日付:2002/9/13
私がこのあやしげな団体の事を知ったのはいつのことだったか。駅前で小冊子を配っているおじさんがいる。普通のびらではなく妙に厚い本を配っているなあと思って、ひょい、と受け取った。
出張の電車の中か何かで読んでみる。こういう話ってだいたい内容が似ているなあ。例によって「信じたおかげで奇跡的な回復が」という体験談がてんこもり。ガンは「レントゲンをとったら消えていた」と書いてあるのだが、エイズは「私のエイズは治ったと信者が叫んだ」と書いてあり、そこらへん怪しげな中にも区別をつけてあるのに関心したり。
それから何年か後、その小冊子を配っていた団体はいろいろな社会的問題を起こしマスメディアで取り上げられるようになった。となると例によってレポーターやらなにやらが「聖地」につめかけ信者にインタビューする。率直というよりぶしつけな質問に中年女性は「はい。最高です」と笑みを浮かべながら答えていた。それは心ができているというのとは違うような。後ろにはぱっと観にも異様な建築物が映っている。
その後教団の主たるメンバーが次々と逮捕され、あの変わった教団施設も壊されつつあると知った。そして暇なある日例によっていきなり決心したのである。ちょっくら見に行くかと。そう考えるとさっそくインターネットで情報をあさる。しかし教団のサイトはとっくの昔に閉鎖され、「行き方」などの説明はなかなか見つからない。ようやくのこと地名を見つけ、「新幹線の新富士駅からタクシーで行った」という文章を見つける。なるほど。これで行きはなんとかなりそうだ。
ある秋の日新富士駅からタクシーに乗り込んだ。法の華の天声村にお願いします、と言う。もう施設は壊されているのだからこう言っても信者とは思われまい。道中運転手さんとあれこれ話をする。昔は中年の女性がたくさん乗り合いで天声村まで利用していたという。
そのうち「天声村」という大きく立派な何かが見えてくる。運転手さんはそのうちこれも取り壊されるでしょうという。
そこから細い道に入る。どこかのサイトに
「普通の住宅地にあります」
とかいてあった通り、道を挟んで普通の住宅が並ぶ場所にそれはあった。
TV等で何度も映された「天行大門」である。かつては威容を誇っていたであろうその門は内部の鉄骨などが見える状態になっている。その下をくぐる。遠くでは作業をしている気配もあるが特に立ち入り禁止などの標識もないからずんずん進んでいく。
そこからの道には何も残っていない。何かの残骸はあるのだが。。。まもなく金閣寺もどきがあったとおぼしき場所についたが残っているのは土台だけである。その先では重機が音をたてて動いている。何か大きな建物を壊しているのだ。
そちらに進むとまだいろいろな建物が残っていることが分かる。やたらと何かの紋章がついている講堂らしき建物を観ながら考える。
この施設が使われていたころには、あの講堂にはいる、という事自体が何か意味を持ち、そしてあの建物も多少は重々しく見えたのだろうか。今は壊れかけた柱が妙に安っぽく見える。建物の前にはなにやら説明らしき板があり
釈迦の遺骨とキリストの遺骨を仲良く安置とは豪勢なことだ。それだけあればたしかになにがしかの御利益も有ろうが、いったいそれはどこにいったのか。
そんなことを考えながら建物をぐるっと回る。宗教施設であったはずなのに後に残ったのはただの廃材の山。そこからは何も感じることはできない。
帰りにもう一度天声門を通る。ふと脇に案内図があることに気がつく。
「人と自然が織りなす理想郷」に集団で来ていた人たちは今どこに行ったのだろう。何を考えいるのだろう。そんなことをしばらく考える。
だいたいの方向は分かったから帰りは歩き、途中からバスに乗った。