日付:2004/1/19
蒲郡という言葉を聞くと未だに「ガマ氷」という文字が頭に浮かぶのだがそんなことは何の関係もない。とにかく蒲郡から名鉄に乗り西浦というところに行く。ワンマン電車であるから出口は一つだけ。結構な人数が降りるから
「をを。これは皆様初詣に行くのであろうか」
と思ったが全然違った。降りた人のうちかなりの割合は温泉に行く人だったのである。
さて、駅には今日の目的地無量寺の看板があり「当駅下車徒歩三分」と書いてある。その看板を信じるとして問題はどちらの方向に歩くかである。いや、こんだけ近ければきっと駅前にあるのだろう、などと考えていたが、首を回してもそれらしきものは見つからない。そのうちみんなどこかに行ってしまい、駅でうろちょろしているのは私だけになった。えい、と思い切ると駅前の商店街があるとおぼしき方向に歩き出す。
てくてくと歩くが寺は見えない。どう考えても三分はたったぞ、という頃「ガン封じ 無量寺500m」という看板が見えた。やれうれしや。看板に従って曲がる。しばらくいくとまた看板があり曲がる。そのうち気がつく。俺は出発した駅の方に戻っているのではないか。
そのうち踏切をわたった。駅は右手すぐそこにある。つまり私は全く反対の方向に歩き出し、ぐるっと廻って出発点を通り過ぎようとしているのだ。まあつけそうなだけで満足しよう、と自分に言い聞かせる。ずっと延びている道を歩いていくとそれは突然左手に現れた。
今日の目的地である。近くにある看板を読めば
「玄奘三蔵ゆかりの中国西安の仏塔を三分の一に復元す
日本大雁塔(高さは20メートル)」とのこと。見終わった後に思ったのだが、この寺を造った人は玄奘三蔵(三蔵法師)に多大なる尊敬の念を抱いているのではなかろうか。
さて、このお寺はガン封じの寺と言うこと。あたり一面に絵馬の類がかかっている。それには人の形が書いてあり、どうやらガンが存在している箇所を黒く塗りつぶすらしい。観ていくと全身が真っ黒になっている絵馬の多さに驚く。あるいは塗るまでもなく「全身」と書いてある物とか。
神社仏閣に行ったとき絵馬を観るのは私が好きなことの一つであるが、ここは寺が寺だけに書き手の痛切な気持ちが伝わってくるような物ばかりだ。確かに打つ手がつきたら寺に行くしかない、という気持ちにもなろう。しかしながら本堂の前にでてこの看板を観るとそんな気持ちも「ほにゃ」となってしまう。
いやまあガン封じの寺といっても観光名所。両立していけないということはないけれど。「三河の名所」って。右を観れば先ほどの塔と和風の建物。その組み合わせはどこか異様だ。
いつまでも観ていてもしょうがないので本堂に入る。無料で千仏巡りができるとのこと。観れば入り口に観光ツアーのバッジらしきものが大量に貼り付けられている。こういうのは最初に誰かがやり出すとわれもわれもと繁殖するものなのかなあ。
さて、中にはいると道が結構ごきごきと曲がっていて「おや、つきあたりだぞ」と三度くらい思った。つまりよくできている。よくできているのだが、壁にはやたらと仏様がいるし、大きな仏様もどことなく雰囲気が違う。
こちらの像などは堂々と「中国敦煌の供養菩薩 莫高窟第45窟の仏がモデル」と書いてある。やはりこの寺を造った人の心は玄奘三蔵とともに西域を旅していたのだろうか。出口と書いてある看板には、観光ツアーのバッジではなく、名刺がたくさんはさんであった。
外に出ると隣にある玄奘三蔵絵伝とやらを観る。(ここだけは五〇〇円取られる)なんでも玄奘三蔵の一代記を絵巻物にした「日本と中国で初めての製作」なのだそうな。日本と中国で初めて、ということはそれ以外の国で先に作った人がいた、ということだろうか。あるいは日本と中国以外で作られたことがあったか確認してないから、「世界初」と名乗っていないのか。ここは撮影禁止だったので写真はありません。仏教の教えがばらばらなので、玄奘は源流をたどるべく印度までいきました。すると印度ではヒンズー教が広まっており誰も仏教のことを知りませんでした。おまけにパキスタンを通るときにイスラム原理主義者の襲撃を受けました、という物語ではない。あの時代に砂漠を越え、言葉も通じぬいくつもの国を超えて印度に行くというのはどれほどの苦行であったのか。しかし年をとったこの頃であれば、そうした「偉業」に無条件では感動しなくなったのも確かである。宗教で耳目を塞いだ上で何をしようとそれほど偉大なこととは思えないのだ。玄奘三蔵がどういう人だったかは知らぬから彼の「偉業」については判断を保留するのだけど。などと考えさせるほど絵は立派で突っ込みようがないのだが、「資料を基に復元した」という身長1m70cmの玄奘人形まで作ってしまうのはいかがなものか。
そこを出ると先ほど見えた塔の方に行ってみる。大きさ1/3で復元というだけあって、中にはいることはできないようだ。本来入り口であるべきところには小さな扉らしき物がついている。それとともに何か不思議な光景が広がっていることに気がつく。
あちこちで観る「これだけ廻れば四国八八カ所廻ったことにしてあげます」というやつだろうか。赤いタイルで作られた道がくねくねと通っている。いくつかの祠が微妙に形が異なるのはどうしてだろう。八八番目と称するものはとても立派だし。
といったところで無量寺見物はおしまい。帰りはちゃんと三分くらいで駅につきました。