題名:若者に通じない用語-Part1

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日付:1999/6/25

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「コンピューターの世界はとても進歩が早い」、これはHugeHardがそのOS戦略を変更する度に使う便利ないいわけである。

しかしながら、私としてはそれがコンピュータに関することだからと言って「人間の社会というものは時代とともに変化するところと変化しないものがある」という信条を変えるつもりはない。私が考えるところではコンピュータの世界であっても、変化の早い部分と、とてもゆっくりな部分がある。Object指向言語なるものが初めて形を取り、多くの人に対して提示されたのは今からおよそ20年前なのだ。それからObject指向はゆっくりゆっくりと普及し、ようやく基本となろうとしている。

こうした事を考えるとき、何に対しても「コンピュータの世界はとても進歩が早い」という、他人を煙にまくような言葉を使う人間は結構頭がいいか、あるいはその言葉に自分がだまされるような人だ。そしてこの場合は後者の可能性が高いと思うのだが。

だといって「コンピュータの世界はとても進歩が早い」という言葉が全く間違っている、と言いたいわけではない。私はどちらかと言えば「変わらない部分」に思いをはせることが多いのだが、「変化の早い部分で」「進歩」という名によってその役目をとても短く(これも主観的な尺度だが)終えた言葉も多々あるのだ。さて、問題です。何故こんな事を言いだしたのでしょう?

 

1998年10月からの9ヶ月というのは私にとって悪夢のような日々だった。NTTソフトウェアという会社に入社したとたんNTTデータに派遣社員としてほっぽりだされ、奴隷のような形で働いていたからだ。

しかしそのなかでもその最後の時期は同じGrで働く人間にとても恵まれていたのである。その中に若い者が二人いた。一人は新入社員で、もう一人は入社2年目である。そして認めたくないことであるが、私は彼らより一回り以上年上となっていたのである。

いつのまにそんなに日々が過ぎ去ったのだろう、などと考えている暇はない。彼らとなんやかんやと一緒に働いている間に、時々妙なことに気がついた。私が発した言葉に対して、彼らが「?」という反応を示すのである。

「何?○○を知らないのか?」と聞き返して、「ほれ。あれがこうして、、」と説明を始めると相手は「知りません」と素直に応える。そうして私も「そういえば最近みないな。。」とふとそれが過ぎ去った過去の物となってしまったことに気がつく。

さて古今東西を問わず、年を重ねた人間には共通の性質がある。「昔話をさせると長い」という奴だ。私はあまり若くないし、日頃他人が「ああ。何故この人はこんなに話が長いのだろう」と嘆きたくなるほど気が短いのだが、はと気がつくと自分が(たぶん他人にとっては退屈な)昔話を延々としていることに気がつく。

これはいけない。。。私と働いているだけでかなりのフラストレーションを感じているであろう彼らにこれ以上ストレスを加えるわけにはいかぬ。私としてはなんとか対策を考えなくてはならない。

その回答がこの文章である。こうしたHP上の文章というのはこの点便利だ。とにかく私は「とりあえず書いたぞー」ということで大変心の平穏が得られるわけだし、たぶん誰も最後まで読まないから誰かを無理矢理退屈させることもない。

というわけでつれつれと書いてみよう。

 

さて、そう書いている間に、「考えてみればコンピューターやオフィスでなくても若者には通じない昔話がある」ということに気がついた。というわけで、題名は単に「若者に通じない用語」とすることとした。

グリーンディスプレイ

ライトペン

プリンタ連続用紙

独身寮、公衆電話

8インチフロッピ

ロック魂について-独身寮補遺

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グリーンディスプレイ

この言葉が死語になってしまったのに気がついたのは、ある日「ところで今のシステムの端末はどうなってるんだ」という話題になったときである。私たちは今動いているシステムの次世代のシステムを検討していた。次世代ではサーバー機に接続されたPCを端末として使う予定になっていた。まあ今ではあたりまえの話である。ところがこうしたPC-パーソナルコンピュータなるものを業務に使用しても問題ない、と認知されたのはそんなに遠い昔では無いのである。

そう遠くない昔には「端末」といえばその名の通り、大型のコンピュータにぶらさがって、そこから言われたとおりの文字を表示するだけのものであった。通称Damn Terminalである。表示するのは文字だけだから、カラーなどこったところでしょうがない。さて単色で表示するとして、何色がいいだろう?

たぶんこの問題については私の何十倍も詳しい人がいると信じるが、とにかく私が知っていることだけについて書いてみよう。

ある時期、こうした「端末」に表示される文字の色は黒地の画面に「緑」と相場が決まっていたのである。目が疲れたときは、緑の樹木を眺めるといいというではないか。また私は視力が落ちて眼科医に相談して「50m先の緑を見ながら歩くようにしなさい」と言われ、その通りに実行して視力を回復させた、という体験談を読んだことがある。つまり緑は目にいいのだ(ということになっていた)であれば目が疲れるディスプレイ作業の負荷を少しでも軽減するために、文字を緑色にすべきではないか?

従って一時期確かに「グリーンディスプレイ」なる言葉が存在していたし、わざわざ白黒のディスプレイの全面に取り付ける緑色のフィルタまでが存在していた。正直言えば文字が緑色をしていようが、白色をしていようが、長い間使っていれば目は疲れたのだが、我々は普通に使っているだけでそれらを定量的に比較するなんてことはできるわけがなかった。そして確かに「気休め」という点での効果はあったかもしれない。

さて時は流れて1984年である。私が大学から卒業しよう、というその間際に、私が所属していた学科にIBM5550が数十台寄贈された。このIBM5550というのもこの「若者に通じないコンピュータ用語」の範疇にいれてもかまわないような代物である。名前のとおりIBMが製造、販売していたパソコンで、安定したブランド名を重んじる多くの企業に大変受けがよかった。実体はIBM-PCかと思えばそうではない。かといって当時はやりだしていたPC-9801の系統でもない。とにかく不思議なパソコンだった。

さて私はそのパソコンを目の当たりにしたとき、ちょっと不思議な思いにかられたことを覚えている。ディスプレイが黄色い文字を表示していたのだ。ちょっとまて、文字は緑であるべきではないか?黄色なんて緑からはほど遠い色のように思える。こんなんでは目が必要以上に疲れるではないか。

さてそれから一つにはパソコンではグラフィックス表示、しかも多色のカラーが標準となったせいもあろうか。グリーンディスプレイを見かける機会は激減した。最後に私が見たのは以前勤めていた会社で使われていた大型コンピューターの端末だっただろうか。

さて時は流れて先日のことである。インターネットをあさっていて、なつかしの「グリーンディスプレイ」という言葉を見つけた。そしてそれが急速に絶滅した真の原因を知ったのである。

米国である研究がなされた。本当にグリーンディスプレイは目にいいのか?結果は意外なものだった。なんでも緑色の文字が動くと補色のピンク色の残像が残る。そしてそれはとても目に悪い、という。おそらくはこの結論が世の中に広まるとともに、誰も文字を緑色にしようとは考えなくなったに違いない。

かくしてこの「グリーンディスプレイ」は若者に通じない言葉となったのである。この言葉が語られたのは前述の「現行システムの端末は?」という問いに対して「キャラクタベースの端末ですよ」と応え、それに対して相手がさらに「グリーンディスプレイとか」と言ったときのことである。そこにいた35を越えた人たちはけけけと笑ったが、若い者はきょとんとしていた。しかしあの研究がなされなければ、最近のゲームボーイなどの液晶も緑色のセロハンを表面にはられていたかもしれないのだが。

 

ライトペン

「次世代システム」の打ち合わせをしていたときの事である。例によって「現行システムの端末について」の会話になった。キャラクター端末だということで入力はどうするのか?という質問がでたときに誰かが「ライトペンでも使ってるのかな」と言った。

私はその人が本気で言ったのかあるいは冗談で言ったのかわからなかったが、例の若い男はまた「?」という顔をした。

彼の傍らにいた若いがもう少し年のいった男が「ほら。コンサートとかでふるあれだよ」とボケをかましていた。「それはペンライト」とつっこみをいれたが、もともと「?」の表情を浮かべた男には不幸にしてどこがぼけで、どこがつっこみかわからないのである。

そこからしばらく「そういえばライトペンって最近見ないね」と年寄りの間で昔話に花がさいた。誰かが「そういえば列車の予約が一時ライトペンじゃなかったっけ」と誰かが言った。

列車の予約と言えば、昔はあやしげな帳面のような板をめくって、それにこれまたあやしげな棒のようなものを差し込むシステムだった。あれは結構長い間使われていたのではないだろうか。今のように或程度User Interfaceというものが標準化されてしまうとあやしげなインプットデバイスにはあまりお目にかからなくなるが、あの入力装置を考えた男は結構おもしろい人だったのかもしれない。やはり試作とか評価とか、懐疑的な上役に対する説明なんてのを延々と繰り返したのだろうか。

さてその後確かにライトペンで入力するシステムにお目にかかった気がする。最初に発言した男の弁によると「導入されて最初は、なかなか入力できずに係りの女の子が困っていた。みけんにしわをよせて、画面を”こん、こん”と叩いているのだが、なかなか入力できない。こちらは列車の時間が迫ってきていてあせっていたのだが、係りの女の子がかわいいから黙っていた」だそうなのだが。

私がライトペンなるものに最初にふれたのは、日立が作っていたパソコン、Basic Master Level IIIが発売されたときのことである。名前が示すとおり、このマシンはBASIC Masterシリーズの第3弾であり、精密なグラフィックス(とはいってもたかがしれたものだったが)とライトペンを入力装置として備えているのが売りであった。

さて、その当時はゲームのプログラムソースが雑誌に載っていて、それを観ながらすべて打ち込む、ということが可能だったのである。(仮にMicrosoftに天変地異が起こって彼らがExcelをオープンソース化する、と決めたとしても誰がそれを紙で読んで一行一行入力しようと思うのだろうか?)そうしたゲームに古の名作「ミサイル・コマンド」というものがあった。早い話上空からわらわらふってくるミサイルを迎撃して地上の都市を守るゲームである。それから10年あまりして、本物の対ミサイル防空システムの仕事をするようになるとは思いもしなかった私であるが、そのゲームのPC-8001版を打ち込んで遊んでみたことだけは覚えている。迎撃ミサイルのねらいはカーソルキーで移動する十字線でつけるのだが、同じプログラムのBasic Master Level III版はライトペンでねらいを付けるようになっていた。そのプログラムの解説記事には「力をいれすぎてディスプレイを割らないでください」と書いてあった。そのプログラムはBASICで書かれていて、その反応速度は人を発狂させるようなものだったからその記事を書いた人間の意図がどうであれ、実際にディスプレイを割らないまでもライトペンを壊した人間くらいいたのではないか。

 

さてそれから数年後、私は社会人として給料などをもらう身分になっていた。私が最初働いた会社では、CADAMというCADシステムを大量に(当時の基準でだが)導入していた。何故かといえば、その部署が先進的な試みをしていたからではなく、航空宇宙業界の常としてアメリカの企業にならっての導入だったのだが。

そのCADAMの入力装置がライトペンだった。端末がたくさんならんでおじさんたちが恐るべきスピードで作図をしている部屋にいくと「こん、こん」とライトペンで画面をつっつく音がひびいていたものだが。

それからしばらくの間、-Macintoshが普及し、Windowsが普及するまでの間であるが-日本のパソコン雑誌では「GUI無用論」なる不毛な論争が目に付いた。曰くMacintoshのようなGUIは不要だ。DOSのコマンドラインのほうが使いやすい、うちの嫁もそう言っている、、といったたぐいの論調である。まだこんな論調が吹き荒れるくらいだから、当時日本ではポインティングデバイスの必要性すら認識されていなかったに違いない。今はNote パソコンといえば必ず何かのポインティングデバイスが付属しているが、当時はそんなものは存在しないかあるいは「付属品として付加可能」といったレベルであったのである。従ってマウスなるものも存在も「一部のユーザーに必要」と思われていたのだから、まだライトペンが生き延びる余地もあったのではないか。

 

さてそうした事情はWindows3.1の登場とともにすっかり変わってしまった。昨日まで「MacintoshよりもDOSが使いやすい」などと書いていたパソコン雑誌は一夜にして「これでDOSマシンもMacintoshなみの使いやすさに」と手放しでGUIを礼賛するようになった。かつて「鬼畜米英」から「マッカーサー万歳」に数週間で転換した国であることを考えればこれくらいは何でもない。そして世の中でポインティングデバイスといえばマウスとなり(あるいはせいぜいトラックボールかトラックパッド)そしてライトペンなるものの存在もすっかり消え去ってしまったかのようだ。

素人考えだが、ライトペンの避けがたい宿命として「肝心のポイントしている位置が画面上で見えない」というのと「ポインティングの精度がよくない」というのがあったのではなかろうか。いずれにせよこの業界ではシェアが或程度傾き始めればすべての製品はそちらに流れる。私が働いていた部署でもCADAMからCATIAに乗り換えるに従い、あのディスプレイを「こん、こん」と叩く音から、マウス(のようなもの-あれはどちらかといえばタブレットだろうか)をすべらせる音に変わっていったのではないか。そして平成も二桁になった今となっては新入社員が「ライトペン」と聞いて不思議な顔をするのがあたりまえ、となったのである。

 

プリンタ連続用紙

 ある日のこと、若い者に「大坪さん。スプロケットってなんですか」と聞かれた。

私はちょっとびっくりしながら「ほれ。あのプリンタについてるやつだよ。連続用紙の紙を送るのにいるだろ。あのキャタピラみたいな。。」などと言葉を連ねたが相手はきょとんとした顔をしている。その瞬間私は「そういえば最近連続用紙のプリンタなどは見たことがない」という事実に気がついたのだ。

 

今をさること15年前、私は研究室でパソコンを使ってあれやこれやとプログラムを作っていた。そして頭が疲れると大抵の場合プログラムのプリントアウトに走るのである。長年の経験から自分があまり深い意味もなくプログラムをプリントアウトしているときは必ず仕事が行き詰まりそして頭がウニになっている状態である、ということを知ったのだが、まあそんなことはどうでもよい。そしてその当時プリンタといえば大変やかましいドットインパクトプリンタのことだったのである。

ネットワークでプリンタを共有するなどというのはまだ遠い遠い世界の話だった。プリンタというのは少なくとも私の生活範囲においてはパソコン一台に一台ついているものだった。(プリンタ切替装置なるものは当時から存在しはじめていたが)そしてその用紙をセットすることは結構忍耐を要する作業だったのである。

プリンタ用紙の両脇には穴が連続的に空いている。そしてプリンタには左右にその穴にひっかけるべくとげ(のようなもの)がついたちょっと細長いキャタピラのようなものがついている。従って用紙をちゃんとこの穴にあうようにセットすれば、キャタピラが回るにつれて用紙も順次送られめでたしめでたしとなるはずである。

ところがぎっちょん。世の中の常でこう簡単にはいかない。非常にしばしば起こることは、プリンタ用紙の穴が左右で一つずれた状態でセットしてしまうことである。穴が二つや三つもずれていれば即座にわかるだろうし、第一はまらないのだが、一つくらいではきちっとはまってしまうのである。そして穴の間隔はプリンタ用紙の横幅に比べて小さいから多少紙が斜めになるくらいで、見た目ではまともそうに見える。そして「えいっ」とばかりにプリントアウトをはじめる。

 

最初の数秒はプリンタはおとなしく文字を打ち出す。あたかも我々を欺くためのように。ところがその心の平和は長くは続かない。いつしか紙のずれは誰の目にも明白となり、打ち出した文字はずれてしまい、そしてぐしゃぐしゃと紙が変形し「ぶつぶつ」と言いながら再び紙をセットしプリントアウトし、、という作業を繰り返すことになるのだ。

この時期のプリンタにはもう一つ問題があった。大変やかましいのである。私が知る限り一番うるさかったプリンタはAppleのImage Writer LQである。このプリンタはレーザープリンタが全盛になる前夜に生まれたようなもので、その解像度だけみれば確かにレーザープリンタから毛を3本抜いたようなものに見えた。しかしながらその騒音たるや絹を引き裂く、というか鉄板を引き裂くというか(そんな音を聞いたこともないが)とにかくオフィスにおいてプリントアウトしようものなら、まわりから苦情続出必定という代物だったのである。(これはかなりやかましかった当時私が働いていたオフィスにおいても真であった)

他のDot Impact Printerはそこまではうるさくなかったとしてもその騒音は最近のレーザープリンターの比ではなかった。従って当時はこのプリンタを納める防音ケースのようなものが存在したのである。私が入社当時「こいつはすげえぜ」と思ったパソコンルームの様子は次のようだった。ずらりとならんだPC-9801。専用の机にはこれまた専用のプリンタ防音装置がついてる。そしてその中には1台のパソコン毎に一台のプリンタが鎮座して連続用紙を吐き出している。紙のかけかえは防音ケースをあけて「ごそごそ」とおこなう。

こうした状況が変わりはじめたのは昭和の終わり頃である。私が働いていた設計室にある日レーザープリンターがやってきた。フィーンとかいう音とともに見事な品質のプリントアウトが吐き出される。誰もレーザプリンター用の防音ケースなど考えもしなかった。(見た人がいれば教えて欲しい)そのころはMacintoshとともにDTPなる言葉がはやっていたこともあり、なんとなく「レーザープリンターの出力はきれいだから、きれいに打ち出す必要のある紙を打ち出す装置」と思っていたのである。

さて年号が変わって平成元年。私はトラブル続きのあるプロジェクトを手伝っていた。そのプロジェクトは、つまるところあるシステムから吐き出されるデータをモニターするものであり、HPのWSが使われていた。そして出力用についていたのがレーザープリンターだったのである。なんだ?なんできれいな文字を打ち出す必要が有るんだ?ここで出力するのはせいぜい数値データとプログラムリストくらいじゃないか。

などとと思ったらそのうちそのありがたみが解ってきた。リストや、べたうちのテキストデータを出力するのでさえ、レーザープリンターのほうが遙かに早いのだ。そしてあの悪夢のような「連続用紙セット」をやる必要がないのである。私は調子にのってばんばん無駄な紙を出力したのは冷静に考えればあまりほめられたことではなかったのかもしれない。しかし当時そのプロジェクトは私が喜びのあまり無駄紙を出力するなどという細かい事にこだわっていられないほどてんやわんやの状態だったのである。

そして平成も10年を超えた昨今。プリントアウトに関しては世の中はすっかりかわった。プリンタはLANで共有するのがあたりまえになり(そうでなくてはとても個人の机の上におけないではないか)そして「ぎー、がーっ」などという騒音をたてずに「ふぃーん」(これはレーザープリンター)とか「しーこ、しーこ」(これはバブルジェット)くらいの静かな音をたてて動作するようになった。出力内容がプログラムリストだろうが、プレゼン資料だろうが基本的には同じである。今や研究室や倉庫の片隅にころがっているもの以外で連続用紙を吐き出すプリンターを見かける機会はすっかりへってしまった。最近の若者が「スプロケットってなんですか?えっつ?連続用紙?」と質問するのも宜なるかなである。そんなことを考えているとパソコン一台につき一台存在していたあのプリンタ防音ケースがどのような運命をたどったのかふと考えることもあるのだが。

 

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 Coming soon....

青焼き・白焼き(日光写真)

 

 


注釈

人間の社会というものは時代とともに変化するところと変化しないものがある:(トピック一覧)この線を引くことは私にとってとてもChallengingな課題だ。本文に戻る