題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る

日付:2002/12/26


笠森観音 : 千葉県(2002/12/30)

朝早く家をでてひたすら電車にのる。神奈川県から東京都を通り抜け千葉に着く。駅前には千葉大学が見えており、ここは昔空手の練習やら試合で来たところなのだがそれは関係ない。目的地はまだ先にあるのだ。

茂原というところで下りるとバスにのり揺られること30分余り。ようやく笠原というバス停についた、というかとにかく下りた。そこにバス停は無かったのだが。

さて、と思い道案内がでている方向に歩き出す。すると駐車場と売店があり、道の反対側には入り口らしきものがある。上りと下りがきちんと分かれているところを観ると正月などは結構混んだりするのだろうか。

そこからは木が生い茂る中を結構あるく。

そのうち三本杉とかいう看板が見えてきた。立派な杉の木だ。その先には「霊木 子授楠」と看板がついた大木があり、木の根っこに開いた穴から人間が通れるようになっている。家族連れが写真を撮ろうとしており、娘さんが穴を通るところを収めようとしているのだがやれ

「足ではなく頭からでてこないとおかしい」

とか注文をつけている。そんなことをやったら転げ落ちるという娘さんの抗議により、とりあえず写真をとってしまえ、ということで落ち着いていたが。

さて、そこからは山門が見える。やれうれしや。あれが目的地に違いないと思い足を速める。明後日に迫った元旦の準備であれこれやっている向こうには笠森観音が見える。

一見して分かる通り異様な構造だ。やたらと高い。

さっそく昇ってみる。靴を脱ぎここも上りと下りに分かれている階段を上る。上りが外側であり、大変眺めがよろしい。それはいいことなのだが私は高所恐怖症なのであった。自然と歩くのは階段の端(内側)になるし、どうにも足がすくんでいるような気がする。いやここで負けてはならない。雨天時は「安全のため」閉堂する、と書いてあるがさもありなん。ぬれるとどうなるか想像がつかないがとにかく危険そうだ。

階段を上りきると足が結構張っている気がする。やれやれ、と思っているといきなり扉が開いて受付のお姉さんに声をかけられる。大人100円だから安いものだ。そこからぐるりとお堂を廻る。正面からみて左手に扉が開いており、大きな赤い提灯の向こうに観音さまだか何かがいる。(室内撮影禁止とのことで写真はとれなかったが)その隣に小さな部屋があり、9XX(数字忘れた)年前の床板です。入らないでくださいと書いてある。とはいってもあからさまに新しい板もしいてあるしなんだか箱もどさどさ置いてある。そんな古い板に荷物載せて大丈夫なのだろうか。

ぐるりと廻ると階段を下りる。ここからの景色はすばらしいからもう少しゆっくり観ればいいのにとも思うが、とにかく高いところは怖いのである。階段も実に急だ。

下りた後にしばしお堂を眺める。実に変わったお堂だ。

あれこれ調べるとここの構造は四方懸造りというらしい。清水の舞台のように地盤から柱を立ち上げ建物を造るのが懸造り。たいていの場合は一面だけこの構造なのだが、このお堂は四方ともなのである。結果として地上から高く高く柱が延びた上にお堂が載っている。つまり小山を抱え込みその上に本堂を造っているのである。

しばし眺めた後さて、ということで帰路に就く。普通門には仁王像がいると思うのだがここにいるのは風神と雷神だだなあ、と思ったらこちらは二天門といい、仁王門は別に存在しているのであった。右の風神のほうはおむつをしているようにも見える。

そこをでてだらだらと坂を下る。なにやら芭蕉がどうした、という立て札があり、洞窟がある。その昔芭蕉が観音堂の上で句を詠んだらしいのだが、洞窟は一体なんなのだろう。

ここから行きに通った道を下っていく。家族連れが昇ってきてお母さんが

「こんなに体力が落ちたと思わなかったわ」

とか大きな声で言っている。小さな子供が私に向かって

「あと何キロありますかぁ?」

と聞くので「もうちょっとだよ」と答えた。とはいっても彼と彼女たちはこれからあの急な階段を上らねば成らぬのだが。

帰った後もらったパンフレットを観れば二世安藤広重が書いたという浮世絵が載っている。現実とはかけ離れているのだがどのような印象を持ったかはよくわかる。

左:浮世絵 右:実際の全景

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注釈