題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る

日付:2002/12/23


伏見稲荷大社:京都府(2002/12/19)

あなたは京都に来ています。午前中時間が空きました。さてどこへ行きますすか?というのは京都観光協会が喜びそうな設問だ。他人がどう答えるかはしらないが、私のような変人はまず奈良線にのってその名も「稲荷」という駅に降り立つのである。

目指すは伏見稲荷。はたしてどうやっていったものやら、と悩む暇もなく駅からすぐに巨大な鳥居が見える。さすがは日本三大稲荷神社の一つ。いつも私が巡っているマイナーな施設とは訳が違う。しかしその存在が公に認知されているといってそれが「普通の」存在でなければならない、といった理由はない。

お稲荷さんだからそこら中に狐が居る。これはいいとしよう。本殿も巨大だが私の興味はそこにはない。目指すそれは奥の方にあった。

お稲荷さんというのは鳥居がたくさんあるものだと聞いていたが確かにたくさんある。おまけに鳥居と鳥居の間に隙間がないからまるで赤い回廊である。今来た道を振り返ればこんな感じだ。

ひたすら現れ続ける鳥居をくぐりつつ山道を登っていく。。そのうちちょっと明るくなったと思ったらまだ鳥居は続いている。絵馬がかかっているのだが場所が場所だけに絵馬が狐の顔の形をしている。

では、と思い先に進む。どこまで行っても鳥居がでてくる。いいかげん疲れて頭がもうろうとしてくる。時々ジョギングをしてます、といった格好の人達が私を追い越していく。

彼と彼女たちの姿を見ているうち妙な妄想にとらわれ始める。The silence of the lambs-羊たちの沈黙の冒頭、Jodie Foster演じるクラリス・スターリングが山道を一人走っているシーン。あれはここで撮影すべきではなかったか。クラリスが延々とつながる鳥居の中を走り続ける。そこにどこからともなく現れた教官がジャック・クロフォードの所に行けと言う。彼女が立ち去った後教官の後ろ姿を観るとあら不思議、ふさふさしたしっぽがはえている。

などとしばらく妄想にふけっていたがまだ山道と鳥居は続いている。そろそろ息が上がってきた。膝が笑うという感覚は久しぶりだなあ、などとのんびりしている場合ではない。しかしまだ鳥居は続く。そのうち鳥居がとぎれ休憩所のようなところが見えてきた。

妙に時代がかった看板が印象的だがあまりのんびり観ることもできない。とにかく足を前に進めるのだ。妄想にふけることもできなくなりただ機械的に足を動かす。そのうち山頂らしきところが見えてきた。ああ、あそこまで行けば、その一念だけで足を前に進める。まもなく視界が開けた。

これは一体なんなのだろう。石で作った何かがあり小さな鳥居がごろごろしており、狐さんも居る。しばらくその間の小道を歩いてみる。そこから下りて少し進むと小さな鳥居がたくさんぶらさがっている。

OK。わかった。鳥居はもう十分だ、と思い山を下り始める。今度は下り坂だし、大抵の場所では行きより帰りのほうが短く感じるはずだ、と思い元気を出して進む。しかし相変わらず鳥居の列はいつはてるともなく続く。ああ、ようやくついたか、と思ったらそこはまだ途中の地点。行きに「狐の顔型絵馬があるわい」と思った場所だった。ここから鳥居は2列になり密度を増して続いている。そのうちあることに気がついた。鳥居が奉納された日時が書かれているのだが一番古い物でも昭和58年、ほとんどは平成になってから立てられた物だ。平成になってここが急に鳥居まるけ(”だらけ”の名古屋弁)になったとも思えないから鳥居というのはしょっちゅう立て替えているものなのだろうか。

平成一五年元旦はまだ先だぞ

ほとんどの鳥居では奉納された日が「何月吉日」となっている。吉日というとなんだかめでたい気分になるからいいのだが、こうも連続して見せられると飽きてくる。そのうち誰かが「何月大吉日」とかやれば、意味もなく皆そう書き出す事だろう。そのうち「何月大大吉日」とか大の数を増やすのがはやり、鳥居の足下に達するまで大の数が増えたところで、New Waveが起こる。「何月凶日」という表記がはやり出すのだ。そのうち「何月朝日」とか「何月猫日」とか収集がつかなくなるに違いない。

そんなことを考えているうちにようやく鳥居の列が終わる。最後の鳥居(というか一番入り口近く)には「株式会社電通」という文字が大きく刻まれている。

時計を観るとまだ九時過ぎ。私は電車に乗る。もう一つの目的地は嵐山の近くにあるはずなのだ。

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注釈