日付:2003/9/13
「交通安全を守護して下さいます」不動明王の次には閻魔様が出てくる。
「十尺に及ぶ座像であって此の前に立てば如何に罪深き我なるかを悟り慚愧に堪えぬものがある」ということなのだが、前に立っても別に慚愧に堪えぬ事はない。次にはこんなものいる
「自殺封じ佛」なのだそうな。この佛をじっと眺めていると確かに自殺する気が失せるのかもしれない。逆になんだか死んだ方がいいような気がしてくるのかもしれない。よくわからない。かと思えば仏像ともなんともつかぬこんな像がある。
その先には釈迦が幾多の像を従えて座っている。
その反対側の壁にはこんなものがいる。
なんだろう、と説明を読めば初代が長女の冥福を祈るため供養に作った物だとのこと。ここにある他の像と異なり、安らぎを祈る心が伝わってくるような気がするのはそのせいか。
目がびかりと光る像で洞窟はおしまいとなる。出口付近に、この先は山道になっており雨の日、足の弱い方はご遠慮下さいとかなんとか書いてある。今日は雨であり私の足はすでにしてよれよれだ。しかし日本一の涅槃像と書いてあればいきたくなるのが人情というものではないか。泥状になった道をゆっくりすべらぬように進む。後からパンフレットを見ればこの道の脇に大仏を建立予定とのこと。歩いている時はそんなことに全然気がつかなかったからまだまだ先のことなのだろう。
道をふさいでいる蜘蛛の巣と戦ったりしながら開けたエリアに出た。ここが「自然公園」なのだろうか。確かに自然そのままのエリアでベンチも置いてあるから公園なのかもしれない。涅槃像もちゃんとある。
横になっているのだが体がぴんと伸びていてなんだか疲れそうである。ここには「厳窟王」と銘打たれた像やら普通の像もあるのだが、これは一体なんだろう。
何かの跡なのかあるいはこれで彫刻なのか。
これでハニベ厳窟院の見物はおしまい。ぬれた道をすべらぬよう気をつけて降りる。出口は土産物屋の中を通るようになっている。いろんなものがあるなあ、と見ていると店の人が
「バスで来られたんですか?」
と声をかけてくれた。来るときにも気がついていたが今は9時50分。帰りのバスは11時すぎにしかこない。どうされます?よろしければ送っていきましょうか?と言ってくれる。間髪いれず「お願いします」と言う。そこから軽トラックでもう少し本数の多い路線のバス停まで送ってくれた。途中いろいろな話を聞く。昔はもっとバスの本数もあったのだけど、地元の人はみんな自家用車に乗る物だからどんどん本数が減ってしまったという。確かにここらへんでは車がないと生きて行けぬかもしれぬ。バスで来ようなどと言うのは私のような物好きだけかなあ。
出るときに結構駐車場に車が止まっていて驚いたのだが、普通お盆はもっと混むという。ただ今日は雨で人出が少なくがっかりとのこと。これでがっかりか。私が過去数日廻った場所は人気がないところばかりだった。それは立地条件が悪いせいかと思っていたがここだって交通の便がいいとは言えない。人が来るこないはどうやって決まるのであろう。その場所が持っているインパクトという言葉では形容しがたいなにかだろうか。
そんなことを考えているうちにバス停に着く。ありがたやありがたや。頭をぺこぺこ下げて軽トラックを見送る。見知らぬ怪しげな格好をした中年をわざわざ送ってくれるとはなんと有り難いことか。まもなく到着したバスにのりご機嫌のうちに小松駅に向かう。
おまけ:大仏の頭部と完成予定像とおぼしき銅像