題名:巡り巡って

五郎の 入り口に戻る

日付:2006/8/4


真駒内滝野霊園[仏像&モアイ編]: 北海道(2006/7/2)

というわけで私は真駒内という地下鉄の駅でおり呆然とする。何故こんなところに来たかは聞かないで欲しい。とにかく来てしまったのだ。
いつまでも呆然としていてもしょうがないから「こちら」と思った方向に歩き出す。バスが止まる目印か何かあるだろう、と思っているがみつからない。しょう がない、と思って引き返すとある女性が別の女性に

「バスはどこに止まるんでしょうか」

と聞いている。それを横耳で聞いていると、どうやら何も目印はないが、サイトに示されていた場所に止まるようだ。よし、場所は分かった。というわけで時間が空いた。ああ、ここで1000円 カットの床屋があればなあ。髪の毛長くなってうっとうしいし、と思っていたら本当に駅の中にあった。これはラッキー。髪の毛を短くしてもらう。隣にすわっ た女性は

「本当に1000円なんですか?職場では誰も信じられないって。お前様子を見てこいって言われたんですけど」

とか聞いている。私の経験によればここは本当に1000円だ。そもそも1000円札での自動販売機しか置いていないのだ。それ以上金をとりようがないでは ないか。
しばしの後髪の毛が短くなりご機嫌になった私はバスが止まると思しき場所に向かう。すると既に数人の人が列を作っている。問題は何も目印がないのでどちら が先頭でどちらが末尾がわからないことだ。しばし迷った末こちら、と思った方に並ぶ。誰も文句を言わないからあっているのだろう。
ぼーっとしているとバスが来た。運転手さんがとても愛想良く応対してくれる。一人一人、どの地区に行くかを聞いている。園内は広いのでバス停が何カ所もあ るらしい。(この言葉が意味するところを知ったのは数十分後の事である)私はまさか「モアイ像見物に行くんです」とは言えないから、「礼拝堂です」と答え る。
それからバスは快調に走り出す。間もなく回りは原生林と呼びたくなるものに変わった。どこが原生林かと言えば、木が倒れてもそのままになっているからだ。 少なくともこれまでの珍スポット巡りではこうした光景に遭遇したことはない。感心することしばらく。目的地が見えてきた。

その瞬間私は口を半開きにした。なんだここは。しかし私が驚愕しようがしまいがバスは進んでいく。ううむ。早く降りたい。写真を撮りたいと思ってもまだま だ進む。礼拝堂はそんなに先なのか。そのうちいやな予感が頭をかすめる。帰りのバスは1時間10分後に出る。はたしてその時間内でこの広大な「珍スポット エリア」を見回ることができるだろうか。ようやくバスが止まる。礼を言って降りると一路 入り口に向けて歩き出そうとする。しかしそこには既にして怪しげな仮面が飾られているのであった。
仮面
これは、と思う間もなく先を急ぐ。てくてく歩くとこんな場所が見えてくる。
展示場
ここでこの石像を買っていく人がいるのだろうか。そしてその裏にあるこのエリアはどう考えればいいのだろうか。
裏の光景
ひょっとするとこの手は椅子になっているのだろうか。いや、ここで立ち止まっている場合ではない。とにかくてくてく歩くのだ。するとこんな光景が遠くに見えてくる。(この写真は反対側から撮った物)
仏像達
ううむ。これは悪夢、というか夢のような光景ではないか。先を急ぐ。すると道の真ん中に観音様が立っている。
北方観音
手前にある「還れ、北方領土」の石碑が北海道らしい。そこには現在首相候補として名を挙げている安部君のオヤジの名前が書いてある。オヤジが現役だったこ ろは政治に全く関心がなかったのでどんな人だったかは知らない。晩年癌を煩い気の毒なほどやせてしまった顔だけは記憶に残っているが。
などと思い出にふけっている場合ではない。見回せばこの観音の両脇にも観音が列をなしているのであった。その終端にはこんな岩がある。
岩
ちなみにこの反対側には「佛」と書いてある。この巨大な一文字が持つ力はなんなのだろうか。いや、ここで立ち止まっている場合ではない。時計を眺めつつ先を 急ぐ。するとこんどは(またもや)道の真ん中にこんな棒が立っている。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏。確かにそう。そうなのだが、何故道の真ん中にこんなものが、と言ったところでこの柱列の持つ力の前に言葉は意味を失う。更に先を急ぐ。道ば たには例によって仏像の類が並んでいるのだが、その中にこんなのがいる。
一対の鷲
一対の鷲というとアメリカとかいろいろ思い出す物はあるが、するとこんなエリアが見えてきた。

大仏殿
公式サイトにはここが「大仏殿」と書かれているのだが、それには若干異を唱えたい。大仏は別にいるのだ。そして普通大仏殿にライオンはいないと思う。
ライオンだよ。獅子じゃないよ
そしてそこからは居並ぶモアイの列が見えるのだった。
モアイ像達
一番手前のモアイだけ雰囲気が違うが何か意味があるのだろうか。このモアイ列に関する公式サイトの説明は以下の通りである。
「モアイ」の「モ」には未来、「アイ」には
生きるという意味があり「モアイ」とは
未来に生きるという意味が込められて
います。33基のモアイ像が並び墓参の
皆様を迎えます。

しかし私は何の根拠もなくこう考えるのだ。ここを作った人間はただモアイ像が好きだったのだろう、と。正式な名前は知らぬがくるくる回す車、それにモアイ の足下に立つ石仏。この三つをつなぐものは個人の愛以外考えられぬではないか、と力強く断言する。そう、形はモアイでも心は佛である。
佛のモアイ
ちなみにこの石碑によれば、ここができたのは2003年3月3日。そう、3の日なのだ。そしてモアイの前に鹿が戯れるのもこの国ならではの美し い光景だ。
鹿達
そしてこういう場所だからベンチもモアイである。
マアイベンチ
口を半分開けたまま歩き続ける。とにかく遠い。さっきから頭の中では
「でっかいどー ほっかいどー」
という昔のコピーが鳴り続けている。本当にここは広い。この場所を活用すれば日本国民全員の墓をここに建てることだって可能なのではなかろうか。などと考えているうち門が近づいてくる。ここには少しこぶ りなモアイ群がいる。
小さなモアイ達
こちらは頭の上に帽子を被っていたりしてそれっぽい(本物観たことないけれど)既にして口が開きっぱなしとなっている私とは無関係にモアイ達はただ静かに立っている。しかし話はまだ半分にしかなっていないのだった。


前の章 | 次の章[ストーンヘンジ&大仏編]  | 一覧に戻る | 県別Index


注釈