日付:1998/6/22
Mac-IIcx part2さてそれからもStanfordの生活は紆余曲折ありながら進んでいった。そして私はいくつかの信じられないような幸運に恵まれた(これは別にStanfordにいたころに限った話ではないが)そのうちの一つはルームメートがとても友達の多い奴であったことである。
私は自分から友達を作るのが上手とは言えない。しかし私のルームメートはとても友達が多い男であり、かつ気のいい奴であった。私たちの部屋は一種みんなのたまり場所になっていた感もある。みんなの国籍は非常にバラエティに富んでいた。フランス人、南アフリカ人、クエート在住のインド人、スェーデン人、メキシコ人、香港人、それに日本人である。
さて彼らもStanfordに来て同じように勉強しているわけだが、私とは財政状況がちょっと異なる。私は会社からほぼ完全な財政的バックアップをうけ、かつ給料までもらっている身分だったが、彼らはそれこそ奨学金をもらったり、身一つで自分の国から出てきた人達であった。
従って全ての高価な電気製品は私の部屋にあったわけだ。TVがあるのは友達の部屋のなかで私の部屋だけであったし、さらにビデオ、カムコーダー(8mmビデオである)おまけにMacintoshまで私の部屋には鎮座していたのである。
金持ち日本人といわれようがなんだろうが、これらの文明の利器はみんなに大変役立つ事となった。私の好きなCheersは夜の7時と11時から再放送される。その時間になると誰かがやってきて、みんなでTVを見ることになる。きっと日本にもこういう時代があったのだろう。人気のあるTV番組の時間になると、近所の人が集まってくるような時代が。
またカムコーダーで撮ったみんなの様子を最後に一本のビデオにまとめて(ルームメートの発案でバックグラウンドミュージックまで入れて)みんなへのプレゼントにした。これはみんなとても喜んでくれた。ほら。金持ち日本人も国際間の親好に結構役立てるじゃないか。
さてそのビデオを見ると、ペペと呼ばれるメキシコ人の友達が、私のMacintoshの下で寝ているシーンが出てくる。彼はいわば私と2交代制でMacintoshを使っていたのである。私は早寝早起きであり、太陽がでている時間は私が使う。彼は夜間にMacintoshを使い、疲れるとその下で寝ていたのだ。
Stanfordは完全なMacintosh社会であり、(なんといってもAppleのお膝元なのだ)IBM-PCを持ち込んでも何のサポートも受けられないような場所だった。学校にはApple寄贈のMacintoshがごろごろ並んでおり、宿題などは全てそれでこなしていたのである。しかしながらそういう公共のMacintoshは、いかんせん大変混雑している。特に学期の後半になると各種のレポート作成やらなにやらでひどい混みようだ。ペペは2交代制を甘受してまでも私のMacintoshを使いたがったわけである。
また私にとってもこのMacintoshはなくてはならないものだった。自分用の宿題はもちろん、会社へのレポート提出、それに父親とのメール交換などに活用していたのである。おかげで家にエアメールを出すことはほとんど無かったし、時々様子を知らせるために国際電話をかけることもなかった。国際電話の料金に比べれば、米国からのアクセス料金など安い物だ。
さてそうやって大変役に立っていたMacintoshであるが、だんだんとその非力さが目につくようになってきた。そこであれやこれやと改造を計画したわけである。
まず最初にしたのは、ハードディスクをより大容量のものに載せ換えることだった。80mbの外付けハードディスクは買った物の、内蔵HDは依然として40Mbであり、、その容量ではほとんどシステムフォルダと、ユーティリティくらしか乗らないようになってきたからだ。
さてMacWorldを読んでいると世の中には通販という便利なものがあることもわかった。これが結構安いのである。考えてみれば店員をやとったり、説明をさせたりする手間がないからそれだけ安くなるということか。さっそく電話で名もないメーカーの135MBのハードディスクを注文した。
この電話での注文というのがくせ者である。まず電話で住所を告げなくてはならない。私が住んでいたアパートの住所の中にはEscondido Villageという言葉が出てくる。しかし私は自分が何度"Village"と発音しても相手に通じない、という事実を知った。"V, I , L, L , A , G , E"と一文字づつ区切って発音すると、相手は"Oh, Village!"というが、その相手の発音とこちらの発音のどこがそんなに違うのか全く理解できない。そしてこれはStanfordを去るときまで改善されなかったのである。
今ならば電子メールか、ホームページ上のフォームを使うところである。しかし当時は電子メールは普及していなかったし、ホームページなるものはどこかに存在していのかもしれないが、まだ簡単にお目にかかれるものではなかったのだ
次に注文がうまくできたとすると、荷物を受け取るわけだが、これがまた非常にいいかげんだ。まずちゃんとこない。留守の間に配達が来ると、ドアのところにメモがはさんである。「何時にまた配達に来る」と書いてある。ところがその時間に犬のように待っていても大抵の場合配達は来ない。電話で文句を言う、するとだいたい再度指定した時間から2時間くらい遅れて到着する、とそういった次第である。だいたい配達をしているのは、英語があまり得意でないような移民の連中が多い。彼らは多くの場合我々のアパートを発見できない。日本の宅急便の確実さがこれほど懐かしかったことはない。
さて数々の難関をくぐり抜けて私の手元にハードディスクが届いた。Macintosh-IIcxはビスを一本外すだけで中を簡単にバラバラにできるようになっていたからインストールは問題ない。はやる心を抑えてハードディスクの箱を開けると、確かにハードディスクとインストールに必要なケーブルやらブラケットやらが入っている。へっつへっつへっつと思って袋を開けようとすると、何か入っていることに気がついた。からから音がする。よく見ると入っているのはポテトチップでもチョコレートチップでもないところのコンピュータチップである。
実のところこの部品がどこからか落ちたものか?と思って見てみたが、どうもそうでもないらしい。理由はわからないがとにかくコンピュータチップが入っているのである。
ああ。これがAmerican Workmashipというものか、、というのはそれからも何度も経験するところであった。とにもかくにもハードディスクをインストールしてみた。なんだか動作音がやたらでかいような気がするが、とにかくちゃんと動いている。それでまたご機嫌になった私は前と同じ事をやり始めた。すなわち一度フロッピに待避させたアプリケーションをHD上に復帰させはじめたのである。。。。そしてまたしばらくの間にそれらのアプリケーションはフロッピに戻ることになったが。。。
そのころから、私は雑誌に書いてあった次の法則の正確さを思い知ることになる。すなわち「世の中には2種類の人間がいる。コンピュータを使わない人間と、ハードディスクが足りないと思っている人間だ」というやつである。つまりどんなにハードディスクを増設しようと、世の中に浮遊しているディジタルデータとういのは必ず有限時間内にその容量を食い尽くすことになっているらしいのである。
さてそこで考えたのは、Syquest社製のリムーバブルドライブを購入することであった。リムーバブルであれば、カートリッジさえ購入すれば容量は無限大となる(これは当時の宣伝文句でもあった。もっとも本当に無限大にしようと思ったら、予算も無限大に必要になるわけだが)
あれこれ広告を見たあげく、ほとんど購入しそうになった。しかしあと一歩のところで思い切れない。結局購入しないことになった。そして結果からみればこれは思い切らなくて正解だった。リムーバブルハードディスクはその後しばらくして死滅することとなったし、おまけにカートリッジ一枚あたりの容量は日進月歩で拡大したからである。
次に考えたのは入力装置であるマウスをもっと他のインプットデバイスに交換することである。いつまでもマウスというのは今ひとつではないか、と特に根拠もなく考えた。雑誌を見てみると「マウスはもういらない」と称しているインプットデバイスは世の中にごろごろしているようだ。そのこちトラックボールは数社が発売していたが、Kensingtonという会社の製品が大変高い評価を得ているようだ。ところがその製品にはどうも今ひとつSex Appealがなかった。どうしたもんかいな、、、と考えている時に別の会社から新しい形のトラックボールが発売された。左右非対称の形状で、しかも手のひらがのせられるパームレストがついているのである。
それを見た瞬間私は気に入ってしまった。そして有無をいわずに$100でそのトラックボールを購入したのである。日付は1991年の10月29日である。
さっそくわくわくしながら使ってみて、、、、、どうにも調子が悪いことに気がついた。最初はなんとか「ほら結構いいじゃないか」と自分をだまそうとしたが、感じる不快感はそんな「思いこみ」で解消されるものではなかった。何がわるいかわからないが、ボールのすべりがよくないのである。そしてそれはとてもフラストレーションがたまることだ、ということに気がついた。
さてそのトラックボールには「重さと色の違う4つのボールがついています。好きな物をお使いください」というふれこみで、たくさんボールがついていた。そこでいろいろボールを取り替えてみたが、どれを使ってみても、固すぎたり、柔らかすぎたりでどうにも調子が悪い。というわけでしばらく使用したあげくにこのトラックボールはお蔵入りとなった。
その後友人が購入したKensingtonのトラックボールを使用してみたが、これは見事にボールがなめらかに動いた。なるほど。だてに多くの賞を受賞していない、ということがよくわかった。その後も何度かトラックボールを購入しようとしたが、今度は同じ轍は踏みたくなかった。とりあえず店頭で試験をしてみてから購入しよう、と思うとこれがどれも気に入らないのである。なるほど実はスムースに回るボールを作るというのはとても難しいことなのかもしれない。すると、あのトラックボールに4っつもボールがついていたのは、製造工程の関係で、一発でいいボールを作ることはできないが、4っつもつけておけば、どれかがスムースに回転する、という魂胆だったのかもしれない。
さて入力装置の次は出力装置だ。昔はディスプレイの解像度が大きいほどエラい、という風潮があったことは前述した。このころになるとそんな事に意味がないということは分かっていたが、大きな画面が作業効率を上げる、ということには無視できない効果があった。だいたい資料はA4で(というかUS Letter size で)つくるのだが、これがスクロールせずに全部表示できればどんなにいいだろう、と思い始めたのである。
ちょうどどのころRadiusという会社がピボットという縦横を自由に切り替えることのできるディスプレイを発売していた。これは結構良いかもしれない。解像度も800×600くらいあるようだから、A4も表示できそうだ。しかし最初に発売されたのは白黒バージョンであり、私にとってカラーを諦めるのはつらいことだった。そこでカラーのピボットがでるまで待つことにしたのである。
さて、しばらくしてカラーのピボットが発売された。そして私は何度かそれを購入する事を考えた、、、しかしこれもまた何故かとまどってしまったのである。当時のメモ帳には「液晶画面がでるまで待つ」と書いてある。当時16インチ相当のディスプレイの値段はとても高かった。(私がIicxを買った当初は、100万近くもしたのである)カラーのピボットは$2000もした。だからびびったのというのが本当のことだったかもしれない。
さて周辺機器はともかく本体のスピードの遅さがだんだんと問題になるようになってきていた。
何故こう思い始めたかというと、いろいろな機能拡張を付け加え始めたからである。私が一番愛していて、かつ実際には役に立たない機能拡張というのは、ClickChangeというウィンドウであるとかポインタの外見を変更できるプログラムだった。実際的な価値は何もない。しかしポインタが↑から指になってみたり、時計の代わりにヘリコプタがぷるぷる動くとおもしろいではないか。
こんな調子であれこれ入れっていくと、いつのまにかシステムの動作はなんとなく遅くなっていく。うむ。これではいけない。いらない機能拡張は外そう、と思って外してみると、あれほど愉快だった画面が、全く味気なくなってしまっている。人間は一度華やかなものや、豪華なものに慣れてしまうと元に戻ることはできないのである。
例の私のHypercardでつけている日記を読むと、この時期の日記には異常に誤変換が多くなっている。何故かと言うと、HyperCardではインライン変換ができず、特に変換及び確定に時間がかかるようになってしまっていたからだ。それが待ちきれずに次の言葉をタイプすると、誤変換の結果がそのまま残ってしまう、という図式である。
この時期私は日記を書くのにかなりストレスを感じていたことを今でも覚えている。私は卒論を書いた時以来、キーボードはブラインドタッチで打っている。そしてその早さは時々人にはったりをカマスのに十分なほどなのだが、この場合は裏目に出た。私の愛するMacintoshは私のタイプのスピードについてこれなくなってきていたのである。これは特に当時、フラストレーションを日記にぶつけていた私にとっては深刻な事態となっていた。フラストレーションのはけ口である日記を書こうと思うと、帰ってストレスがたまってしまうのである。
そこで私はだんだんと自分のMacintoshを高速化することを考え始めた。
ここでMacintoshの世界に起こった変化をちょっと述べておく必要がある。1991年のおそらく9月か10月だったと思う、それまでMacintosh-IIシリーズが綿々と生き延びていたのであるが、ここで新しいCPU,68040の登場とともに、高速のQuadraシリーズがリリースされることとなった。それと同時にApple初のNotebookコンピュータもリリースされるとになっていたのである。(ちなみに私が愛していたIIcxはこのとき製造中止となったが)
さて私が実際にQuadraにさわる機会はなかなか訪れなかったが、どうもいろいろな雑誌のレビューを読んでみると、脳味噌がふっとぶほど早いらしい。しかしそれとともに若干のソフトウェアの互換性の問題があるらしい。ものによっては動かないらしいのだ。
この「若干のソフトの問題」にこだわった私はそれからいくつかの選択肢を考えることになった。
私は問題に対して、正面から一番単純な解決方法をとることをせず、ちょっとひねくれた方法をとることがままある。そして大抵の場合こうした「回りくどい方法」は費用と時間の無駄に終わる。
当時はそれほどこうした問題を認識していたわけでもないし、今でも認識はしているが、なかなかなおらない。当時の私が高速化のために何を考えたかというと、「68040をつんだCPUのアクセラレータを購入する」であった。当時Radius社からRocketと称するアクセラレータが発売されていた。これは結構いいかもしれない。大抵のアプリケーションでは高速化の恩恵をうけられるだろうし、互換性に問題があるアプリケーションではアクセラレータを切って使用すればいいわけだ。
このアクセラレータは結構なお値段であった。($2600)しかし当時の私はほとんど購入の手前まで行ったのである。
ところがそこでふと気が変わった。例のStanfordのBookStoreでは、アップグレードも安く可能だったのである。IIcx→IIciのアップグレードは$1500であった。おまけにIIciにキャッシュカードをつければ、かなりの高速が得られる、というデータもあった。
このオプションをとると、アクセラレータの購入に比べて$1100予算を浮かすことができる。その浮いた金をNotebookのMacintoshにまわそう、と考えたのである。
さて学校生活で息も絶え絶えになりながらこんなことばかり考えていた。学期末はいつも勉強のストレスで不眠症に陥る。疲れ果てているのに眠れなくなる。夜中にごそごそ起き出してMacWorldなどを読みながら買ってもいないコンピュータのことばかり考えていたのである。
Cheers:(参考文献一覧)私の好きな30分ものコメディ。再放送を異様にたくさんやっている。最初は「一体どれが新作だ?」と論議がされたものだが。本文に戻る
日本の宅急便の確実さ:この時はちゃんと受け取れたからよかったようなものの、一度引っ越し間際に荷物が配達された時には、結局その荷物は行方不明となってしまった。もっとも未だに誰がその荷物を送ったのかわからないのだが。本文に戻る
ポテトチップでもチョコレートチップでもないところのコンピュータチップ:この表現はStanfordでとった講義で、元DARPA(Defense Advanced Research Project Agency)のディレクターが行った講演から借用している。この講演は金を払うに値する見物であった。私は一般的に官僚を忌み嫌っているが、洋の東西を問わず官僚機構の上位に座る人間は一筋縄ではいかない。本文に戻る
Apple初のNotebookコンピュータ:この前にMacintosh portableという巨大なポータブルコンピュータがリリースされていはいた。(留学の時に大変お世話になったMr. ARはこれを購入していたのである)このコンピュータのスペックは結構魅力的ではあったが、あまりに高すぎ、あまりに重すぎた。実際このコンピュータを持ち歩くことのできた人間はいないのではないか?某Macintosh雑誌では「世界で一番重いボートの錨」と称されていた。本文に戻る