東北の夏祭り-1年後

日付:2000/7/31

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弘前ねぷた祭り

朝起きて盛岡駅に向かう。反対側から人がたくさん歩いてくる。考えてみれば今日は水曜日で、今は通勤時間帯なのだ。私は川面を眺めたり、周りの景色を見ながらあるいているが、通勤途中の人たちはただ前を向いて歩いていく。

駅につくと時刻表の確認。そこで私は多少泡を食った。旅行の時いつも大抵の移動は鈍行で行う。その方が乗っている人たちが興味深いからである。地元の買い物客とか、高校生とかは普通特急電車には乗らない。そして彼らの様子、会話はいつも私にとって楽しい物だ。

しかしここでそのポリシーを貫こうと思えば、あと2時間はここでつぶさなければならない勘定である。何故か知らないが盛岡-青森間は特急の数のほうが鈍行より多いようで、鈍行は滅多にこない。というわけで妙なポリシーをあっさりすてて特急券を買った。

電車に寝るとまたもやぐうぐう眠る。何故こんなによく眠れるのだろうと不思議に思うほどだが、とにかく眠れる。時々は目が覚める。途中三戸、八戸とシリーズで地名がついているようなところをすぎる。同じく数字が頭についているがシリーズにはなっていない地名に三沢というのがある。ここは航空自衛隊の主要拠点でもある。しかし駅はとても小さく、はたしてどこに街があるのか、と思うほどだ。あのままの仕事を続けていればここに出張にきたかもしれなかったのだな。

などと考えながらふたたびうとうとする。ようやくぱっちり目が覚めたと思ったら青森についた。乗り継ぎの案内をつげる車内アナウンスが流れる。弘前行きが出発するまで15分ほどのようだ。

 

電車を降りると一旦改札を抜ける。15分後の電車にのるか、それとも昼飯をゆっくり食べて一時間後にするか少しだけ考えたが、ねぼけた頭で反射的に切符を買い、また改札をくぐっていた。先に不安要素-今日の宿のことだが-があるときにはなるべく早くついておいた方が状況によく対処できる、と書くとえらそうだが、とにかく私は小心物なので、旅に出ると

「とにかく先をいそがなくては」

という強迫観念に襲われるからなのだが。

 

ぱたぱたとホームにたどり着く。10分後の発車のはずなのに、電車の影も形も見えない。ホームには大学生のサークルか何かの人たちがのんびりと座っている。これはどうしたことか。列車の発車は11時50分。今は10時40分。何?

私はその瞬間自分が一時間時間を間違えていたことに気がついた。自分が間抜けでない、などと思ったことはないが、ここまでひどい間違いは寝ぼけていることを抜かしても久しぶりだ。しかしもう改札はくぐってしまったからあと1時間このホームでぼんやりしているしか選択肢はない。

少しため息をついた。しかしそう悲観することはない。この「ぼーっと時間をつぶす」ということは私の数少ない特技の一つなのである。本などを読んでいる間に時間はまたたくまに過ぎた。

青森から弘前はおよそ30分ほど。大きな都市というのは、目的とする駅の一つ前辺りから街が見え始める。とすれば弘前はあまり大きな都市ではないようだ。高いビルの群も見えない。

こうしてあちこちの都市を旅行すると、私には好きな都市のサイズというのが存在している、と思うことがある。大きすぎるとあじけないし、小さすぎると宿も何もなくて困ってしまう。弘前駅に電車がすべりこんでいく間、私はこの都市は私にとって好ましいサイズかもしれないと思っていた。

駅の案内所で今夜の宿をまず確保。お祭りの期間ということで通常の2割り増しということだが元が5000円のホテルだから何の問題もない。チェックインまでにはまだ1時間以上ある。とにかく場所を確認するか。

そう思い歩き出すと強力な熱波が襲ってくる。日陰にはいると少し涼しい、と自分に言い聞かせてみるのだが、日向の強烈な暑さには驚くほどだ。ここは本当に東京から新幹線と特急で何時間も北に来たところなのだろうか?

などと考えていてもしょうがない。ホテルの場所は簡単にわかった。昨日のように往復運動をすることもなしにである。となると今度は時間をつぶす場所を探さなければならない。ねぷたが通るとおぼしき通りはホテルからすぐ近くである。

 

通りについてみると、すでに歩道に「場所とり」のためのありとあらゆるものが陳列されている。大抵の場合はビニールシートなどを地面にガムテープではりつけ名前を書いている。中には椅子が並んでいるところもある。これは秋田と山形では観なかった光景だ。となると場所取りが白熱するほど混み合うのであろうか。とはいっても今日は平日だし、初日だし。

そんなことを考えながらなんとか熱波から逃れ、時間をつぶせる場所を探す。ありがたいことに古本屋がみつかった。この古本屋がまたかわっていて、喫茶コーナーを併設しており、貸本も営んでいるようである。新しくできた古本屋には漫画本しかおいていない場所が多く、そうしたところでは時間がつぶせない。ここはありがたいことにいろんな種類の本が置いてある。仙台にいた祖父が亡くなった後、祖父の書庫にあった本を

「何でももっていっていいよ」

と言われた。そのときもらった相対性理論入門の本を見つけ購入した。祖父からもらった本はどこかに行ってしまったらしく見つからない。この本には大間違いの記述があり、そのことをどうしても確かめたいと思っていたのだ。

さっそく喫茶コーナーで読みふける。なるほど。確かに大間違いだ。昔の記憶は間違いではなかった。本から目をあげてふと考える。無くなった祖父の書庫の本を

「何でももっていっていいよ」

と孫である私に言った時の祖母の気持ちはどんなものだったのか、などと。そんなことをしていたら時間は瞬く間に過ぎた。

 

ご機嫌になりホテルに向かう。ついてみると案内所で

「作りが古いです」

と言われたとおり、ビジネスホテルと名乗ってはいるが、トイレは共同。部屋にはシャワーがあるだけである。しかし今の私にとっては冷房があることが何よりもありがたい。さて、まだねぷたまでは時間があるし、この熱波の中を歩き回る気もしない。こてっと昼寝をすることにした。

 

目覚めるとだいたいよい時間になっている。表に出ると日はだいぶ傾き、熱波は少しおさまっているようだ。夕飯を食べようと思い、あれこれ探す。私はその土地の名物といったものに執着はないのだが、それでもせっかく旅行に来ているのだからいつもとは多少変わったものを食べようという気になる。

そう考え、先ほどの通りを端から歩いてみるのだがどうにも変わったものどころか普通の食事屋もみつからない。これは旅行の度に実感することだが、街が小さくなりすぎると外食産業というものが栄えにくいように思える。小料理屋や飲み屋はあるのだが、普通の食事を出すところを見つけにくい。皆家でご飯を食べるから、ということなのだろうか。

しょうがない、と思って一本通りをはいると、そこには何軒かあった。あまりお腹もへっていないし、やたらと暑いおりでもあるからカレー屋に入る。

 

中にはいると妙にこったつくりである。そしてもっと凝っているのが店主(とおぼしき男)と店主の妻とおぼしき女性の格好で、なんだかわからないがカレー色の布を巻き付けたような格好をしている。店主のほうがよってきて注文を聞いてくれたが、この男のしゃべり方は妙に機械的なようであり、かわったなまりがあるようであり、大変聞き取りにくい。

これではどんなカレーがでてくるものやら、と不安に陥ったがでてきたカレーは大変おいしかった。テーブルに張ってある雑誌の切り抜きをみると

「この弘前にも”日本のうまいカレー200店”に選ばれた店がある」

とほこらしげに書いてある。私は日本中のカレーを食べたことはないから、この店が上位200店にはいるものかどうかはしらない。しかしうまいことには変わりはない。 

カレーを食べ終わり、ご機嫌になって店をでた。ねぶたの始まりまではまだ時間があるから本屋で立ち読みをして時間をつぶす。あれこれ読みふけっていたら周りはだいぶ暗くなってきた。そろそろ見る場所を探さなくちゃ。

 

先ほどの通りにそってぶらぶらと歩く。場所取りがされていたところにだんだんと人が座りつつあり、そして歩いている人の数も多い。歩道はあまり広くないから場所取りエリアをさっぴくとあまりエリアは残っていない。そこにつったつと通行のじゃまだな、と考えているうちに橋のような場所に出た。そこは広くなっており、たぶん椅子のかわりに使われるのではないかと思うような直径1mほどの石の球体がおいてある。そのうちの一つが空いているのを見つけて座り込んだ。日差しに熱せられた石は熱いが歩き疲れた私にとってこの椅子は大変ありがたい。

まだねぶたが始まる7時までだいぶ間がある。となると暇だから周りの人間の観察ばかりしている。ねぶたを待っている人たちを相手に店のびらかなにかを配っている人がいる。通行人にびらを配っても無視されるだけだが、こうやって一所にとどまり、しかも暇を持て余している人たちにくばればそれだけ目を通してもらえる確率も高かろう。なかなか良い着眼点だなあ、と思っているとあやしげな白人がふたりその女の子達に声をかけ始めた。

その白人は、道ばたであやしげなアクセサリーの類を売っている連中である。従って半分日本にいついているのだろう。しかしカメラなど構えあたかも自分が観光客であるかのようにふるまっている。

「日本のPretty Girls。写真とってもいいですかー?」

とかなんとか言っている感じだ。女の子の方も

「えーっ」

みたいな感じで応じている。うむ。なんという巧みなナンパの方法。前につとめていた会社に駐在できていた白人のナンパにつきあったことがある。そのとき

「英語をしゃべる白人であることがいかにナンパの成功率を高めるか」

ということに驚愕した。その男は頭がだいぶはげかかった、まあ普通の容貌なのだが、日本人にわかりやすい英語で声をかければたちまち女の子はうれしそうに

「えーっ?」

とひとしき騒いだ後、同じテーブルに座らせてくれる。

かのように白人が日本でナンパすることは大変容易なのだが、ここで観た彼らはそれに加えて

「日本に観光にきて、Pretty Girlに感激した」

というスパイスまで付け加えているわけだ。何事においても「良い物をより良くする改善活動」というのは尊重すべきものかもしれない。

 

などと考えているうちに周りは本格的に暗くなり、時計をみれば7時10分前である。そろそろ始まるかと思うのだが、いつまでたっても通りには普通の車が走っている。いくらなんでもねぶたを通すのだから普通の車をしめださなくてはいけない、と思うのだがいつまでたっても普通の車が走っている。

ふと気がつくともう7時過ぎだ。さすがに車はいなくなったな、、と思ったらまた通った。なんなんだこれは。

そのうちこれはなかなか始まらないのではないか、と思い出した。となるとまたどっかりと腰を落としてのんびりモードである。遠く目をやると落ちた夕日の灯りをバックに五重塔が見える。おお。こんなところにも五重塔がある。

などと思っていたとき、遠くから何か規則的な物音が響いてくることに気がついた。最初に連想したのはゴジラの足音である。低く腹にひびくような音だ。あれは太鼓の音だろうか。祭りはついにはじまったのだろうか。

みな見物場所にはあれこれ工夫をこらしているようで、反対側には4階建駐車場の2階の屋根に乗っている女性の一団が見える。誰かに注意されたの一時引っ込んでいたが、音をききつけてか再びでてきて幅1m程の瓦屋根の上に陣取っている。私の周りの人も一斉に立ち上がり始める。さて、こうなると私も立ち上がらざるを得ない。過去数分

「はたして可能だろうか」

と考えていた事を実践するわけだ。丸い玉の上になんとかバランスをとって立ってみる。

最初はちょっとふらふらしたが、なかなか好調のようだ。身長は2m50くらいになったような状態だから離れた通りは大変よく見える。

 

まず先頭を歩いているのは市長だのなんだのの類ではなかろうか。お年をめした方が浴衣のようなものをきてゆっくりと歩いていく。不思議なことにさっきみかけた

「駐車場の屋根に座っているGals」

から歓声があがる。誰か彼女たちの上司でもいるのだろうか。それとも弘前には若い女性に人気の市長でもいるのだろうか。

その後ろに続くのはオープンカーでこれには

「ミスねぷた」

だの

「ミス弘前」

だのの類がのっているのだろう。実際に何の「ミス」かはここからではわからない。

そのうち先ほど響いてきた音の正体がわかった。直径数mはあろうかという大きな太鼓がゆっくりゆっくり動いていく。そしてそれを叩いているのは太鼓の上にまたがっている人、それに太鼓の下から叩いている人。2mほどのしなったバチをあやつり、大きな太鼓は腹にこたえる音を響かせている。

 

何組かが通り過ぎるにつれ、だいたいの構成が解ってきた。最初はその団体名を記した四角い名札のような灯籠である。その後に人の列が続く。最初この人達は単にぶらぶら歩いているのかと思ったが、よくみればその後に続く大きな扇方の灯籠をひっぱっているようだ。

その人達の前には先導者とも思える人がおり、ときどきなにやら大きな声をかける。するとそれに対して歩いている人たちが何か答える。もっとも祭りのかけ声であるから実際に何を言っているかはわからない。前にいる先導者はかけ声を出し続けるのだから大変だ。行列が終わるまでには声がかれるのではと思ったらハンドマイクを使っている人が多い。うむ。機械力に頼るとはいさぎよくない、と考えていたら一人地声で叫んでいる人もいた。しかし出発地点からそう遠くないこの地点でも彼の声はかれかかっていたが。

その後に続くのが扇形の大きな灯籠である。これには前面にひげ面の男の顔が3−4個書いてある。みな髪をふりみだし、大きな目を見開き、もみあげをもじゃもじゃはやしたあまり夏の暑い盛りには見たくないような面構えだ。それぞれの絵柄には題がついていて

「秦の始皇帝」

だの

「典葦奮戦の図」

とか書いてある。しかしさして広くはない扇の中に大きな顔をいくつも押し込めて書いてあるからどこが奮戦なんだかさっぱりわからない。題材は中国関係が多かったように思えるが何かいわれでもあるのだろうか。そして始皇帝はまだ解るにしても三国志の中でもどちらかと言えばマイナーな 典葦を扱ったものが二つもあったのはどういうことか。

その裏側には女性の絵が描いてある。こちらは「見送り」とかなんとか言うらしい。これらの絵は内側からの光によって闇の中にうかびあがっている。たぶん昔はろうそくの火だったのだろうが、今では電気という便利なものが灯りをつけてくれる。とはいっても電線がないところを動いていくわけだから、どの灯籠もベースのところに発電器をのせている。

この灯籠がゆっくりひかれてくると時々とまり、そして指揮者(とおぼしき人)のかけ声でくるくると回転する。この回すやり方には何種類かあるようで、人が縄をもって駆け回るもの、途中で縄を渡す物、どういう理屈だか知らないがとにかく回る物。あれこれある。そしてこの「回転」が行われると見物人からは拍手喝采がまきおこる。

さて、この灯籠の上にはたいてい何人かの人が乗っている。一体彼らは何をしているのだろう、と思ったが、まず進む方向を指示している。確かに上から見ると自分たちがどこに進んでいるかは一目瞭然だろう。次に灯籠が高くて電線にひっかかりそうになると、それを器用によけている。(きちんと手袋をはめてだが)

この電線をよける工夫は何種類かあるようだ。長い木の先に逆三角形の木枠がついたものを持っている人がいるから、何かとおもったらこれも電線をよけるための道具らしい。もっとも私が観ていた範囲ではほとんどこれは使われていなかったが。子供が引いている小さな灯籠の周りでは、短いものが使われている。気持ちはわかるが、あんなに短くてはよける電線まで届かないだろうに。

そのうちもっと大きな灯籠がやってきた。これでいかにして電線をクリアするのか、と思ってみていたが、灯籠の上部が折り畳み式になっており、いきなり

「ぱたん、ぱたん」

と上部を下に折り、高さを減らし、難なくクリアしていく。もちろん折り畳み部分を倒すのも戻すのも上に乗っている人の仕事だ。

灯籠の後ろには太鼓が続く。最初に観たゴジラ級の大きな物ばかりではないが、それにしてもかなりの大きさと数だ。それをだいたい上にまたがっている人と下から叩いている人で打ちならす。理由は知らないが上にまたがっているのは女性が多いようだ。この太鼓を叩くバチというのはその長さが偉大なシロモノで、比較的ゆっくりしたペーストはいえ、行列の最初から最後まで叩くのは大変だろうと思っていたら、ちゃんと交代要員もいるようで、時々交代をしている。

太鼓の後ろには、笛と小さな鳴らし物を持った人たちが続く。この人達は一定のメロディーを繰り返しながら奏でている。あの横笛を吹き鳴らすのは結構難しいことのように思うのだが、吹いている人の中には子供も多い。その周りにはそのお母さんとおぼしき方々がベビーカーにさらに小さい子供をのせてのんびりと歩いていたりする。

だいたい一つの団体の構成は以上のようだ。当然のことではあるが、団体ごとにこれにあれこれのバリエーションが加わる。最初の方に通ったのが

「弘前南幼稚園」

と書いた札をもった集団で、灯籠の絵がいかにも幼稚園児が書いたような絵になっている。おまけにとこどころアンパンマンや仮面ライダーの類もまざっている。主役が幼稚園児だからそのお母さん達も多い。ほほえましいことだと思ってみていたが、後から後からいくつもいくつも灯籠がでてくる。一体この幼稚園には何人園児がいるのだろう、と唖然としてしまった。私が観た範囲ではこの団体が一番長い行列だったように思う。なかにはバトンをもってそれをくるくるまわしているような子供達、それに何故か羊のような格好をした園児たちも続く。バトンはいいとして、この羊に何の意味があるのかは今ひとつ解らない。

こうしたお祭りは市の大きな行事だから当然市役所も登場する。メインの灯籠の前に、少し小さな灯籠がでることがあるが、市役所のそれは白雪姫と7人の小人だった。何故白雪姫なんだ?と考えたがそのうち理由がわかった。弘前の名産の一つはリンゴなのだろう。その後にもリンゴをモチーフにした灯籠がいくつか続く。

市役所であるから市民へのアピールも忘れない。水道局という看板をもった人の後には

「遅滞無用。お支払いは便利な口座振替で」

というメッセージが続く。そして頭に蛇口をかたどった灯籠をつけた男もその後をよたよた歩いていく。

こうした役所と同じくこうした行事にかかせない(と私が思っている)のは自衛隊だ。看板の後にいきなりスピーカーをつけた台車のようなものが続く。そこから音楽を流しているわけだが、最初私は

「何だこれは?」

と思った。他の団体は基本的に笛と太鼓で音楽を演奏しているのに、いきなり機械力にたよってはアンフェアではないか。しかしまもなくその理由が解った。

この弘前ねぷたにおいて、自衛隊は実にユニークな演出を行っていた。スピーカーのすぐ後ろに総勢数十人にのぼろうという、剣道着のようなものを着た自衛隊員(だろうな)が続く。彼らははちまきをしめ、扇子を持ち、一定の間合いに従って剣舞を演じているのだ。その基調となっているのがスピーカーから流れる音楽だ。さすがに鍛えられているだけあり、その行進には乱れがない。街道からは拍手が巻き起こるし、結構目にする海外からの観光客とおぼしき方々の目には大変面白く映ったに違いない。

そしてその後に続く灯籠は実に大きくあざやかに見える。寸法の制限があるはずだから、どうやって電線をクリアするのか、と思ってみているとなんと灯籠全体が上下する(しかも1m近くも)機構がついていることがわかった。しずしずと灯籠が沈み、それに上部の折り畳み機構を組み合わせれば電線もなんなくクリアだ。私はその機構に心から感心した。

 

その後にはいくつか企業の連合体らしきものが続く。航空電子グループ、電力連合、建設業連合など。思えば私も防衛庁相手の仕事を続けていてれば何かの拍子にこの辺りの出張所に勤務することになったかもしれない。となれば彼らとと同じように祭りに参加することになったのだろう。企業の「地元の祭りへの参加」というのは地元の人たちとの親交を深める上でも重要な要素である。前に勤めた会社では夏祭りをやって、屋台なんかを出していた。実行の中心になるのは労働組合である。その準備の会合をやっていると

「○○はこうした行事にかかせないな」

「うん。しかしあいつは仕事はやらずに年に一度の祭りしか真面目にやらないからな」

などという会話が飛び交っていた。そう思えばこの企業の行列にいる人のうちにもそのように

「お祭りだけ男」

と呼ばれている人間もいるのかもしれない。若い人たちの中には頭を金髪に染めているお兄ちゃん、お姉ちゃんも多いが、一生懸命太鼓をたたきながら進んでいく。

 

ふと気がつくとそろそろ祭りが始まってから1時間以上、そろそろ球体の上に立っているのも疲れてきた。なんせこの姿勢をほとんど変えていないのである。そして周りは実に蒸し暑く、そろそろ冷たい物でも飲みたい気分である。

ぽんと球体から降りる。しばらく屈伸したり、ゆっくり歩いたり。脚はほとんど固まりかけている。明日に尾を引くのではないかと一瞬恐れたが、それほどひどくもないようだ。今度はもっと近く、低くから行列を見物する。恐れていたほど混み合ってはおらず、結構ご機嫌に眺めることが出来る。そして行列に近い分だけ人々の熱気も伝わってくる。しばらくぼんやり眺めていると去年と同じように、映画「八甲田山」の一シーンが思い出される。凍死の瀬戸際にあった彼らが観たのはこの光景ではなかろうかと。暑い空気の中にゆらゆらと灯籠が進んでいく。笛と鳴り物の音楽は鳴り続けている。

頭をふると冷たい物を飲んでみる。もう一つ考えていたのは、昨日もらったパンフレットに書いてあった文句だ。

「静の弘前ねぷた、動の青森ねぶた」

これが「静」ならば「動」ってのはどうなるんだ。

 

さて、今日はもう帰って寝よう。明日は早起きして青森だ。

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注釈