日付:1999/8/8
山形へ8月5日の木曜日。私は秋葉原で自分のPowerBook2400のCPUを載せ変え、メモリを増設するとやおら東京駅に向かった。
この週は会社の夏休みだったのである。30日の金曜日には名古屋で宴会があり、1日の日曜日は名古屋でバンドの練習があった。だから名古屋にもどり、ついでに帰省してきた姉と姪×2+甥×1のおもちゃになっていた。
さて彼らの攻撃と腰痛によれよれになりながら横浜に戻ってみる。理論的には私はしばらくここでのんびりと暮らすこともできた。なんといっても先週いきなり私を襲った腰痛はまだ完治していなかったのである。しかしなんだか知らないが私は旅に出ようという気になっていた。考えてみれば旅行に出るのは去年の9月以来のことである。それから正月休み、ゴールデンウィークの休みはあったが、半死半生の状態にあった私はとてもそんなことを考えることができなかった。
何故かは知らないが今は旅に出る気になっている。よし行こう。思い立ったが吉日。旅行というのは気が向けば楽しく行けるが、気が向かなければ全く楽しくない。行き先?暑いからとりあえず北に向かおう。たぶん北のほうが涼しいだろう。(日本の最高気温が山形で記録されていることは一応知っていたのだが)東京駅に行けばなんだか知らないが北の方に行く新幹線がたくさんあるようだ。そこに行ってから行き先を考えればよい。
東京駅は秋葉原から2駅だ。新幹線乗り場のほうに向かってみると、平日の昼間だというのに結構な混みようである。もう帰省ラッシュが始まっているのだろうか?私はちょっといやな予感にとらわれた。新幹線といえば昔は東海道だけだったが、今はあれこれある。きょろきょろしながら東北・山形新幹線の切符売り場に向かう。列にならびながら料金表を眺めて、どこに行くかしばし考える。
大きくわけて仙台から秋田に向かう新幹線と、途中からわかれて山形へ向かう新幹線という系統があるようだ。秋田という文字もまあいいかなと思ったが、それまでの間にはたくさん駅がある。おまけに運賃は結構かかりそうだ。それに対して山形のほうはまあそんなに遠くないし、料金も1万円ちょっとらしい。もう午後の2時だし、腰痛からも完全に回復していないことだし、近い方にしておこうか。
そう思って切符売り場の「予約状況」のディスプレイを見てみる。するとどうも山形新幹線というのはあまり本数がないようだ。ほとんどの列車は秋田方面行きである。列車には「つばさ」だの「こまち」だの名前がついている。これらはたぶん「ひかり」とか「こだま」とかに対応して行き先と、各駅停車、すっとばしの区別を示しているのだろうが、私にはさっぱりわからない。とにかく今の私にとっては山形にいく新幹線が結構いい時間にあることが重要だ。自分の番になるとお金をちゃりんと払って切符をかった。
指定されたホームに向かってみる。待ち合わせ室で先ほどアップグレードしたばかりのMacintoshなどを使ってみる。おお。きびきび動くわい、などと思いながら横目でみていると新しい列車がはいってきた。2種類の列車がつなぎ合わされている。前のほうは2階建ての顔が長い列車、後ろのほうは流線型のどこか線が細い列車だ。あんれまあ。おもしろいもんだんべ、と思っていたらそれが自分がのる列車であることに気がつき、泡を食ってコンピュータを畳んで列車に向かう。
この新幹線に乗るのは初めてだ。いくつか変わったことに気がついた。東海道新幹線には出入り口が車両ごとに2つある。未だに番号が多い少ない、と進行方向の関係がわからない私だが、一つだけ確かなことがある。私が選んだ出入り口は私の座席からみて一番遠い位置にあるものなのだ。しかしこの新幹線の入り口は一つだけだ。となればいつもの法則が働く余地もない。中に入ってみれば座席は2列ずつである。3列シートの真ん中の席にアサインされる、というのは旅の悪夢の一つである。この配置であればその問題もないわけだ。
さて席に着くとさっそく(またもや)コンピュータを取り出した。とにかく速く使ってみたくなるのが性分というものであろう。予想通り大してスピードが向上したと実感できるわけではない。しかし以前であれば使って数分もすれば火の玉のごとく暑くなったのが、それほどでもないようだ。これは実にありがたい進歩だ。
などということをやっている間に列車は順調に進んで行った。いまこうやって書いていてももうちょっと周りの景色とかみればよかったと思うのだが、とにかくコンピュータに向かって文章ばかり書いていたのだからしょうがない。
途中の駅で秋田方面に向かう列車を切り離す。それから考えるに列車は西の方に、つまり山の中へと進んで行く。新幹線とは言っても在来線と同じ線路を使っているから、駅は共通だ。ここは去年の5月に来たことがある。山の中の駅は覆いの中にある。この前来たときは鈍行だったから、しばらく停車したときにホームに降りてその景色を眺めて感嘆したものだ。確かにここには駅がある。しかし見ることができる範囲では他に何もない。この駅はなんのためにあるのだろうか。去年来たときは「もうちょっと時間がある時に来たら、ここらへんで途中下車して探検してみよう」と思った物である。今は不幸にしてそんな時間はない。新幹線は実に速く、今の私のような腰痛持ちには大変ありがたいが、鈍行列車に乗るときのような人間観察や、途中の駅の観察の機会はどうしたって少なくなる。いたしかゆしというところか。私は再びコンピューターでなにやら書き始めた。
山形に近くなってさすがにコンピュータの画面を眺めているのにも飽きてきた。そういえば山形といえばさくらんぼが特産だった気がするな、あれこれ見回してみるとどうもここらへんでは斜面を使ってブドウの栽培をしているようである。斜面という斜面にビニールに覆われた部分がある。たぶんあれのことだろう。何故「ブドウを栽培している」と知っているかというと、車内の文字表示にでていたからだ。いつも使う東海道新幹線ではせいぜいが企業の広告とニュースぐらいだが、この路線では観光案内まで流してくれる。なかなかこれは(少なくとも旅行者にとっては)いきなはからいだと思う。
ひと山越えるとだんだんと街らしくなってきた。それまで山形がどこにあるか全く把握していなかった私だが、どうもまわりを見回した感じからすればどうも盆地であるようだ。日本の最高気温を記録するわけである。住宅の屋根をみれば、ほとんどの家が金属屋根葺きである。普通の屋根の2倍の値段の金属屋根がこんなに普及するからにはちゃんとわけがあるはずだ。そう思うと屋根の形状自体もけっこう東海や関東エリアとはちがっているように思える。思えばスキーで有名な蔵王はこのあたりだ。冬にはたくさんの雪が積もるのだろう。
列車は山形についた。ホームに降りたってまず腰を伸ばした。その状態で数分停止していなければならない。幸運にしてまだ腰のご機嫌はいいようだ。それからぼつぼつと歩き出した。社会人になってから夏の盛りに青森に旅行して、その涼しさに驚いたことがある。しかし同じ東北と言ってもここの暑さはあまり東京とかわらないようだ。荷物をかかえててれてれと歩いていく。線路は普通の列車と共通だが、ホームはちゃんと別れている。改札を出るとまず観光案内所を探す。予約をせずに旅行するときのいつものパターンだ。時間は午後5時をすぎていた。ちょっと遅いのが気になるがまあ一人一泊ぐらいなんとかなるだろう。まだ盆でもないし、平日だし。
さて、この観光案内所なるものを探すのは最近の新しいタイプの駅では一苦労である。中位以上の大きさの駅にはなにがしかの案内所はあるのだが、旅行センターなどと一体化している場合もあり、そうでない場合もある。
きょろきょろとしたあげく、「ここだろう」と思って飛び込んでみれば、どうもそうらしい。一人の男が(バックパックを背負って、かつTシャツなど着ているから御同輩だろう)道順の説明などをうけている。ということは、彼はここで旅館の予約をして、その道を聞いているのかもしれない。彼が終わるのをまって「すいません。今日泊まるところを探して居るんですけど」と言った。
相手をしてくれた女性は丁寧にしかしきっぱりと言った。「ここでは紹介とかはできないんですよ。今日はこんでいるようですから。。。ひょっとしたらここなら空いているかもしれませんから、お客さんご自分で電話してみてください」
正直いって今まで「ここでは旅館の紹介はしていません」と断られたこともあり、逆に紹介から手配までしてもらったこともあるが、電話番号は教えるが、自分でかけてみてくれ、というのは初めてのパターンだ。相手は地図の上に印をうって、道順を教えてくれた。そして電話番号をすらすらと書いてくれた。ここまで親切でかつ紹介ができない、というのは何かわけがあるのであろう。
私はにっこりと笑って「どうもありがとう」と言ってその場所を後にした。となるとさっそく電話を探してかけてみるわけだ。出てきたのは元気な女性の声である。幸運なことに今日泊まれるようである。これで宿をさがしてうろちょろする危険性はへったわけだ。「これから歩いていきます」と言って電話を切った。
次にすることは、メールのチェックである。最初にトライした電話機では接続はなんどやっても失敗に終わった。たぶん接続口がいかれていたのだと思う。隣に並んでいる電話でためしたら一発で接続できた。メールを受信すると読むのは後回しだ。男の足だったら10分でいけると、ということで、「今から行きます」と言ったのだから、早めに出発しないといけない。私はいつでも時間厳守の小心者だ。
さて、何の目的もなしに選んだこの場所だったが、列車をおりてからというものそこらへんで見かける広告だの張り紙だのを見てみると、どうやら今日は「花笠祭り」なるものの初日らしい。なるほど。花笠というのは確かに聞いたことがあるがあれは山形のものであったか。それで宿が混んでいたわけだ。
などと思いながらてくてくと道を歩きだした。駅からは広い道をひたすらひたすら進んで行くと旅館にでくわすはずである。旅館の人は「6っつめの信号です」などと言っていたが、「1,2,たくさん」の私としてはそんなにちゃんと信号の数を数えていられるはずもない。のんびりとぶらぶら歩いていった。するとまずやたら観光バスが通っているのに気がつく。すごい数である。その中には「東北夏祭りなんとかツアー」とかいう看板をつけているやつもある。なるほど。東北には夏祭りがたくさんあるのであるか。私が知っているのは青森のねぷた祭りと、仙台の七夕祭りである。
後者のほうは母方の祖父母が昔仙台に住んでいて夏休みの間しばらく(2週間くらいだったのだろうか)祖父母の元ですごす習慣になっていたから、行ったことがある。とはいっても覚えているのはなんだか知らないが、商店街にやたらとなんと呼ぶのか知らないがかざりつけがでること。それにそのかざりつけの一つに鬼太郎の顔が上から落ちてくるやつがあったことくらいである。つまり幼少の私にとって仙台の七夕祭りというのは名前は知っていても実体としてはかなり退屈なものだったわけだ。
そんなひねくれた過去を持つ私だから、花笠祭りとぶつかったと聞いてもそんなに喜んだりはしない。まあ来たついでにちょっと見てみるかという程度の感じである。それよりも今はとにかく宿にたどりつくことが先決だ。私はひたすら道を歩いた。そのうち道ばたにうどん、と牛丼のファーストフードがあるのを見つけた。朝食もあると書いてある。しめしめ。明日の朝ご飯はここで食べよう。朝5時から営業とあるから、早起きの五郎ちゃんであっても問題はなかろう。
そこをすぎてひたすら歩いていくと、いかにも「これから祭りに行きます」と言った感じの人たちが目に付くようになった。まず目に入ってきたのは蛍光色のピンクの衣装-この衣装をなんといったものやらいまだに見当がつかないのだが-を着た男の高校生の一団である。とあるコンビニの前に集結して、おでんか何かを食べている。彼らも祭りに参加するのであろうか。さらにそこをすぎて左手に神社がある。そこの境内では小さい女の子からお年頃の女の子までが何種類かの衣装をきて踊りの練習をしているようである。たくましく日焼けした男の子達もなかなか凛々しいと理論的には言えるのだが、どうも集団ででてこられると暑苦しい。私は男であるから、やはりどちらかと言えば女性達が踊りの稽古をしている光景のほうが好ましい。私はちょっと鼻の下を伸ばしてそこを通り過ぎた。
そのうち広い道を横切った。どうもあれこれの状況から察するにこの横の通りを花笠踊りが通るらしい。旅館はそこからone block行った先にあった。遠くからみればなんとも日本的な旅館である。これはけっこうすさまじい。私はデジカメをもってこなかったことを大変後悔した。いつも旅行にでたときは、デジカメをもっていき、止まる旅館なりホテルを撮るのが趣味になっているのである。なのに今回に限ってすっかりそれを忘れてしまった。
門をくぐってみれば、右手に居間というかなんというかTVがおいてある空間がある。しかし外と空気はつうつうであるから、冷房のれの字も存在しない。玄関で「すいませーん」と何度か叫んだが、返事はない。とりあえず靴を脱いであがって「すいませーん」と言ったらおかみさんが大汗をかきながら降りてきてくれた。
なんでもこれからお客さんを迎えるので2階の部屋を整備してきたらしいのだが「2階は西日がひどい」んんだそうである。私はとりあえずにこにこしていた。宿帳をかいたりしたあとに彼女が私を部屋に案内してくれた。トイレも洗面所も風呂も共同。旅館はこうでなくてはいけない。「踊りは6時半からです」と言って彼女は去った。
私は荷物を下ろして部屋を見回した。布団があり、小さな机がある。幸いなことに冷房があるようだ。この広さはなんとなく懐かしいなと思ったら4畳半である。私はなんだかご機嫌になった。パソコンをとりあえず電源につなぐと一息いれた。といってもTVは有料だから見る気もしない。単にひっくり返ったのである。
さて、しばらくエアコンからの冷気にあたってごきげんだったが、このまま寝込んでしまうわけにもいかない。とりあえずゴハンを食べなくてはいけないし、お祭りもちょっとは見たい。立ち上がると私は表にでた。
表はさっきより暗くなっているが、観光バスの数、それにいかにも「お祭り」といった格好をした人の数は遙かに多くなってきている。まずは晩ご飯だ。不思議なことに駅からここまでの道は、繁華街らしいのだが、あまり食事ができる場所がない。普通の旅行者であれば、その土地の名物かなんかを食べるのだろうが、私はさっきみかけた和食のファーストフード店が気に入っていたので、そこにはいった。牛丼だかその類が出来るまでの間、暇だから店においてあるチラシを見ていた。実は山形が地図上でどこに存在しているのか未だに確信がもてなかたので、観光案内に地図でも載っていないかと思って見ていたのだが、あったのは映画の広告ばかりである。さっきから歩いているなかで、やたらと映画の広告が目に付くことは気がついていた。そのチラシを見ると、10年ほど前に、市民からの出資でできた映画館と書いてある。この大きさの都市にしては驚くほど上映本数も多い。昨今は映画館が存在しない都市が多いというのに。時間をつぶそうとおもって「この町には映画館はありますか」と聞くと「前まではあったんだけどねえ」という返事を聞くことも一度や2度ではないのだ。これはちょっと面白いと思った。
さて食べ終わるとまた元来た道を戻り、祭りの会場に向かう。すでに祭りがとおる道は大混雑になっていて、歩くのも容易ではない。驚いたのは団体ツアーがたくさんきていることだ。やはり私が知らないだけでこの祭りは大変有名なものに違いない。赤い風船のツアーとやらは本当に赤い風船をつけた旗を持っている。こうして見るとツアーコンダクターの人というのは実に大変な仕事であると思う。私は一人でふらふら歩いていればいいが、彼、もしくは彼女はあれだけたくさんの他人を引率しなければならない。そして世の中には物わかりのいい人ばかりが住んでいる訳ではない。
私は通りの一番端から中心(とおぼしき場所)に向かって歩いていた。すでに道の端には人垣ができており、路上には待機している出演者というか団体のみなさんがいる。私は本来人混みが嫌いなのだが、そんな贅沢をいっていられる場合ではない。人混みと言っても休みの日の秋葉原の歩道よりはるかにましだ。そんなことを言っていられたのも最初のうちだけで、そのうちどう考えても進む気がおこらなくなるほど道は混んできた。しょうがない。ここらへんで見るとするか。
そこはたぶん待機場所と本番の場所(なんと呼べばいいかわからないが)の継ぎ目となる交差点だったらしい。目の前にはかなりの人があつまっているから、路石に座ることはできないが、いまの私にとっては座るよりも立ってみているほうが楽なのである。さて、今は6時ちょっとすぎ。始まるまであと30分弱だ。
山形へ:この文章は題名といい、内容の概略といい、まるで父である重遠の部にあるような感じがするが、まぎれもなく五郎の文章である。2−3行読んでもらえばすぐわかる。本文に戻る
金属屋根葺き:何故こんなことにこだわるかというと、1年ほど住宅の屋根を眺める仕事をしたからだ。いまから考えるとよく転落して首の骨をおらなかったもんだと思うが。本文に戻る