題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る

日付:2003/1/23


下田城美術館:静岡県(2003/1/5)

正月休みも今日で終わり、明日からは楽しい会社だというこの日。私は特急踊り子号にのり伊豆急下田に向かう。途中やたらと温泉を通り過ぎついてみると立派な街である。もっと気候の良いときここに来るというのはきっと楽しいことだろう。しかし今日は明確な目的地があるし、風が強くて寒い。電車からみえていた下田城とおぼしき方向に足を向ける。そのうち道は上り坂になるが珍スポット巡りはいつもこんなものだ。今日はすでにしてその姿を見ているし、看板もいくつかでているから安心である。

まもなく見えてきた。

なかなか立派なお城である。手前の長命門がさらに立派である。などと感慨にふけっていると犬がよってきたのでしばし頭をなでたりして遊ぶ。

さて、ということで九八〇円払って中にはいる。するといきなり見えてくるのが黄色く塗られた隕石らしきものだ。

館内は撮影禁止だからここから先の写真はない。というわけで覚えている限り中の様子を書いてみよう。

はいるといきなり順路の矢印がは地下を指している。下り階段のところに太鼓があり、これを叩くと幸せになれるのだそうな。一発叩くと ぼん と間が抜けた音がする。下っていくと右手に妙な抽象画があり、下りきったつきあたりにいろいろ怪しげな物やら写真やらが飾ってある。中でも昭和三二年、氏が二〇才の時につくった日本最大のロケットの写真は限りなくインチキっぽい。その他NASAに提出したというUFOの写真があるのだが、ただ光の筋が写っているだけ。おそらくNASAにはこんな写真が世界中から何千枚も送られてくるのであろう。ユリゲラーもここを訪れたらしく、写真もあればゲラーが曲げたとおぼしきスプーンだのフォークだのがそこら中に置いてある。

さて、地下にはいきなり隕石がおいてあり、それをなでながら願いを言うとかなうのだそうな。隕石のパワーによって少し離れたところに手をかざしても暖かみを感じると言うがやる気すらおきない。その先にも「順路」という矢印はあるのだが、それに素直に従っていくと右と左をさしている順路矢印にぶつかる。そしてどちらにしてもそちらの方向には進めない。その先にはどうもかつてここが比較的まともだったころの展示品が物置のように突っ込まそれているようだ。

というわけで矢印を無視して右側を観ると靴を脱いでお上がりください、と書かれ赤絨毯が敷いてある。その先にご本尊ともいうべき隕石があるわけだ。それには一瞥をくれるだけ。壁際にはあれやこれやのチラシが置いてある。写真が撮れないのだからとそれらをやたらとかき集める。

帰りの電車でこれらのチラシを読んでみた。どうやら隕石パワー会員/宇宙村の村民、それに国際宇宙協会のスタッフが募集されているらしい。宇宙村の目的は気のあった仲間とグループ活動、世界を一つにしてよい政治を作る(国境をなくす)他全19項目。国際宇宙協会スタッフに求められるのは珍人、名人、変人(特技ある人)☆宇宙、古美術、医者、マッサージ師、栄養士、薬剤師、神主、和尚、(後略)等である。興味の有る方はどうぞ。私はいやだ。景山氏の略歴も書いてあり、22才の時に米国スミソニアン天文台とアイゼンハワー大統領より表彰、25才の時ソ連のガガーリン少佐と会見などと書いてあるのだが、ここらへんドクター中松の経歴と相通じるところがあるのやもしれん。

さて、地下は見終わったと思い一階にあがる。ここにはお吉とやらをイメージしたとおぼしき巨大な「お吉千体観音像」があり、その背面にはうじゃうじゃ観音が彫られている。なんでも某TV番組で

「この観音の写真をとると太股の辺りに男性の顔が見える」

と紹介したとのこと。その先にはなんとか天がおり、例によって霊験があらたか。その他もう一つ仏像だか何かが有った気がする。

ほれほれと思い二階にあがる。ここからは唐人お吉という、江戸末期の日本領事、ハリスのお世話をした女性の物語が人形のディスプレイで語られる。肖像画と写真があるが、ちょっとつり目できりっとした感じの美人さんだ。ハリスが一目惚れしたのも無理はない。ある場所でボタンを押すとこんな声が流れる。

「ミルク 牛の乳 私飲みたい 本当に飲みたい」

牛の乳はおろか牛の肉を食べることすらなかった当時の日本。それでも病気になったハリスのため、お吉はかいがいしく牛の乳を求め農家を廻るのでした。

日米に条約が締結された後お吉は元の恋人との生活に戻る。しかしそれは長続きませんでした。続きは三階というから階段を上る。するといきなりお吉は生きるすべを失い五一才にして身を投げたということになっている。いくらなんでも展開が急ではないだろうか。

さらに階段を上ると、鎧やら焼き物やらごろごろ置いてあるがそれらには全く興味がない。最上階からは下田の街が眺められる。

ここまできてあることに気がつく。おそらくここはかつて唐人お吉をメインとした施設であり、隕石が浸食しているのは地下の一部と一階(?)にすぎない、ということを。(館内に飾ってあった雑誌の切り抜きによればこの想像は正しかったようだ。)他はそのまま残してあるのだ。なんという徹底のしなさ。貴様には珍スポット魂がないのか、などと姿も見えぬ相手に向かってののしり声をあげる(もちろん心の中で)

しばらくめらめらと心の中に憤怒の炎を燃やすが、そんなことをしていても何が解決するわけでもない。城を出ると「運試しの池」なる物があり、数々の効能を書いたつぼが置いてある。なんでも

「この器の中にサイ銭一回ないし三回までに入った方は今年は幸運をつかめます。サイ銭は社会福祉に寄付させていただきます」

とのこと。金を投げることもなく私はきょろきょろする。看板にあった「下田城小劇場」とはどこにあるのだ、と思い先にいくとなにやらガラス戸がある。中をのぞくとこんなんである。

あわれ、小劇場はいまや館長の衣装置き場になったか。入り口近くにかつては土産物屋であったとおぼしき場所があるが扉は閉められたまま。かつては喫茶・軽食を提供していたであろう場所は完全な家庭の台所となっている。

これで下田城観光はおしまい。正月休みで退屈をもてあましたような人達が結構きている。受付のおばさんが走っていくからなにかと思えば男性の一団に対し隕石の説明をしているようだった。外に置いてある隕石はTV用に作ったやつで本物は地下にあるとのこと。

門をでて駐車場にとまっている車をみてふと気がついた。あの下田小劇場はこのようにカラオケ宴会向けに貸し出されていたこともあるのだろう。

帰りの電車に乗りながら考える。しかしなあ、九八〇円も取るのであればごろた石の他にもそれなりの気合いがはいった展示を見せてほしいものだ。今のあそこで観る価値がある物と言えば、これくらいのものだ。

男性用おといれ。ちなみにしゃがむ方も室内外とも全て金ピカ

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注釈