春になれば

日付:1999/2/26

五郎の入り口に戻る


2章

次の日、私は前の日よりももっと背筋を伸ばして通勤した。目処は何も立っていない。しかしとにかく膠着した状態に動きがでてきそうである。そう思っただけで多少なりとも気が楽になる。

前日向こうの担当者の電話は留守番電話になっていたから、私は「大坪ともうします。明日の昼頃お電話させていただきます」とメッセージを吹き込んで置いた。さて自分でこう言っておいて考えるのもなんなのだが、昼頃、とはいつを意味するのだろう?普通考えると12時前から1時後であろう。しかし世の中昼休みがこれとは少しずれている集団もたくさんあるのだ。となるとまあちょっと余裕を見て11時半頃かあるいは1時半すぎであろうか。その日の午前は何をしていたか覚えていないが、とにかくはっと気が付くと11時45分であった。午前中の機会は逃してしまったようだ。こうなれば午後に電話をかけるしかない。

お昼休みは13階にあるコンビニで買った玄米おにぎりを食べて、あとの時間は大抵寝ている。どうも私は集団でぞろぞろとご飯を食べにいくのが性に合わない。だからこの日も昼休みは寝ていたのだろうか。あるいは本を読んでいたのかも知れない。最近どうも不眠症気味なのだ。

さて13時になると私はふたたび本を広げて何かを読み出す。何を読んでいるかといえば、ほとんど郵便局の取り扱いに関するものである。今はこれを調べることが給料をもらう方法なのである。まあ人間の属する団体の取り扱いであるからそこにある種のおもしろさを見つけるのはそんなに難しいことではない。しかし私はこんなことをやるようになるとは聞いてはいなかったのだが。

さてふと顔をあげると13時20分になっていた。予定した時間よりちょっと早いが、別に約束したわけでもないし、いまから10分この本を読もうと思っても、どうせ気が落ち着かずにろくに読めるわけがない。「さーて。一発電話でもするかな」と一人でつぶやきながら13階に向かった。

私が働いているのはビルの9階だ。基本的にはここからほとんど動くことはない。13階には食道があって、公衆電話もある。しかし一台しかないから誰かが使っていればまたなくてはいけない。今日はどうだろう、と思って覗いてみれば30台くらいの女性が何か話している。しょうがないちょっとまたなくちゃ。

ぼーっと前を見れば、そこにはコンビニのようなものがある。私が毎朝昼食のオニギリを買っているのはここだ。その前では靴の特売をやっている。おじさんが一人暇そうな顔をして新聞を読んでいる。ふとここでサンダルもどきの靴を買おうかと思ったがやめた。派遣社員は身だしなみに気を使わなくては。前の会社では上司に何を言われてもネクタイをしめなかった私だが回りがお客様の団体となれば話は別である。見ているとこのおじさんはずっと昼休みの間中新聞を読んでいたのは無かろうか、という気がする。それくらい腰を落ち着けて読んでいる。前には山のような靴がある。これから彼はこの靴の山をひとりで運んでまた店に持ち帰るのだろうか。はたして今日はいくつの靴が売れたのだろうか。

などと考えているのだが前の女性の電話は終わらない。声が大きいから聞き耳をたてなくても話している言葉の端々は耳に入ってきてしまう。「○○スタッフのXXです」とか言っているから人材派遣会社の管理職であろうか。考えてみれば今の私も(会社はそうは思っていないようだが)人材派遣として給料をもらっている身の上だ。人材派遣会社の管理職というのは実に変な商売である。仕事について相談をもちかけられたところで、彼らに何ができるわけではない。仕事のやり方に着いて文句を言われたところで彼らは客先に対して文句を言うことはできない。せいぜいが勤怠管理を遠くから行うくらいしかやることがない。前の会社では、年齢が上がってきて出向すると今まで課長さんとしていばっていた人が、人材派遣会社から来た人達の間を文句をいわれながら巡回する立場になるのを何度も見ていた。そして「あと何十年かつとてめて、ああいうところで雇ってもらえれば幸せなのだろうか」と思っていたものである。ところがその立場は今や自分が目指すべきもの、として示されることになった。というかあと何年か後に確実に迫っているのである。

等と言うことを考えてはみたが、前の女性の会話はまだ終わらない。どうも長話をしているようではないのだが、何軒も電話をかけているようだ。そのうち連れの女性が来たらしく、何かを話している。私の位置からでは彼女の電話が終わったのかどうかわからない。まあちょっとしたお話くらいあるやもしれん。とりあえず私はおとなしく待っていた。するとそのうち声が大きくなりはじめた。様子を見ると彼女たちは電話の前で身繕いを始めている。今まで電話をかけていた女性の髪型がどうだといって前をむいたり後ろをむいたりしている。私は彼女たちの姿をみて、猿山の猿がお互いに身繕いをしている姿を連想していた。2匹の猿、いあ彼女たちはさっきからここに立っている男が電話を待っているとは少しも考えていないのだろう。「電話おわりましたか?」と聞こうとした瞬間に彼女たちは意気揚々とその場所を後にした。とても幸せそうな顔をしながら。確かにあれならば世の中気楽に渡っていけるだろう。

 

さて彼女達が去った後の電話にカードを差し込んだ。彼女たちの身繕いを姿を見ていらいらしたのは結構救いになったかも知れない。こうして会社から別の会社にあらぬ用事で電話をかけるときはいつも結構緊張する。彼女たちのおかげで余計な事を考えずにすんだのだ。以前は工場の隅や人気のない一階や、いろいろなところで電話をしたな、、と思いながら番号を打ち込んだ(昔はダイヤルを回した、という表現をつかったものだが、最近はどういうのだろう)

「はい。M−T、採用部です。」と昨日聞いたままの声が答えた。私は「私NTT-Softの大坪ともうします。先日お電話いただきまして」とまくしたてた。相手は「はい」と同じ声で答えた。普通はこのところで多少は「ああ。お待ちしてました」と言ったニュアンスの返答があるものなのだが、相手の返答はとても丁寧でかつ全く感情の起伏がない。相手は「少々お待ちください」と言った。考えれば相手は打ち合わせの最中か何かだったのかも知れない。

それからしばらく私は何かのピアノ曲を聴くことになった。こうした時間はすることがないから何かを一心不乱に見つめているフリをする。実のところ何も見ていないのであるが。さてピアノの音楽がとぎれると先ほどと全く同じ声が響いてきた。「面接に来ていただきたいと思いまして。日にちを申し上げてもよろしいでしょうか。。。3月2日の11時か、3月3日の16時でお願いしたいのですが」と相手は一気にまくし立てた。

あいかわらずの平板なしゃべりをちょっと気にし始めてはいたが、私は早急に別の事を考える必要があった。最近一週間の仕事のパターンは決まっている。月曜日に内部の会議としょうする演説会がある。火曜日には別の会社の人達も集めて私がTuesday night meaningless marathon meetingと呼んでいる会議がある。これは一人を除いて出席者全員が大嫌いな会議だ。会議を仕切っている人間が主な出席メンバーの中では一番頭の回転が遅いし、コンピューターについて知らないが、結局会議は彼のペースで進められる。一度だけこの男が出席しなかったときの様子を私は忘れることができない。懸案項目が少なかったこともあるのだが、会議は驚異的なペースで進み、3時に始まり、5時に終わった。その時の出席者全員のうれしそうな顔、これは一人を除いた全員の感情を雄弁に物語っていた。

しかし彼は主催者だから滅多に欠席しない。彼のつぶやきとも聞こえる独り言が始まるとそれを止める方法はない。彼は耳をふさいで自分だけの世界に走っていってしまう。しかし彼はこの出席者の中では客先であるから彼に対して異を唱えることはできない。すくなくとも仕事の進め方については彼が言ったことが真実となるのである。私はこの会議に何度か出席して発狂しそうになったあげく、発狂をさけるための精神コントロール方法を開発した。

これは簡単なことで、会議は異常なスローペースで進むから頭の働きを10%程度に落として、自分に関係あるキーワードだけ検知するようにして、残りはSleep状態に置くか、あるいはどこかの浜辺でねっころがっているところを想像するのである。ちょうどこのころHawaii観光協会のポスターが品川駅にべたべた貼られていた。青い海に浮かんだ大きなチューブ型の浮き輪に太った男が乗ってのそべっている写真である。私は決まってこの写真を思い出す。実際この写真と今の状況と何が違うというのだ?結局ほとんど発言する必要なないし(どうせ主催者は聞いていないから発言しても無駄だし)10%の脳を使って聞いていればだいたい話にはついていけるし、気温はだいたい快適だし、椅子はまあ豪華とは言えないが、小学校で座っていた木の椅子よりはるかにComfortableだ。目をあければ多少殺風景なのが玉に瑕だが、それはまあ我慢しよう。。耳にわけのわからない発言が飛び込んでくれば、それは「ああ。波のささやきだな」と思いこむ。信じるものは耳目を閉じて救われるのだ。

こういう風に考えると結構意味のないマラソン会議でも耐えられるのである。必要は発明の花とはよく言ったものだ。今の私はあらゆる手を使って生き延びることのできる時間を引き延ばす必要にせまられているのだ。

水曜日は何もやることはない。しかし木曜日にだいたい客先との打ち合わせがあるのである。すると場合によっては水曜日に遅くまで残って何かを作ることがあるかもしれない。

「面接の場所はどこですか」と聞けば同じ品川だと言う。「品川駅から歩いて何分ですか」と聞けば相手は「ちょっと待ってください」と言った。実際彼女はこの言葉を発するときだけいつもの完璧な平静さからちょっと逸脱した。私はそれを聞いて少しほっとしたのであるが。

さて彼女がおそらく他人に聞いたであろう答えは「バスで5分」である。これならば火曜日であれば朝の10時半頃に抜け出して、13時前に帰ってくることもできよう。面接は1時間ということだが、実際この時間でおわるかどうかは神のみぞ知るところである。ただし面接はいつも結構気力と体力をふりしぼるものである、ということを考慮しておく必要がある。火曜日を選択すれば、抜け出すのはたやすかろう。しかし面接でよれよれになったあげく、Marathon Meetingに出席する必要があるやもしれん。そうなったときは得意の「私がいるのはHawaii」という精神コントロールも助けにならないかも知れない。

水曜日をとれば多分午後3時半に会社を抜け出して、早引きとなるだろう。間違ってもそれから帰って仕事などできるものではない。これは木曜日に私が担当している案件が議題にのぼるかどうかで決まるのだが、今のところそれは全く不明だ。

しばらくまよったあげく私は「水曜日でお願いします」と言った。相手は場所の地図を送ってくれるそうである。まあ品川だから地図を見てふらふら行けばなんとかなるだろう。

 

さて電話は終わった。今まで何社と面接をしたか覚えていないが、人事の担当者の電話での印象が果たしてその後判明した会社の印象と何か関係があったかな、としばらく考えていた。よくよく考えてみるとあまり関係はないようである。今回応対してくれた女性の丁寧で全く感情が感じられない平板な応答は私を不安に陥れるものだったが、それはとりあえず考えないことにしよう。用心だけはどんなにしすぎてもしすぎることはない。この半年間の悪夢のような生活から何かを学ぶとすればそれがまず一番にあげられるだろう。しかし無意味な取り越し苦労はただ精神を疲労させるだけだ。

 

1998年10月1日に私はNTT-Soft NTTソフトウェアに入社した。内定の時は「関内の本社勤務」ということだったのだが、配属先の上司に挨拶したときに開口一番言われたのは「勤務先は品川だから」ということだった。実際会社には2週間いただけで、NTT-Dataという会社に派遣になり靴磨きか、塵払いのような仕事をしていたのである。

これでは人材派遣会社ではないか?面接で聞いていたときに「人材派遣」などという言葉は一度もでなかったし、彼らの言い分と言うのは「NTT-Dataは人間に近いところの設計をやる。NTT-Softはコンピューターに近い所を担当する」というものだった。あたかもNTT-DataとNTT-Softが対等につきあっているかのような言い方だ。しかし入って解ったことはNTT-SoftはNTTグループ内の下請け人材派遣企業だ、ということだ。

2度あった人事面談で直接の上司と事業部長にそのことを言ったが、直接の上司の答えはせんじつめれば

「そうだよ。うちは人材派遣で食ってるんだよ。私は人材派遣で人を送り込むのがとっても得意なんだ」

であり事業部長の答えは

「いや。あくまでも単なる人材派遣ではなくて、コンピュータに近いところを責任をもってまとめるのが本文だ。君は経験不足もあるし、ちょっとイレギュラーなことをやってもらっているにすぎない」

というものだった。要するに「聞く耳持たない」というわけだ。この両者の面接が終わったときに私は晴れ晴れとした気分であった。相手が何物かはっきりすれば対処方法を決めるのはとても簡単だ。

そうは言っても仕事は仕事だ。ちゃんとやらねばならない。私が担当しているフェーズの設計は6月で区切りがつくはずだった。つまり区切りまでちゃんと考えれば9ヶ月の作業だ。それを考えれば年明けくらいからなんとか考え出そうか、、などと考えていた。これが11月。

12月にはいって状況は悪化した。以前私が働いていた会社にも人材派遣会社(彼らの会社も自分達をそう称してはいなかったが)から来ている人達がたくさんいた。彼らの感想を聞くと決まった「不平・不満」というものがあった。曰く所詮責任をもたされない、曰く都合によってころころ仕事が変わる、曰く所詮自分の会社の為に働いているのではないのがいやだetcである。私は以前その不平・不満を聞きながらなんとかなだめる立場にあった。そして自分の含めた回りの人間が口先で「いや、どんどん仕事を持ってもらう」とかなんとかいいながら、心の奥底でどういう目でそうした派遣社員の人達を見ていたことだろう。そして今や私はそうして「協力会社社員」として人の足りないところに「柔軟に対応させられる」立場になったのである。

人間誰しもその立場になってみなければその人の気持ちはわからない。とは多分私がここで今更あげる必要もないほど誰もが「そんなことは知っている」と答えるような言葉だろう。しかしこれも世の中にある格言の常で、自分が「なるほど」と後悔するまでその言葉の本当の意味を知ることはない。おまけに知った気がしても時が経つと人間は簡単に教訓を忘れてしまう者なのだが。

NTT-Dataの社員は真面目であり、責任感があることだけは解った。しかし彼らの仕事のやり方は「天才的」としか私には表現できなかった。言っていることとやっていることの6割くらいは全く意味不明だったからである。定義によって彼らは愚か者ではないので、これは私の頭が悪くて天才的な彼らの仕事のやり方を理解できない、としか解釈のしようがないではないか。しかし彼らは視野と世界が狭い人間に特有の「傲慢さ」を12分に身につけていた。彼らはおそらく自分が出向して子会社に行くまで自分が何をしているか悟ることはないだろう。そして自分達の仕事のやり方はすばらしい、と幸せな妄想に浸って生きていくことだろう。井戸のなかの蛙は井戸の中で自分は王様だと思って生きることができる。井戸の外に何があるかしろうともしないし、知る必要もないのだ。井戸の中にぽちゃりと小石がおちれば彼らは大慌て。そしてそれが自然に収まればかれらは「すごい嵐を乗り切った」と得意顔。井戸の中に放り込まれたほかの観客はただひたすら拍手を送る。「まったくすばらしい手際でございます。感動いたしました」と。

そういう彼らの仕事のやり方に従っているだけでもストレスがたまるのに、私は彼らが心底でどういう目で我々を見ているか十分すぎるほど知っていた。実際彼らは認識していないだろうが、そのことを思い知らされる出来事には事欠かなかったのである。ということは私も以前の会社で、理解があるフリをしながらどれだけ無神経な事をやって彼らの気持ちを傷つけていたことか。

こんな事を考えていれば心と体の調子が悪化していくのは避けられない。私がどのような健康診断の結果をもらったかは前述した。そしてそれは時を追って悪化していくようだった。気力が萎えてしまう前に何か対処を見つけなければならない。私は年明けから(またもやだが)就職情報誌を読んだり、インターネットで転職情報をあさるようになった。これは簡単なレースで、私の体力と気力がつきるのが先か、なんらかの対処方法を見つけるのが先かの勝負なのである。

さてまず1月初め発売のTech Beingを読む。買ってからしばらくその部屋の隅にころがしておく。ありとあらゆる理由を考えてもこんな行動は馬鹿げている。この数ヶ月間何故自分がその行動をとらなければいけないかをいや、というほど考えてきた。おまけに私は既に転職した身だ。一つの会社に勤めなくていいのだろうか、、などということはとっくの昔におしゃかになった概念だ。少なくとも私にとっては。なのにどうしても情報誌を開くのは簡単なことではない。いつものことだが、現実を見せられる前は好きな事が考えられる。しかし現実はつねにそこにあり、私がどんな勝手な妄想を抱いていようがいまいがそこに厳然として存在しているのだ。そして実に何かを変えたいと思えば、必ず現実と向き合う必要がある。それがどんなに不愉快なものであっても。

私がその雑誌を開いたのは二日後だったと思う。毎週のことだが火曜日の夜、疲れ切って帰ってくると決心は強固になる。やはりここから出なければならないと。そして私は(本来だったら一刻も早く布団に入りたいのだが)一心不乱にTech Beingを読み始めた。NTT-SOFTも乗っている。相変わらず恥知らずな実体と全く違う広告を載せている。何が移動体通信の開発だ。人材派遣でお客様の要望に従って何でもやらせるならば正直にそう書けばいいのに。

さて目に留まった企業が何社かあった。しかしなかなかこれ、と言った企業がない。理由は簡単で私の希望がはっきりしていないところにある。

 

今をさること約6年前くらいから転職なるものを漠然と考え始めた。その時は「とにかくソフトの方面で面白い創造的な仕事」としか考えていなかったのだが。それからの変遷はとても長いのでとてもここでは書ききれない。とにかく、去年の8月に「そろそろ決めなくては」と思い「ソフトの分野でいろいろなことをやっていそうだ」と思って入ったのがこの会社だ。しかし人材派遣会社だとは想像もしなかった。面接をしているときにどうも相手の話す内容に危うい点がある、と思ったが。。。やはり「結婚するまでは両目を開けて探す」ことが必要か。

この数ヶ月で私は「これはやはり名古屋近辺で職を探した方がいいのではないか」と思い始めた。私は根が田舎者なので人があまりいないところのほうが好きだ。それに長男でもあるから、親の事もきにせねばならん。親もいつまでも若くて元気な訳ではない。それに結局友達づきあいは未だに名古屋の友達に限られている。今の職場でそうした個人的なつきあいがあるとはとても思えず、会社以外は寝てばかりいる生活ではいきおい前の職場の友達と遊ぶ機会ばかりが増えるわけだ。12月はなんやかんやで毎週帰っていた。これでは交通費だけでも馬鹿にならない。

さて問題は名古屋近辺で面白い仕事がみつかるか、ということである。求人広告を見ているとやはり圧倒的に関東圏が多い。ソフトの分野であればなおさらだ。結局名古屋には某自動車会社とその関連企業しかないのである。関連企業の大きなところには、一社はこちらから断ろうと思っていたら断られ、もう一社はこちらからお断りした。実はこの2社目のほうは今の自分にとって再び有力な候補として浮上しつつあったのである。この会社はそうExcitingではないようだが、真面目な商売をしている。そしてそんなに面白い話がないわけではない。同じ年頃の社員と会わせてもらってあまりの雰囲気の違いに泡を食ってお断りしたが、今いる職場から比べればはるかにマシだ。要するに今の状態は高望みをして選んだら、「お断りした会社」よりも遙かに状況が悪かったわけだから、今の状況からの改善を臨むのであればその会社で必要十分ということになる。一度お断りした会社に泣きつくのはまず向こうが受け入れないかもしれないし、第二にあまり格好のいいものではない。しかし今はそんな格好などにかかわってられる場合ではないのである。

そうはいってもそこだけにしぼってしまうつもりもなかった。今回会社を慎重に納得して選ばないとどうなるか、ということは身にしみて解った。となればもし他によりよい条件のところがあるならば、あるいは私が明確な形であれ、そうでなくても臨んだことに合致する会社があれば、そこを目指すべきだ。しかしこれが一番問題の所なのだが、「名古屋近辺で仕事」というのと「新しい分野のExcitingな仕事」というのは両立しないのである。

そんなことをぶつぶつ考えながら情報誌のページをめくっていく。まず目に入ったのはM−Tである。何故ここに目が止まったかと言うと、一つは携帯の分野で新しい開発をしようとしていること(私はとにかく「新しい」というと目が止まる人なのである)二つ目は去年私がNTT-Softに決めた直後に話があった会社だからである。しかしながら勤務場所は久里浜だ。久里浜は結局名古屋からは遠い。品川よりは田舎なだけ私の性にあうだろうが、、とりあえずページの端を折ってどんどん進む。するとあまりろくな求人がないことに気が付く。一つあったのは私には結構因縁深い(これは私のほうが勝手に考えていることだが)S社の子会社で名古屋近辺にある会社である。面白い縁だが、この会社には最近知り合いになった人が派遣で勤めている。ふーんと思ってこのページの端も折ることにした。

てれてれと残りのページをめくったがあまりろくな求人はない。ふーっとため息を付いてひっくり返った。帯に短したすきに長しとはこのことだ。もともとの私の願望が相矛盾しているからしょうがないのだが、両方はどうも同時満足できないようだ。。。とにかく今日は寝よう。明日も仕事だし。

 

そんなことをしていたのはほぼ一月前だ。そしてようやく一社と面接してもらえそうだ。私はその日は久しぶりに背筋を伸ばして歩いていた。あまり期待を掛けることは間違っている。大体の場合期待をするとろくなことにはならないのだ。しかし今の私には期待をしなくても可能性がある、と思うことだけでも必要なのだ。

その日の午後にはNTT-Softの上司との面談というか何かよくわからないものがあった。この人は気の毒な位余裕のない人であった。こちらが3しゃべろうと思って1.2くらいはなしたところで「いやそれはね。僕はこう思うんだよ」といって15くらいしゃべる。とにかくこちらに口を開かせない。そしてその15の間に自分の自慢話が4くらいまざる。

何故こんな話し方をするのだろう、と長年考えた末に、彼は「自分が優秀な人間である」という妄想を必死で守ろうとしているのだ、という結論に達した。人間は自分が大切にしているものを一生懸命守ろうとする。マリリンモンローはバストの形が崩れるのを怖れるため、ブラジャーだけはつけて寝ていたいと言う。そうした事は人間一般に普遍に見られることだから特に珍しくもないが、彼の場合はちょっと度が行きすぎていて滑稽だった。

「自分が優秀である」妄想を守ろうと必死のあまり、相手が何か自分の理解できないことを言うのではないか、間違いを指摘されるのではないかと不安でしょうがないのだろう。また自分で「自分は優秀だ」と思いこむだけでは不安で、人にも吹聴しなくてはいられないのだろう。その証拠に彼にちょっとからかわれるようなことを言うと、瞬間的に顔を赤くしてわけのわからないことをわめきだした。「自分は優秀である」という妄想を必死になって防衛し始めたわけだ。実に可愛いもんだ。自分のほうが上司なのだから部下の戯言くらい聞き流せばいいと思うのだがそれは彼にはできないようだ。また気の毒な事に「自分は優秀だ」としゃべりまくる人間をふつうの人は「優秀だ」とは思わないものなのだが、それにも彼は気がつかないようだ。あるいは気がついていてもしゃべらずにはいられないのかもしれない。

彼は去年の末に行われた人事面談の結果詳細を我々に示して何か説明していた。なんという無神経な仕事のやり方だ。人事面談は秘密だ、と思って腹を割って話すものだと思っていたがこんな形で公開されるとすれば、とても本音など話すわけには行かない。次に彼は我々が所属している部署の成績及び序列一覧表を示してなにか説明しだした。これも実名入りで全部公開である。世の中にはよんどころのない事情により能力があり、意欲があっても序列が下がってしまう人だっているだろう。それをあまり吹聴されたくない人だっているだろう。だからこれは私からいみれば信じられないようなむちゃくちゃな行為なのだが、彼にしてみれば「僕はこうしてフランクに情報を公開して部下とのコミュニケーションを図っている」ということらしい。ああ、こんな○秘の情報まで公開してしまうなんて、私はなんていい上司なのだろう、と彼は幸せな気分にひたれるのだろうか。

これがこの業界の「標準」であった。この業界の行動様式は私の理解をこえたものばかりだった。基本的に他人が何をするかは私がなんともできないことの一つだ。彼には彼のやり方があり、私が上司になったときにはこんな仕事のやり方をするつもりはない。だからどうでもいいこと、と言えば言える。私も若くないから上司に何かを期待する、なんてことは考えない子トンしている。しかしこの業界の上役はみんなとても退屈な人間であること。また一様に人の話を全く聞かないで演説をぶつことには閉口した。前の会社での上司との対話は、フラストレーションはたまったし、大抵の場合は時間の無駄だったがたまには面白いものもあったのだが。

彼には私の派遣業に対する不満はつたえてあった。彼は「聞く耳もたないわけじゃないんだけど、その前にいろいろ問題があってね」とさかんに繰り返していた。「他が忙しいから後で」と言って何もしないのを日本語では「聞く耳持たない」というのだと思うのだが彼の日本語はちょっと違うようだ。いずれにしろ彼に相談することなど何もない。あるのは通告だけだがそれはいつになるだろう。彼のわけのわからない自慢話と演説を聞きながら私はそんなことを考えていた。

私と同じ時期に派遣になって、すぐに持病の椎間板ヘルニアが悪化して2週間休んだ後に入院した人がいた。彼はとりまとめの立場だったので、人の追加などに関する客先との折衝も彼の仕事であった。ところが入院してはそれはできないので、当然その間は私の上司が代行するべきだ。ところが彼はなにもしなかった。当然の結果として客先の不評を買ったがそれを彼は全て「あいつがぎっくり腰なんかで休むから客先から文句を言われた」とその気の毒な人のせいにしていた。また彼は全然関係ないことがらでもちょっと追い込まれるとそれを言い訳につかうようだった。(最もそんな言葉でだまされるのは彼自身だけのようだったが)

ここで私がいきなり辞めるとか言えば、彼はまたとても便利な言い訳を手にすることになるわけだ。多分このプロジェクトで今後半年以上に渡って何か問題が起これば「大坪というやつがいきなり無責任にやめやがって、おかげでえらい迷惑だ」と全て私のせいにして彼は暮らしていくことだろう。

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注釈

人間誰しもその立場になってみなければその人の気持ちはわからない:(トピック一覧)「はげの気持ちははげにしかわからない」と言ったのは私の叔父だったが。詳細はトピック一覧経由「長い友達」参照のこと。本文に戻る

 

現実に何かを変えたいと思えば、必ず現実と向き合う必要がある:(トピック一覧)あたりまえのことだが、これができないのも私にとっては毎度のことだ。本文に戻る