題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る

日付:2002/9/25


横浜ドリームランド:神奈川県(2001/10/21)

廃墟についてあれこれ調べていたときのこと。横浜ドリームランドという遊園地があり、2002年2月17日で37年の歴史を閉じると知った。これは是非閉鎖される前に行かなくては、と思いでかけることにする。とはいっても男一人のやることだから中に入ったりはしない。辺り一帯が廃墟と化していると聞き、周りを巡るだけでもいいだろうと思ったのである。

JRにのりバスにしばらく乗ることしばらく。バス停に降り立ち、さて、と思う。ををあれが今日の目的地その1であろうか。

遠くにかすんで見える何重かの塔。これだこれだと思いその方向に歩いていく。途中にフットサルのコートがあり、試合だか練習だかが行われているようだ。そこは活気があるのだが隣接して設置されているテニスコートはすでに荒れ果てている。さらに近づいてみるとここは確かに閉鎖されたホテル エンパイアだ。

周りは厳重に囲われており、かつ廃墟サイトの記述を信じるならば警備会社のセンサーも設置されており、これ以上は近づけないらしい。窓から中をちらちらみると家具とかはちゃんとそのままになっているようだ。

最初このホテルのことを知ったときその異様な外観から

「きっとバブル期に作られたキワモノホテルなのだ」

と思ったが調べてみて分かったのはこれは日本最初の高層建築物と称されているほど古い建物だということである。ネットで検索すると「修学旅行の時ここに泊まった」とかいう記述も見つかる。ああ、廃業する前に知っていれば私だってここに泊まろうとしたかもしれない。

しばしホテルの周りをうろちょろすると今度は閉鎖間際のドリームランドに近づく。入り口の手前に「ドリーム銀座」という商店街(だったと思われる物)があるのだが、その光景はすさまじい。

数軒営業している店があったが、他はことごとくシャッターが下り、おまけに落書きまでされている。進むにつれ周りはもっと寂しくなり、私はある錯覚に襲われることになる。米国で街をふらふらしているうちに「これはまずい」と思われるエリアに顔をつっこんでしまったような。頭をふると足早にそこを立ち去る。出口付近には「ドリーム銀座」という看板とシャッターすら曲がってしまった中華料理屋(だったもの)がある。

そこからドリームランドの周りを少し歩く。まだ営業しているのだが、外からみてもすでに荒廃が進んでしまっていることが分かる。

これでは遊園地のビルというよりは、幽霊のアトラクションのようだ。

さらに歩くとくる途中見かけた物をさがしてふらつく。とぎれとぎれに存在しているモノレールの高架である。あの先にはきっと駅があるはずだ。これもネットで調べるとその昔大船駅とドリームランドをつなぐモノレールとして開業したようなのだが、強度上だか安全上だかの理由でたちまち運行停止になり、そのまま今日まで放置されているらしい。これを書いているのは2002年9月だが、少し前この路線の復活が断念されたというニュースが流れた。

歩くこといくばくか。ドリームなんたら、という事務所の裏側にそれはあった。

ここが営業されていた短い日々の間には停車したモノレールから子供達が小走りに駆け下りる姿を見ることもできたのだろう。

なんだか気が滅入ってきたので帰ることにする。バス停を探しぼんやりとバスを待つ。丘の上にはホテルエンパイアがその異様な姿を示している。そのうちふと気がつく。手前にドリームランド入り口を示す看板があるのだが、そこにあるレストランもすでに廃業しているようだ。

ドリームランドの近くには色鮮やかに塗られた団地がある。歩いて遊園地に行ける団地。なかなかいいではないか。全てが機能していた短い間、ここはどのように輝いて見えたのだろうか。今はそれをただぼんやりと想像することができるだけ。

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注釈