日付:2005/11/4
本堂が普通の建物であることに安心したのもつかの間。前に回ってみるといろいろなものがいるのであった。
特に達磨法師は目が白くて怖い。そこからは大仏様の後ろ姿が見える。そうだ、今日は大仏を見に来たのだった。そちらの方に歩を進めようとするが、一直線に進むことはできない。門がありそこを通るのだが、まず脇にこんな物がある。
その昔皇居前にあった楠木正成の像はこんな感じだったのだろうか。しかし全体が傾いているのが気になる。さらに門に近づいて見る。木で作られた門だ、などとのんきな事を考えていられたのは短い間であった。
この木彫りの像は一体何なのだろう。うまく写真に納められなかったが門の左から右まで長い龍が飛んでいる。
頭を振りながらとにかく大仏様とご対面である。
大仏様自体は普通のお姿である。しかしその回りには句碑がやたらと密集しており、ただならぬ雰囲気を醸し出している。私は後述する理由により、大仏様のお姿をもっと写真に納めておくべきだったのかも知れない。しかしあたりに密集するお言葉、というか文字の大群から感じる圧力はそれを許さない。手前に立っているのはこの場所の制作者だろうか。大仏の真ん前にはこんなものがいるのだがもう驚かないぞ。
そこから先に進むとどうやら山を下り表の門に通じるようだ。そこに行く前に先ほど上に分かれていた道を辿ってみよう、と戻り始める。前述した像の間を進んでいくわけだ。こんな人がいるのだが、彼は一体なんなのだろう。隣には「藤村益治郎の像」とだけ書いてあるのだが。
さて分かれ道に戻ると今度は登り始める。句碑が並んだ道と平行してもう一本道ができている。こちらのほうが早く頂上にたどり着きそうだからそちらを進む。ひーひーいいながら登ることしばらく。見通しが開けた場所に出た。
何もないだだっぴろい場所に句碑が並んでいる。この列はどこまでつながるのかと進んでいく。すると最後の方はなかなか近寄りがたい場所に並んでいることに気が付く。中にはこんな風に土台となる石がずり落ちてしまった物もある。
そのすぐ先で句碑はおしまいとなっていた。ここら辺にくると、議員先生と思しき人が書いた文が増えてくる。
「当確の予想に緩み苦戦する」
とか
「ゼンマイも三期となればネジ緩む」(これは大仏の近くにあったが)
とかである。
そもそもこのだだっぴろい場所は何なのだろう、と思いながら先ほど通らなかった道を下るべく歩き出す。するとその答えの一部が解ったような気がした。
スポーツセンターにするつもりなのか、するつもりだったのか。この句碑にかこまれた場所で皆さわやかな汗を流すことを期待したのか。先ほどから流れてくるのは冷たい汗なのだが。その少し先にはこんな場所がある。
ゴミの不法投棄じゃないけど、ここにこっそり墓石を捨てていく人がいるのだろうか。そもそも墓石って捨てる物なのだろうか。しかしこうやって看板があるからには捨てる人がいるんだろうなあ。句碑は続いているがこんなになってしまった物もある。
とぼとぼと坂を下り、大仏の前を通って出口-こちらが正門だと思うのだが-に向かう。両脇に句碑があることは変わりないが密集度合いが少し薄い気がする。かりに正門のほうから句碑を立て始めたとすれば後になるほどたくさん立てたということか。しかし一つ一つは普通の言葉でもこれだけ並ぶと暴力的な力を持つものであるな。
降りたところからすぐ近くのバス停-岩手県交通 名乗沢である-でバスを待つ。雨がぱらぱら降ってきたがすぐ上がった。なんとか天候には持って欲しい。今日はもう一カ所いくところがあるのだ。