日付:2007/2/9
話は数年前にさかのぼる。 日曜日の夕方だったと思うが、民放で「地方でこんなに公共施設に無駄金を使っています」という特集をやっていた。例えば交通量が少ないのにものすごく立派 なループ型の道路があるとかである。 その番組である場所が紹介されていた。書を彫った石碑が建っているだけの公園、お客はほとんど来ません、こんな無駄が許され ていいのでしょうか、とかなんとか。 あの番組を見ていた人の99%は「ふーん」と思っただろう。0.99%の人は「これはけしからん」と思ったかもしれない。そして
「私はここに行かなければならない」
と猛然と検索を始めた私のような人間はほとんどいなかったのではあるまいか。 しかしここで問われるべきは数の多少ではない。あのような無駄な施設を見ると「是非行かねば」と考えるのは珍スポット愛好家の本能というものだ。というわけで、韮崎を後にした私は甲府で電車を乗り換え、身延線という電車に揺られ続ける。
途中車内で目的地までの切符を買おうとして気がつく。ここはJR東日本ではなく、JR東海の管轄エリアなのだ。私が最近愛用しているPASMOというICカードは使えないらしい。車掌さんがなんだかあれこれしてくれて話は丸く収まる。そのうち列車は目的地である市川本町という駅に着く。駅から外にでて
「さて」
と途方に暮れるのは珍スポット巡りにつきもの、とはならなかった。ちゃんと看板がでているのだ。
や れうれしや、さすがはちゃんと作られた施設だわい、と思うがそのあとしばらく悩む。この看板は何を言っているのだ。文字の順序通り300m行ってから右折 なのか、それとも右折してから300m進めという意味なのか。おそらく後者であろう、と右に曲がってからてくてく歩く。次にはこんな看板がでてくる。どうやらまた右折らしい。それはいいのだが、問題は
「普通車 800m」
と いう文字だ。これはどうしたことか。普通車で行ったら800mだが徒歩で行けばそうでない、ということなのか。としばらく頭をひねっていたが、そのうちこ の看板が何を意味しているのか分かった。途中車道が大きく曲がりくねった箇所があり、徒歩でいく道はそこをショートカットで結んでいる。なるほどね、と思ったが別に そこまで正確に看板にかかなくても、と思わぬこともない。
さて、そのうち「大門碑林公園駐車場」なる看板が見えてくる。ど う考えても碑林公園とは関係なさそうな車がぱらぱら止まっている。おまけに目的地はここからまだ先だ。なぜこんなところに駐車場があるのか、と思えばこれ は第二駐車場なのだった。そこから少し進むと遠くに目的地が見えてくる。その瞬間私は今日が雨であったことに感謝した。霧雨に煙る中、山腹にそびえる中国風の建物が美しいではないか。山紫水明とかなんとかそういう四字熟語が頭をよぎる。写真をとりしばしご機嫌になっていたが、そのうちいやな予感にとらわれる。中国風の場所と言えば思い出すのが「燕趙園」である。あそこも遠くから緑瓦の大屋根が見えたところまでは良かった。しかしそれだけだった。ひょっとしてここもそうではなかろうか。
などといやな予感にとらわれつつも進み続ける。少なくとも目的地が見えているのだから気は楽だ。そのうち入り口についた。な かなか立派である。ここで入場料六〇〇円を払う。受付にいる男性はまさかこんな雨の日に朝っぱらから人は来ない、と思っていたのかもしれない。なぜかと 言えばこちらに向けた顔に「意外」の色が浮かんでいたからだ。しかしそんなこととは関係なくこちらが差し出した金を受け取りパンフレットをくれる。中には いるとまずこういうものがある。なんだかわからないが像がたくさんある。真ん中手前の坊主はどこかでみたような気もする。真ん中にいるのは力士と鯉とか書いてあったような気がするが忘れた。説明文書の写真を撮ることも忘れるとはいかがなものか、と自分に憤ってもしょうがないのだが。
その先にはこんな看板がある。"きんさんぎんさん"が登れたならば私にだって登れるはずだ、と思ったがそもそも最近の若い人は"きんさんぎんさん"を知らぬのではなかろうか。などと考えながらだらだら坂を上る。頂上展望台にはすぐ到着する。頂 上にこのようなものがある。というかここにあるのは先ほどの写真に写っている物を除けばこれだけである。説明を読むととても貴重な書の複製がごろごろ、ということだが 毎年夏休みと冬休みに書道の宿題で泣きべそをかいていた私には豚に真珠である。その前にはこんなボタンがならんでいる。左が日本語。右が中国語だが真ん中はなんなのだろう。英語と推察はできるが、そうした表示はない。しかもボタンの下には"PUSH ON SWITCH"とあるが、これは何を意味しているのだろう。疑問を抱きつつもボタンを押すと声が流れる。が豚に真珠なので聞いちゃいない。あるサイトには「外国語での説明もあるので、外国から来た人にも好評」と書いてあったように思うがはたしてわざわざ日本に来た人がこの説明を聞いて感動するものなのであろうか。
こ れ以上見る物もないので坂を下りる。さっきから頭の中に「これで六〇〇円か」という言葉が響き続ける。いや、誰に文句を言うというのか。貴様はそういう施 設だと知ってここに来たのではないか、と自分で自分をしかりつける。しかしこの水飲み場を見ても、沈んだ心は晴れない。園内には喫茶店とか土産物売り場とかそのようなものがあり、そこには何人か人がいるようだ。しかし(当たり前だが)この雨の中園内を歩きまわっているのは私だけである。外に出ると「第一駐車場」があるが、車は一台も止まっていない。
今こうして全体の地図を見返してみると、下にパターゴルフコースがあったのだな。こ の地図で「憩いの広場」となっている場所を見たときとても青々としているのでここは何なのだろう、と首をかしげた。しかし今こうやって雨が降らない場所で 文章などにしてみると、俺はいったい何をしに行ったのだろう、と考え込んでしまいそうだ。ここが計画され、実際に施工される間に関係者は
「俺たちはいったい何を作っているのか」
と思うことがあったのだろうか。