題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る

日付:2004/8/25


飛騨開運乃森:岐阜県高山市(2004/8/10)

飛騨大観音から一旦高山に戻り、今度はタクシーにのり飛騨開運乃森七福神、と行き先を告げる。帰りの電車の時間は決まっているし、バスの間隔はかなりとびとびなのである。夏休みということで、観光客がうじゃうじゃおり、そのせいもあってか市内は混んでいる。タクシーはゆっくり進むが、まもなく飛騨の里に入ってきた。坂をだらだらと登る。ああ、文明の利器って素敵。ここを足で歩いたらこの暑い日だからよれよれになるであろう。

間もなく着いたところはなにやら異様な迫力をもって見る者に語りかけてくる。

後から知ったのだが、ここはどうやら裏口らしい。そんなことはお構いなく私は受付に向かう。するといかにも「夏休みでバイトしてるっすー」という感じの女の子がチケットをくれた。そのすぐ脇に「世界最大の一刀彫の彫刻」としてギネスに申請したがNative Americanが作ったトーテムポールに負け、惜しくも次点となったことを告げる手紙が貼ってある。その文中

"I am afraid we are unable to accept your proposal as a record"

という下りを読むと自分が今までに受け取った数多くのRejection Letterを思い出し胸が痛くなる。

などと感傷に浸っている場合ではない。そこから進んでいくといきなりよくわからないものが置いてある。

招き猫に巨大な口で叫んでいる人に、この写真ではよくわからないが龍の彫刻。これはいったい何なのだろう、と一抹の不安に襲われるがともかく進む。すると巨大な小屋の様な物が見えてきた。

それぞれの小屋の中には七福神の巨大な像が存在しているのだが、その前にこの像を造った人たちの写真ならびに経歴を。

飛騨勘五郎コンビだそうな。右の山村さんはドライブイン経営者として成功し、村会町会議員も務めた。右の中村さんは木工関係の職場を転々と下が円空仏に魅せられ脱サラ。45才で他界。この七福神の製作にとりかかったのは昭和56年。こうして写真まで飾られるからには有名な人たちであったのだろうか。さて、七福神を一つづつ見ていこう。

布袋様。でもってお腹のあたりには原型というか材料とおぼしき巨木の写真が飾ってある。ふむ。と感心しながら次々と見ていく。

毘沙門天 黒くて強そうである

吉祥天。今気がついたのだが、前面にカーテンのようなものがある。どんなときに閉めるのだろうか。

福禄寿。頭が長い

弁財天。顔つきがちょっと情けない。

いくつかの像では、「土足のままで上がって可」の表示がしてあり、足下というか膝元まで近づくことができる。ここでは願い事をしゃもじに書いてお供えするようで。例によってこうした場所のお願いごとというのは深刻なものから「おるぁっ」と思わず言いたくなるようなものまでいろいろだが。

一番上にいるのがこの恵比寿様と大黒天のペア。ここまで来て気がついたのだが、部屋の隅にライトがあり、お顔をライトアップするようになっている。昼間でも周りを建物に囲まれているからお顔が暗くならないように、という配慮だろうか。

この建物の中には建築途中と思しき写真が飾ってある。

この二人があの何とかペアであろう。一体彫るのにどれくらいの月日が必要だったのだろう。

帰りは土産物屋を通り正面からでる。するともう一体巨大彫刻があった。

なんでも「世直し大不動尊」なのだそうな。その前は広い駐車場になっており、車が結構とまり、観光客が一杯いる。しかしなんだなあ、あの飛騨大観音もここに持ってくればそれなりにさまになってちゃんと採算とれるんじゃ、、とはいかないのだろうが、などと考えながらぼんやりと目を遠くに移した私はあるものを発見して驚愕した。

崇教真光主神神殿らしいが、その光景に圧倒される。まさしくこれはStar Warsでしか観たことがないような巨大神殿だ。帰りのバスの中で英語を母国語としていると思しき人が、車窓からちらちら見えるこの建物をカメラに納めようと苦闘していた。確かに見た目のインパクトではこれが一番だよなあ。

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注釈