日付:2007/7/2
というわけで京都である。なぜこんなところにいるのか聞かない でほしい。とにかく来てしまったのだ。
新 幹線を降りると天を仰ぐ。京都駅近辺で2−3時間余裕があることを知っている。さて何をするか。映画館の場所ともう一カ所を調べてきている。こんな天気が よく 気候がよい時期に表を歩かず映画を観る、というのは間違っていないだろうか。いや間違っている。というわけで駅前からバス停に乗ろうとてくてく歩き出す。目 的とするバス停はすぐ見つかった。しかし問題はその手前に存在していた。5−6月というのは私が知る限り修学旅行とかなんとかの季節である。お台場にある フジTV近辺とか渋谷とかとにかく制服を着た若者がうじゃうじゃ存在している。そしてその若者達はここ京都にもいるのだ。制服を着た中学生の群れが列を形 成しているのかしていないのかよくわからない状態で群生している。これは困った。
などと言っていてもしょうがな い。おとなしく列とおぼしき あたりに立っているとそのうちバスが到着する。これに乗っていいのか、いけないのか、と中学生が大騒ぎをやっていてもその後におとなしくついていくのが大 人というものである。普段であればそんなに混んでいないとおぼしきバスは満タンである。おまけに今日の目的地はかなり先にある。
「あ れ○○は?」
「おいてきちゃった?」
「どうすんだよ」
と かとにかくうるさい。私はiPodのボリュームを上げひたすら神仏に祈り続ける。この苦難が早く終わりますようにと。全く最近の若い者は、とは思わない。 私だって同じくらいの年頃にはもっとひどいことをしていたような気もする。今にして思えば周りの視線というものの存在に気がつくには年を重ねることが必要 な気がする。
そのうち少しずつ人が降り始める。二条城でどさっと人がおりたが、最大派閥であるところの中学生は乗ったままだ。彼らは 優先席に大き な顔をして座っているが中年男性は立ったままである。いや、この際贅沢は言わない。とにかくつけばいいよ。あとバス停いくつか、と路線図を見続ける。その うちようやく目的地が迫ってきた上七軒というバス停である。ああ、ようやくあのバスから解放された。
などとなごんでいる場合ではな い。あたりを見回し、こちら、とおぼしき方向に歩き出す。通りを渡り、少し細い路地に入っててくてく歩くといきなり正面にでてきた。この重みはどうしたこ とか。本日私が行くのは(例によって)珍スポットの筈だが、ここには「国宝」などと書いてある。これは間違えたか。しかし寺の名前は本日目標としていた場 所そのものだ。となるとここが目的地か。
などと考えていてもしょうがないので中に入っていく。すべてが重々し い。こんなことで本当に珍物件がでてきてくれるのだろうか。本堂の前に来るとその不安はいっそう高まる。この重々しさはどうしたこ とか。しかしその右手には私に希望を与えてくれる像があるのだった。これだこれ。「おか め」である。前にある看板を読めば、なんでもここを作ろうとした頭領が、間違って柱を一本短くしてしまった。さあこまった、と悩んでいると奥さんが
「枡 組があるじゃない」(たぶんこれ→)
と 教えてくれたと。かくして見事に建物は完成したが、「女に助けを借りたなどとしれては旦那の恥」とばかりに奥さんは自害してしまったとか。それ故ここには おかめが祀られるようになったとのこと。妻の意志は自分の命を捧げるほど固かったのだろうが、その話がこんなに広まってしまっているではないか。これでは 奥様の配慮も全く無に帰したというべきではなかろ うか。
などと不遜な考えを抱いている場合ではない。本堂の向かって左側になにやら入る場所がある。そこで500円を払い入場券を受け 取る。すると男性が
「ゆっくりみてください。立派な○○(失念)がありますから」
という。私はきわめて明るく 「はい」と答えるが本当のところおかめにしか興味はないのである。
再 び「俺は間違ったところ来たのではなかろうか」と不安になるような立派な場所に行く。靴を脱ぎスリッパにかえる。しかしそこにこの看板を発見し、やはり間 違いはないのだろう、と自分にいいきかせる。なんと呼ぶのかしらないが 建物をぐるっと まわる廊下というか張り出しには「なるべく内側を歩いてください」と書いてある。本堂の中を覗けばそこは確かに立派な作りだ。柱には応仁の乱のときにつけ られた刀槍の傷跡などが残っている。しかしその隅にはやはりこんなのがいるのだった。この国宝 とおかめの組み合わせとはいかなるものであろうか。あまりの本堂の重圧感にうたれ、10円を放り込む。しかし右側の隅に目をやればそこには私が目指してき たものがあるのだった。さっそくそちらに進む。 すると壁にそってガラスケースがならび中にとてもたくさんのおかめ像があるのだった。説明書を読めば「この”お かめ”人形群は全国信徒より商売繁盛家庭円満の祈願の時、また念願成就のお礼に納めたもの」とのこと。しかしそこにあるのは実にバラエティに富んだ姿だ。 一番最初に一番不気味な形がでてくる。ここまでくるともはや怪物で ある。目も緑色だし。後にはここまで厳しくないものが並んでいる。その姿を見ながら考える。おかめ像には子宝祈願の意味もあるのだろうか。例えばこんなの がある。こちらはもっと直接的で ある。そのほかにも男性の○○を かかえた像は多い。そういえば、「延命山大秘 殿-」にもこんなのがいたなあ。
こちらは延命山のおかめ像
話 をこの場所に戻す。私はただ無言でおかめ像をとり続ける。いろいろな造形があるも のだが、最後は狸になっている。これにも何かいわれがあるのだろうか。そしてつきあたりにはこんな方がおわす。こ ちらにもありがたく賽銭を放り込んで、その場を後にする。ここの上には先ほどの経緯を絵にした物が飾ってあるのだが、なぜか奥様が自ら命を絶ったところが 省かれている。その後宝物殿のようなところに行った。入り口近くにおかめ関連のなにやらがあるが、基本はしごく真面目な像の類である。快慶作の仏像が並 ぶ。ここは写真撮影禁止なので、不幸にして写真はない。
といったところでここの見物はおしまい。帰りのバスには修学旅行生はそれほど乗っていなかった。途中二条城から何人か乗り込んで 来たが、そのときにはもう座席に座っていたからあまり関係ないのである。さて、お仕事だ。