題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る
日付:2020/12/12


八ッ場ダム:群馬県(2019/08/29)

気がつくと私は草津バスセンターの椅子に佇んでいる。なぜこんなところにいるのか聞かないでほしい。とにかく来てしまったのだ。

いろいろ理由はあるが、とにかく8時10分発のバスに乗りたい。チケットを購入しようとすると「JRは?」と聞かれる。確かにバスの次はJRに乗らなければならない.駅の名前をうろ覚えだったが、適当に発音したら相手が「ああ、川原湯温泉ね」とちゃんと認識してくれた。でもなあPASMOあればいいじゃん、と思った私は後で自分の愚かさを思い知ることになる。

「戻ってきますね?」と言われるので「はい」と答える。バスとJR往復分のチケットをまとめてくれた。まもなく到着したバスに乗って長野原草津駅まで山をずっと下っていく。

草津というのは有名な温泉地だから、その名前を冠したJRの駅が近くにあるだろうと勝手に考えていた。とんでもハップンである。バスで七百円かかる距離だし、おまけに山をずっと登っていく。歩いたら死ぬような目にあうに違いない。(費用節約のために歩こうかと一瞬考えたのだった)長野原草津駅は、新しい駅舎で綺麗だが周りには何もない。駅のホームに座ってぼんやり待つ。そのうちトイレに行きたくなった。時間はぎりぎり。大丈夫かと思いながらトイレに駆け込む。なんとなかった。

駅は隣だが、距離は東京都内の「隣の駅」とは大違いである。旅行を計画しているときに「歩けるだろうか」と思ったが素直にJRに乗ったのは正解だった。列車から降りたのは私だけだっただろうか。改札というか駅員さんがいるので切符を渡す。「この駅ではSUICA,PASMOは使えません」という表示が見える。草津でJRの切符を買わなければなかなか面倒なことになっていただろう。駅舎を出て事前にチェックしておいた「こっち」と思える方向に進む。しかし様子がおかしい。どうやら工事中で「通行止め」となっている。いや、ちょっとまて。これ以外にどの道がと思い山側を見るとなにやら道路が見える。そうか、あそこに上がればいいのか、と目についた坂を登る。するとなんとか牛乳という工場の敷地にぶつかる。そこから先に進めない。

あわくって駅に戻る。ひょっとすると駅の反対側に出なくてはいけなかったのか。そう思い、駅を見るがそもそも反対側に出口はない。これはどうしたことだろう。駅員さんに

「八ッ場ダムにはどうやっていけばいいんですか?」

と聞く。すると現在通行止めのため、一旦反対方向に50mいったところから坂を登ると、先ほど山側に見えた道路にいけるのだそうな。トンネルをくぐると聞き嫌な予感がする。私のような珍スポットを徒歩で巡る人間にとってトンネル内を歩く、というのはあまりいい思い出がない。狭くて逃げ場所のないトンネルの中で車に遭遇したらどうすればいいのだ。しかし今はそんなことを言っている場合ではない。礼を言って出発する。言われた通り(直感に反することだが)目的地とは反対方向に進む。すると矢印が見えてきた。なるほど。

矢印


これが私が直面していた場面の図である。後で気がついたのだが、駅のホワイトボードにちゃんと書いてあった。私は急いで出発する前に少しこれを眺めればよかったのか。

などと反省することになるのは後のことである。とにかく私は道をひたすら進む。そのうちトンネルが見えてきた。

トンネル

これがそのトンネル。歩道が異様に広い。広いだけでなく車道ときっちり段差がついている。これなら自動車が意図を持って歩行者にぶつかろうとしても段差に阻まれそうだ。こんなに歩行者に快適なトンネルは初めて見た。というわけでトンネルは長いが歩行は快適。そのうちトンネルを出る。道がまっすぐ続いている。左手に温泉街が見えてくるが、GoogleMapを参照すると目的の集合場所はまだまだ先である。

というわけでそれからしばらく温泉街を左手に見ながら歩き続ける。遠い昔米国で歩いていた頃とか、つくば学園都市で歩いたころを思い出す。目的地はなんとなく見えているのだがいつまだたっても近づかない。左手に見えているのが川原湯温泉らしいが、全ての建物がピカピカである。なぜだろう。そんなことを考えながらひたすら歩く。ようやく目的としていた交差点が見えてきた。見学会の場所を示す看板も出てくる。やれやれ。

というわけでそこから案内通りに道を曲がり進んでいくと前方になにやら駐車場とテントが見える。土曜日の朝一にどれだけの人が来るのだろうと思っていたが大盛況である。定員は40名とのことだから大丈夫だろうか。急いで受付をしてもらう。苗字、どの県から来たか、年代、性別、これからどこかに行きますかなどの質問に答える。最後に「この見学は今は無料で行っていますが、有料化を考えています。どれくらいの値段だったら払ってもいいと思いますか?」という質問がある。この「このサービスにいくらだったら払ってもいいと思いますか」という質問は「やってはいけないユーザ調査」の典型例なのだが、この場所でそんなことを言ってもしょうがない。直感に従い五百円と記入する。他の人も概ねその金額だったように思う。

5分前にここに集合してください、と言われる。日差しが強くなってきており、係りの人がテントを展開してくれる。その下にいる手もあるが、少し離れたところにある何かの屋根に向かう。近づくとそこが墓地であることに気がつく。墓石が皆新しい。最初不思議に思ったが、ある墓石をみてその理由がわかった。

墓石

これらは全て水没する地域から移設されたものだったのだ。そう考えれば先ほどの温泉街が全て新築ピカピカなのも納得がいく。不思議なのは道の途中に別の墓地があり、そちらは墓石が古いものだったこと。まあきっといろいろあるのだろう。

その墓地の周りにはフェンスがあり、しかも先が「通行禁止」になっている。結果として休憩所にどうやってはいればいいかわからない。おとなしく元のテントに引き返す。テント下でぼーっとしていると時間になったらしく案内の人の説明が始まる。顔に装着するマイクでしゃべってる。メガホンでしゃべるのとは違うのだな。

このダムが計画されたのは遠く昭和22年の水害がきっかけだとのこと。私がなぜこのダムの名前を知っているかといえば、民主党がこのダムを目の敵にしていたからだ。というかあの時政権がやっていたことは何から何まで訳がわからない。いずれにせよ今ここにダムが完成しようとしている。

案内に従って皆ぞろぞろと展望台の方に移動する。いろいろなWeb上の記事を読むと、以前は皆ヘルメットをかぶって別の場所まで見学していたようだが、今は展望台からの説明だけだ。

展望台
展望台
展望台

展望台というだけあり、実に眺めがよろしい。この眺めが見られるのもあと数ヶ月であろう。いつの日か人類が絶滅し、その後誰も維持をしなければダムが崩壊することもあるかも知れん。それまでこの風景は見られないのだな(私がその時生きていないことは確実だが)

ダムの各部分についてあれこれ説明がされる。下流側には橋があり、現時点で日本で一番高いバンジージャンプがある。(ダムが稼働を始めると日本一ではなくなるそうだが)説明が突如中断し

「あ、今だれか飛びました」

といいう。皆そちらの方を見る。結局説明の間二人飛んだようだ。一回飛ぶのにかかる費用は2万円。最初にはこの町の町長さんがスーツ姿で飛んだとのこと。

説明を聞きながら、昔通っていたJRの路線、それに国道の写真を撮る。今でも十分機能しそうだが、もうすぐ水没する運命にある。

国債

いかにも狭く曲がりくねった国道。とはいえ草津温泉にいくにはここを通らなければならなかったとのこと。大変だっただろうな。

国債

以前はもっと盛んに工事が行われており、管理棟の近くにコンクリートを製造する工場があったがそれも今は取り壊された。今ゴンドラで人が移動しているがこういう光景も減ったとのこと。話を聞いていると実に周到に長年に渡って計画された工事という印象を持つ。ここ数年「数週間から数カ月でサービスリリース」のような話ばかり聞いてきたので、その周到さに舌を巻く。私も最初はそういう仕事をしいていたのだけどね。

今この付近に桜を1万本植え、桜の名所にしようという計画があり寄付を募っているとのこと。それが実現すればさぞかし美しい風景になるだろう。今見学会にこれだけ人が来ているのだから、多くの人が訪れると思う。住み慣れた土地を捨て移設する判断にかかる大きさは想像するしかないが、この場所と町の繁栄を考えれば正しい判断だったのではなかろうか。

と私が感慨にふけっている間に説明はおしまいになる。写真撮影をしている人もいるが、私はその場を後にする。ほとんどの人は車できており、てくてく歩いて駅に戻るのは私だけである。またはるかかなたにトンネルが見える。空は夏の終わりの空。今日は8月31日だから夏休みの最終日だ。

空と雲

てくてく歩くうち、先ほど展望台から見えた橋があることに気がつく。一瞬いくか行かないか迷ったが、いくことにする。どうせここまで来ているんだ。

ダム

これが橋から見たダム。

上流

これが上流側。考えてみれば、この光景もダムの稼働とともに見られなくなるのだな。

再び快適なトンンルを抜けると駅に戻る。次の電車まで1時間待ちであることを知りぎゃっとなる。いや、珍スポット巡りにこのような「長い待ち時間」はつきものだ。ペットボトルの飲料を二本のみ、ぼんやりする。女性が駅に到着する人に声をかけており、どうやら道案内してくれるようだ。私が着いたときはきっと勤務時間外だったのだな。

などとぼーっとしているうち電車が到着する時間になった。窓からの景色を振り返りながらその場を後にする。

付記:ダムを訪問してから1ヶ月半後、10月12日、関東から東北は台風19号による被害を被った。この台風では特に雨による被害が大きく、いくつもの川が氾濫した。八ツ場ダムは試験運用中とのことだったが、台風が去った時には満水状態となっていた。

上流

あの一回2万円のバンジージャンプももう廃業したのだろう。


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注釈