日付:2003/5/2
日曜日だというのに朝早くおき7時半頃家を出る。今日の目的地ははるかはるか遠くなのだ。
横浜から電車にのり本を読んだりうとうとしたりする。千葉で別の電車に乗りかえる。すると車窓から見えるのは田圃ばかりになる。そんな風景が続くと眠くなるからしばらく眠る。
そろそろ腰がいたくなった頃銚子についた。さて、銚子電鉄というのに乗り換えねばならぬのだがそれはどこだ、ときょろきょろするとJRとホームでつながっていた。2番線を先のほうに歩いていくと、おそらく設置意図とは異なりなんともわびしさを感じさせる風車型の駅舎がある。
そこからさらに電車に揺られる。乗っている人の大半は犬吠に行くらしくみな同じ往復券を買っている。ある駅はローマのなにやらか、と思えるような建物になっているが、その先に見える純和風の風景とは見事にマッチしていない。そのうち犬吠駅に着いた。電車を降りたときすでに私はそれに気がついていた。
遠くに見える金色の塔、これが今日の目的地満願寺である。何風だか知らないがしゃれた壁穴から写すとこれまたミスマッチが素敵である。さて、ということでそちらのほうに歩き出す。するとすぐ気がつくのがこの看板である。
ここまで徹底して看板を立てているのだが、実際に止まっている車がいるのがおもしろい。看板の間を歩いていくと建設中の仁王門につきあたる。こちらにもたくさん看板が張ってあるがそれらはもちろん「安全第一」とかそういうたぐいのものだ。
そこを回るといろいろ怪しげなものがでてくる。まず波にのった不動様がおり、隣には手を洗うところがるのだが、この寺ではそれも普通ではあり得ない。
水をちょろちょろはき出す龍を観ると「こけ脅し」という言葉が頭に浮かぶのだがあまり気にしないことにする。さらに先に進もうとするとこんな建物がある。
なかなか立派であり、看板もたくさん張ってある。では中は何かと自動ドアをくぐって観ればこんなんである。
「善女お手洗」「善男お手洗」とあり、つまるところここはトイレ。なのになぜか像がいる。そこを有り難そうに見つめている人もいる。トイレの前で。
そこからさらに奥に進む。すると右手に神様をまつった鎮守堂がある。神も仏も仲良くめでたいことだ。
その前には小さな像がいくつも建っており、その下に鐘がある。木槌のようなものがあるからカーンと叩いてみたがこの光景の中では今ひとつ浮いている。
その先には足形の石があり「足腰が丈夫になる百観音/四国諸国霊場お砂踏場 履物をぬいで合掌して」と書いてある。私が見ている限りでは誰も履き物を脱いで渡りはしない。後ろを見れば鐘があるのだが、やはり札からは逃れられない。
そこからさらに進むとようやく本堂の入り口。左右にしょうゆ会社から納められたしょうゆ缶がピラミッドになっている。銚子はしょうゆ産業のメッカなのだろうか。塔の前には観音様がたくさん立っている。近くから見上げる塔はきんきらきんで、前に妙な印もついている。
順路の矢印に従いはいるといきなりこんなのがいる。
後ろにはなにやら賞状のようなものがあり、なんでも
「満願之証 ○○○○○殿
貴殿は深い信仰心によってこのたび○○八十八/百八十八カ所を巡拝し満願打ち納めとなりました。
ここにその徳をたたえ当山満願堂に刻名すると共に永く寺録にとどめ貴家の繁栄を祈念いたします。」
とか書いてある。なにがしかのお金を払うと、この○○のところに該当する名前と霊場名をいれてくれるらしい。専用筒、特性腕輪念珠拝呈とも書いてある。要するに何十何カ所よくまわりましたね、ということか。まあ賞状もらうってのは一生の間何度もあることじゃないからなあ、などと考えながら進むとつきあたりにこんなのがいる。
「しゅんれい へんろする者は皆極楽ゆき」ここまで言い切られるとぐうの音も出ない。ひたすら通路を進む。両脇にはなにやらの像がいっぱい並んでいる。その先からはなにやら太鼓の音とものすごい声が聞こえてくる。それまで場内には「ほえーん うにゃうにゃ」というお経の声が絶え間なく流れていたのだが。
進むと本堂があり、正面に二人ほどの女性が座っている。坊主がその二人に向かって(だと思う)なにやら叫んでいるところだった。太鼓をものすごいいきおいで叩きながら張り上げるその声が何を言っているかはわからないが
「悪霊退散!悪霊退散!」
とかなんとかそんなことを言っているとしか思えない。
その後ろには入り口から見えた金色かつ六角形のお堂への入り口がある。中央には派手な木のようなものがあり、その周りを階段がぐるりんと回っている。
その階段をちょこっと上るとなにやら像がありそれでおしまい。階段は行きと帰りが別々になっているので間違えないように降りる(すいているからどっちを通っても問題ないと思うのだが)
これで見るものもおしまいか、と思い歩いていくと本堂の出口付近にこんな絵があった。
昭和65年竣工、という実際にはなかった年号を見ると「ああ、昭和の時代に書かれたものであるなあ」などと思う。(昭和六十一年に書かれたものらしい)これを見るとこのお寺はもっと広大なものになる予定だったのだろう。(絵では建物が描かれている本堂の右手には、現在広大な駐車場があり、その脇には何にも使われていない広いスペースがある)六角形の塔も本堂の前ではなく崖の上に建築されることになっている。
ここまで作れば偉大な珍寺として私のような変人が喜ぶ場所になったとことであろう。今でも十分変だと思うが。そんなことを考えながら出口に向かう。するとさっきみたマネキンのような格好をした女性の一団がやってくる。ちりーん ちりーんと鈴を鳴らしながら。この異様な寺も彼女たちにとってみれば有り難いお寺、ということなのだろうか。