題名:巡り巡って

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日付:2004/8/30


伊豆極楽苑:静岡県(2004/8/22)

東海道線にかたこんとゆられ三島につく。乗り換えて修善寺へ。バスの時間までにはまだ間があるからぶらぶらする。日差しは強いが湿度が低いのかからっとしている。日陰に入れば涼しいのがうれしい。

間もなく来たバスに乗り宝蔵院というところで降りる。いきなりレストランがあり、「宝蔵院」と書いてあるから、これはレストラン兼寺院であったかと驚いたが、寺院はちゃんと道の反対側にあった。目を移せば今日の目的地伊豆極楽苑である。

ごらんの通り四角い建物であり、右側に小さなお堂がある。受付に座っているのは旦那さんだろうか。あがるととても丁寧に案内され、まずは畳の部屋に通される。そこで奥様とおぼしき女性がこれから見る物の説明をしてくれるわけだ。

ちなみにあちこちに「カメラ持ち込み禁止」「撮影禁止」と書いてあるのでこの先の写真はありません。そんな私の考えをよそに、推定奥様の説明は軽快に続く。人間死んだら49日だかの間に裁判を受け、悪い奴は地獄行き、いい人は極楽行きというやつである。ふむふむと聞き終わると階段を上り始める。なんでも最初に超える山道を模しているらしくやけに暗い。その先には三途の川の模型というかジオラマがある。渡り方が三通りあるから三途の川なのだそうな。説明もきちんと書いてある(英語バージョンまである)のだが、やたらに暗いのであまり読む気になれない。それらを見ていると善人であっても裁判が始まる前にずいぶん痛めつけられるような気がするのは何故だろう。(以下はパンフレットにのっていた写真)

さて、その先には閻魔大王がおり判決を下すことになっている。最初に聞いた説明では間違いがないように、と再審制度まであるらしいのだが、閻魔様に間違いがあっていいものだろうか。閻魔様の前では嘘をついても生前やったことのビデオが流れるらしいのだが、マイノリティ・レポートにあったとおり、映像だけでは誰が悪いかわからんしなあ。

でもってそこからは地獄巡りになる。いろいろな地獄の責め苦が人形で再現されているわけだ。

やっぱり暗いのが難点だが、ジオラマは大変な力作だ。同じ人形を適当にばらまきました、というのではなく餓鬼道の人形は下腹がふくれているとか、顔に網目型の焼け跡がついているのもいたような。

さて、地獄巡りが一段落すると「地獄破り」と書いた通路に出、その突き当たりにはギャルの鬼が

「あなたは今後地獄に縁はありません お名残惜しいけどさいようなら」

と見送ってくれる。胎内巡りと書いてあるところを通り、壁にぶら下がった五つだかの鈴を鳴らす。それに一つずつ不殺生とか仏教の教えが書いてあるわけだ。さて、極楽はどんなにすばらしいところかと思うとなんだか先が明るくなってきた。あれ、あそこって最初に説明を聞いたところではないか、と思っているとその通り。ただしそこに行く手前に極楽がある。(これもパンフレットの写真)

そこら中金色の五重塔やら寺らしき建物が散在している。「金銀・瑠璃・玻璃でできた豪邸。家賃、敷金、礼金無し」ということなので全く結構なことだが印象的な点が一つ。人が一人もいないのだ。向こうの方に仏様は浮かんでいるけどね。そして極楽はこの一角だけ。あれほど手が込みバラエティに富んでいた地獄に比べてこの差異は何か。

ある漫画にこんなのがあった。天国に来た人がしばらくふよんふよんするのだが

「ああ。あまり楽しくない」

と泣くのだ。確かにここに来ても金色の五重塔巡りくらいしかすることないから大して楽しくないかもしれない。地獄のあり方もいかがなものでしょうか。苦しみが永遠に続くんじゃ反省のしようもないし、ただ苦しむだけ。抑止力としての効果を期待するならば、年に一度は地獄を生きている人間に公開するとか特番を組んでもらうとかしなきゃねえ。「衝撃:今開かされる地獄の真実!!!!」とか題名つけて。などと考えているとその近くに書いてある言葉

「極楽も地獄も他にあらずして己が心の中にこそあり」

という言葉が妙に説得力を持って迫ってくる。地獄に慣れるかどうかはわからんけど、極楽は間違いなく退屈するだろうな。それがないとすればきっと頭の中身をいじられているにちがいない。

外に出て左手に回っていくと、二階に秘宝館がある。

この真言立川流というのが何かというと、平安末期に流されただか追放された偉い人が始めた仏教の流派で、男女の交合が菩薩の境地だと説いたとかなんとか。奥の部屋にはその四十八手の絵が飾ってあるが、こういうのはいつも一つは二つ見ただけで飽きてしまう。その他印度風の像とかまああれこれあります。

最後に隣にある歓喜神社?を見る。

手前にいる像をなでるとよい相手と結ばれるとかなんとか。中にはまた印度風の像がある。

というところで伊豆極楽苑見物はおしまい。帰りのバスの中で考え続ける。あのご夫婦のジェントルさと展示物の間にはどのようなバランスがあるのだろうかと。

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注釈