題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る
日付:2019/9/20


河口湖自動車博物館・飛行館:山梨県(2019/08/27)

気がつくと私は高速道路の河口湖インターを降りていた。なぜこんなところにいるか聞かないでほしい。とにかく来てしまったのだ。

そこからGoogle Mapのお告げに従い、車を進める。途中で音楽がなるという道路を通る。なんのことだと思ったら道路に凹凸があるらしく、走行音の音程が変わり「あーたまーをくうもぉの」とメロディが流れる。これは愉快と思っていたら、盛り上がる途中でメロディが終わった。なんだこれは。

そうこうしているうちに「この先通行止め」の表示が出る。がびーん。これはどういうことか、と思っていたら通行止め箇所までの距離と、Google先生が「右折」といっている交差点までの距離がほぼ等しい。ということはなんとかなるかもしれない。いずれにしても今は進むしかない。そう思っていると前方に何人か人の姿が見られる。どうやら絶対ここを直進させないぞ、という箇所らしい。幸いなことにGoogle mapも「ここで右折」といっているし、先ほどから「飛行機」とかいう手作りの看板がでてきている。

右折して進むことしばらく、目的地が見えてきた。平日なのでどれくらい人がいるのだろうと思っていたが駐車場には多くの車が止まっている。出やすそうな位置に車を止める。

全景


建物が二つ見える。ちょっと作りが粗末そうなほうが飛行館らしい。トイレにも行きたいから作りが立派な自動車館の方から「先に」みることにする。そこかしこに「写真はスマホ、携帯のみで可能です」と表示があり、いろいろな言語でも記載されている。撮影不可の博物館はよくあるが、こういう制限は初めて見た。無制限に撮影を許可すると、すごい三脚など持ち込む人がいて大変なのだろうかと想像していたがタブレットで撮影も禁止とのこと。ここらへんの線の引き方はよくわからない。

千円払って入場。予想通りなかなか綺麗なトイレで用をすませると自動車の見学にうつる。私は名古屋出身であるからして、トヨタ自動車博物館にはよく行っている。似たようなものだろうと思っていたが、なかなかどうして勉強になる内容も多い。自動車はある時期までライトが外に目玉のように飛び出しており、長いエンジン部分が車体前方にあった。こんな感じである。

ベンツ

これはこれでなかなかかっこいい。これがドイツ第三帝国だ、と言わんばかりの面構え。しかし今の車はこういう形ではない。どこで変化があったのだろうと長年疑問に思っていた。

アルファロメオ

この車の前についている説明によれば、第2次大戦終結後にそうしたデザイン上の大きな変化がおこったらしい。これが1947年にアルファロメオが作った画期的なデザインの試作車なのだそうな。試作車にしてすでにこの美しさ。さすがはアルファロメオである(私はアルファロメオのデザインのファンなのだ)

他にも10台程度しか生産されなかったスーパーカー(この名称が何をさしているか深く問わないように)とか興味がある人がみれば感涙ものの自動車がいくつもあるのだろう、多分。とはいえ私は元軍用機オタクであり、本日のメインの目的もそちらにある。というわけでそこをでて飛行館に向かう。

ところで一つ大きな間違いをしていたことに気がつく。私は千円払えば両方見れるものだと勝手に思い込んでいたが、自動車館と飛行館は別料金なのだ。(公式サイトにもちゃんとその記載がある)そうと知っていたらアルファロメオを省略していたかもしれない、と自分の不注意を棚にあげて嘆く。

ええい、払ってしまったものは仕方がない。積年の疑問が一つ解消してではないかと自分にいいきかせ、飛行館の受付でもにっこり笑って千円を払う。中に入るとそうしたあれこれをすっかり忘れる。いきなりこれが見えるからだ。

一式尾翼


一式陸攻の後部胴体と垂直尾翼である。日本のあちこちにエンジン一つの戦闘機は展示されているが、双発以上は私が知る限り二式大艇しかない。そして展示されている一式陸攻はおそらくここにしかない。かけよってジロジロ眺める。側方銃座が平たい、ということはこれは22型である。そこから中を覗き込む。

胴体内部


この写真を見てもなんのことかわからないと思うが、一式陸攻の胴体内部である。最初に一式陸攻を見た海軍の人が「子供なら相撲がとれるほど広い胴体」と感想を書いていた。確かにこれだけの広さがあれば相撲がとれそうだ。他にも胴体を見た外国人エンジニアが「これは双発ではなく4発機(つまりエンジンが4っつついている飛行機)に違いない」といったとかなんとか。そういう飛行機オタの記憶が次々に蘇る。

この一式陸攻は胴体の後半部分だけが本物で、前半は全て複製したものとのこと。そうきくとやはり胴体の前半部分はなんともいえず作り物っぽい。とはいえ内部までちゃんと手を抜かずに復元されているように見えるのがすごい。

ここには他にも数機の機体が展示されている。桜花を見たことが今までにあったかどうか。意図的に外板をはっていない零戦21型もあるのだが、それが昭和19年4月に生産された機体だというのはびっくりした。まだその頃まで生産が継続されていたのだ。などという元オタの感動はまだまだ続く。

剣


これは大戦末期に作られた剣という特攻機の部品。さびているのは鉄のフレーム。外側を覆っているのはブリキである。零戦などはフレームも外板もアルミでできているが、一度しか飛ばない特攻専用機にそんな材料は回せない、ということだったのだろう。

日本軍が大戦の後半に多くの機体に搭載し、高性能を発揮するとともに問題もたくさん起こした誉というエンジンがある。陸軍の4式戦に搭載されていた誉は「ふーん」とスルーしたが、その隣に海軍の銀河に搭載されていた誉をみつけると「をを」と写真を撮るのは我ながらわけがわからない。

館内の多くの人は飛行機に見入っている。しかし私はひねくれものなので、壁に貼られたポスターにも見入る。

加藤少将

これは加藤少将が戦死した後に作られたポスター。わざとらしいとも言えるが、なかなかの名文ではなかろうか。


敵機

説明書きはないが、おそらく「敵はこんな機体で攻めてきますよ」という敵機一覧ではないかと思う。今からみてわからないのが、アメリカ軍でも実用化されていなかったはずの機体が載っていることや、旧型新型とりまぜて載っていること。まあこれも今の情報が分かった上での後知恵の感想なのだが。

国債


国債の募集である。この頃日本国民は1億ということになっていた。とはいえおそらくは子供や赤ん坊まで含めて国債を買えとはいかがなものか。そしてこれも後知恵で思うのだ。なんだかんだと予算を捻出したとして、どうやって「もう1万機」生産できるというのか。映画(父親たちの星条旗)でも「国債による予算確保」の苦労はでてきたが戦時中の生産を阻害していた要因に「国債の募集不調による予算不足」を挙げているものをみたことがない。中央省庁+大政翼賛会がそろって協力している一大キャンペーンだったとは思うものの。

などとポスターの内容にケチをつけたりはするが、このころのデザイン、フォントの使い方はなかなか素敵だと思う。内容はともかくメッセージがとても明確だ。

などと感慨にふけったところで、その場所を後にする。駐車場に戻ると、朽ち果てかけた機関車とボートが置かれていることに気がつく。説明もないのでそれが展示されているものなのか、置かれているものなかはわからない。この双発機の翼下にある消防車はなんなのだろう。

消防車

車に戻るとぶるるん、と発進する。先ほどのミュージックロードを通ると先ほどの続きからメロディが流れることに気がつく。手が込んでいるというか、なんというか。

  前の章| 次の章  | 一覧に戻る | 県別Index


注釈