で配達します、ということだから楽しみにしていたのだが、注文の翌日に「ストックがないから遅れるよん」とメールが届いた。ひょっとしたらこちらの会社の製品も実はまだ発売されていないもかもしれない。
さてあんなこんなを考えながら私は実家に戻ることになった。3月20日の3連休初日である。帰るとまず床屋に行った。この床屋には高校のころから行っている。ここ以外で髪の毛を切ったことは数えるほどしかない。さて散髪をすませると車で大須に向かう。とにかくiMacは品薄、ということだから早く買いたいものだ。最初の店に小走りで走り込んで聞いてみると、どうやらブルーベリー(薄い青色)以外は在庫があるようだ。父が色にこだわるとは思えないので、まあ残って入れば話は簡単だ。これで私はちょっとほっとした。それからその店の3階にある中古コーナーに行った。2週間前ここに来たときには初代iMacの英語モデルが2台あったのである。しかし残念ながらそれらはきれいさっぱりなくなっていた。まあしょうがない。
実はここしばらく私は初代のiMacに結構執着していた。USB-SCSIが間に合わないとして、今の6210のデータを移すにはどうしたらいいか?あれこれ考えた結果初代iMacにはirDAがあることを思い出した。私のPB2400にも赤外線インターフェースがある。今まで一度も使ったことがなかったが、今度こそ出番があるかもしれない。とにかく一度だけつなげることができればいいのだ。
さてそれから何軒か回ってみたがやはり初代iMacはおいていない。(ディスプレイ用には何台もあったが)やはりこうしたちょっとはずれた製品になると名古屋ではあまり手にはいらないのかもしれない。秋葉原で見たときには少なくとも3カ所で初代iMacを売っていたが。
さてないものはしょうがない。Backup Planとして私はEthernetでiMacとPB2400を接続し、でPB2400にバックアップ用の外付けハードディスクを接続してデータを移すことにきめた。最近はEthernet関連製品もやすくなっているようだし、まあひょっとしたら将来も使うことがあるかもしれない。
さてではどこで買おう、、と思って何軒かで在庫を聞いてみたがやはり最初の店が一番在庫が豊富なようだ。そこにもどると、私は買い物かごを持っていろいろなものを放り込み始めた。Ethernetのカード(これは7000円もしなかった)クロスケーブル、USBのハブ(これは電源コードがつかないやつ)、スマートメディア読み込みリーダー、それにiMac用のスタンドである。(父は正座して文章を作るから視線はずいぶん高い位置にくる。スタンドは必須だ)それらを抱えて私はレジにいって「紫色のiMacとこれください」と言った。なぜ紫色か?話は簡単である。夏、春、冬の休みには姉のところの子供たちが帰ってくる。一番下の太一君は姉二人にいじめられてはいるが、家庭で唯一の男(お父さんは忙しくて留守にしがちだ)としてのIdentityの確立に無関心ではいられない。彼はなんでも「男の色」である青いものしか買わない。姉二人は全く色にこだわらないから、ここは彼が使うことを想定して青に一番近い紫を選ぶべきなのだ。
店員さんは「グレープですね」と言った。なるほどそうやって呼ぶのか。あれこれのやりとりのあとメモリを96MBに増設した。メモリはできるかぎり増設すること、という原則は生きている。6210がお払い箱になったのも一番の理由はメモリ不足で二つ以上のアプリケーションが同時に開けなくなったことにあったのだ。
買ったものを一式車に放り込むと私は意気揚々と実家に向かった。めでたく必要な機材は購入できたし、あとはセットアップだけだ。セットアップというのは理論的には簡単なはずなのだが(iMac購入者は15分以内でインターネットに接続できる、と宣伝されているのだ)必ず妙なことが起こってくれる。この時点で私には大きく二つの不安があった。Ethernetでの接続がうまくいくかどうか、それに初めて体験するUSB接続はうまく行ってくれるかである。そして期待に違わずそれらはほとんど一日にわたって私を楽しませてくれたのである。
さてまずは6210のデータをすべて外付けHDに移すところから始まる。後で気がついたことだが、このとき6210は瀕死の状態にあったようで、父の残したメモには「OSのたちあげの途中でとまる。運がいいと立ち上がる」とあった。この時彼が機嫌よく立ち上がってくれたのはかなりの幸運だったようだ。データをコピーしている間にさっそくiMacを箱から取り出してセットアップである。なるほどケーブルも少ないし取ってがついていて設置は実に楽だ。さてまずはスタンドをとりつけよう、と思って最初の困難に気がついた。iMacは紫だが、スタンドは初代iMacの色であり、ふつうの環境では緑色に見える。そしてこの紫と緑、というのは実にあわない。
まあ贅沢は言っていられない。とにかく電源コードとキーボードをつないでついでにUSBのハブもつないでみる。このハブは2ポートのバスパワータイプである(つまり独自の電源コードをもたず、USBラインからの電源で作動するやつ)私の計算によれば2ポートあれば十分なはずだったし、ほかのタイプよりこのハブは2000円安かったのだ。
さていよいよ電源投入だ、と思って電源スイッチを押したが何も起こらない。あれ?と思って強く押すと今度は電源スイッチに明かりがともった。オレンジ色である。しかしそれからいつまでたっても変化が起こらない。
何だ?と思ってそれから数分間、いろいろな電源の入れ方を試してみた。キーボードから入れたり、一度電源コードを抜いてみたりである。しかし彼の画面は暗いままだ。なんてことだ。いわゆる初期不良、というやつだろうか。これはこの寒い中をいきなりあのコンピュータ屋にもって行かねばならんのか?今日は冷たい春の雨がふっていて、部屋のなかでコンピュータの設定をするのには実にもってこいの日だが、コンピューターを箱に詰めて車で持っていくのには正直言っていい日ではない。
そのうち頭にきていろいろなものをはずし始めた。Ethernetのケーブルをはずすが(あたりまえのことだが)何も起こらない。次にUSBハブをはずしてみると見事に立ち上がるではないか、理由はわからないが、とにかくほっと一息である。これで再梱包はさけられたようだ。
さてハブのことはちょっと脇においておいて、とにかく作業を続ける。外付けHDにデータは全部移せたのでそれをPB2400に接続する。さて、と思ってPB2400を起動させるとなぜか外付けHDから立ち上がろうとするそして「このMacintoshにはもっと新しいバージョンのシステムを使ってください」というメッセージを出してくる。外付けHDにシステムフォルダを丸ごとコピーしてしまったので、彼はSystem7.5を使って立ち上がろうとしているわけだ。それは無理な相談だ。
しょうがないから一度立ち上がったあとにHDの電源をいれて強制認識させる方法で、どうにかPB2400にマウントできた。さて次にはEthernetを使っての接続だ。
2台のコンピュータをハブを使わずにEthernetで接続する際には通常のストレートケーブルとは違うクロスケーブルを使う必要がある。私は頭のなかでコネクタのオスとメス、ストレートケーブルとクロスケーブルという言葉を何度かシャッフルしたあげくにクロスケーブルだけを買った。そして実際iMac-クロスケーブル-Ethernetカードの間はなんとか物理的にはうまくつながった。ところがここから実際にファイルのやりとりができるまでの間にはまだまだ関門があったのである。
iMacのほうはEthernet標準装備だから問題はない。問題はPB2400のほうだった。あれこれ考えて今回機材を横浜からもってきた私だが、Etherentカードにドライバが必要とは全然想像がつかなかった。(考えてみれば間抜けな話だが)そしてそのEthernetのドライバはフロッピで供給されていたのだが、私は2400用の外付けフロッピドライブをもってくるのを忘れていた。逆上した私はドライバなしで接続を試みた。ところがそれだとどうやっても(あたりまえだが)接続できない。私は呆然とした。また今度実家に戻るときまでこの作業はお預けなのだろうか。。
そのうち二つの解決方法に思い当たった。一つは6210にこのドライバをインストールし、そこから必要なファイルを外付けHD経由でPB2400に持ってくる方法である。これはとても面倒だが、Macintoshの場合ドライバが付加したファイルさえ見落とさなければこれはうまくいく。Windowsでは逆立ちしてもこんなことはできまい。
もう一つの解決方法はLANカードを作っている会社のホームページにアクセスしてドライバをダウンロードすることである。もっとも「ドライバをフロッピにコピーして、そのフロッピから立ち上げてください」なんて言われた日には全部パーなのであるが。この2案を考えた私は比較的楽な後者のほうから始めることにした。ダウンロードしてみると幸いにもそのままHDからインストールできるようである。こんこん、とインストールして再度立ち上げてみると、、、今度はうまくいった。ちゃんとEthernetが選択できる。
iMac側のHDをPB2400にマウントするとひょれひょれとデータの移動だ。今まで新しいコンピュータに乗り換えるときはLocaltalk経由でデータを移していたが、さすがにEthernetは早い。あっというまに400MBを越えるデータの移動は終わってしまった。さてそこからがまたもや細かい機能拡張やコントロールパネルの設定、それに通信の設定となるわけである。いじりまわしてなんとか動くようになったのは夜の8時頃だった。
さてひととおり設定が終わると今度はUSBをなんとかしなくてはならない。不思議なことだがかのUSBハブをつないだ場合、立ち上がることもあるし立ち上がらないこともある。しょうがないからハブを介さずにプリンタの接続と(これは実に簡単だった)スマートメディアリーダーの接続(これもえらく簡単だった)を確認した。さてハブ以外はご機嫌に動いているのに彼だけはちゃんと動いてくれない。しょうがない。いずれにしても明日また買い物にいかなくちゃいけないんだから、今度はちゃんと外付け電源がついているハブを買ってくるか。
なぜ明日も買い物に行く必要があるか?リセットスイッチを買い忘れたのである。iMacは何を考えたかクリップを使って、細い穴からさしこまないとリセットができないようになっている。今までできたキーボードからのリセットはできなくなってしまった。仮にAppleが「iMacは安定していてリセットの必要はほとんどありません」と思っているとするならば、それは大きなウソだ。この日だけですでに私は3度ほどクリップを探す羽目になっていたのである。さて世の中には同じ問題に直面している人もたくさんいるとみえて、いちいちクリップを探さなくてもいいようプラスティックのリセットスイッチが売られている。以前みかけたときに「なるほど。こういう製品があるのか。もしiMacを買うことになったら必ず買わなくちゃ」と思っていたのだが見事に買い忘れてしまった。しょうがないあとは明日だ。そうして私は安らかな眠りについたのである。
さて翌日、私は朝一番に昨日買い物をしたコンピュータ屋に飛び込んだ。そして外付けのハブと(ちゃんとiMac対応、と書いてあるもの。もっともその言葉にどんな意味があるか定かではないが)リセットスイッチを買い込んだ。ちらっとiMacの在庫状況を見てみると、昨日の朝にはブルーベリーを除く4色があったはずなのだが、今日は緑と黄色(ライムとタンジェリン)の2色しか残っていない。やはり昨日朝一番に駆け込んだだけのことはあるわけだ。
駆け足で家に戻るとさっそく接続だ。電源をつないでみるが、ハブの電源LEDは消灯したままである。あらあら、と思いiMacの電源をいれると、見慣れたオレンジ色に電源スイッチが変わった。そしてハブのほうはLEDが点灯、、と思ったらいきなり消灯した。何だ?と思っている間に再びLEDが点灯、それに電源スイッチも好ましい緑色に変わり彼は順調に目覚め始めた。これで一安心である。
リセットスイッチもとりつけ、父に「操作方法が変わったところ」の一文を書いて印刷するとこれもまたご機嫌に動いてくれる。さてこれでセットアップは終わりだ。6210も長い間働いてくれたが彼が眠りにつく時も迫ったようだ。
それから埃にまみれた6210をばらばらにして実家で物置と化している私の部屋に放り込んだ。その後がまには紫色のiMacが座ることになった。どうみても緑色のスタンドとこの紫は調和しない。しかしそんなのはマイナーな話だ。今や実家のMacintosh環境は数年ぶりにUp-to-Dateになったのである。そして紫色のiMacはなかなかCoolだ。
さてこの顛末をホームページに書いて、と思い久しぶりに2400に向かった私は愕然とした。6210に比べて飛ぶように動く、と思えた2400だが、今や画面の書き換えがやたらと遅いように思えるのである。最初「何か調子が悪いのだろうか」と思ってリセットしたが状況は変わらない。つまりこの2日間、iMacをいじっている間に私のスピードのスタンダードがずれてしまったようなのである。CPUのスピードはiMacと私の2400で大した違いはない。しかしグラフィックスの性能ではだいぶ差があるようだ。
これが技術革新というものか、、これだから次々と新機種に乗り換える人がでてくるわけだな、と思いながらもこうして私は2400で文章を書いている。この2400にはまだ一年は働いてもらわなくてはならない。最近P1に関しては様々な噂がながれているが、仮に手にはいるとしても秋以降だろう。 そしてこれまでの例からみれば、あまり早まって買うのは考え物である。
だいぶ差がある:ちなみにNorton Utility付属のSystem Infoでみてみると、ビデオの性能iMacが429に対して今のPB2400は155である。この数字が正確に何を意味するか知らないが、とにかくざっと3倍の性能差があるようだ。これぐらいの差があると体感でもはっきりと違いがわかる、ということだろうか。本文に戻る