日付:2000/6/20
19章:Power Mac 7500改-Part1さて、Power Mac 7500が無事に動きだしてから、しばらくは平穏な日々が続いた。毎日解析できるユニットの数は飛躍的に増え、ランキングが好きな人にとってみれば
「ああ。私のランクはこんなにあがった」
と喜ぶところなのだろうが、どちらにしても私はそんなものには興味を抱いていない。であるから物事が落ち着いてしまうと退屈し、何か別の事を考え出すのである。
さて、私はこのPowerMac 7500を結構愛していることに気がついていた。今までPower Bookばかり使っていて、それ自体大変満足だったわけだが、今回PCIスロットに何をつっこんでやろう、とか、CPUをアップグレードするとかをやると、こうしたデスクトップ型もあれこれいじりがいがあってご機嫌であることに気がつく。たとえば何かの理由でUSBやFire Wireを使いたくなってもカード一枚差すだけで可能かもしれない。(こればかりはやってみないとわからないが)
さて、そんなことを考えているとますます気になるのがその外見である。あのIIvi IIvxの筐体を思わせるこのスタイルはどうしても好きになれない。ケースをあけしめしていると中の構造は全く異なっており、実にうまくできていることに気がつくのだが(大抵の部品は工具を使わずにアクセスできるようになるし、全体をバラバラにするのにもネジ1本外すぐらいでよいのだ)しかし気に入らない物は気に入らない。
そんなことを考えていると「中身はそのままにしてケースを自作する」という妄想に駆られ始める。頭の中であれこれ考えてみるが、今ひとつイメージが明確にならない。何が可能で何が可能でないかがわからないからだ。ここは先人の知恵に学ぶべきだとインターネット上でさっそく情報をあさってみる。
するとパーツを取り替えたり、CPUを変更したり、クロックアップしたり、という内容は実にたくさんでてくるのに、ケースを変更するというのはそう多くないことに気がつく。しかし根気強くあれこれ探してみると「多くない」と思ったのは間違いであることに気がついた。一旦その道のサイトに出会うとあとはリンク集をたどればうじゃうじゃと変わったMacintoshがでてくる。
さて、ある米国のサイトでは中身の改造よりも
「いかに変わった物にMacintoshを入れるか」
ということを極めようとしているように見える。そのケースたるや、古いラジオから、アイスキャンディーのスティックを接着したものまで及んでいる。ということはケースは結構適当に作ってもなんとかなるものなのかもしれない。
それからしばらく同じ路線で「変わったものにMacintoshをつっこむ」妄想に駆られていた。スーパーマーケットに行っても妙なものに妙な視線が向く。何をみてもMacintoshのケースにみえるからだ。それこそ洗濯物をいれるかごからお風呂の椅子まで。
そのうち「まあそこまで変な物につっこまず、外皮だけアクリル板で作ってみるか」と思い出した。最初はそっくり作り替えるつもりだったが、あれこれ考えれば考えるほど今のPowe Mac7500の筐体というのは(外皮はともかくとして)うまくできている。前述した内部のアクセスが工具なしでできてしまう構造しかり、無駄のないスーペースの使い方しかりである。どうやってもこれをしのぐ物はできそうにない。となれば気に入らない外のケースだけなんとかすればいいではないか。
ゴールデンウィーク中のある日、私は東急ハンズに向かう。
とにかく変わったことをしてみたい、とばかり考える(とはいっても昔からこう考えて実際に変わったことができたためしはないのだが。私の発想力なんてのはそんなものだ)そのうちあることに気がついた。
前述した米国のサイトでもそうだが、だいたいのPCというのは基本的に外を覆っているケースに構造的な強度をもたせている。外に固くて強度をもつ部材があり、内部のがらんどうの空間にあれやこれやのパーツが収まっている、という状況だ。いわば昆虫のような構造である。
さて我と我が身を振り返ってみるとこうした構造にはなっていない。体の内部-中心-に固い構造物-骨-があり、そこにいろいろな臓物がぶらさがっている。そして外皮はやわらかく特に体をささえる強度は期待されていない。
ここは一発「昆虫型」のケースではなく、「人間型」の骨に臓物をぶらさげ、外に薄い皮をもつようなものができないか?とふと思いついた。
さて、その着想にとりつかれると、とにかくフレームを骨にして、それにあれこれぶらさげる、という構造ばかり考える。仮にこれを基本路線として使うとしよう。次に決めることは、全体のレイアウトである。あれこれ考えるうちに、
「マザーボードの向きをどうしよう」
と考え始めた。
マザーボードとはとにかく部品がたくさんのった板である。四角い格好をしていて、平たい。これを床に平行におけば、横置きとなり、床に垂直にすればタワー型となる。しかし普通の場合いずれも外部接続用のコネクタがついている面は後ろのほうになる。
私は自分がめったに掃除をしない人間であることを棚に上げ、この後ろの方に壁との間にあるコネクタおよびそれに繋がっているケーブルの山が嫌いである。たくさんのケーブルが埃にまみれてとぐろをまいている姿は、普段は目に付かないが配置を換えたり、あるいは引っ越しの際には必ず目の当たりにすることになり、ぞっとする。あれをなんとかできないか。
それからあれこれ考えた。いっそのこと上向きの面にあのコネクタをもってくる、というのはどうだろう。これなら接続も楽だ。なんといってもコネクタはすべて上を向いているのだから。しかしこの方法ではケーブルの処理が大変そうだ。まるでケーブルがしだれ桜のように上からしなうことになる。
では前面に出してはどうか?これもケーブルの取り回しが大変そうである。では、ということで残る底面、つまり下向きにコネクタがつくような配置にすることを考えついた。この配置にも問題があり、とくにケーブルはでてから数センチ行ったところで曲げられるわけだから(でなければ床に穴があいてしまう)結構なストレスがかかる。しかし私はしばらく考えた末、この構想が気に入っていることに気がついた。よしこれでいこう。
垂直にたったフレームにマザーボードをこれまた縦向きにとりつける。あとは残る臓物-CD-ROM, HD,それに電源-をどうやって配置するかだ。
あれこれと頭の中で考える。四角い筐体には飽き飽きしているから、もっと変わった格好にしたい、などと考えるのだが、この「設計方法」には二つの大きな欠点があることに注意しなければならない。
まず第一に私の頭の中身の貧困さだ。想像の中だけで3次元の物体をあれこれ配置を換え、どのように見えるか、などとシミュレートしてみるのはそれだけで結構大変な仕事だ。SETI@Supportを作っているさいもこうしたことはやってみるのだが、ソフトの画面は所詮2次元である。3次元物体の想像ははるかに難しい。(かの天才のホーキングだって、頭のなかで描くダイアグラムは2次元なのだ)
もう一つの問題はより(本来は)深刻なものであった。配置に使用する各部品の寸法をはかっていなかったのである。これをやろうと思うと24時間一生懸命SETI@homeの解析を行っているMacintoshを止めなくてはならない。おまけにあれこれ分解しなければならない。面倒だからまあ適当でいいや、と「だいたいマザーボードはこの大きさ。電源はこの大きさ」と想像して頭のなかで絵を描いていたのである。
冷静になって考えればこれは実に愚かなことだ。しかし当時の私は
「まあ本当に作るかどうかもわからないし」
と適当にそんなことばかり考えていたのである。こうした「設計」をしているのは主に意味のわからない会議の間だった。会議室には空気の振動が充満しているが、私にはどうもN○○言葉は理解できないようだ。かといって寝ているわけにもいかない。となれば、何か考えているような顔をして、かつ無意味な空気の振動を無視しなければならない。(そうでなければ発狂してしまうからだ)そのためにはこの「設計作業」はとても適切なものなのだ。思えばこの会社にはいってからというもの、無意味な会議で発狂しないためにいくつ新しい技を覚えたことであろう。
さて、なんやかんやとだいたい構想はまとまった。とはいってもおおまかな部品配置を決めただけなのだが。次に問題になるのは、「骨」を作るために何が使えるか、ということだ。
実際私はこうした工作が大変下手である。この話を書き出すととまらないから書かないが、とにかく工作をして褒められたのは入社したあとの工場実習の時だけだ。(一度しかないからよく覚えている)インターネット上でみつけた「自作ケースの道」みたいなサイトには、きちんと発泡塩化ビニールを切って、、みたいなことが書いてあるが、そうした丁寧な工作はとても私にはできそうにない。
何か使える物はないか。。と思いながら歩いているとふと商店街のある店に「折り畳み式キャスター」があることに気がついた。旅行の時に荷物をもっていくあれである。まじまじとキャスターをみると、確かに取ってとなるべくところは垂直にたっており、荷物を載せるべき部分は水平にはりだしている。垂直にたっている部分にマザーボードをとりつけ、水平な部分にドライ類と電源をのせたらどうであろう。
などと考えると衝動的に私はそのキャスターを購入していた(安かったのである)帰るまでの道であれこれ考えた。この車輪はどうしよう。車輪つきのMacintoshというのも乙かもしれないが、しかしその車輪でどこを動かすというのだろう。まさか表を歩くわけにもいくまいし。
さて家に帰るとまじまじとキャスターをみる。車輪をとりはずそうかとも思ったが実に頑丈にとりつけられていて(考えてみればそうでなくては困る)なかなかはずせそうにもない。となるとやはり車輪つきMacintoshにするしかないか。。。と思ってあちこちからキャスターを眺める。そのうちいくつかの部品はアルミ製のパイプをプラスティック製のジョイントで結合していることに気がついた。
なるほど。。フレームを組み立てるのにこうした手もあるのかもしれない。それまではアルミのフレームだかパイプだかに穴をあけて、金具でもってあれこれ組み立てる事を考えていたのだが、私の経験からすると、私がこういう工作をやると必ず寸法があわずに悲しい思いをすることになるのだ。しかしこうしたプラスティックのジョイントを用いて組み立てるのであれば、第一に簡単に組上がりそうだし、第二に寸法があわなくて悲しい思いをしたときに、
「よしやりなおそう」
と気力を奮いたたせられるかもしれないではないか。
そう考えるとさっそく会社帰りにハンズによってみる。最初素材コーナーをみてあまりそうした組立キットがなく「この予想は甘かったか」と思い別のコーナーにまわってみると、あるわあるわ。元々は家具を組み立てるためのものらしいが、パイプをジョイントでもって結合し、組み立てていくタイプの製品が数種類ある。
しばし時を忘れてあれこれ観ていた。世の中には私が思っているよりも「自分で好き勝手に家具を組み立てたい」という人は多いのだろう。一から全部自分でつくるのではなくても。
そのうちアルミの四角いパイプを組み合わせたものがどうやらよさそうだ、と目星をつけた。これでこの日はおしまいだ。
その次の週はひたすら頭のなかで部品を組み合わせてあれこれ考えていた。(例によって仕事は何もないから時間がたくさんある。)構想では、骨に必要は部品を全部くみつけ、表面は薄いアクリル板でつくったケースを埃よけにかぶせるつもりだった。電源ユニットはむき出し。ドライブ類は縦につみかさねる。この「縦につみかさねる」ために、厚さ5mmのアクリル板を使う予定だった。使用する予定のアルミのフレームは厚さ5mmの板であれば、はさんでたてることができるのである。私の頭の中では構想は完璧であった。しかし私も自分の不器用さと37年もつきあっているわけではない。これが形になったときに何が起こるかは私が一番良く知っている。
上の図(私の勝手な妄想)をみると、マザーボードが2枚あることに気がつくだろうか。そう私は2台のPowerMacを一台の筐体に押し込むことを考えていたのである。これこそ究極のマルチCPUマシンというものだ。少なくともSETI@homeをやる限りにおいては処理能力はきっちりと2倍に増える。しかしこれをやろうと思うと、電源からは2系統の配線をひっぱらなくてはならないし、ディスプレイ、およびキーボード切り替え用の機器が必要となる(そしてその価格は中古のPowerMac7500一台分の値段だ)
しかし私のもとにはすでにCD-ROMとHD、それにPowerMac7500のCPUボードが余っていた。あとはマザーボードとメモリさえあれば、一台できあがりの構図である。であれば、私がPowerMac2個一の構想にとりつかれたからといって誰が責めることができよう。
さて、私はこの妄想にひたったままOriginalのPowerMac7500と暮らすこともできたはずである。しかし人間ストレスがたまると時として馬鹿な事をしたくなる。そしてそのストレスは売りに出したくなるほど私の生活に存在していたのである。
6月9日の金曜日、3日にわたる展示会は終わりをつげ、私はとにかく馬鹿な事をしたい気分で充満していた。本来弘明寺で降りるべき電車を横浜でおりると東急ハンズに向かったのである。
買う物は頭の中にあったが、例によって例のごとく実物を目の前にするとあれこれ変更がでてくる。およそ70%は計画通り、残りの30%はいわばアドリブで部材と工具を買い込む。私の家には工具といえばドライバーセットしか存在していないのである。しかしこの妄想を実現するためだけに(そしてその結果はたぶん恐ろしいことになると知りながら)私はあれこれ買い込んだ。カッター、アルミの定規、アクリル板、アルミフレーム、ジョイント、金鋸、、、、
家に帰るとしばし呆然とした。とにかくこれで二日間と今晩は休みだ。買ってきたばかりのアクリル板を眺めていると、やおらそれを3分割しようと思い立った。ドライブ類をまとめるためにはアクリル板が必要なのだ。
名古屋の東急ハンズにはアクリル板の加工方法が書いてあった。両側からカッターで切り込みをいれて力を加えればおれると言う。最初の試みは全くなんの結果もうまなかった。板はびくともしなかったのである。次に切れ込みをもっと深くいれてトライした。
「ばきっ」と音がした。見事に板は割れたが、それは私が望んだ形ではなかった。私がいれた切れ込みのおよそ2/3にわたっては直線にそって割れ目が入っていたが、残りの1/3は見事に曲がっていたのである。まるで割るのに失敗した割り箸のように。
しばし呆然としたが私は考え直した。まだこの失敗は取り返しがつく。本当に必要なのは2枚の板と一枚の短い板なのだ。となれば、もう一本の切れ目をきれいに割れば問題は解決だ。
先ほどより深く切れ込みをいれて、慎重に力を加える。またもや
「ばきっ」
と音はした。経験から学ぶことができる人間を常に私は尊敬している。尊敬しているということは自分はその仲間ではない、つまり同じ失敗を繰り返すということだ。板は再び失敗した割り箸のように割れてしまったのだ。
私はしばらくの間悲しげに板を眺めた。これでどうやってもこの板は使い物にならない。そのうちまだついていた値札をみて驚愕した。なんと1枚1450円である。この10分あまりで私は1450円をぽんとすててしまったのだ。
私は風呂にはいった。そして布団をかぶってねた。明日は何をするかは決まっている。今日買えなかったいくつかの部品、工具、それにアクリル板を再度購入してハンズに加工を依頼する。何事もプロの腕というものは尊重するべきだ。
ここからの道のりはまだまだ遠かった。