日付:2004/8/23
実家から地下鉄に乗り名古屋へ。特急に乗り換えひたすら北東に向かう。途中下呂を通る。若かりし頃、休みの日に早く目が覚めるといきなり車でぶいんと北上、下呂についたところで普通の喫茶店で朝食を食べ帰る、という不毛なことを何度かやった。全く若い者の考えることはわからん。
しかし私が乗った電車はまだ走り続けている。名古屋から2時間以上、ようやく目的地高山に到着だ。
さて、ということでここからどう移動しようかと考える。バスの本数が少ないようだし、そもそもバスがあるかどうかもわからない場所に行くから車でも借りようかと駅前のレンタカー屋に行く。するとでっかい車しか空いていないと言う。しょうがない、と思い別のレンタカー屋に向かう途中貸し自転車があるのを見つけた。うむ。自転車という手があったか。これで行けるかな、と観光案内所で聞いてみると最初それはどこ?という顔をされた。ほれ、飛騨一宮の近くにある大きな観音、と言うと相手は分かったようで「自転車ならたぶん30分。バスでも行けますよ」という。バスがあればそれに超したことはない。だいたいこの日差しの中をあまり長い間自転車に乗っていると倒れるかもしれん。というわけで言われたバス停に行きおとなしく待つ。
そのうちバスが来た。車内に路線図が貼ってあるのだが、案内所で聞いたバス亭は存在していないようだ。となると感を働かせて適当に降車ボタンを押すしかない。私はひたすら前方を眺め続ける。さっき電車から見えたあれは、、そのうち「次は臥龍温泉」というアナウンスが流れる。きっとここに違いない、と降りてみれば大正解だった。
道を挟んで反対側に赤い大きな建物と大きな文字が。さて、と心ははやるがまずこの道を渡らねばならぬ。なかなか車の列が切れずいらいらするがここまできてぺちゃんこになるのはいやである。
ようやく渡ると、手前にある建物に入る。さて、ここから観音はどういくのか、と思い右手にあるドアを開けようとするがカギが閉まっている。正面にも何か部屋があるが「本日閉店」という看板がかかっている。ちょっとまてまだ昼過ぎだぞ、と心の中で声をあげるがとにかくカギが閉まっている。あたりを見回しても他に出口はない。一度外に出てみるが大観音が入っているのであろう建物の扉も閉まっている。ううむ、なんということだ。ここまで苦労してきたのに建物だけ見て帰らねばならぬのか。ああ、珍スポットの神は私を見放したのか。
とはいっても高山に戻るバスが来るまで1時間以上時間がある。しょうがないなあ、と思い隣で野菜の即売をやっているところのおじさんに聞いてみる。今日は隣閉まって居るんですかねえ、と。
すると「いや、見たいんでしたらいくらでもお見せしますが」という有り難い答えだ。やれうれしや。ここまで来たのは無駄ではなかった。おじさんの後についていくと、鍵をもってあちこち開けてくれる。扉を開けるとなにやら広い部屋に出た。いろんな絵やらあれこれ飾ってある。
そこからさらに扉を開けると外に出る。建物の入り口を開けてくれ、おまけに足下から照らしている照明までつけてくれた。ようやく観音と対面である。
ううむ、写真で見たことはあったが実物を目の当たりにするとその迫力はすごい。というか近くからあまりに大きな物を見ているので全貌がわからん。全高15mとのことだが、建物の中に充満しているせいかそれ以上の大きさを感じる。
この建物は壁にそって階段があり上れるようになっている。わーいわーいと数歩上ったところで自分が大変な高所恐怖症だということを思い出す。いや、これしきの階段でびびってどうする。とことこ上がると途中に「略式御砂踏所」があった。
最初に「ふりだし」最後に「あがり」と書いてあり、その間に確かに砂がはいっている。これで四国八十八カ所回ったことにしてもらえるのだから便利な事だ。試しに乗ってみたらガラスがみしっといったが割れる気配もない。
そこからさらに階段を上ると観音の後頭部の辺りにでる。ぐるっと回ると正面から対面、の前にこんなのがあった。
布にはなにやら願い事を書いてしばりつけているようだ。観音の回りにもびっしりとつけられており、下から見たとき何かと思った。ちなみにこの隣には「心のカガミ」なるカガミがかかっておりこんな事が書かれている。
「あなたは、たぶん、こころがきれいだから、人相がよろしいのでしよう」
意味が深いようなあるいは何も考えていないのか微妙な文章だ。少し頭をひねった後さて、と観音のお顔を拝見する。
この破壊的な迫力。木彫りなのだがその掘り後がなまなましい、というかなんというか。大観音はたくさん見たが、こうやって顔を正面から眺められるものはここだけか。手の辺りにたくさん例の布がしばりつけてあるのだが、どうやってしばったのだろう。高所恐怖症の私はその光景を想像しただけでびびってしまう。扉を開け外に出てみると国道41号沿いに夏の風景が広がっている。再び中に入り見下ろせばその高さが実感される。
観音様の姿を堪能すると下に降りる。さっきは気がつかなかったが、この観音並びに観音堂の建築経緯が書かれている。開眼は昭和61年5月とのこと。ちなみにもらった「飛騨大観音と霊水の奇跡」という紙には劇的に
「この大観音は、高山に住む二人の篤志家によって建立されたもので、製作にあたった仏師は、何処からか現れ、また何処ともなく去って行ったと言う。」
と書かれていたが、看板には「作者は木下伝三郎氏です」とだけ書いてある。
観音堂を出てはいった部屋に戻る。ちょうど先ほど部屋を開けてくれたおじさんが来た。ここは大人300円らしいが、私はさっきから一円も払っていない。なんとなく気が引けるし、観音様に感動したのでキーにつける何かを買おうと、いくらですか?と聞く。するとおじさんは隣の部屋に行き何かを見て350円です、と教えてくれた。
買った何かともらったパンフレット
そこから少し話を聞いた。ごらんの通りここは採算がとれないので基本的に止めているとのこと。おじさんは不定期に隣で野菜を売っているのだが、「もし見たい人が来たら見せてあげて下さい」と鍵だけ預かっているのだそうな。ということは私は大変な幸運に恵まれていたということか。礼を言って外に出る。バスの時間までにはまだ時間があるから向かいにある臥龍温泉に戻りラーメンを食べる。こちらは結構繁盛しており、昼間だというのに浴衣を着たおじさんたちが酒を飲みご飯を食べている。食べ終わって出るとちょうどおじさんが野菜即売所を閉めて帰るところだった。その即売所の後ろには観音様が立っている。
基本的な構成は同じだからこれは原型、というかこのような形にするつもりだったのかもしれない。しかしあのあらあらしい彫り方によって破壊的なインパクトを持つに到った大観音なのだが、、やっぱりあのお顔尾を拝見してわーわー喜んでいる私のような人間は少数派なのだろうなあ。