題 名:巡り巡って

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日付:2007/8/17


法 華寺 城山鬼子母神:大分県(2007/7/13)

大 分に行くこととなった。これだけ遠くに行き、かつ何も珍スポットを訪れないなどということが許されるだろうか、いや許されない。というわけで計画を練り始 める。そもそも大分には何があるのか、から始めるのだがそれと同時に時間的制約も考えなければならない。そもそもどれくらい自由な時間を持つことが出来る のだろうか。というわけであれこれ組み合わせを調べるとかなり厳しいことになっていることに気がつく。私は早起きが得意な人なので朝一番の新幹線で出よ うとするが、それだと開始時間をはるかに超過してしまう。では飛行機を使ってはどうだろうか。これも開始時間ちょっと前に到着するものしかない。となると 私の好きな寝台特急を使うしかないわけだが、近年寝台特急の数はどんどん減っているようだ。インターネット検索でよい時間帯のものを見つけたと しても本当に使えるとは限らない。東京を夜10時頃に出発するものがあるのだが、それでも開始時間を少し過ぎたあたりで目的地に着くことになる。最初を多 少さぼっても殺されないだろうが、いずれにしても時間が全然とれない。
訪れる珍スポットとしては、一カ所しか可能性が無いことが分か る。JRの駅 から「多少の努力」でいける場所はそう多くないのだ。宇佐駅というところから行くのだが、依然として時間的に成立が難しい。これはおとなしく行っ て帰ってくるしかないか。実は去年の夏にも別府に行く機会があったのだが、珍スポットとしてここに書くことができる場所には出会えずじまいであった。大分 県は私にとって鬼門なのだろうか。
もんもんとしているうちある可能性に思い当たる。寝台特急というのは必ずしも移動のための最速の手 段ではない。 同じ区間を新幹線が走っていればそちらのほうが早いのだ。というわけで途中の岡山で寝台特急を降り、新幹線に乗り換える方法を探索してみる。すると確かに 宇佐駅で自由時間が生まれることを知る。しかしそれはたったの1時間ちょっとである。その時間内に目的地に到達しわーわー見学し戻ってこれなければアウト だ。これはいまだに納得できていないのだが、その列車を逃すと最終的な目的地へ3時間も遅刻してしまう.目的地で私は一つ役目に担っているのだが3時間遅 刻してはそれができなくなってしまう。
そもそもこの「一時間」の自由時間というのは非常にあやふやなものだ。電車が何かの理由で遅れ たら全部アウ トである。しかしここは一つその細い可能性にかけるしかない。大分県相手に2連敗 を喫するわけにはいかないのだ。県を相手に勝負してどうするなどと考えては既に負けだ。
というわけで7月の12日、私は健やかに働き いつも通りお家に帰る。ご飯を食べ子供と一緒に風呂にはいり、普段な らさあ寝ようということでお布団にはいるのだが、今日はちゃんとした服に着替える。そして荷物を抱えて外に出かけるのだ。バスに乗り地下鉄に乗りJRの駅 にたどり着く。寝台特急に乗る人ってあまりいないのでは、と勝手に想像していたのだが、何人かの人が同じ電車に乗り込む。私と同じく岡山で降りた人が結構 いたことを考えると、東京で遅くまで仕事をして、翌朝から仕事がある人、というのは結構いるのだろう。
私は新幹線に乗りさらに西を目 指す。JR西 日本が運行しているレールスターという車両で、2列シートでゆったりである。ぐーすかねているうちに小倉に着く。そこからはJR九州。いつも思うことだ が、JR九州の特急列車というのはとても凝っている。今日の車両は男性用トイレと女性用トイレが別々になっていた。おまけにトイレのあるエリアが、座席か ら丸見えである。しきりがガラスになっているからだ。確かに開放感があるがこれはやりすぎではなかろうか、と頭の古い男は考え る。周りではなんども携帯電話の呼び出し音がなり、人は電話をもちデッキにいってしゃべっている。考えてみれば今日は平日の午前中なのだ。世の中は忙しく 動いている。そんな中私は珍スポットを目指しているのだが、果たしてこれはいい年をした大人としていかがなものか、などと疑問を持っては負けである。今の 私は一時間以内にどうやって珍スポットに行って見物して帰るかだけを考えるべきなのだ。
かくして私は宇佐駅におりたつことになる。

[ここに 宇佐 USA と書いた写真が入るはずだった]

USA である。その昔Stanfordで教授がこんなことを言った。その昔日本で米国製品が貴重品扱いされていたとき、日本人は宇佐で生産したものにMade in USAと書いたと。しかし今はもうそんなことをしようとは思わないだろうね。
思えばあのころは日本のバブル絶頂の余韻が残って いるころだった。あれからまた時代は変わり今はどこで作られたかとか誰もあまり気にしないと思う。たいていのものはMade in Chinaだし。
な どと感慨にふけっている場合ではない。残された時間は1時間。それまでに帰ってこれないとえらいことになる。思ったより駅の周りが寂れている気がする。こ れで本当にタクシーがつかまるだろうか。

[ここに駅の前を示す写真がはいるはずだった]

な どと予感だけにとらわれていてもしょうがないから改札をくぐる。人がいない。いつも「途中下車」というシステムを使うときには緊張感が走るが改札に人がい ないので問題ない。出てすぐ客待ちをしているタクシーが見えた。やれうれしや。これで往き道はなんとかなりそうだ。
タ クシーに乗り込み「ここに行きたいんですけど」と地図を見せながら言う。相手はめがねを外しみることしばらく。ああ法華寺ね、と言った。後から分かったこ とだが相手がこの寺を知っていたのは幸運だった。住所から割り出した位置が地図上にプロットされていたのだが、それは間違っていたからだ。
と いう わけでタクシーは線路をくぐりなおし出口とは反対側の方向に進んでいく。私はただ時計を観ながら座っている。目的地の近くにあるとおぼしきホテルの案内に は「宇佐 駅から車で10分」と書いてあった。どうかその言葉が正しいように。願わくば近いともっといいのだが。そんな思いをよそに車は快調に走り続ける。そろそろ 10分たとうか、というところで広い川にかかる橋を渡る。すると右手になにやら赤い建物が見えてきた。「あれです」と運転手さんが言う。「鬼子母神 が。。」と言うので「ええ、変わった像があるようで」と答える。後で気がついたのだが、ここで両者が指しているものは全くずれていた。しかしそのときはそ んなことに思いをはせている暇はない。よし。行きはほぼ予想通りの時間。問題は帰りだ。さっきから213と番号のついた道路を走っている。適度に交通量は あるのだが、タクシーは一台も見かけない。となるとやはり呼ぶしかないか。座席の背に入っているタクシー会社のカードを一枚取る。
お 金を払い、礼を言ってタクシーを降りる。まずはこんな建物が目の前にある。

[ここに赤い柱、白い壁の建物の写真がはいるはずだった]

赤 と白のコントラストが素敵だし、なにやら通路のようなものが伸びておりちょっと変わった構造にも見える。目的とするものは裏手にあるようだ。ぐるっとまわ ると期待していた光景が見える。

[こ こに鬼子母神像、仏像が収まる全体像を示す写真がはいるはずだった]

ハンドメイド 魂あふれる仏像が素敵ではないか。勇躍坂道を上り出す。坂といっても道自体がハンドメイド魂にあふれており、雨で濡れているので滑りそうである。慎重に歩 を進める。まずでてくるのはこの像だ。

[ここに鬼子母神像の写真がはいるはずだった]

足 下には金色の子像の大群がいる。

[こ こに金色の小さな像の大群の写真がはいるはずだった]

よく観ると小僧と女の子の像が混 じっている。中には下半身までコンクリで固められたものもおり、細かく観ると結構大変そうだ(誰がだ)と思えてくる。
ここらへんから それまで小康状態を保っていた雨が激しくなってきた。あわてて傘を取り出す。しかし雨粒が一滴レンズについてしまった。多少像がぼけるがそんなことにか まっている場合ではない。さらに坂を上り、座像に対面する。

[ここにセルフメイド魂炸裂の仏像の写真がはいるはずだった]

プ ロポーション、そして表情に作った人間の魂があふれているではないか。ぱしゃぱしゃと写真を撮るがやはり帰りの時間が気になる。カラータイマーはすでにし てぴこぴこなり出しているのではなかろうか。とはいって後で「ああ、あの写真を撮っていないかった」と後悔するのもいやである。ぱしゃぱしゃ撮りながら坂 を下る。するとこんな看板があることに気がつく。

[ここにこの場所の説明をする看板の写真がはいるはずだった]

読 んでみれば、どうやらここには本当に由緒正しい鬼子母神の像があるらしい。では私のお 目当てがなんだったのかと言えばそれについては書いてない。あのタクシーの運転手さんが言っていたのは由緒正しい鬼子母神だったのだろうが、まさかこの雨 の中タクシーにのって外の像を見に来る人間がいるとは誰も思うまい。
といったところで法華寺見物はおしまい。急いで歩き出す。213 号にいってタ クシーを呼ぼう。そう思いつつ交差点に接近すると、意外なものが見えた。そちらの先にはホテルがあるのだが、そこからの帰りだろうか。タクシーが一台交差 点に停まっている。これはなんという幸運か。もしあれが空車であれば、そのまま乗って駅に帰れるかもしれない。空車のサインがでているかどうかよくわから ないが、交差点の反対側からとりあえず手を挙げる。ぐるっとまがってタクシーが止まってくれた。ああ、なんとありがたい。この雨の中なれない携帯電話を使 わずともタクシーに乗れたではないか。乗り込み行き先を告げると運転手さんと少ししゃべる。雨がすごいですね。明日は電車が止まるかもしれんね。それはそ れで私にとって大問題なのだが、今はとりあえず宇佐駅にたどり着けそうだ、ということでほっとする。相手は「高田(このへんの地名である)になにか用で も」と言う。まさか「いや、あのユニークな像を見に来たんですよ」と言うわけにはいかないから(私だって不審者扱いされるのはいやだ。いや、十分不審者か もしれないけど、警察の手を煩わせるような不審者ではないはずだ)「ええちょっと」とだけ答える。
まもなく駅に着く。所用時間は全部 で30分。こ れは一本早い特急に乗れそうではないか。特急券をかってホームに立つ。しめしめ。これで予想より早く到着できそうだぞ、と思うとやはりそんなことはないの だった。雨のせいかしらないがとにかく特急は25分遅れとか。なんだ、これでは特急券の意味がなかったか、と思ったのは浅はかだった。乗りこんだ特急は寝 台特急だから、横になってぐうたらできるのである。かくしてうつらうつらしながら私は大分にたどり着く。これで本来今日たどり着く筈の場所まで行けるだろ う。何事もなかったかのような顔をして。

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仮にここまでこの文 章を読んでくれた人がいたとすれば、間違いなく以下の疑問を抱いている筈である。

「写真はどうした?」

そ して私はなぜこのページに写真がないかについて語らなければならない。
13日の金曜日(今思えばこの日付が何かを意味していたのだ) 私はさして遅刻することなく目的地についた。ここでの仕事は13日と14日の二日。その日はちゃんと働き、夜はご飯を食べて寝た。
翌 朝目が覚めるとカーテンを開ける。昨日までの大雨が嘘のように晴れ渡っていないだろうか、と期待しながら。しかしそこにあったのは豪雨と強風だった。こ りゃダメかもしれない。しかしちゃんと昼頃まではお仕事をしよう、と心に誓う。
仕 事は9時からなのだが、状況は悪化するばかりだ。悪い話ばかりが耳に入ってくる。ついにはその日の作業は中止、みんなとっとと家に帰れ、ということになっ た。その時8時50分。なんでも湯布院駅を9:16に出る電車が最後でその後は運行を停止するという噂もある。これはまずい。タクシーを呼んで貰い湯布院 駅に急ぐ。坂道はいたるところ川のようになっているが、タクシーの運転手はプロだった。ちゃんと時間前に湯布院駅に到着したのである。やれうれしや。これ でなんとかなるだろう、と思ったのは甘かった。
切符を買おうとすると駅員が言う。「もう動いてません」なに ?じゃあどうすればいいのか?すると駅員は答える。バスの停留所が30m前にありますからそこで聞いてください。なんということだ。私は駅にべたべたと張 り出されている「悪天候のため運休」の張り紙を写真に納める。そして雨の中を
「おわー」
といいながらバスセン ターに走る。
バスセンターは確かに30m先にあった。しかしそこは人であふれており、我々は既に中にはいることすらできない状態。こ れはいかんともしがたい。見知った人に声をかけ、
「タクシーで別府までいきませんか?」
と 誘う。さっそく4人そろいタクシーは別府に向かう。このときの運転手は自己紹介(助手席のヘッドレスト部分後部にそんなのが張られているのだ)に「スー パースターを目指します」と書いていた。そして彼は確かにそれに相応しい仕事をした。どこで携帯電話の電波が通じるかも心得ており、ここはだめです。ここ ならいけます、と適切に情報を提供してくれる。しかし別府の情景は我々の想像を超えてすさまじいものになっていた。
別府というのは非 常に単純化し て言うと「坂の町」である。斜面にいろいろな温泉街が張り付いている。そしてその坂はことごとく川になっている。側溝の上に置いてある板の隙間から水が噴 き出して噴水状態だ。こんなのは初めて観た。その中を車はスリップしたりすることなく見事に走り続ける。そしていよいよ別府駅に着く。ホームにたくさんの 人がいるのが見える。これはGood News, Bad newsだ。まず人がいるとすればそれは電車が動いていることを意味する。しかし混んでいるということは電車が到着しても混雑しているであろうということ だ。
いずれにせよ駅にいくしか道はない。しかし接近したところで運転手は
「水が深いですね」
と いい少し離れたところで我々をおろした。外は大降りの雨である。私は最後に後部座席から飛び出した。その瞬間
「ぼしゃ」
と いう音がした。そのまま走り去ろうかと思ったが、気になるので振り返る。すると水の中にカメラが落ちている。私の鞄が十分にしまっていなかったのか。カメ ラは完全に水没状態。あわててそれを拾いなんとか駅にたどり着こうとする。しかし駅の周りはどこも深い水にかこまれ、結局靴を完全に水没させることなく駅 舎にたどり着くことはできない。
ばしゃばしゃやりながら、ようやく屋根のあるところについた。(このとき既に駅舎に浸水が始まっていたようだが)急いで チケット を買うとホームにあがる。そこでカメラをもう一度観てみる。そして気がつくのだ。拾ったときにバッテリとメモリカードを入れた部分の蓋が開いたのには 気がついていた。いま中をみれば、バッテリもメモリカードも綺麗に消えているではないか。
ということはバッテリ、それにメモリカード は駅前の水たまりの中にあるということか。。。しかし今更取りに戻ることはできない。幸か不幸か電車は(一時間遅れで)到着しようとしている。そして周 りの声を聞くとこれを逃すともう次の電車はないという。
う うむ。この一週間にとった写真は泡と消えたか。しかし今は前に進むことが先決。私は電車に乗ろうとする。既にして満員に近い電車に果たして乗り込むことが できるか。しかし電車の搭載能力というのは偉大だ。長い人の列があっただのがいつしかその列はすべて電車の中に入っていく。しかしもちろん中はぎゅうぎゅ う詰めである。朝のラッシュ時よりましだが、もちろん快適ではない。そしてこの状態が一時間以上は続くのである。
くるときに同じ 経路を通った が、あれは楽だった。座ってぼーっとしていれば簡単についた。しかし今はそんなことは望むべくもない。体を様々に折り曲げ荷物を上にもったり下に置いた り、とにかく人様の迷惑にならないようにからだを移動させ続ける。途中で黒人女性が「気分が悪い」といいだしたらしい。もし米国人だとすればこうした混雑 状況にはなれていまい。この程度で気分を悪くしていたら東京で生活できないぞ、ってもともと生活していない可能性が高い。小さな子供をつれた夫婦がいる。 子供がかわいそうだが、そのうち「トイレの中で座る」という解決策を見いだしたらしい。それはとてもうまくいくのだが、もちろん時々「トイレに行きたい」 という人がでてくるたび、周りは大騒ぎになる。
しかしありがたいことにいつしか目的としていた小倉が近づいてくる。「あと3分ほどで 小倉です」と言われてから実際に到着するまでは実に長かった。ホームが見えてくる。電車が減速し停車する。さあドアが開くぞ。待ちに待った瞬間だ、と思う と
「停止信号です」
とアナウンスがはいる。どういうことだ、と思っているとそのホームは一つ手前の駅のホーム だった。
次に停車したときは本当にドアが開く。ああ、広い空間って素敵。小倉からのぞみにのり名古屋に向かう。ああ、座席に座ってい るって素敵。3時間近く乗っていた筈だが、何の苦労もない。あれこれしゃべったりぐうぐうしている間に到着である。
か くして私はこの文書を雨が降らず、振動しない場所で座りながら書いている。JR九州の運行状況を調べれば、大分県は全面運転停止中とか。となれば確かにあ の場所から脱出できたのは幸運だったのだ。しかし雨の降る中、寝台特急まで使い撮影した写真が水没した、という事実は覆いがたい。実は一年前に別府に行っ たときも大雨に見舞われた。やはり大分県と私は何か相性が悪いのだろうか。いや、そういうならこちらにも考えがある。このままやられっぱなしでは終わらせ んぞ、と何に対して力んでいるのやら。
その「いつか」までこの場所の様子を知りたい方はこちらを ご覧下さい。

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注釈