題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る

日付:2002/10/10


船の科学館-羊蹄丸 : 東京都(2002/9/22)

(この文章は「2002年カレーの旅-お台場カレー」の続きである)

向かった先は船の科学館。ここは私の発案である。とはいっても何も船の歴史について真摯に学ぼうというのが主たる目的ではない。他のサイトで最近ここに妙な展示ができたことをしり是非観てみたいと思っていたのである。近づいていくと故笹川良一氏が祖母を背をってなにやらした銅像がある。その行為自体については何も言わないが、私だったらこういう銅像を建てられるのはごめんだ。他にも2式大艇であるとか大砲のたぐいが周りに置いてある。私が子供の頃は「戸締まり用心火の用心」とか「一日一善」とかCMで叫んでいたおじいさんだが、その実はどんな人であったのだろうかなどと考えたりする。

まずはチケットを買い船の科学館本館(こんな名前だったかどうか知らないが)にはいる。船があーれこれあるが私はパンフレットを見返す。すると目的たる昭和30年代青森の展示は我々が買ったチケットでは入れない羊蹄丸にある、ということを知り愕然とする。

さて、どうしてくれようというのは後で考えることとしてとりあえず船の科学館の中を観る。船がたくさんおいてある。地下には将来的な海洋開発、といった感じの模型がある。将来っていつのことなのだろう。昔だったら「21世紀には」とやっておけば全てOKだっただろうに。この中で唯一面白いのが「水中観覧車」である。半分海中、半分が空気中であり、海没するとき、浮上するときはさぞかし壮観であろう。しかし止まってしまったら水面下のゴンドラは窒息の危険にさらされる。おまけにトイレに行きたくなったらどうするのだ。乗り降りはどうするのだ、などと不安もつきない。

他には2階の一角に軍艦コーナーがあるのが目を引く。以前来たときはここにある1/50の戦艦大和の模型を観て喜んでいた気もするなあ。今回も海の事に関するクイズなどやっている皆と離れて私は模型を観ていた。子供の頃作ったウォーターラインシリーズという軍艦の模型がたくさん並んでいる。観てどうなるわけでもないのに一生懸命観てしまうのがもとプラモデル少年の性というものである。

他には特筆すべきものもなく、早々に見物を切り上げる。我々が買ったチケットで入れない羊蹄丸に行きたいんですけど、と聞くと全部見学できるチケットを買ってもらえば元のチケットを払い戻すと言ってくれる。やれ、ありがたや。差額だけでOKだ。一同ほにゃほにゃと歩いて羊蹄丸に向かう。

すると向こうから礼服をきた人たちが歩いてくる。どうやら羊蹄丸では結婚式もやっているようだ。入るといきなり披露宴の受付などやっている。さて、とはいろうとするとOG氏がちょっとまってくれと言う。彼は入場する直前ソフトクリームを買っていたのだ。そして場内は飲食禁止。ではソファーに座って、ああ、そんなに急がなくてもゆっくり食べてくださいと言うと彼はそうもいかない、と言って「ロビーで飲食禁止」と書かれた札を見せた。私はそれを目に付かないようにと反対向きにしたがそちらの面にも同じ文句が書かれている。OG氏はがりがりとソフトクリームを食べる。

さて食べ終わると心晴れて入場である。なんだかイルカに乗る奴がある。デパートの屋上で100円で乗れるようなやつだ。ここではタダだが列ができている。私はさすがに恥ずかしくて乗れないと思ったがOG氏はじっと観ている。実は乗りたかったのかもしれない。しかし我々は先に進む。その部屋をでて下の階に行くとお目当てのものがあった。昭和30年代前半の青森を再現した「青函ワールド」である。

リアルに再現された町並みと人々は船の科学館本館とは隔絶した世界を作り上げている。船の科学館ではボタンやら何やらを押して元気に走り回っていた子供達は、この部屋に来ると「怖いよー」と叫び声をあげている。

街角を模した壁にゴジラ映画第2作、「ゴジラの逆襲」のポスターが貼ってある。この映画が公開された当時の日本はこのようであったのだなと思いながら展示を観る。八百屋の軒先においてある野菜はとてもリアルだが作り物だ。青森から北海道へ米を担いで女性、子供が渡っていったとあり、実際に40,60,80kgの包みがベンチの上に置いてある。80kgはずらすことはできてもそれ以上は動きそうもない。この包みだけはひもでベンチに固定されている。いったんずり落ちたら誰も戻せないからだろう。米を担いだ母と子が船長さんらしき人と話している。船にも乗れるからつらくない、将来は船長さんになるんだ、と子供が話している。

奥に行くとさらに雰囲気はあやしくなる。列車の窓に顔を押しつけて別れを惜しんでいる子供がいる。その前には小さな食堂のようなエリアがあり、オヤジがつぶれている。机の上にカレーは100円だそうな。神聖なるカレーを食わずに寝てしまうとはけしからん、と思うが相手は蝋人形だからどうしようもない。

そこらへんにいてなにやら制服をきたお姉さんに聞いたところでは、当時の写真やら資料を集めてこうしたリアルな光景を作ったのだそうな。船に客車が乗り、その上に乗客が乗っていることがあったのか、と聞けば、貨物車は船に乗せたが客車は基本的には載せなかった。一時乗っていたこともあったのだが、後に安全上の理由から禁止となった、とのこと。同じ部屋ではなにやら映画が上映されており、私は他の人と離れたところでそれに見入る。白黒の映像には確かにその当時の日本が映し出されているのだ。すると下の方で何やら笑いが起こる。聞いたところによると、小さな女の子が私も蝋人形かと思い、下からじいっと覗いてあわてて逃げ出したのだそうだ。かくの通りこのエリアにはさりげなく蝋人形が立っている。

さて、名残は惜しいがそこを後にする。同じフロアにはマジカルビジョンシアターなるものもあり、パンフレットには

「等身大のホロビジョンや立体音響など最新技術で描く少年とイルカの不思議な冒険旅行」

とかかれそれらしい写真も掲載されているのだが、その後ろにゴムの判子で

「内容を変更して上映中」

と押されている。実際そこではなにやら映画が上映されているだけである。思うに不思議な冒険旅行を上演し続けるには金がかかりすぎたのではなかろうか。

羊蹄丸の隣には南極観測船宗谷が展示されている。ここでOG氏が

「確か宗谷って氷の中に閉じこめられて3年くらいでてこれなかったんじゃなかったでしたっけ」

と言い出す。前半は正しいのだが、後半は何かの映画と混ざっているのではないかと皆で言う。展示してある宗谷の年表を観ると、2回くらい氷に閉じこめられたことがあるようだ。もちろんそのたびに救出されており、3年閉じこめられたあげく、仲間を食って生き残った少人数が脱出した、なんてことはない。

中に入ると当時の船室などが再現されており、狭い部屋に2段ベッドが二つあり4人部屋となっている。これではプライバシーなどないではないかと誰かが言うが、私が学生のころ工場実習にいったいすず自動車の独身寮は確かこんな作りだったなと思い出す。ほんの少し前までこうした部屋は別に珍しい物ではなかったのだ。何かの部屋にはマネキンが置かれており、目が完全にいってしまっている。南極観測船というくらいだから、日本から行けば必ず赤道を通る。ところが船室には冷房が無いため暑さ対策に苦労したとのこと。アイスクリーム製造器などもあるが、こればかり食ってうだうだしていたらそりゃ目も虚ろになるだろう。

などとわいわい言っている間に見学はおしまい。船の科学館は負け、羊蹄丸は勝ち、宗谷は引き分けであるかなどと言ったところで意味を考えて言っているわけではない。

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注釈