題名:巡り巡って

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日付:2019/6/20


関ヶ原-大谷吉継コース(大谷吉継-宇喜多秀家):岐阜県(2019/05/03)

しばらく家屋がないエリアをあるいていたがそのうち前方に何かが見えてきた。

入り口


ここは大谷吉継の陣跡ではなく、そこに行きたい人たちが利用する駐車場である。つまりここからは歩きでいくしかない山道になるということ。というわけで一行は車道を横に曲がって山道にはいる。途中東海道本線を横切る。思わずシャッターを押す。今自分で撮影した写真を見ると「だから何」と自分でも言いたくなる。

山道では地面に木の根がでており、足元に気をつけて歩かなければならない。ここでひっくりかえって途中リタイアはいやである。と思ったあたりで展望台のようなところにたどり着いた。

展望台 顔はめ

ここには大谷吉継が陣を構えていた場所ではないのだが展望台である。というわけで顔ハメもある。ここからは小早川秀秋が陣を構えた松尾山が丸見えである。説明に従って望遠レンズを向けると、確かにはるか山の上に旗が見える。

小早川

説明では、あそこにいた小早川秀秋は午前中西軍が優勢なのをみて逡巡したのではないかという。確かにあそこから関ヶ原を見下ろしたらさぞかし壮観だったことだろう。戦後そこら中に杉が植林されたが、当時の山はほとんど禿山だったとのこと。ならばこの位置から小早川軍の動きは丸見えである。ではなぜこんなに都合よくこの場所から松尾山が見えるかといえば、ここ数年で木を切ったからとのこと。

ひとしきり説明があった後、また山の奥に進んでいく。また木の根に気をつけながらひたすら進む。途中大谷吉継の陣跡がある。その近くに大谷吉継が小早川秀秋を疑っていた証拠がある。


塹壕後


写真では分かりづらいが、案内人さんが指差している場所が不自然に盛り上がっている。これは自然の地形ではなく、大谷吉継が作らせたもののこと。東軍は大谷から見て山の正面にいるのだが、この土塁は側面-松尾山の方向に対して作られている。つまりこの土塁の存在が大谷が小早川を信用していなかった証拠とのこと。説明によればこうした盛り土は100年で10cm低くなる。それを勘案すれば150cmほどの盛り土が当時存在したと推定されるとのこと。かなりの高さだ。

そこから歩くことしばらく。また開けた場所で他の観光客がいるエリアにでた。

杉の木


大谷吉継の墓である。ここは他の場所と違いお墓なのでまず参加者全員でお墓に挨拶をした後に説明がある。大谷は小早川の裏切りは予想していたが、小早川の見張りとして近くに配置しておいた赤座、朽木、小川までも裏切るとは思っていなかった。小早川は何度か追い戻したものの、他の裏切りがあって包囲にあいここまできて自害したとのこと。

というお話を聞きながら、私は近くにあるもっと大きな石碑に気がそれる。


石碑

説明によれば、これは史跡でもなんでもなく、どこかの寄付により作られたものとのこと。見たかったらどうぞ、と言われる。この「史跡とペアになっている寄付で作られた石碑」にはこの後も何度か遭遇することになる。そう言われると近くに行く気がしない。写真だけ撮影してその場を後にする。次に向かうのは宇喜多秀家の陣である。途中ずっと杉林の中を通って行くが、木の間にテープが張り巡らされている。

テープ


なぜこんなことになっているのでしょう、と案内の人が問いかける。木が倒れるのを防ぐため?と誰かが答える。私は宗教団体の何かかと思ったがそういうことではないようだ。正解は

「鹿が通るのを防ぐため」

とのこと。今でも年に何十頭か鹿、イノシシなどが駆除されているとのこと。このテープにより鹿のツノがひっかかるため移動を制限できるそうな。などと話を聞きながら歩くことしばらく。また開けた場所にでてきた。宇喜多秀家の陣跡である。

宇喜多:史跡 宇喜多

ここでも我々は史跡(上)と、寄付による石碑(下)のコンビに出会う。後者はそれなりに古そうに見えるが、平成10年に作られたものとのこと。宇喜多秀家という名前は、八丈島に行った時に聞いた。80を超える年まで生きていたとのこと。というわけで丈夫でいろいろコネもあり長生きしたのだが、地元に重税を課したり、関ヶ原の前に有力家臣が複数離反したりとどちらかといえば

「迷惑な若殿」

だったのかもしれない。ちなみに史跡には「浮田」と書かれている。当時は漢字の使い方についてそれほどうるさくなかったんだそうな。

そこからまた歩いていく。しばらくすると普通の道路に出る。こういう場所であるからスピード超過を諌める表示も宇喜多秀家である。

テープ

そこを離れしばらく歩くと、

「あそこに石田三成の陣が見えます。あそこが最後ですから」

と言われる。みれば遥か遠くに旗が翻っている。あそこまでいくのか、と気が遠くなる。時間は12時半。出発してから2時間以上が経過している。少し先にトイレがあるのでここでトイレ休憩となる。このトイレが付属していると思しき野球場にさびついたコンダラが転がっている。

コンダラ 

 

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注釈