題名:巡り巡って
五郎の入り口に戻る
今から十六年前、私はよみうりランド近くのスポット3カ所を巡った。その時から「いずれ」ここは再開発で消滅すると知っていた。そしてそのことをすっかり忘れていた。
それから時は流れ、前回訪問した時にはまだ生まれていなかった娘が友達とよみうりランドに行くという。私は鼻息も荒く
「じつはよみうりランドには”聖地公園”という異様なエリアがあり」
と説明し、ほれこのとおりとWebサイトを見せてやろうとするが、どう検索してもでてこない。そのうち
聖地公園は2019/7/2(火)以降、ご利用いただけません。
あらかじめ、ご了承ください。
という情報につきあたる。嗚呼、あの異様にして昭和の気概に満ちたエリアは我々の手の届かぬところに行ってしまったのだな、とため息をつく。そんな父親に娘は「どうでもいい」という無言の一瞥をくれ立ち去る。
友達と遊ぶべくウキウキでかける娘を見送って考える。珍スポットの寿命は短い。奈良の大仏は日本に壊滅的な天変地異が訪れるまで存続し続けるだろうが、珍スポットはふと気がつくと消えてしまう。そのことはわかっていたはずではないか。
そういえば最近よみうりランド近くの「ありがた山」の記事を読んだ。
ありがた山の風景も、ここまで驚きに満ちた風景をたたえているのは、わずかな間かもしれない。現に、この近くに洞窟があったのだが、危険なのでCLOSEDになってしまっている。
引用元:ココロ社
どういう経緯なのかよくわからないが、ありがた山石塔群の間際まで開発が行われているらしい。逆にいえばまだ今ならあの場所を訪れることができるかもしれない。
十六年前に比べると、珍スポットをめぐる頻度は激減した。その理由の一つに映画に行く頻度が多くなったこと。珍スポット行こうと思えば結構な時間が必要だが、今やごはんを作らねばならぬしあれこれ大変なのだ。ならば少しでも空き時間があればまず映画、ということになったのではなかろうか。自分でもよくわからんが。
しかし
幸か不幸か今はコロナの影響で海外からの新作が公開されない。邦画は公開され続けているが見る気がしない。夏は終わりいきなり初冬になったがそれでも外を歩くのに支障はない。この状況において消えるかもしれない珍スポットを訪れずにいることが正しいだろうか。
というわけで、家族に朝食を作ったあと私は家を後にする。十六年前は無邪気に電車に乗ったものだが、今は最も運賃が安い経路を選ぶ。私の給料はあの頃から比べて横ばいだが、子供が大きくなると何かとお金がかかるのだ。柔らかな日差しがそそぐなかのんびりと南武線にのって外を眺める。思えばこうやってのんびり電車に乗るのは久しぶりだな。今年の前半は電車に乗ること自体少なかったし。
そんなことを考えているうち矢野口という駅についた。よみうりランド駅よりここから歩いたほうが安いのだ。というわけで電車をおり駅をでるとスマホで方向を確認しながら歩き出す。そのうち遠方にこんな光景が見えてくる。
山が削られ平らになりかかっている。これが私が懸念している開発エリアかどうかはわからないが。などと考えながらてくてく歩く。道を間違えたことに気がつき、少し戻る。てくてく歩いて読売ランド駅に来た。今日の目的地はこの先のはず。そう思って歩き続ける。山の斜面に墓が並んでいるエリアがあるが、この墓は普通の墓だ。その麓にはこんな看板がある。
十六年前には存在していた洞窟は閉鎖されてしまった。そのあたりをしばらく歩くがどこにあったのか思い出すことができない。とはいえ自分で書いた文章を読み返すと当時から受付の人がいたりいなかったりだったみたいだからなあ。
そこからさらに先に進む。そもそも今日の目的地はどこなのだ。地図が示すところによれば道の反対側のはずだが、と思った瞬間こんな光景が見えた。
なだらかな斜面が綺麗になっている。ひょとしてここが今日の目的地だったか。あの記事が書かれてから今日までの間にこの場所は片付けられてしまったのか。
しばらく唖然とする。今日ここまで歩いてきたのはこのなだらかな斜面を見るためだったのか。しかしもう一度スマホで地図を確認する。どうも「ありがた山」と書かれている場所から離れてしまっているように思う。そうだ、そうに違いないということできた道を戻る。道の片側には工事エリアを示すであろう壁が存在している。先ほどはその壁の向こうはすべて工事エリアだろうと思ったのだが、よくみるとちゃんと家が存在している。ということは壁の向こうにも工事以外のエリアが存在するということだ。そして地図によればありがた山はその先にある。
というわけで気を取り直してそちらに向かう。壁のエリアを越え民家が立ちならぶ場所を通る。壁に見たことがないマークがあり、一階の窓からなにかのメダルがいくつもつるしてある家がある。なんだろう、と思うが先を急ぐ。細い道が行き止まりになることを遅れているが、幸いなことに道は続いている。そのうち記憶の中にある風景が見えてきた。
手前には「新通路」という赤い矢印が見え、ひょうっとするとこの階段を上がることが禁じられいているのではなかろうかと不安になる。しかし明白な侵入禁止があるまで前進を続ける。最初にみえてくるのはお墓の分譲地である。空きエリアがたくさんあり、まだまだ分譲中である。ずんずん進む。だんだん坂がキツくなってくるが見えるのは普通のお墓ばかりである。
十六年前の記憶は曖昧で、先ほどのお墓エリアの入り口は覚えているがそこから目的とするエリアまでどれくらいあったのか完全に忘れている。ひょっとしてここではなかったのだろうか。そんな不安を感じながらずんずん登る。するとこんな光景が見えきてた。
これが私の目的地である。幸いなことにまだちゃんと存在していた。この場所に関する説明を引用しよう。
昭和15年(1940年)~18年(1943年)ごろに都内の駒込付近の寺院にあった無縁仏を集めて供養したものといわれる。
びっしりと墓石、地蔵が並んでいる。中央に通路があるが縄があるのでなんとなく通るのがはばかられる。なので脇にある通路を登っていく。すると前回来た時との違いがすぐ明らかになる。
これは墓石のほうから側方の道をみたところだが、背景が妙に明るいことに気が付くだろう。じゃあその明るい向こうには何があるかと言えばいきなりこんな光景が広がる。
いきなりこんな光景が広がる。びっしりとならんだ墓石と建設現場のコントラスト。稜線をはさんだこちら側は昭和で反対側は令和。この強烈な対比にしばし茫然とする。パノラマ写真でみるとこんな感じである。
稜線にある道を挟んで光景ががらっと変わっていることがわかると思う。工事をしている「令和」エリアを見る。向こうからまっすぐ道が造られてるが手前でこのエリアを回避しているようにも見える。となるとここはこの後も残るのだろうか。
そうした推測はできるが、今はこれ以上わかることはない。中央の階段を下っていく。
最初にこの光景を見た時の違和感は、一番下の写真に写っている新しい墓石によるものだ。先ほど引用した説明文によれば、ここにある墓石は戦時中に集められたものであるはずなのに、下段にある墓石はどうみても新しい。ということは、この場所は「かつて集められた墓石群」ではなく現在も集められている場所なのではないか。裏に周り望遠を最大にして新しく見える墓石の裏側を撮影する。
予想は正しかったようだ。平成十九年と書いてある。この場所は現在進行形なのだ。
さらに斜面を下っていく。普通の墓地のエリアに真新しい水汲み場と思しき場所があることに気がつく。となればおそらくこの場所は令和の建設が進んだ後も残るのだろう。今後あの建設エリアに何ができるかわからないが、新しく明るい令和の街から尾根を一つ超えたところに墓石群がひっそり存在する、ということになるのかもしれない。
おそらくこの場所には数年内に再度訪れることになるだろう。そんなことを考えながら再度電車に乗る。今日はもう一ヶ所行く場所があるのだ。
注釈