題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る

日付:2003/1/6


玉川大師:東京都(2002/12/28)

東急線にのって二子玉川というところで下りる。名前は何度も聞いていた駅だが下りるのは初めて。あら、こんなところにもしゃれた街があったのだねえ、と感心している暇もなく自分で

「こっちだ」

と思いこんだ方向に歩き出す。

確か電車の中からこっちに何か見えたような気が、、と思いながら国道246に沿って歩く。ふとした拍子に「玉川大師 霊場地下仏殿」という看板が目にはいった。やれうれしや。あそこが目標とする場所だ。(ちなみにそこは電車の中から見えた場所とは何の関係も無かった)

近づいて行くと立派な建物が見える。

ちゃんと地下仏殿という看板もかかっている。さて、どこから入るのだろうと思うと「入って左」とある。靴を脱いであがる。

座っ ている人達に「地下を観たいのですが」というと、そこに名前を書き100円払って下りていってくださいと言われる。下は狭いですから荷物は置いていってく ださい。通れないかもしれませんから。ああ、左様でございますか、と荷物を下ろし名前を書き出す。暗くなりますが右手で壁に触って進んでください。途中で 自分の数え年の番号の仏さんを拝んでください、、とあれこれ説明をうける。

礼を言い階段を下りると先は暗くなっている。言われたと おり右手で壁に触りながら前に進む。長野の善光寺でこういう暗い通路を通った事があるように思う。あのときもそうだったが、真っ暗な中を歩くと頭に何かぶ つかるのではないかという強迫観念にとらわれ腰が曲がってくる。しかし今の私は腰痛持ちだから中腰の体勢というのは避けたい。右手で壁に触り、左手で頭を カバーしながら進む。端で見ていたらさぞかし滑稽な姿であろう。道は曲がりくねっており、自分がどこにいるかもわからない。

そのうち先に明かりが見えてきた。変わった像がある。

顔つきはうれしくないが、明るいのがうれしい。この場所、肉眼ではずいぶん明るいと思っているのだがカメラを向けるとほとんど何も写らないほどだ。目が暗闇に慣れきったということか。

そ こを過ぎるとまた通路は暗くなる。説明によれば右側、手が触れるところに弘法大師が持っていた五鈷杵があるからそこで拝むだか何かをしろ、とのことだった がどこにあるかわからなかった。そのうち通路が狭くなってくる。両方から壁がつきでているのか通りづらい。おまけに周りは真っ暗闇だ。そこを抜けると先が 明るくなってくる。

ここが四国八十八ヶ所だか西国三十三ヶ所だかの仏像がある場所なのだろう。実際は写真よりも明るく見える。ところどころろうそくがともされ、そしてとても静かだ。姿は見えないが先を歩いている人がおり、時々鐘をならすような音がするが、聞こえるのはそれだけ。

通路は左側に2度曲がり(つまりコの字形になっているのだが)その間両側に仏がぞろぞろ並んでいる。こんな像もある。

その先には仏が寝ている。

この周りには仏像がうじゃうじゃあるのだが、ぼんやりとした明かりに浮き上がるそれらの姿はなんとも言えぬ迫力を発している。いるのは仏像ばかりではなく、柱にはこんなものが巻き付いている。

天井を見上げればこんな様子だ。

しばし涅槃像の前で立ち止まる。私の目に映ったそのままに写真で表現できないのが残念だ。

こ こを過ぎると明るくなり、地下巡りはおしまいになる。本尊があった場所は、地上でもご本尊があった場所の地下とのこと。出口は入り口のすぐそばだから、明 るいところでみればほんのすぐ先まで往復しただけなのだが、あの暗闇の中では結構歩いた気になる。地上では皆が言葉を交わしながらなにやら準備をしてい る。稼ぎ時の正月はもうすぐだ。

おまけ:出口近くにあったおみくじ箱

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注釈